056:over
ヘタリア 伊独+日





ここ最近どうにも疲れが取れなくて、ドイツは長めの休暇をとって日本の家へ暫く滞在することにした。
欧州も決して悪いところではないが、この歳若く見える友人が薦める観光名所へ赴くのは異国情緒に溢れていて落ち着くし、この国の旧い書物を読むのもまた知らない世界を垣間見るようで趣味のひとつである読書に思う存分没頭できる。
普段の喧騒から地理的にも心情的にも離れるこの場所を好んでいるのに、ドイツは未だに疲労感をとりきることができずにいた。
朝から重い溜息をついてしまい、日本がさりげなく訊ねた。
「もしかして枕が合いませんか?」
「いや、そうではないと思う。いつも、ひどく慌しくて騒がしい夢を見た気分で毎朝目が覚めるんだ。部屋が煩い訳では決してないし、悪夢という訳でもないのだが」
「それは…災難ですねぇ」
困ったように笑いながら日本は「今夜は安眠に良いお茶でも淹れましょうか」と言うだけでその会話は終わった。

ぱらり、と頁を捲くる音だけが響く。静寂を好む二人の間に、余計な世間話は要らなかった。
また、ぱらりと音がしたあとに、日本はひとつだけ少し驚いたように声を上げた。
ドイツが少しだけ本から意識を浮上させて彼の方を見遣ると、日本は読書を始めたときと同じ作業を――つまりはドイツに長い間貸してもよい本の選別作業をしていた。彼がくすくすと笑いながら見ているのはこの国の旧い詩が載っている本で、ドイツは笑いどころが判らず訝しんだ。
「どうしたんだ、日本」
「ああ、邪魔をしてしまったのならすいません。こちらの勝手な想像で――ああそうだ、ドイツさん、邪推であったら申し訳ありませんが、毎日夢に出てくるのは誰か一人のひとであったりはしませんか?」
唐突にそんなことを訊かれて戸惑いながらも、ドイツは真面目に思い出そうとしていた。いつも夢の余韻だけが頭と身体に残っているのをやり過ごすだけだった。よくよく思い返してみれば、いつも騒がしくて慌しくて、そのせいで疲れたような心持になる。それでも悪夢とは言いがたい愛しい何かがあった。それらを重ね合わせていくと、ドイツの数少ない友人である一人の姿と重なる。そう思うと急に恥ずかしくなって、思ったままを口に出せなくて、とりあえずは日本の言葉を短く肯定するだけに留めた。
「何故、今そんなことを訊く?」
「この頁に『夢の通い路』という言葉がありまして」
「ゆめの、かよいじ…?」
「ええ。現代科学や心理学からしたら滑稽なのかもしれませんが、千年ほど昔の人は、夢に誰かが出るということはその『誰か』が自分のことを想っているからと考えていたんですよ。『誰か』の想いの強さが夢に反映されるということかもしれません」
「興味深い考え方だな」
「ほら、彼って寝起きのまま取るものも取り敢えず国境越えたりするじゃないですか。夢の通い路みたいなものですら簡単に駆け抜けてもおかしくないでしょう」
「はは、全くだ。――っ!?」
軽く肯定した次の瞬間、さらりと心を見透かされたことに気づいて思わず振り向く。ほぼ全ての感情を笑顔で往なす東洋の友人は、やはり真意の読めない笑顔で此方を見つめていた。
「な…んで……?」
日本は更に笑みを深める。人の感情を読みとるのが苦手なドイツでさえ、それは悪戯を成功させた子供の顔に最も近いことに気づく。
「傍に居て見ていれば分かりますよ。特にドイツさんは態度に出やすいですから」
「そうか……」
「ところでドイツさんが私の家に来てどれくらいが経ちました?」
またも唐突に変わった話題に置いてかれそうになりがらもドイツはカレンダーを脳裏に広げた。
「1週間も経ってないはずだが……ああ、ちょうど5日だな」
「ということは、もうそろそろじゃないですかね」
「何がだ?」
「通い路が繋がるのが、ですよ。ほら、噂をすれば」
遠くから聞こえるのは、とても聞き覚えのあるたった一人の喧騒。みるみるうちに近づくそれは、確かに夢の通い路の向こう側のものと同一であった。
「夢も国境も海さえも越えて来てくれるなんて、随分と深く想われてますね。ドイツさんはその想いにどう応える心算ですか」
日本の問いは、殆ど無遠慮なほどに開けられた扉の音と泣き声に掻き消された。






「over:〜を超えて」
イタのフットワークの軽さは異常(リアルのみに限らず)、というお話。
※5周年5ジャンル企画その4:ヘタリア編