ヘタリア ギルッツ・パラレル





研修医ルートヴィッヒ・バイルシュミットには、先日奇妙な知人が増えた。
むしろ、知「人」といっていいのかどうか分からないというところからして奇妙だ。人の形をしてはいるが、彼は生きた人間ではないので。


その奇妙な知人は、デスクに向かうルートヴィッヒの斜め後ろでふよふよと浮きながら手元を覗き込んだ。
「なにしてんだ、ルッツ」
「カルテと治療予定を書いている。何度も見ているんだから知っているだろう、ギルベルト」
ギルベルトと呼ばれた彼は、曰く『死神』らしい。
死神だなんてもののイメージと言ったら、黒いローブを着て大鎌を持った骸骨というのが一般的だとは思うが、ギルベルトはそんなおどろおどろしいものとは無縁そうな青年のように見えた。銀髪に赤い瞳という珍しい色彩をしてはいたし、実際初めて会ったときも浮いていたけども。
彼がいつも着ているポップなドクロがあしらわれた黒いパーカーが、もしかしたら今時の死神の正装なのかもしれない。
「訊いてるんじゃなくて、構えって言ってんだよ」
「分かった上で言っている。俺は今忙しいんだ」
「お前いっつもそればっか!いつになったら忙しくなくなんだよ」
「さあな。手を抜こうと思えばいくらでも抜けるらしいが、あいにく俺はそうするつもりはない。見習いの立場でいられるのはわずかなのだから、今のうちに吸収できることは全部吸収して、患者のために尽くせる手は尽くすつもりだ」
「うっわ、まじめ!あんま根詰めるとそのうちぶっ倒れちまうぜ」
「息抜きはしている。昨日だって時間が余ったから、アプフェルクーヘンを作っていた。持ってきたんだ、食べるだろう」
「まじで!食う!お前のクーヘン美味いんだよなあ!ここの食堂のデザートちょっとかっぱらったことあったけど、お前のより全然だった」
「皆に見えないからって勝手に盗むんじゃない……」
ギルベルトは慣れた手つきでルートヴィッヒの鞄からタッパーを取り出して、その中にあるやわらかなきつね色のクーヘンをそっと持ち上げる。それを丁寧に美味しそうに食べ始めれば、少しの間だけ静かになった。

「あ、悪い、全部食っちまった」
「構わない、あなたのために持ってきたものだから」
「まじで!ダンケ!――なあルッツ、なんでお前医者なんか目指してんの」
「随分話が飛んだな。目指していては悪いか。悪いのかもな、死神からすれば」
「ちっげーよ!お前こんだけ美味いクーヘン作れるんだったら、自分の店持てるだろってことだよ」
「それほどじゃあない。全部独学だ」
「謙遜すんなって。前食ったケーゼクーヘンもキルシュトルテもめっちゃ美味かったぜ。あっでも、アプフェルクーヘンが一番好き!ぜってー看板商品になれるぜ。ルッツの店あったら俺ぜってー通うもん。あ、生きてたらだけどな」
一寸の他意もないその言葉にルートヴィッヒはしばし黙し、ひとつ深く息をついてから、喋り始めた。
「俺の兄も、昔同じことを言っていた」
「え、お前兄ちゃんいたの」
「ああ。随分前に亡くなったがな。十代で発症した不治の病だった。だんだんと身体がうまく動かなくなって筋力が落ち、衰弱して死に至る、そういう病気だ。20まで生きていられるかどうかと言われていたのに、25まで病と闘って生きたひとだった」
「余命宣告から5年も生きたのか!そりゃあすげえ」
「はは、そうだろう。根性には自信のあるひとだった。頭ははっきりしていたから病床についたときも、俺は何度も見舞いに行ってはたくさん話をした。彼は暇だからといって本をたくさん読んでいたから、知識が広く深い兄と喋っているのは楽しかった。ほんとうに、兄とはいい思い出しかない。だから兄の死のとき、あんなに強くて聡明でやさしいひとが、なんでこんなに若くして死ななきゃいけないんだと大泣きした。今でもそう思っている」
「それがきっかけで医者になろうと思ったのか」
「ああ。兄の死から2年後だったか、不治の病と言われていたその病気の治療法の糸口が見えた、とニュースになった。遅すぎる、と思った。ただ、現場の医師と研究者の努力の成果でそこまで至ったのだとも、理解した。だから、兄のようなひとをこれ以上増やさないためにも俺は医師として病と闘うひとの一助になりたいと、その一念でここまできた。――思えば俺は兄の歳に追いついてしまったな」
寂しげに薄く笑むルートヴィッヒに、ギルベルトは複雑そうな顔をして俯いた。
「悪かった」
「何が?」
「そういう重いこと、軽々しく訊いて。あと、俺みたいなのがつきまとって」
「別に。どちらも謝るようなことじゃない」
「死神が傍をうろうろしてたらヤじゃねえ?」
「死神というものが存在しているなら、病院に住みついているのは当然だろう、と納得はしている。何故俺にだけ見えて、気に入られているのかは分からないが」
ちらとギルベルトの方を見れば、ぱちくりとしたあと首を傾げた。
「そういえば、そうだな?なんか波長が合ったとか?あと、お前懐かしいような甘い匂いすんだよ。それすっげー好き!」
そう言ってギルベルトはルートヴィッヒの首元を嗅ぐようなしぐさをみせ、驚いて慌てて払いのけた。
「なにすんだよ」
「それはこっちの台詞だ!もう、クーヘンならまた作ってやるから離れてくれ」
「つまんねえの。――じゃ、ちょっと迷子の魂いねえか見回りしてくる」
少しだけ不機嫌そうにギルベルトは言い、くるりと身をひるがえして扉の向こうにすうっと消えていった。



その後ろ姿をしばし険しい目で見送って、ふう、とルートヴィッヒは息をついた。
そして胸元から、今どきは珍しくなったロケットペンダントを取り出し、蓋をぱかりと開ける。そこには幼いルートヴィッヒの隣で快活に笑う亡き兄の写真が入っていた。
「こんな形で再開するなんて、思ってもみなかったよ、兄さん」
一言だけ中の写真にそう話しかけて少しだけ潤んだ瞳をそっと伏せ、蓋をぱたりと閉じた。
そしてギルベルトの出て行った方を再び見、唇をひきむすぶ。
「どうしてそんな形で魂が残ってしまったんだ。どうしたらあなたを救えるんだ」
ルートヴィッヒは――記憶をなくした兄の魂の成れの果てが死神ギルベルトであることを知っている唯一の男は、神に祈るような気持ちでそう一言呟くのだった。






お題箱より、「兄が病気で若く亡くなった為医学科を志望した医者ルートヴィヒと、人間だった頃の記憶を失った死神ギルベルトの再会、静かな攻防と切ない恋の物語」というのを受けて、ばばばっと書き上げた話の1作目。
ワンシーンだけでもいいと言われたのにシリーズになるとは、書いたときは思ってもみませんでした。