073:sleep
ヘタリア 普→独←墺





私がリビングに入ると、なかなかに珍しいことが起こっていました。
そこにいたのはソファで座ったまま眠る金髪の同居人。
このドイツという軍人気質のひとは平和な時代にあっても気質が抜けないようで、常ならば誰かが寝室のドアをノックするか入るだけで目を覚ます人でした。つまりは、それこそ病気でもない限り寝ている姿を他人にあまり見せないのです。ま、多少の例外はあるのですが。
今目の前で眠っているドイツは、私が側まで近寄っても起きません。明け方の空のような薄いブルーの瞳は、髪と同じ金の睫で縁取られた瞼の裏にしっかりと仕舞われています。読書中の居眠りなんでしょうか、本を緩く掴んでいます。
もう少し見ていたい気もしましたが、起こすことにしましょうか。
「ドイツ、こんなところで寝ていると風邪をひきますよ」
肩を揺すっても声をかけても起きる気配がありません。また好き勝手に注文をつける上司の仕事をきっちりこなすために余程根を詰めていたんでしょうね。もしかしたらあの騒がしくてお下品なプロイセンの相手をして疲れているのも原因かもしれません。年長者で暇人なのだから弟の心労を増やすんじゃなりませんと、後できつく言っておかねばなりませんね。
さて、どうしましょうか。流石にこの体格の意識のない人間をベッドまで運んでいくことは、私には無理な話ですから。
肩を揺すっていた手から彼のぬくもりが伝わってきて、ふとあの子の言葉を思い出しました。
――ドイツのむきむきがあったかいのはお見通しだー!
確かに他の人よりも体温が高いようです。少し肌寒くなってきたこの季節、人間湯たんぽにするにはちょうど良さそうな。
『多少の例外』であるイタリアは好んでドイツの寝室に忍び込んでこの腕と肩を枕にしてるのだと思うと、私もやってみたい気がしました。なんといってもこの状況はとっても稀なんですから。
「ちょっとだけ、ちょっとだけ借りますね」
一人で呟くとなんだか我ながら言い訳がましく聞こえました。
隣に座って、そっと本を抜き取って机に置きました。まだ起きる気配はありません。ドイツを起こさないように片腕を抱えると、本当に温かくて心地よい気分になりました。思い返せばこんなに安心した気持ちで人肌を感じるようなことは久しぶりです。
でもそれが何十年前、いや何百年前のことだったのか思い出す前に、私の意識はヒュプノスに誘われていきました。



「ヴェストー、帰ったぞ。お帰りなさいのキスをしやがれ!」
俺が呼んでも奴は来るどころか返事をする気配もなかった。
ヴェストがいるはずのリビングでその姿を見つけて、この薄情者、と言おうとして言葉を飲み込んだ。ソファで珍しいことが起こってたからだ。
警戒心の強いヴェストがソファで居眠りしている。
そういえば子供の頃はよく寝顔を眺めたりしたものだけど、大きくなってからはほとんど全くと言っていいほど見なかった光景で、少し寂しいと思う。ま、そう育てたのは俺なんだけどな。
よく見ると、いやでも見慣れたマリアツェルが気持ち良さそうに揺れていた。オーストリアがヴェストの腕を抱えて腕と肩を枕にして一緒になって寝ている。チクショウこの坊ちゃんめ、ヴェストは俺のもんだぞ!
露骨に顔を顰めた俺を見て、腕の中からクゥンと声がした。
この子犬は上司の飼い犬で、上司がバカンスに行くから犬の扱いになれてる我が家にしばらく預かることになった。
というかそもそも、そのバカンスのせいでヴェストが仕事の予定を大幅に詰めることになったから、今こんなレアな状況になっている訳だ。もしかしたら朝から晩まで弾きまくるピアノのせいで不眠だったのかもしれない。徹夜で仕事して朝に寝始める同居人もいるんだってこと、あのマイペースすぎる坊ちゃんにきっちり教えとかないとな。
俺が考えてるうちに、子犬はヴェストに興味を示して腕から抜け出しかけていた。
「お前もヴェストと一緒に寝るか?膝枕は温かいぞ、多分」
子犬をヴェストの膝に置くと、よほど人懐っこいのかすぐに背中を丸めて寝る体勢をとった。初対面の犬には好かれるのに初対面の人にはビビられるんだから、我が弟ながら難儀な宿命だよなぁ。
さて、俺はどうしようか。なんて考えるまでもないんだけどな。夕飯までには時間があるし、坊ちゃんにこんなステキなもの独り占めさせとくのも癪だし、ちょうどソファのスペースも片腕も空いてることだし。俺もヴェストの腕を枕にして少し眠ることにしよう。
そっと腕を抱えると改めてその腕の太さにちょっと驚く。ああもう立派に男に育っちゃって。
身長を追い越されたのはどれくらい前だったか、純粋な力比べで勝てなくなったのはいつだったか。
そんなウン十年も前のことを一々思い返すのも面倒だったから、答えを夢の先に求めることにした。



目が覚めてすぐに、リビングのソファで久しぶりに居眠りをしてしまったことに気づいた。
どうせ寝るならベッドにしておけば効率よく疲れがとれるのに、座ったまま寝たせいで肩が凝った。そして少し肩を回そうとして初めて腕にしがみついている人間がいることに気づいた。
右腕にはオーストリアが眼鏡をかけたまま器用に、左腕にはプロイセンが年上には見えないくらい子供みたいな表情で寝ている。そしてその両方が、動く腕を逃がすまいとそれなりに強い力で押さえ込んでいた。片方の頭か肩を叩いて起こそうにも両腕が不自由じゃ無理な話だ。
しょうがないから立ち上がるという強硬手段に出ようと思ったら、膝で見知らぬ犬が可愛らしい寝息を立てていた。そういえば上司の犬を預かるという話があったが、今日だったのか。忙しくてすっかり失念していた。
こうなると大声を出して起こすという手段も封じられた訳だ。二人を多少乱暴に起こしても俺がぎゃあぎゃあ煩い抗議を受けるだけだが、まだ睡眠が要る年頃のようなこの可愛い子犬を起こすのはあまりに忍びない。
ああ、我が家にシエスタなんて習慣なんてなかったはずなのに。
しかし仕様がないので、もう一度寝ることにした。幸い二人と一匹の体温は眠気をもう一度呼び覚ますには充分だったようだ。






「sleep:眠る」
オチなんてありません。普→独←墺で争奪戦っぽいものを書きたかったはずなのに、まったく争奪してない。
独が犬にのみ優しいのは仕様です。