ヘタリア 普独





最初の違和感は、家に花が飾られたことだったとドイツは思う。
男兄弟二人暮らし(+犬3匹)である彼らの家はこれまで花なんて華やかなものに無縁だし、興味もなかった。
なのに肖像画やら甲冑やらが兄の趣味で置かれているどこかシックで中世風の家に、やや古い花瓶に活けられた色鮮やかなブーケが加わったのにはひどく驚いた。
帰宅するなり、そのことについて兄に問えば、
「あー……なんとなく買ってみた。たまにはいいだろ、こういうのも」
そう言われて、確かに、と答えた。
なぜかちょっと気まずげな顔をしていたのは、また無駄遣いをせめられると思ったからだろうか、とそのときは思っていた。そんなことで怒ったりなんかしないのに、とも。

その次の違和感は、そこから2,3カ月ほど後。
「たまにはいいだろ」と言っていたのに、「たまに」とはとても言えない頻度で、種類や彩りもさまざまな花が飾られるようになった頃だった。
熱しやすく冷めやすいきらいのあるプロイセンが、似合わないことを月単位で続けていることに気付いたとき、ふと突飛で嫌な想像が頭をかすめた。こういったものが好きな誰かと親密になって、その影響を受けたのではないかと。

違和感が最悪の確信となって圧し掛かってきたのは、その数日後。
仕事の関係でいつもの職場から目的地に向かっていたときに、道の反対側にあるカフェにいるプロイセンを偶然に見かけた。ほんとうにあの人はこんな距離にいてももよく目立つな、と再確認するように思った直後、ひゅっと息がつまった。
窓際のテーブルに座る彼の向かい側には、どこかハンガリーに似ている雰囲気のある快活で若い女性がいたからだ。
二人は何か楽しそうにおしゃべりをしていたが、もちろん何を喋っているのかは全く聞こえなかった。しかしドイツが一番気にしたのはその内容ではない。さほど広くないとはいえ道の向こうの室内にいるプロイセンの、その表情や瞳のきらめきがしっかりと網膜に焼き付いた。女性に向かい合う兄は、決して短くない月日を過ごしたドイツすら見たことのないあたたかさで満ちていた。孤島で熾火を見つめるような、安心感の中に焦がれるような熱量をはらむ眼差しを、ドイツは知らない。
国の象徴として生きる者と普通の人とが恋人になるのは不可能ではないことは知っている。だから、彼女はプロイセンの恋人なのだろうと察するのは容易だった。
故に、それだけで胃の腑がすっと冷えるような、足場が急に虚空にかき消えたような、冷水をあびせられたような絶望に叩き落された。
恋い慕うひとの弟というぬるま湯のような立ち位置に甘んじている間に、かの人には他所に恋人を作っていた。そのことが想像以上の悲痛となってドイツを襲う。
初めての失恋は、ありふれた日常の街中で受け止めるにはあまりにも急で、鉛のようにずしりと重く心を押しつぶした。



それからドイツはプロイセンからさりげなく――と本人は思っているだけの露骨さで距離をとった。何気ない日常の一瞬一瞬は、本当は弟とではなく愛する人と一緒にいたい時間なのだろうと思ったからだ。兄の幸せは自分の幸せだと思おうとし、故に彼が出来るだけながく彼女と過ごせる時間を増やそうとした。幸せな二人を見たくないという本音からは目を逸らして。
たとえば、普段なら休みである週末は一緒に買い物にいったり一緒にドッグランに行ったりしていたのに、それを仕事を理由にぱたりとやめた。
またあるときは犬たちを連れて散歩にいってくると午前中に出かけたきり、夕方まで戻らなかったりした。
またあるときは逆に犬たちをおいてちょっと一人で観光に行ってくると適当な近隣に逃げたりもした。
いつも触れ合って共に過ごしていた分との落差に、自分でも驚き傷つきながらそれを振り切るように行動を起こした。いつか兄が愛する人と共に家を出ていく想像をして胸を痛めながら。

兄が弟に構う時間を減らし、恋人と過ごせる時間を増やしたつもりだった。なのに、プロイセンの機嫌はじわじわと降下を続け、はた目にもそろそろ爆発でもするんじゃないかと思うほどに凶悪な目つきになっていった。
何故だろう、と思いながら、他には言いづらい悩みでももしかしたら自分になら話してくれるかもしれないという越権的な思いを抱いて。
「兄さん、何か悩み事でもあるのか」
「は?……ああ、いや、ないわけじゃねえけど、気にすんな」
「なんだ、あるのなら言ってほしい。気兼ねするな。兄弟だろう、俺たちは」
そう促せば、プロイセンは少し困ったような顔をし、何か言いたげに口を開いて、迷った末に首を振った。
「…………いや、いい。ああ、ヴェストを信用してないとかじゃねえぞ。俺の中でちゃんと整理できてないだけだ。言える時がきたら言う」
「そうか……。そのときを待ってる」
そう言ってドイツは出掛ける準備を始めた。

今日の仕事は交流も含むフランスとの会議だった。こういった悩みを抱えているときには正直にいって会いたくない相手ではあったが、仕事ならしょうがない。
ひととおりのことを話し終えてから、フランスはにやりと笑う。こいつがこういう顔をするときは大抵ろくでもないことしか言わないんだ、と予想したとおりに彼はドイツの隠した異変について尋ねてきた。
「なあ、ずっと気になってたんだけどお前顔色悪いぞ?どうしたんだ」
「別にどうもしてない。気にするな」
「気にしない訳ないじゃん。お前が倒れられたら真っ先に波及すんの俺だもん。あ、もしかしてお前にイイ人が出来て眠れない夜を過ごしてるってこと?」
何を馬鹿なことを、と一笑に付して流すことも可能だった。しかし、今このときそういう心の柔らかいところは致命的に弱点で、不覚にも油断した隙を突かれた形になったドイツはその動揺をあからさまに顔に出した。
「お、その反応は図星かな?」
「違う!」
「隠さなくてもいいって。なになに、カタブツなお前のコイバナとか絶対面白そうじゃない、聞かせてくれよ」
愛の国を自称する彼が見るからに食いついてきて、ドイツはひとつため息をつく。だが、この失恋の重さは一人で消化するにはひどく重いようにも感じられて、話すことで少しでも楽になれるならと藁にも縋る思いでその誘いに首肯した。
「ここでは話したくない。別のところで」
肯定を返されたことに驚いたフランスはアメジストの瞳を大きく開いて驚いて、とろりと穏やかに眇めた。
「Oui,monsieur. 個室取れるとこ用意しておく」

言われて誘われるままにフランスの後をついて行った先は、思ったよりもカジュアルなビストロだった。
変に静かなところよりも雑音があった方が話しやすい、というところまで見透かされていたようで気まずくフランスをうかがい見れば、年長者らしい穏やかさでにこりと微笑まれた。そういう顔をされると愛された末弟として育ったドイツはそれに報いなければと思ってしまうのは、ひとつの弱点でもあった。
フランスが勝手に注文した料理やワインに舌鼓を打ちながら話すタイミングをタイミングをはかっていると。
「で?本題を聞かせてくれないかい」
と直球に切り込まれた。周りの雑音に紛れることを望みながらドイツは口を開く。
「……ひとと、普通の人と恋をする、というのはどういうことなのだろう」
あまりに意外なその言葉を、全くそうとは思わなかったような顔をしてフランスはやわらかく受け止める。
「まあ、難しい問題だねえ、それは。俺としては当人同士がすべて納得してるなら恋に殉じてみるのもいいんじゃない?って思ってるけど」
「フランス、お前はどうしてるんだ」
「どうって。うーん……俺たちとは違ってヒトの寿命は限られてるから、貴女の貴重な時間を俺にくれないかな、って感じに口説いてOKもらえたらお付き合いするって感じかな」
「そうか……」
「なに、普通のひとに恋しちゃった?」
「そうでは、ないが……」
じわりと苦悶に歪む顔に、フランスはまた驚く。あまり単純な話ではなさそうな気配を察知した。
「もしかして、失恋した?」
そうカマをかければ、ドイツの表情は瞬時にこわばる。
「だったらそうっていってくれればいいのに。お前、クソ真面目なのは長所でもあるけどさ、息抜き下手くそなんだよ。こころが疲れちまったら全部上手くいかないんだぞ」
「そう、だな……」
力なく笑むドイツに笑みを返して、すぐさまフランスは自己アピールを始めた。
「気分を切り替えるならやっぱり旅行だろ?忙しいのは俺もわかってるけど、ちょっと長く有給とってさ、たまにはイタリアだけじゃなくてじっくり俺んとこも観光してみない?俺自ら案内するよ。美術館もあるし城もあるし、ワインの酒蔵巡りもとかどうよ、楽しいぞ」
うきうきとアピールされてドイツは笑みをこぼす。
「ああ、たのしそうだ。たまにはそういうのもいいな。ツアコンをさせるようで申し訳ないが」
「そんなのいいって!観光案内も俺の趣味みたいなもんだしな。それに、前みたいに大胸筋ちょっと触らせてもらえば元気出る――」
そこまで言った瞬間、背筋がひやりと凍える。銃口を突きつけられジャキンと撃鉄が起きた音がした――ような錯覚に襲われた。少なくともそれと同等以上の殺気が容赦なくフランシスの背を刺した。振り向かないまま降伏の意思を示すためにそろりと両手をゆっくり上げるのと、その向かいの彼がフランシスの背後を見て「兄さん!」と小さく叫ぶのは同時だった。
「なんでここに!?」
「連絡もなく帰りが遅いからよぉ、なんか大変な目に遭ってんじゃねえかって心配になって、来た」
「あっ……すまない、メールするのを忘れていた」
どうやって、というのは愚問だろう。携帯のGPSをたどってきたに違いない。大層なブラコンとして知られるプロイセンがそうしないわけがなかった。
「ほんと、過保護なのは家の中だけにしてもらえません?いい歳した弟の交友関係にそこまで口出しするとかどんだけだよ」
「ハァ?てめえみたいなのが周りにいるって知ってるからこうしてんだよ。ヴェストの胸を触るがどうとか話してたな。いっぺんそのろくでもねえこと考える頭フッ飛ばしてすっきりさせてやろうか?」
指で作った拳銃を後頭部に突き付けられる。銃弾は出ないとわかってはいても言った通りに頭蓋を飛ばすことのできる威力があると思えるほどの気迫がひややかに伝わった。
「その話は追々な?たいしたことしてないから!まじで!それよりドイツを迎えに来たんじゃねえの?」
そう話を逸らし、視線をドイツに向ける。そして今日何度目かになる驚きに目を見丸くした。
秘密を聞かれたという怯み、いくばくかの悲しみ、そして自分を思って駆け付けてくれた喜び。そういったものが顔に書いてあるかのようにありありとわかって、察しの良いフランスは事の次第をおおよそ把握した。
「大事な弟の心配するのも結構だけどさ、その弟にへんな心配かけさせんじゃないよ」
「何言ってんだ」
「んー?そこはさ、本人に直接聞いてよ。――ほら、帰った帰った。ここは俺が払っとくから、あとで顛末聞かせてくれよ」
後半はドイツに向けて言い、ぱちんとひとつウィンクをする。
「なんだか世話になってばかりだな、すまない」
「いいのいいの。俺は愛そのものを愛してるし、誰かを愛する人のありかたもまた愛してるからさ!あ、ヘンな意味じゃなくてね?――じゃ、Salut」
ほとんど無言で腕をひかれて個室を出るドイツに軽く手を振って、フランスは二人を見送った。

プロイセンは、朝の10倍は機嫌の悪そうな顔で黙々と帰路を運転し続けている。隣に座るドイツはその暴発しそうな感情にあてられて気が気でない。
「あー……兄さん、わざわざ迎えにきてくれてありがとう。それと、連絡忘れてすまなかった」
「ん、さっき聞いた」
にべもない返答をするプロイセンはフロントガラスの向こうを視線で射殺すかのような凶悪な目で睨みつけている。
「その、なんだ、なにをそこまで怒っているのか、教えてくれないだろうか。そこまで苛つかれるほど何かをした覚えがないんだ」
「別に怒ってねえよ」
「怒ってるだろう、どうみても」
「怒ってねえって」
重ねて言われ、ドイツは口を閉じる。兄に恋人ができて彼の中の一番が彼女になったとしても、せめて2番目の立ち位置は保持したい。あまり口を突っ込んで嫌われるようなことはしたくなかった。
「むしろ、俺、お前になんかしたか、って聞きたいんだけど? 俺のこと避けてんだろ、ずっと」
気づかれていたのかと図星をさされ、ドイツはぐっと息がつまる。
「別に、なにも」
「そんなわけねえだろ!同じ家に住んでんのに俺たちこの1週間で何回言葉交わした?数えるほどしかねえだろ?前はそんなことなかっただろ!」
叫ぶようにそう言ってプロイセンは大きくため息をついて、悪いちょっと停める、と言って近くの店の駐車場に入った。
車を止め、ほとんど乗り出すようにしてドイツに体ごと向き合う。
「なあ、俺何しちまったんだ。教えてくれねえとわからねえよ。何かお前にヤなことしちまったか?」
「そ、そんなことはない、ほんとうに。信じてくれ」
「じゃあなんで俺を避けた」
「それは……」
一旦食らいついたら離さないと言わんばかりに兄の勢いに負けて、言い淀みながらも白状することにした。口に出したら本当にそれが事実になってしまいそうな気がして、言いたくなかったのだけど。
「俺はただ……兄さんが恋人と一緒に過ごせる時間を、増やそうと思って。俺は邪魔なんじゃないかと思って……それだけだ」
目を瞑り胸の痛みをこらえながらゆっくりと吐き出すように言い切ってから、ちらりとプロイセンの方を見れば、驚きにぽかんと口を開けていた。そんなに恋人の存在がばれていたのが意外だったのだろうか。
「俺が、恋人と?オイ、なんの、どこの情報だそれは」
「兄さんのプライベートを覗き見るようなことをしてしまったことは、悪かったと思ってる。偶然だったんだ。あなたが、女性とカフェでデートしているのを見てしまって。花なんか買ったりしてたのも、彼女の影響なんだなとわかって」
「待て待て、え、カフェデート?――あ、もしかしてあれのこと言ってんのか?あの、栗色の長い髪の?」
「ああ、そうだ。快活そうな、ちょっとハンガリーに似てる彼女」
「ばっか、あいつなんかに例えるのやめろ!別にあの子は俺の恋人とかじゃねえし!そもそも彼女まだ15だぞ、そんな子供に手ぇ出すか!」
「15!?もっと大人に見えたが」
「だいぶマセてるからなあ」
「そう、だったのか……」
では彼女とは一体どういう関係なのだろう、と考えたのを読み取られたかのごとく先回りされた。
「あの子は近所の花屋の跡取り娘だ。花束作ってもらうときに、世間話程度に想いを伝えたいやつがいるって話したら、やたら食いついてきてよぉ。折角だからって相談のってもらってた。やっぱこういうのは女子のがセンスあるんだよな。 まあ、助言もらってもうまく言葉が思い浮かばなくて全然言えてねえけど」
あのカフェの女性ではなくとも想いを捧げた相手がいることに静かに打ちひしがれて、ドイツはそっと俯く。その視界の端で左手をとられ、彼の頬に寄せられたのが見えた。はっとして向きなおれば、ドイツの指にくちづけてプロイセンはそっと目を伏せた。
「他の誰でもない、ヴェスト、お前が、好きだ。ずっと好きだった。望んでいいならお前を俺だけのものにしたい。させてほしい。他の誰にも渡したくねえ。――ああ、気持ち悪いこと言ってるって自覚は一応、あるんだぜ。でも抑えておけなかった。俺のわがままで言ってる。だから、俺の想いに応えてくれなくてもいい。でも、嫌わないでくれ、頼むから」
懇願のような懺悔のようなその告白に、ドイツはうろたえる。だがこちらを再びじっと見つめたプロイセンのまなざしが今まで見たどれよりも真剣で、ひゅっと息をのんだ。
それと同時に沸き上がったのは歓喜だ。彼だって、兄のことを誰よりも愛している。自分の幸せを代償として、愛する人の幸せを願うくらいに。
「言われなくても、嫌ったりなんかしない。……違うな、嫌ったりなんかできないんだ。あなたを愛しているから」
そう言ってプロイセンの手を引き寄せ胸の真ん中、心臓の上にあてる。どくんどくんと早鐘を打つ鼓動で言葉の真実を証明するように。果たしてそれはうまくいったようで、プロイセンの顔はぼっと火が付いたように真っ赤になった。
「わ、え、うそ、まじで……」
「兄さんは、俺がその場しのぎでこんな嘘をつけるような男だと思っているのか」
「思ってねえけど!あーーー、すげえ嬉しい……頭トびそう……。クソ、なんでここ家じゃねえんだよ!家だったらすぐにでもベッドに引きずり込んでめちゃくちゃに抱いてやるのに!」
あまりに直接的な衝動を聞いて、ドイツも顔を真っ赤にする。そして。
「に、にいさんが本当に、そうしたいなら」
つっかえながらそう言えば、さっきまでのどこかおびえたような様子とは打って変わってぎらぎらとした赤い瞳が愛する弟を射抜いた。飢えた肉食獣が獲物をとらえたような熱と欲のこもった視線で。
「言ったな?その言葉、覆すんじゃねえぞ」
途端プロイセンは思い出したように急激にアクセルを踏み込み、出来る限りの最高速度で車を飛ばして再び帰路についた。



彼らがその晩、宣言した通りのことを実行したか、へたれて共寝だけをするに至ったかは、彼らのみの知ることである。






お題箱にて「兄さんに恋人が出来たと思い失恋したと考え兄さんを避け始めるルート」みたいな感じのお題をいただいてかいたものでした
愛の国たるフランスにいちゃんは、「誰かが誰かを愛す行動そのもの」を愛してるといいなあと思ってるのでこういう鎹(not当て馬)的な役割とさせたくなってしまいます。