バサラ 政小





「政宗様、何をなさっておいでですか?」
政宗はよもやこの場所――地下の書庫に居るのが小十郎に見つかるとは思ってもみなかったから、狼狽した。
「いや、少しばかり読書でもしてみようかと思ってよ」
政宗のそういった心の動きを表情で読めぬようでは竜の右目は務まらない。またこの主が悪巧みでもしているのかと思って、疑問の切っ先を皮肉に変えて突きつけることにした。
「城中の書物は読みつくした、と先日仰っていたように記憶しているのですが」
加えて政務は云々と言おうとした小十郎の言葉を遮って、政宗はその言葉の刃を丁寧に折り返した。
「政務はさっき全部終わらせたぜ。気晴らしに書物を読み返そうと思ってな。それに――」
折り返した切っ先は意図せずにそのままざくりと小十郎の胸に突き刺さった。
「どういった言の葉を遣えばお前が陥とせるかと研究してたんだ」
ごんっ!
小十郎は打撲音をどこか遠い気持ちで聞きながらも、それが後頭部と柱が引き合うがごとくぶつかった音だと認識していた。鈍痛に耐えながら、小十郎は言葉を捻り出す。
「なんという、くだらないことを…」
「Are you OK? これのどこがくだらねえってんだよ!」
「あーゆーおーけい、は此方の言葉でございます、政宗様。小十郎の為に割くようなお暇があったら兵法書でも新たに取り寄せますのでそちらをお読みくだされ」
「そういうのも悪かねえが、そんな類のモンは見飽きた!それに他ならぬ、たった一人で代えのない俺の右目のためなんだ、感謝しろよ?」
「お気持ちは過分すぎるほどに有難く思います」
「ほら、またそれだ。俺がどれだけ熱心に口説いてもお前は涼しい顔で返しやがって…」
不貞腐れたように口を尖らせる政宗の様子が子供っぽくて、話の内容如何を他所に小十郎は口元を緩めた。
もちろん命を賭して守ると誓った主にここまで心を傾けられることが嬉しくない訳がない。惚れて好き合った相手ならば尚更だ。ただ、幼少の頃から見守ってきた相手なだけに、保護者的な感情が頭を擡げることがままある。故に格好をつけたがるときには伴天連語をより多用する癖も熟知しているだけに、熱っぽい眼差しで異国の言葉を喋る政宗の様子には甘い感情よりも先に微笑ましい気分になるのだった。
もう青年といっていい年頃の主の様子が不躾ながらもどこか可愛らしく思えたので小十郎はその癖を指摘しなかったのだが、政宗は自力でそれに気づいたようだ。だから今やや埃にまみれた古い書物を引っ張り出しているのだろう。
「例えば……ほら、こういうのなんてどうだ。要するに我慢できないくらいに死ぬほど愛してるってだけの陳腐な言葉も三十一文字にしてみればなんともcoolじゃねえか」
「左様ですな」
政宗が指し示した和歌は、旧いものでありながらも色褪せず、燃やし尽くすような恋心を詠っている。これだけ想われれば否やのある輩がいるのだろうか。
「『忍ぶることの弱りもぞする』……まさにその通りだな。俺は、いつまで忍べばいい?」
詠まれているのと同じ燃やし尽くすような感情をありのまま映し出した一つきりの瞳は、幼少の頃と同じ光を宿していながら情に濡れている。あの頃からずっとそうやって見つめられていたのか、と今更のように悟る。しかし忍んで忍んで緒が切れそうなのは、小十郎とて同じなのだ。譲らないと決めていた心が傾いで、少しばかり意に沿う応えを返してしまう。
「今しばらく、天下をお取りになった日の、宵の帳が下りるまで」
今このひとをこんなことで腑抜けにさせる訳にはいかない、という一心でぎりぎりの妥協策を挙げれば、初めて小十郎からもらえた是の意に政宗は目をきゅうと細めた。
「きっと、だぞ」
「ええ、必ず」
そのときまでには政宗の麻疹のような恋が消えうせてればいいという思いと、己が想うくらいにずっと想っていてほしいという相反する思いを抱えて小十郎は書庫を後にした。これ以上その場にいれば心がもっと傾いで戻ってこられないような気がしたから。



玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする






10/10/30まで1年ほど拍手お礼SSとして展示してあったものを取替えと共にサルベージ。10種全て、百人一首の1つをテーマにしていました。
両片想いな竜のつがい。