ヘタリア 公国普×独





ある朝、目が覚めると見知らぬ少年が同じベッドで眠っていた。

その光景に、ドイツは叫びすら出ないまま驚き、数秒後この少年は兄なのだと気づいた。
というのも、その特徴的な銀髪や面立ちがそっくりであったし、昨夜ソファで寝落ちた兄をこの共用のキングベッドに運んだのは他の誰でもないドイツ自身であったからだ。
見た目の年齢はおそらく14〜16歳だろうか。黒い厚手のローブに部分的に白地に黒十字をあしらった服を着ている。ドイツが知るプロイセンは既に派手な格好を好む青年だったから、それ以前の姿なのだろう。王国初期か、公国のころか、騎士団の頃か。
そこまで考えてひとつため息をつき、少年を起こさないようにそっとベッドを抜け出た。
試しに頬をつねってみたが、はっきりしっかり痛かったうえにつねった場所が赤くなっただけで、目が覚めるような何かがあるわけではなかった。


こういった不思議な現象の原因として思い当たる者といえば、やはりイギリスだ。
早速電話をしてみることにした。
「ハロー、イギリス。昨夜酔って妙なステッキを振り回した記憶はないか」
「おいおい朝っぱらからなんだよ。昨夜は別に深酒してねえし0時には素面で寝てたぜ?なんだ、なにか起こったのか」
イギリスの方も言われ慣れてるのか、非常に話が早い。促されるままに今の状況と、昨夜の状況、何か変わったことがなかったかなどを話す。
変わったことといえば、忙しそうでもなかったプロイセンが、昨夜ビールもろくに飲まないまま夜も早いうちから寝落ちたくらいだ。といっても、最近はだいぶ頻度が減ったものの睡眠時間を削ってネットゲームを極めるようなことをしている男だから、昨日もまたその類だろうと思ったのだ。
……せっかく休日の前の晩なのだから、二人でゆっくり過ごしたかったのに、という恨み言がないわけではなかったが、翌日でいいだろうと考えていた。まさかこんなことになるなんて思わずに。
「聞く限り、なにかマジックアイテムかアーティファクトが作用したような気配がするな」
「お前じゃあるまいし、うちにそんな非現実的なものはないはずだが」
「非現実とか言うんじゃねえよ、ばかぁ!だいたい、ファンタジーの本場は俺だけどメルヘンの本場はそっちだろ。倉庫とか書庫にお前の知らない魔法的なものがあってもおかしくねえ」
確かに考えてみれば、プロイセンは物持ちがよく、日記部屋はずいぶんと古いものがたくさんあるし、クローゼットだってそうだった。
その中に変なものが紛れていてもおかしくない、かもしれない。
「心当たりが皆無ではない……」
「だろうな」
「こういった場合の対処はどうしたらいい?」
「放っておけよ」
「なんだと!」
「その手の魔法ってのは結構な魔力使うから長続きしねえんだよ。若返りにしろタイムスリップにしろ。だから1,2日もすりゃ何事もなく戻んだろ。それでも戻らなかったら俺んとこ来い、調べてやるから」
プロの処方を聞いて、ドイツはふうと安堵の息をついた。もともと非常事態は苦手だ。自覚していた以上にこの状況に混乱していたようだ。
「ああ分かった。協力感謝する」
「べ、別にお前のためじゃ――」
そのタイミングでドイツはスマートフォンの電源を切った。イギリスの口上を遮るためではなく、背筋にぴりっと走った殺気によって。


そのままそっとスマートフォンをテーブルに置き、両手を挙げて敵意がないことを示す。
体の向きはそのままに横を向き背後をうかがえば、真っ先に視界に入ったのは見覚えのある果物ナイフ。そしてその向こうに、印象的にぎらぎらと光る敵意の籠った紅い瞳があった。
あの兄が、兄のものでしかない瞳で己に敵意を向けてきたことに、刃物を突き付けられた事実よりもずっと動揺する。
それを必死で隠して、そっと大きく一つ呼吸をして、背後の彼に話しかける。
「モルゲン、少年。朝っぱらから随分なご挨拶だな」
「うるせえ。お前は誰でここはどこだ。何のために俺をこんなとこに連れてきた。誰と話してた、共犯者か?それに、持ってた俺の剣はどこにやった」
どうやら誘拐犯だと間違えられているらしい。嘘をつくのも取り繕うのも苦手なせいでなんと説明しようか迷っていると、少年は続ける。
「この俺様が、寝てたとはいえここまで不覚を取ることはねえ。見たこともない変なモンばっかだ、魔法でも使ったのか?」
その発言にドイツはひらめいた。超自然的なものを信じる時代の彼なら、なんとか言いくるめられそうだ。
「ひとつひとつ答えよう。俺はルートヴィッヒ、未来の――いや、夢の世界の住人だ。ここは俺の家で、君はいつのまにかここに来ていた。俺が連れてきた訳ではない。だから剣の行方も知らない。あー、あと何だ……そう、話していた相手は魔法に造詣の深い者で、君がここに来た原因を訊いていた。理解してくれたらそのナイフを下ろしてくれ」
ほとんどの内容は本当だが、時代に関するところはぼかした。先の時代がどうこうという話をして彼が信じると面倒なことになりそうだったからだ。
「本当か」
「嘘は苦手だ」
そう即答して肩越しに少年と数秒見つめ合えば、ふっとその瞳から敵意が消え、刃物が下ろされた。
「なーんだ、夢か」
危機は去ったようでそっと胸をなでおろし、やっとドイツは体ごと振り向いた。
「信じてもらえたようでなにより。――そのナイフはうちのキッチンにあったものだろう、返してくれ。まったく、手癖の悪い……」
「しょーがねえじゃん、知らねえところに丸腰でいたら警戒すんだろ」
「まあ、分からなくはないがな」
ナイフを受け取りながらドイツはひとつ大きくため息をついた。
あの軍隊育ちの兄のかつての姿なのだから、当然そうするだろう、という頭はある。だが、ずっと慈しんでくれていた瞳で殺意を向けられるのは、ほんの数分であっても本当に消耗した。
「ああ、君のことは何と呼んだらいい?」
「俺様はドイツ騎士――じゃねえや、プロイセン公国、だ」
公国時代となると4,500年ほど前といったところか、と概算しながら、ふむと頷く。
「では『公国』と。公国、少し待っててくれ、朝食を用意しよう。腹は減っているだろう?」
「え?ああ、そういえば」
その言葉と同時に公国の腹の虫が盛大に自己主張を始め、二人してくつくつと笑った。笑うその瞳はドイツがよく知ったいろをしていて、少しだけ胸をなでおろした。



そこからの公国は朝の姿とは打って変わって、好奇心旺盛できままに振る舞う、まさにプロイセンを小型化したような姿だった。
いつも通りの朝食を供すれば、美味いと言って笑い。
犬たちを構いにいっては適当にあしらわれ、さらに構い倒して反撃に遭ってげらげら笑い。
静かになったかと思えば集中して本を読んでいて、おもしろい表現や気に入った写真などを見つければドイツを呼んでそれを見せ共有したがり。
唐突に自分の武勇伝を語って聞かせて得意げにしたり。
彼の時代にはなかったはずの色々なものは、夢の世界の魔法的な何か、で全て納得したようだった。その順応性の速さも実にあの兄らしい。
ほんとうにいつも通りの光景なのに、見た目や精神がやや幼い分だけ毒気が抜けていつもよりかわいらしい。遊び疲れてうたたねしてしまっている今なんかは特にそう見えた。
汗をかいたと言ったからシャワーを浴びさせて、だいぶ緩くはあるけど着られなくもないプロイセンの服を着せたため、肩や裾が余っているのが大人ぶったこどものようだった。
それが微笑ましくもあり、少し寂しく思う部分もあった。ドイツの知る兄はいつだって「かわいい」よりも、「かっこいい」し「大人」であるひとであったから。
そして、今、この時代の兄はどこにいるのだろうか、などとふと考えてしまった。
時間が経てば戻るというのだから心配はないはずなのに、そわそわと落ち着かなくなって、気を落ち着けるために公国が寝ている間に久しぶりにクーヘンでも作ることにした。

計量したり、切り分けたり、時間を測ったり。そういった作業は好きだし得意だ。ほとんど無心になって作りなれたアプフェルクーヘンを作っていけば、焼きあがるころにはあの不安感はずいぶんとおさまっていた。
そろそろ焼きあがるかというころ、リンゴとシナモンの匂いに誘われて、起きだしてきた公国が寝ぼけ眼のままふらふらとキッチンまでやってきた。
「なんかいいにおいするけど、なにしてんだ?」
「アプフェルクーヘンを焼いていた。そろそろ焼きあがるから待っててくれ」
「そろそろってどんくらい?」
「ほんとうにもうすぐだ」
言った矢先オーブンがタイマーした時間を告げる音がして、蓋を開けば甘い匂いが一層濃くなった。焼き色もちょうどいいきつね色で、目立った破損もない。
「うむ、良いできだ」
満足げに頷くドイツの後ろで、公国は目を輝かせて歓声をあげていた。
「うわあ、すっげえ美味そう!なあ、食いたい!ひとくち!」
「後でちゃんと切り分けてやるのに……、しょうがない、ちょっと待っててくれ」
そう言ってドイツはクーヘンを小さめに1ピース切り分け手に持ち、まだ熱をもつそれをふうふうと冷ましてから、背後の少年に差し出した。
「ほら。熱いから火傷に注意してくれ」
すると彼は、差し出されたクーヘンとドイツの顔を交互に見、え、と言った。
「なんだ、食べないのか」
「食う!」
そう言って少年はドイツの手首を掴んで固定し、かぷりとクーヘンにかじりついく。
そこまでされてやっとドイツは気が付いた。彼は、クーヘンを焼いているといつも後ろからやってきて最初のひとくちと食べたがる兄と同じ存在でありながら全く違うこどもであることに。少年が現代の服を着ているからすっかり混同してしまったのだ。
露骨に動揺するドイツをよそに、公国はクーヘンの美味さに感動してそのまま全部口の中に収め、砂糖の一粒、生地のひとかけらも残すまいとドイツの指をべろりと舐めてからやっと手首を開放した。
「もう、いいか」
「ああ。いや、まだあるならもっと食いてえ」
「そ、そうか。なら夕飯後に出すから、あっちで待っててくれ」
「ん。――なあ、もう手ずから食わせてくれねえの?」
「しないっ!」
「ふうん」
納得したのかしてないのかわからない応答をして、公国はリビングに去っていった。去り際にちかりと見えた、熱を持ったぎらぎらとした光は見えなかったふりをした。


妙に言葉すくなな夕飯後、時間をおいて生地に蜜がしみ込んだアプフェルクーヘンをデザートに出すと、焼き立てをとはまた違うおいしさに公国は目を輝かせ、うめめー!と歓声をあげながらぱくぱくとたいらげた。
「あなたは本当に、甘いものが好きだな」
良い食いっぷりが見てて気持ちよくて、思わずそんな言葉がこぼれる。
瞬間、公国は真顔になって、むしろ僅かに不機嫌そうな顔になって、言う。
「美味いものはもちろん好きだぜ?良い飯は良い体の基になるしな」
「はは、あなたらしい」
「でも――いや、いい」
「なんだ」
「なあ、この『夢の世界』は、俺の現実の世界と繋がってたりしねえか。この世界のもの持って帰れたりしねえかな」
いきなりがらりと変わった話題にドイツは瞠目した。
「俺は魔法に詳しくはないが、多分無理だ。そちらとはかなり隔絶された場所だからな。なんだ、このクーヘンを持って帰りたかったのか」
「クーヘンじゃなくて、お前を」
驚いて少年を見れば、キッチンでの去り際で見たあの熱っぽい瞳がまっすぐドイツを射貫いていた。
「お前を、ルートヴィッヒを、俺の世界に」
「な……ん、で……」
「なんでって、そりゃあ……」
青ざめて問えば、少年は顔を赤らめてうつむいた。それだけでドイツは悟った。この少年が自分を好いてくれたことに。兄がそうであったように。
「残念ながら、それはできない。俺は、心に決めたひとがいるから」
「そ……っか。そりゃあお前にもいるよな、恋人くらい。――もしかして、そいつって俺に似てたりするか?ここに一緒に住んでるやつ?」
ずばり言い当てられてドイツは絶句して驚く。
「だろうと思った。お前のしぐさとか家とか見てて、なんかそんな気ィした」
「その、すまない」
「謝んなよ、みじめになんだろ」
「……しかし、きっと、君にも俺よりもっと好きになれる相手が現れるはずだ。だからその気持ちを、その相手にとっておいてくれ」
「ケセセ!なんだよそれ!」
「下手な慰めに聞こえるかもしれないがな、自信を持って言ってるんだぞ。鬱陶しく思われるくらい可愛がって、でも絶対愛想をつかさないし愛情を返してくれる、そういう子が絶対君の前に現れる」
「そうだといいな」
どこか哀し気に笑う顔は、一瞬で大きなあくびでかききえた。
「ふぁああ……、なんか気が抜けたら眠くなってきた」
ゆるゆると瞼を重そうする公国を見、ドイツは苦笑する。
「夕方も寝てたのに、もうか。ほら、そんなとこで寝るな。ベッドまで連れてってやる」
「ふぁあ……ダンケ」
そう言って目を閉じた公国の身体を支えようとしたドイツの手は、すっと空を切った。
「なんっ……!?」
たった今まで公国が座っていたソファにもう人影はなく、彼が着ていた兄の服だけが中身をなくしてぺたんとひっかかっていた。
数秒後、公国が彼自身の時代に帰ったのだと気づいた。
ほっとした、という気持ちはもちろんある。彼はここにいてはいけない存在だからだ。しかし、残念だ、早すぎる、と思う気持ち、そして寂しいと思う心もある。
そして、あの少年に惹かれかけていたのだ、と今更のように気づいたのだった。



リビングをあらかた片付けて、どこか不安な気持ちを抱えながらドイツは就寝した。
そして翌朝、公国が消えたソファで眠る、よく知った姿のプロイセンを発見し、深く深く安堵の息をついた。
すよすよと眠るその肩をゆすりながら声をかける。
「兄さん、兄さん、そんなところで寝ると風邪をひくぞ」
「ん、んあ……?ヴェ、す、と……?ここ、どこだ」
「どこって、家のリビングだが」
言われてプロイセンは、眠そうな瞳のままぐるりとあたりを見回す。
「あ、ああー、夢、だったのか?なんかすげー長い夢見た気がするぜ、すげー昔の時代のやつ」
やはり、と思いながらドイツは微笑んだ。
「俺もすごく長い夢を見た気がする。昔のあなたがこの家に現れる夢だ。そうだな、あなたが言うようにこどものころのあなたは可愛らしかったな」
不思議そうに首をかしげるプロイセンを見ながら、ソファの横の落とし物をドイツは拾う。それはこの家では見たことがないルーン文字が刻まれた質素なロザリオで、力を失ったように淡く鈍く光っていた。






拍手より「公国普×独」というリクをいただいて書いたもの。
あんまりタイムスリップものって書かないので、お題から話の前後や起承転結を論理で組み立てた、SKYにしては珍しいお話です。