025:god
バサラ 小政
※死にネタ・バッドエンド・パロディ・捏造キャラ含という四重苦注意





戦場に静寂をもたらしたのは咆哮であった。
生きるよすがが消えた従者の、最も愛した者を亡くした男の、縛る鎖が断ち切られた修羅の。
地の底から響くような、風を切り裂くような、空を飲み込むような。
愛惜と、絶望と、憤怒と。
総てを綯い交ぜにした咆哮は、戦場に在るべき鬨の声も討ち合う音も消した。
それが消えた直後、殺気と呼ぶには生易しすぎる物々しい気配が辺りを覆った。
咆哮は、人の形をした災厄が目覚める前触れであった。

そこから先の出来事の一部始終を知る者は居ない。なぜなら戦場に居た者のほぼ全てがたった一人によって、兵も将も敵も味方も死に絶えたからだ。
辛うじて生き残った一握りの人間――彼の本質を以前から識っていて事が起こった瞬間に避難した人達さえ、退避するのに精一杯で事の次第を見てはいない。
ただ、片倉小十郎という人間の在り方を失くした男が政宗の眼帯を慈しむように手で包み、ふらりと何処かへ往ったのを遠くから見送ったのが2,3人居るのみだった。





とある晩、成実は国境の偵察の帰りに森を駆けていた。

かの合戦以降、伊達軍はほぼ壊滅状態でありながらその隙に奥州に攻め入る軍は皆無であった。傍目に見れば、合戦場には有り得ないほどの数の骸と血の海があるのみで、一握りの人間が口を噤めば、唐突に不可思議で惨たらしい怪異が起こった呪われた地のように見えるからだ。
踏み入れれば底無しの沼があるかもしれない場所に命を懸けて軍を向ける将は居ない。しかし念のため、攻め入られれば名実ともに滅ぶ伊達軍を護るために行ったのが此度の偵察だった。

陽はとうに暮れて月が煌々と輝いている。しかしこの森を抜ければ居城が見える。ならば一晩休んでから帰るよりも、この帰路を駆けて翌日の朝一で報告するのが良いと考えた。
緩やかに怪しくなる雲行きを気にして少しばかり焦る成実の耳に、引き留める声が届いた。
「…成実」
馬を止め、返事はせずに耳を澄ます。こんな場所に人がいるはずはないのだが。なぜなら此処はあの日の――。
「成実。お前は伊達成実だろう」
「…誰だ!名を名乗れ!」
「なんということだ、お前にも判ってもらえぬほどにおれは変わってしまったのか」
姿は見えずとも、嗚呼、と嘆く声は聞きなれた溜め息に似た声音だった。あの低く良く通る声が喉を潰したようにかすれてはいるが、それは確かに――
「小十郎?小十郎なのか!」
「ああ、そうだ」
「ずっと探してたんだぞ!まさかこんなところで見つかるとは思わなかったけど。さあ、一緒に帰ろう。復興作業は猫の手を借りても足りないくらいなんだ」
驚きと嬉しさの勢いで捲し立てた成実は、そこまで言って口元を手で覆った。暫しの沈黙が闇に落ちる。
「……おれは酷いことを仕出かしてしまった。政宗様が守ろうとした兵も土地も、おれの手で穢してしまった。政宗様にもお前たちにも、どれだけ詫びても詫びきれぬ」
「帰って、生きて贖えばいいじゃないか」
「それはできない。おれは修羅に為ってしまったから」
唖然とする成実から身を隠したまま、小十郎は事の次第を語った。



『事』の仔細は小十郎にも分からない。完全に自失した状態で『事』は起こったからだ。
全てが終わった後に朧げながら我を取り戻し、敵のものか味方のものか分からない血の海の中で主の亡骸を抱え起こそうとしたときに、自らの手が元の色も見えぬほどに汚れていることに気づいた。だから極力触れないように眼帯を取り、足の赴くままにその場を去った。
思えば、それが変化の前触れであったのかもしれない。

気がつけば小十郎は森の泉の前に佇んでいた。抱えた眼帯をその清水で洗いながら為したことを思い出して深い後悔の念に締め付けられ苦しんだ。記憶が無いこととはいえ、酸化した返り血で羽織が黒ずみ、誓いを刻んだ愛刀が切れ味を失った鉄塊と化していていれば、自然己の所業が知れるというものだ。
「お前は生きてくれ、小十郎」
政宗が末期にそう言い残したから、息を吸って吐くだけの時間を過ごした。そうでなければその場で後を追っていた。
その言葉だけを心の内で反芻し、長く瞑っていた眼を開いて驚いた。水に触れていた手が蒼かったのだ。血糊を落とした下にあったのは人ならざるモノの肌だった。

そこから記憶は再び朧げなものになる。
身を隠すために洞窟で眠っていたはずなのに、目が覚めたときには薙ぎ倒された木々の中心に居て、羽織には木屑がついているということが繰り返し起こった。日増しに肌は青味を増し、口からは凶悪な牙が生えた。更には記憶をなくす時間が日毎増え、終には己が暴れた痕跡のある場所から半里も無い場所に人里があったとき、ぞわりと総毛だった。

このままでは人に害を為す化物になってしまう。

しかし記憶の無い状態で誰が自身を制御することなどできようか。今更城に戻ることなど、唯一で絶対であった主との思い出がある場所になど帰られぬ。もし帰ったとして、また意識を飛ばしたとき、この狂った化物を止める者など居るものか。

かつて、瞼を閉じればちかりと光る輝きが在った。小十郎に視える光など、たったひとつの魂でしかない。その魂の無い此の世は、今立っているのかすら分からない完全なる虚空の闇だ。
それでも修羅と為った小十郎を繋ぎとめる唯一のものがあった。

『六爪独眼竜右目生涯』

誓いを刻んだ刀『黒龍』だった。小十郎を小十郎たらしめる誓いがそれである。これだけは野晒しにしては逝けない。



「酷い我侭なのは解っている。数多の兵の命を奪ったおれがお前に頼み事をするなどおこがましいと解っている。
政宗様の最期のいいつけすら破ることになるが、早くあの方の許に行かなければ。おれはあの方がまもった奥州の民をこれ以上殺めたくはないのだ。だから――」
ごとり、と重い音がして成実の前に血に塗れた一振りの刀が落ちた。それは小十郎の言った通り刀の形をした鈍器に変わり果てていて、刻まれた文字すらほとんど見えなくなっていた。
「これを政宗様の廟の傍に置いてそれを俺の墓標としてくれ。おれがどれだけ汚れようとも、おれのこころはそこにある」
「そんな…こと…」
「頼む。それさえあれば、おれがもう一振りで心の臓を突くだけで全てが終わる」
小十郎は本来二刀流である。二刀の片割れを主である政宗の許に預け、もう片方が持ち主の命を奪う。主を亡くしひとつの修羅と為った従者がそれをするのが引き裂かれた主従を擬えるようで、成実は心がひどく痛んだ。しかし、それが最期の願いというならば。
「そうしよう。城中の誰が反対しようと、俺の誇りをかけて政宗の許へこれを届ける」
「ありがたい。もっと礼を述べたいところだが、そろそろまた自我をなくす時間がちかいようだ。そうなるまえに、なさねばならない」
訥々と語っていた小十郎の掠れた声が、段々と獣の唸り声のように変わっていく。一刻を争うぎりぎりの時間まで二人は話していたようだった。
「そうか……では、俺はもう行く」
「ああ、さらばだ。来世で縁があればまた会おう」

黒龍を抱えて成実は馬を駆った。既に雨は叩きつけるまでに強く降り、黒雲が立ち込めていた。それでも成実は馬を止めずに城へ全速力で向かった。報告などよりも先にやることができたからだ。
鬱蒼とした森を抜け、一度だけ成実は来た路を振り返った。丁度、稲妻が闇を割き森の開けたところへ落ちたところだった。
蒼い神鳴は龍の如く猛々しく、ひとつの魂を迎えるために来たように成実には思えてならなかった。






「god:神」
政宗様を失った小十郎はどうなるのか、といったところから派生した山月記パロです。「暗闇の中に光が一つ それだけが俺の正気をつなぎ止める」ということは逆に言えばそれをなくした瞬間に狂気に堕ちるということなのだと思う。
12/5/27 3のこじゅを下敷きにした感じで改訂してみました