ヘタリア 普独
※ 最終的に消失はしてませんが消失ネタ注意
※ モブがドイツさんに粉かける描写有






ある日、プロイセンは夢を見た。
本やゲームに没頭することが多いからか荒唐無稽な夢を見ることが多いのに、その日の夢は日常を切り取ったように現実的だった。目が覚めた後も、今のは夢だったのか現実だったのか一瞬迷ったくらいに。

その夢は、いつもと変わらない夕食時の場面だった。
ドイツが前から取り組んでいたプロジェクトが、大きなトラブルもなく成功を収めたという話を聞いていたプロイセンは、ぽろっと普段言わないようなことを言った。
「さすが俺様の誇るべき弟だぜ!昔は俺がたくさん支えてやってたのに、もう要らねえみたいだ」
そうするとドイツは、なにを言っているんだ、と笑いながらも肯定するようなことを言った。
「言っておくが、兄さんのサポートは過保護なくらいなんだぞ?でも、一人前になったと認めてもらえたようで嬉しい」
穏やかに表情をゆるませてそう言う弟に、誇らしさもありながらどこか寂しくもあり、深く安堵したのを、目が覚めてからも強烈に覚えていた。



だからだろうか。その日の夜、現実がその夢とぴたっと重なったような瞬間があって、プロイセンは内心動揺した。
夢の中と同じ、ドイツが担当するプロジェクトが成功を収めたという話が出た時だった。
「さすが俺様の誇るべき弟だぜ!昔は俺がたくさん支えてやってたのに、もう要らねえみたいだ」
なぜかあれをなぞるように言わないといけない気がして、夢の自分が言っていたまったく同じことを言う。
だが、そこから続くドイツの表情は夢の中とはまるで違った。なにをいっているんだ、という言葉はそのままに、ショックを受けたような悲しむような表情で視線を落とした。
「俺はまだまだ若輩者だし未熟なところも多い。今回だって兄さんにたくさん助けてもらっていただろう」
「え、あ……?そうだっけ?」
「そうだ。俺の相談を受けるのが日常すぎて忘れてるのかもしれないが。だから、要らないなんて、言わないでくれ」
「お、おう……わかった」
ほんの軽口をそんな風にとらえられるなんて思わなくて、でもそれが生真面目な彼を思えば当然のようにも思えた。褒めたつもりの言葉で空気が暗くなってしまったのをごまかすように、プロイセンはけせせと笑いながらつとめて明るく振る舞う。
「ならいくらでも頼ってくれていいんだぜ!俺様はお前の一番の兄ちゃんだからな!」
「ああ、そうさせてもらおう」
そこでようやく表情を緩ませた弟を見、今の不思議な感覚を胸の内で反芻していた。
(なんだ今の……予知夢だったのか?それにしちゃあ後半がまるきり違うしな。ま、偶然の一致だろ)
そう思って気にしないことにした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆

その翌日、またプロイセンは夢をみた。先日と同じように、妙にリアリティのある夢だ。
あのときと違うのは無声映画のように声が聞こえないこと、そしてその場にプロイセン自身は居らず、神の視点からの夢だった。

夢の中でドイツは、プロイセンの部屋の机の上にあった置手紙を読んでいた。そしてみるみる間に顔が青ざめていき、勢いよく部屋を出て行った。手紙の内容は見えなかったが、なにか良くないことが書いてあったのだろうということはそれだけで十分わかる。夢の中の俺は一体何を書いたんだと思っていた。
部屋を出たドイツはスマートフォンを手にして慌てた様子で電話をかけ始めた。
誰にかけているかはわからないが何かを訊ね、そして望んだ結果が得られず落胆して電話を切る。そして別の誰かに電話をかける、ということを繰り返していた。何度も何度も繰り返し、その全てに否が返される。
おそらく置手紙には「もう帰らない」というような趣旨のことが書いてあって、プロイセンの行き先や手紙の意味を聞きたくて知る限りの知人に電話をかけて「兄貴がそっちに行っていないか」と訊ねているのだろう、ということが察せられた。
もう何十回電話をかけただろうか、という頃。来訪者を告げるチャイムが鳴ったのかドイツは玄関へ向かう。するとそこからは近隣の国々がどやどやと入ってきた。鬼気迫った様子の電話をもらってすわ何事かとかけつけてきたらしい。
イタリアは疲れの見えるドイツの顔色を見て半泣きになるし、フランスはあんまり気に病むなというように肩をぽんぽんと叩いた。
少し遅れて日本やアメリカ、そして道に迷っていたらしいオーストリアまでもがやってきた。
近隣の者だけではなく海を越えた知人友人まで来るとは何が起こったのだろうか。そう考えてふと、プロイセンは「まるで弔問みたいだ」と思った。なぜだかはわからないが。



不吉な予感だけを残したその夢は、妙に印象に残って嫌な気分を夜まで引きずることになった。
だからこそ、夕食のあとの憩いの時間にプロイセンは夢の余韻を残したこんな問いを投げた。
「なあヴェスト。俺が置手紙だけ残してどっか行っちまったらどうする」
なんだ唐突に、とドイツは怪訝に眉をしかめる。無理もない。問いを投げたプロイセン自身にもなんでこんなことを言い出したのかよくわかっていない。
「その置手紙の内容にもよるんだが」
そりゃあそうだろうな、と思って聞いていると。
「家出やそれ以上のニュアンスで何かかかれていたとしたら、とても心配するし使える伝をすべて使ってでも兄さんの居場所を特定しようとするだろうな。自分自身の意志で行方をくらませた大人の捜索は難しいと聞くが、まあ俺の立場ならできなくもないだろう」
思いがけないほどの執着のようなものをみせたその答えにプロイセンはひどく驚いた。何せこの愛すべき弟にはたくさんの兄がいて、その一人である自分は確かに一番近くにいて一番長い時間を共に過ごした兄であるけども、そこまで深く心を傾けられる対象ではないかもしれないと思っていたので。
「そこまでするか?」
「もちろん、するとも。兄さんが唐突に行方をくらませるなんて無責任なこと、しないとは信じているけどな」
そう言っていたずらっぽくにやっと笑って言われれば、肯定するしかなかった。
「あったりまえだろー!」
大事な弟にそこまで大事に思ってもらえていることを再確認できたようで、プロイセンは満足げに笑う。どこか心の隙間が深く満たされたような気持ちになって、夢の不吉な予感はきれいさっぱりと洗い流されていた。

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

だというのに、その翌日プロイセンはまた夢を見た。昨日の夢の続きのようで、同じように神の視点だった。
違うところといえば、この世界のプロイセンという「人」は消滅しているのだろうということが確信としてわかっているところだった。

夢の中でドイツは、家のリビングで頭を抱えている。外の景色は次々と移り変わっているのに、ドイツの姿勢はほぼ変わらないままだ。たまに立ち上がってどこかに出かける様子をみせたり、郵便受けを覗いて落胆していたり、プロイセンの日記部屋にある大量の日記を読んで何か手がかりがないか調べているようだった。
神の視点で見るプロイセンには、弟のそんないじらしい姿が、驚くほどにかわいらしく見えて、そのことが申し訳なくなったりもした。
やがて憔悴しきった様子のドイツに知人友人が集まって慰めたり外に連れ出そうとしたり、元気をださせようとした。
しかしそのどれもが不発でドイツはいよいよ内側に引きこもるようになった。
そしてそこに現れた男がひとり。顔も背丈も靄がかかったようによく見えないが、確かにそこにいる誰かがドイツに声をかけた。
その男がドイツに何かを言い、ドイツはその言葉に首を振る。残念、というような顔で男は去っていったが、誘いを諦めたという訳ではなさそうだった。
その後も、その男は何度もドイツに声をかけ、ドイツは毎回それを袖にし、笑って去っていくのを繰り返した。神の視点から見ているプロイセンは、ドイツがだんだんその男に心を許していくのがはっきりとわかった。他の誰に対してもみせない柔らかな笑みで、男を見送るところまではっきり見ていたから。
そしてあるとき、男のいつもの誘いにドイツは首肯した。男は一瞬驚いたような顔を見せたあと、ごく自然にドイツをどこかへエスコートした。その腰に手を回して。
その意味を認識した瞬間、プロイセンは全身から血の気が引くような、それでいてかっと頭に血が上るような奇妙な感覚に襲われた。
待て。やめろ。
そう言いたくでも神の視点からはドイツに言葉は届かない。
やめろ。違う。なんで。なんで。だって。お前は。俺のもので。やめろ。そうじゃない。許さない。やめろ。違う。お前は俺のものだ。誰かに渡すんじゃねえ。許さない。
だめだ。だめだ。だめだ。だめだ!やめろ!待て。頼むから。待ってくれ。だめだ!だめだ!

「だめだ!!」
そう叫んで目が覚めた。
ひどく冷や汗をかいていて、心臓はばくばくとうるさいくらいに鳴っていて、体温は熱くぜえぜえと息は荒い。
まるでひどい風邪に罹ったような症状をもつ病を、プロイセンは人づてに聞いて知っている。それはどんな名医でも直せない病だ。
「俺が、ヴェストに……?うそだろ……」
小さくそうつぶやくが、彼が誰かに盗られると思ったこと、それに起因する焦燥感・独占欲・執着、そのどれもが単なる兄弟愛や家族愛とは完全に一線を画していた。
ごくりと息を飲み込む。息の荒さはどうにか落ち着いたが、うるさく高鳴る心臓だけはなかなか落ち着かなかった。



朝食の席で、顔色の悪いプロイセンを案ずるドイツを軽口で躱してどうにかやりすごす。それでもまだ夢の余韻を引きずらざるをえなくて、視線は愛する弟を追った。
洗い物を済ませてそのままクーヘンを作る準備を始める背中が、どうしても夢の中で見た離れていく背中に重なって見えて、幻影を追うように近寄った。
そして身体を、背中からそっと抱きしめる。奇跡的な仲良しだとかブラコンだとか言われる彼らですらめったにしないような距離の触れ合いに、ドイツはぎょっとして背筋を伸ばした。その背中に顔をうずめるようにして俯いて、プロイセンはぽそぽそと語りかける。
「なあ、ヴェスト」
「なんだ」
「もし俺が消えたら、お前、どうする」
「……そんな予定があるのか、あなたには」
「ねえけど」
「ならその問いに意味はないんじゃないか」
「俺が聞きたいだけ」
「そうか」
そう言ってドイツはプロイセンの腕の中でゆっくりと身体を反転させ、向かい合わせに密着する形になって兄の背中に腕を回した。
さすがに恥ずかしくなって慌てて離れようとすしたが、その背中はやんわりと押さえつけられ、その力に抗えなかった。目の前にあるしろいその首にかみつきたくなる衝動を抑えながらされるがままにじっとしていると、吐息の混じった低い声が耳元にふきこむように囁かれた。
「そのときは、俺も連れて行ってくれ」
瞬間、ばくん、と大きく心臓が高鳴って、胸が急速に詰まった感覚に襲われ、ひゅっと呼吸が止まった。
数秒後息のしかたを思い出した喉はからからで、ようやく絞り出した声は情けないくらいに掠れていた。
「なに、言ってんだ」
ひどく動揺した兄をからかうように、ドイツは、ふふ、と息を漏らした。
「へたくそな冗談だと思うか?」
「……いや、お前はそんな笑えねえ冗談を言うような奴じゃねえよ」
「笑えない、か。――なあ兄さん。兄さんにとってあの40年はもしかしたら一世代と少しの間だけ離れていたという認識かもしれない。けど、俺にとっては、辛くて長くて寂しさ40年だった」
「そんなの、俺だって!」
「だから、またあの寂しさを味わうくらいなら、消えてしまいたいと思うんだ。できないこととはわかっていながら」
そう言って、ドイツはプロイセンの肩に顔を埋めるように俯いて、ゆっくりと、一言一言確かめるように言う。
「こんなことを先に言っておいて、卑怯だとは分かってる。でも伝えておきたいんだ。……兄さん、あなたを愛している。兄としてだけではなく、ひとりの男として。想いに応えてくれなんて言わない。だけど、もう二度と離れないでくれ。頼む」
懇願するような許しを請うような痛いほどの愛の言葉を、このいとしい弟はどんな顔で口にしているのだろう。
その肩に手を置いて身を少しだけ離せば、何かをこらえたように引き結ばれた口と、こらえたものを代わりにあふれさせたように青い瞳から涙がぽろぽろをこぼれていくのが視界に入った。
その涙をほとんど衝動的に唇の先で舐めとれば、心を反映したようにぴりぴりと苦い。その苦みさえ愛しい弟のものだと思えば、一粒残らず自分のものにしたい異常な独占欲が体を突き動かした。
「『想いに応えてくれなんて言わない』なんて言うなよ。応えてくれって言っていいんだ。俺だって、お前のこと――愛してる。お前を、俺のものにしたい。……いいか?」
驚きに固まっていたその顔は、数瞬後、安堵にとろけるように緩んだ。その光景をプロイセンは一生忘れないだろうと確信する。今まで見たどの笑顔よりも美しかったから。
そしてこの美しい男が完全に自分のものになったことに深く安堵したと同時に、生への執着が一層増したことに気づいた。
誰に頼まれたって、絶対こいつを置いて消えてなんかやらねえ。
そう誓うほどに。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

その日の夜ドイツは、本から1ページ破り取られたような切り口の紙を一枚手にしていた。その紙には、ドイツ自身の筆跡でひとつの日付が書かれていてその下に開いた扉が描かれている。その日付は、プロイセンが初めて予知夢に近い夢を見た日でもあった。
一目では意味の分からないその紙は、ドイツ自身がかつて『数日後の未来』に『拾った』ものだった。

つまり彼は一度タイムスリップをして、今この場所に立っている。



最悪の結末に至る分岐であった瞬間は、きっとあの「一人前になったと認めてもらえたようで嬉しい」と兄に言った瞬間なのだろうとドイツは推測している。
あなたの育てた弟はこれだけ立派になったんだ、誇ってほしい。そんなつもりで言ったのに、なぜか兄は寂しそうな顔をして考え込んでしまったから。

その数日後、彼は自室の机にたった一枚書置きを残して姿をくらましてしまった。書置きを見つけた瞬間のことはショックすぎてほとんど覚えていないし、思い出したくもない。
いつも装飾過多に物事を喋るひとなのに、こんなときだけ簡単に「俺はここから消える」ということだけを書き残していなくなってしまったことだけは、はっきりと覚えている。
使える伝手をすべて使い多くの人の手を借りて探してもらったが、あんなに目立つ容姿なのに情報はひとつたりとも入ってこなかった。

友人知人が「もう諦めろ、あいつはほんとうに消えてしまったんだ」と言うのにも耳を貸さず、プロイセンがまめにつけていた日記に何かヒントがないかと大量の日記をくまなく調べていると、その隙間からぱらりと落ちた紙があった。それが例の扉の描かれた紙だ。
それが挟まっていたと思われるページを開くとこんなことが書かれていた。
『なんか分厚い本拾った!装丁が豪華だったから失くしたら困る本なんだろうと思って落とし主調べて届けてやったら、そいつが本の1ページくれた。なんか、時間をやり直せる魔導書なんだと。ページに書かれてる扉の上に日付を書くと、その日まで戻れる、だってよ。うさんくせーし俺様の輝かしい歴史にやり直してーことなんて無えから、とりあえず使わずにとっとくぜ』
書かれている通りほんとうに胡散臭かった。しかしそれに縋りたくなった。そうしたくなるほどに、心が疲れ切っていた。
一筋の希望に縋るように書き物机に向かって、あの日の日付を書く。
そして閉じられた扉の合わせをすっと指でなぞると、絵であるはずのその扉は音もなく開きその奥の光に意識が吸い込まれていった。



あの日のあの会話をやり直して、結ばれた今、ふと思う。
あのままあの破られたページを見つけなかったらどうなっていただろう。誰よりも愛した人を失って、心をすり減らしながら探し続けて、どういう結末を迎えただろう。
疲れた心で何か良くない判断をして、たとえば誰かほかに恋人をつくって、でも兄への思慕を忘れきれずずっと後悔するようなことになっていたかもしれない。ありえないことではなかった。あのときは。
そのぞっとするような未来を封印するように、切り取られたページに描かれている開いた扉をそっとなぞる。するとその扉は開いたときと同じように、音もなく閉じ、紙ごと煙のように消えた。

たった一度のチャンスを使った今、もうやり直しはきかない。
二度と間違った選択はしないと一人誓って、ドイツは空になった掌をぐっと握りしめた。






あとがき