ヘタリア ギルッツ・パラレル





その日ギルベルトは、ルートヴィッヒが出勤してきていないことに気付いた。シフト表は見える場所に張り出されていて、それを確認しても今日は朝から来ているはずだった。
「仕事サボるような奴じゃねえけどなあ」
刈り取るべき魂も今日はなくて、思いがけず暇を持て余してちょっと拗ねたギルベルトは、スタッフルームをふよふよと漂っていた。
すると、ルートヴィッヒと同じ科の医師たちがやや心配げに彼の名前を口にしていることに気付いた。
ルーイ、大丈夫かなあ。心労と多忙がたたったのだろうね。毎日無理してたみたいだし。こういうことは研修医のうちはよくあることさ。ねえ誰かお見舞いいける?
会話を聞けば、ひとを辞めて久しいギルベルトにも察しがついた。むしろなんで先にそう考えなかったのが不思議なくらいだった。医者だって風邪をひくんだということをすっかり失念していたのだ。
「そっか、体調悪いならしょーがねえよなあ」
そして、耳にした『見舞い』という単語が気になった。
「見舞い、見舞いかあ。あれだよな、手土産持って病人のとこ行って話してくやつ。いつもみるあれ。――いってみるか」

思い立ったら行動に移すのはすぐだった。
死神になってからギルベルトはこの病院を出たことも出るつもりも一切なかったが、ルートヴィッヒが寝込んでいるならそうするべきだと思った。見えない何かに縛られてたりするのかとちらっとだけ思ったけども、そんなことは一切なくギルベルトの霊体は軽々と敷地の外に出た。
ルートヴィッヒが住んでいる場所は知らなかったが、近くに単身者用アパートがあるのは知っていた。そこからは勘と魂の気配を読むことでどうにかなった。

寝ていたら起こしてはいけないと思い、そうっとドアをすり抜け部屋の中に入る。
案の定、ルートヴィッヒはベッドで寝ていた。そこにたどりついて失神したような、ほとんど行き倒れたような状態で。
頬は熱で赤く、喉は苦しそうにぜえぜえと音が鳴っていて、汗もかいていて見るからに辛そうだ。そして、床にはゼリー飲料の空き容器、手元から滑り落ちたのであろうスマートホンが落ちていた。
普段重篤な患者ばかり見ているからか、風邪なんて体調の誤差くらいに考えていたギルベルトは、思った以上の惨状にびっくりして思わず駆け寄った。
「お、おい!大丈夫か、ルッツ!死んでねえだろうな!」
声をかけながら肩をゆすろうとして、手がすりぬけたことに逆に安堵する。死にかけだとそのまま魂を掴めてしまうから、彼は死に体とまではいっていないようだ。
とりあえずこのままではいけないと思い、毛布を引っ張り出して彼の体に被せる。そして熱があるようなのでタオルを濡らしてその額に乗せれば、ひやりとして気持ちが良かったのか寝苦しそうだったルートヴィッヒの息がいくらか落ち着いた。
「まったく、こんな適当な寝方しやがって……俺様が来なかったら風邪悪化してたぜ」
ほとんど独り言のつもりで言ったその言葉が聞こえたのか、ずっと閉ざされていたルートヴィッヒの瞳がうっすらと開いた。
「え…なんで、ギルベルトが……?ああ、夢、か……?」
いつも気を張って仕事をしている彼からは想像もつかないほどぼんやりとした声音に、ギルベルトは小さく笑った。
「夢じゃねえよ、ま、いいけどな。ほら、寝とけ寝とけ。俺様の相手すんのはそのあとでいいから」
布団越しに身体をぽんぽんと寝かしつけるようにやさしくたたけば、ルートヴィッヒはぼんやりとした表情のまま口角をゆるく上げて、安心しきったように再び眠りに就いた。

ルートヴィッヒが眠ったのを確認して、ギルベルトは何か病人用非常食がないかと家の中を漁った。転がっていたゼリー飲料しか口にできていないなら、治るための栄養が足りていないはずだ。見習いとはいえ医者なのだから、さすがにこういったときのために用意しているはずだ。
冷蔵庫の中には同じく栄養剤とわずかな飲み物と製菓用の粉しかなく、日々の料理をしていた気配がない。「そういえば最近ルッツのクーヘン食ってねえなあ」とは思っていたが、要するにルートヴィッヒがそうできるだけの息抜きの時間がとれていなかったのだ。
ちゃんと体調とか顔色見てやればよかったなあ、などとぶつぶつ呟きながら棚の中を漁ると、運よくレトルトパウチのスープが出てきた。これならばギルベルトでもどうにかできる。
さっそくそれを温めて、片手間に簡単に部屋の片づけをした。
部屋の中を静かに飛び回りながら、ふと、疑問に思う。なんで俺ここまでしてるんだろう。むしろ、なんでやりかたが分かっているんだろう。ずっと病院に棲んでいて、人の居住空間のことなんて知らないはずなのに。でも、少なくともこのかわいそうで可愛い新人ドクターにはこうしてやらなければと直感が告げていた。
その思考は深く沈む前にタイマーの音で浮上しかき消された。

スープを容器から皿に移し、水の入ったグラスと一緒にルートヴィッヒの枕元に持っていく。
「ルッツ、起きれるか?飯用意したんだけど」
そっと呼びかければ再びうっすら瞼が開いた。
「大丈夫か?何か食えそう?」
ルートヴィッヒは小さく首を横に振った。
「そっか。ここ置いとくから、身体良くなったらちゃんと食えよ」
そう言って、片づけの続きをするかと離れようとすると、パーカーの裾をくいと引かれた。驚いて裾を見ると、ルートヴィッヒが弱弱しくそれを握っている。
彼が自分に触れられることに驚きながらも、今のところそれは置いておいて、ぱくぱくと何か言いたげにしているルートヴィッヒ声を聞こうと、そばまで顔を近づけた。
「なんだ、してほしいことあるのか?」
すると裾から離れたルートヴィッヒの手はゆっくりとギルベルトの頬、そして首に触れ、穏やかな表情になった。
そして。
「きす、して」
ほとんど吐息のようなかすれきった声で、そう乞われた。
熱い掌がギルベルトの首の後ろにまわり、ゆっくりと顔が近付く。唇同士が触れようとした瞬間、ルートヴィヒのその唇がささやかに動いた。

にいさん、と。

はっと驚いてギルベルトは勢いよく身を起こした。その瞬間、確かに首に触れていた掌は喉をすっと通過し、ぱたりとルートヴィッヒ自身の胸の上に落ちる。その胸は安らかにゆっくりと動き、唇は穏やかな寝息をたてていた。
その穏やかさとは裏腹なギルベルトは、ベッドからじりっと後ずさる。
あいつは何ていった?俺は何をしようとした?
考えれば考えるほどに思考は混濁していき、動くはずのない心臓がどくんどくんと脈打つ錯覚を覚えて胸が苦しくなる。顔がかっと熱くなるような、それでいて全身から血の気が引いたような、そんな感覚すらあった。
そして気が付けばギルベルトはルートヴィッヒの部屋から逃げるように出て、空のはるかかなたまで飛んで行った。
「……っは、何やってんだ、俺」
少しだけ冷静になってギルベルトは、書き置きでもしてくるべきだったかと思った。一人暮らしの部屋で知らないうちに誰かがいた気配があったら不審に思うだろう。でもまたあの部屋に戻る気にはなれなかった。
彼の兄に間違えられたことが驚くほどショックで、その衝撃に気づかなくてよかった自分の感情に気づいてしまったからだ。
「まずいことになっちまったなぁ」
自嘲の笑みを漏らしながら、無意識にルートヴィッヒの掌の熱を追うように首筋に触れる。熱を移すはずのない霊体のそれは当然のようにひやりと冷たい感覚を自分の掌に伝え、ギルベルトは落胆ともあきらめともつかない息を大きく吐いた。



ふわりと意識が浮上するように、ルートヴィッヒは目を覚ます。
病院に病欠の連絡をしてベッドに倒れ込んだときの、だるさや熱っぽさは随分と軽くなっていた。ぐっと体を起こすと、頭はまだ多少痛いし節々も固いが、動ける範囲だ。
起き上がった体勢のまましばしぼうっとする。久しぶりに不思議な夢を見た。兄が自分を看病しながら心配そうにこちらを見下ろしている夢だ。兄の夢を見るなんて年単位で久しぶりだった。
たまには風邪でもひいてみるものだな、と少しだけうれしく思いながらすっと視線を部屋に向けると、片付けた覚えのないきれいな部屋が視界に入った。そしてベッドサイドには、用意した覚えのない水のグラスと湯気の残り香のあるスープが。
「……にいさん?」
とうに死んだ肉親を小さく呼ぶ声は、誰にも聞かれないままひとりぼっちの部屋に響いた。






医者の不養生編。病人の部屋で死神がいるのに優しさと慈愛で構成されたnot不吉感を目指したお話。
ルッツがギルに触れ、そしてすり抜ける描写は入れたかった。