ヘタリア ギルッツ・パラレル





バイルシュミット家の執事兼家令であるギルベルトの朝は、当主たるルートヴィッヒを起こすことから始まる。
それ以前の時間にも勿論ハウスメイドやフットマンたちへの指示といった仕事はしているのだが、ルートヴィッヒの顔を見なければきちんと一日が始まった気がしない。故にいつもこの家の主人を起こすのはギルベルトの仕事だ。

きれいに晴れた爽やかな朝にこうやってまっさきに顔を見に行けるのがなんだか嬉しくて、ルートヴィッヒの自室まで歩む足取りは軽い。
こんこん、とノックしてドアの外から声をかける。
「ご主人様ー?起きてるかー?」
気やすい言葉づかいで話すのもいつものことだし、そこからろくに返事も待たずにマスターキーを使って勝手に部屋に入るのもいつものことだ。
とはいえ几帳面なルートヴィッヒが一言も返事を返さないのはいささか珍しいことではあったけど。
「まったく、ねぼすけさんめ!まあ昨夜夜遅くまで起きてたみたいだしなァ……なにか書きものでもしてたか?」
そう予想をつけながら扉を開けたギルベルトの予想はまったくのそのとおりで、だけどもその書きもの机で眠りこけてるとこまでは予想外だった。
「おい、おいおい!もう大分冷え込んでるってのになにやってんだ!風邪ひいちまうぞ」
幸い暖房はつけていたため部屋はあたたかいが、それでもベッドで眠らなければ身体に悪い。幼いころの彼はよく体調を崩していたのを傍で見ていたから、今ではもう十分に健康体なのを知っていても過保護になってしまう。
とっさに近くにあったブランケットをとってルートヴィッヒの肩にかけてやったところで、ギルベルトは自分がすっかり今の『執事』としての顔ではなく昔の『兄』の顔になっていることに気付いた。
「あー……くっそ、せめて『執事』でいさせてくれよなぁ」
そう小さくつぶやく声は、机の上で夢の世界に旅立っている従弟に届くはずもなかった。

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ギルベルトは実の両親の顔を知らない。
物心ついたときには既にこの大きな邸宅に暮らしていて、厳格な父と可愛い5つ下の弟がいた。それが血のつながった父と弟だと信じて疑っていなかった。
しかし10歳のとき、父の口からそうでないことを知らされた。本当の親はその家の下女と駆け落ちして出て行った父の弟で、事故死した二人の忘れ形見がギルベルトなのだと。
「私の弟――つまりお前の実の父が勘当されている以上、お前に家督を譲ることはできない。だが、もしお前が良いと言ってくれるのであれば、ルートヴィッヒを傍で支えてくれないだろうか」
それに迷わず是を返したギルベルトは、そのための教養を学ぶために数年屋敷から離れた。
貴族の末席として、当主の一番近くで補佐をする秘書として、主人の客人を真っ先にもてなす執事として十分に成長して帰ってきた頃には、かつて弟と呼んだ少年は精悍な青年になっていたけど、それでも彼に捧げる思いに曇りなどひとつもなかった。

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幼い日の思い出に浸りかけた頭を切り替えるため、自分の顔をぱんぱんと叩いて、眠りこける主の肩をゆすって起こすことにした。寝かせてやりたいのは山々だが、昼前に客人と会う予定があるので今のうちに起きていてもらわないといけない。
それでもなかなか起きようとしないルートヴィッヒを見、ギルベルトは強硬手段に出ることにした。つまり、強制的に体を覚醒させるために着替えさせるのだ。これをするとどれだけ寝ぼけていても着替え終わるころには喋って動ける程度に意識も覚醒することを、幼いころから知っていた。幸い今ルートヴィッヒは座っている体勢なので、ベッドから起こすところから始めるよりは幾分か楽そうだ。

状況を見ながらギルベルトは、まず靴から履き替えさせるところから始めたほうがいいと判断した。真っ先に身体を冷やすのは忍びなく、それに単純に靴紐を結ぶという行為が好きであったので。
部屋履きをやや乱雑に脱がせて放り出せば、ルートヴィッヒの素足があらわれて思わずそれに口づけたくなる衝動をぐっとこらえて、靴下を履かせた。
ルートヴィッヒがどうしてもというから、主にである彼に対して昔のようにくだけた口調で接しているが、そのために兄と呼ばれていた自分と忠実なる第一の部下である自分の境界が曖昧になりそうになる。そのまま境界を溶かしてひとときの兄であった部分が多くを占めてしまったら、どこまでも図々しくふるまってしまうだろうという予感があった。そしてきっとこの従弟はそれを許してしまうだろうということも。どんなに不遜な想いを抱いているのかも知らないで。
だからこの額づくような行為は、ギルベルトの理性の緒を確かに締めていく行為でもあった。ロングブーツの紐1本1本をその足に沿うように合わせていくのは、傲慢にすぎる自分の思いを調節することの象徴だ。
きつすぎず、ゆるすぎず、ということだけを一心に頭に入れて編み上げていく。
すると不意に頭を無造作に大きな手のひらでなでられた。いつもならそんなことをしないルートヴィッヒがそうするのは、きっとまだぼんやりと夢の世界にいるからだろう。
できるだけ意に介さないようにしてブーツの紐を編んでいくが、頭をなでる手のひらの容赦のなさといったら、到底大人の男にするようなものではなかった。それもそうだろう。夢の淵で彼が撫でていたのは、犬だったのだから。
「アスター、ほんとうにお前は賢いな。いい子だ」
ぽやぽやとそう言うルートヴィッヒの声音はまるで子供のようで、いつもの威厳をもってふるまう様子からは思いもつかないほどだった。アスターというのも、ギルベルトが屋敷から離れていた頃にルートヴィッヒの遊び相手になってくれていた近所の犬の名前だと聞いている。
わしゃわしゃとギルベルトの頭をなでながら、夢と現の狭間に揺蕩っているルートヴィッヒは続ける。
「お前の毛並は兄さんそっくりだ。きれいな銀色で、かっこいい」
夢の中の犬を通して褒められるのはどうにも不思議な気分だったけども、悪い気持ちはしなかった。むしろ忠実な犬として振舞えたら思い悩むこともなかっただろうに、という詮無い気持ちがちらりとよぎる。
そんなふわふわとした思考は、頭ごとぎゅうと抱きしめられることで強制的に終了させられた。
「なあアスター、よその家のお前は俺をしたってくれるのに、なんで同じ家に住んでた兄さんはどこかにいっちゃったんだろうなあ……俺が弱いから、嫌になっちゃったのかな」
弱弱しく言うそんな声音にはっとする。幼いルートヴィッヒがそんなことを考えていたなんて、ギルベルトは全く知らなかった。
衝撃で手は止まり、そっと離れるなんて思考すらできず、されるがままに抱きしめられていると。
「にいさん、さみしい」
ちいさくつぶやかれたその言葉は、距離の近さゆえにギルベルトの耳にはっきりと届いた。動揺で思わず昔の呼び名が出てしまうほどに。
「……ルッツ?」
その一言を呼び水にルートヴィッヒはゆっくりと覚醒し、夢の中で撫でていた犬が第一の部下である従兄の姿に化けた(ように見えた)ことに驚いて仰け反り叫び声をあげた。
「う、うわあああああッ!?」
「お、おお!?な、なんだ!?」
「なん、え、ど、どうして、ああ」
「おお、落ちつけって!ほら、ちょっと寝ぼけてたみたいだから、その、気にすんなよ、な?」
「あ、ああ……すまない、子供の頃の夢を見ていたようだ……何か変なこと言ってなかったか」
「うぇ、ヘンなこと?さ、さあ、別に何も?」
しどろもどろな証言だったが、ひどく動揺してるルートヴィッヒはその嘘をそうと見抜けるはずもなくて、そうか、と言って少しだけ落ち着きを取り戻した。

「あ、えーと……そうだ、喉乾いたろ、水持ってくるなっ!」
何かをごまかすようにばたばたと部屋を出ていくギルベルトをぼうっと見送って、ルートヴィッヒはさきほどまで彼を抱きしめていた腕の中をじっと見る。さきほどまであった熱がなくなった空の腕に、朝の空気は妙に寒々しく感じた。
幼かった頃、寒い夜はどちらかのベッドに二人で入ってくっつきあっていたのを、ふと思い出した。お互いに体温を分け合って暖をとるのが溶け合ったように幸せで、朝になってもベッドからなかなか出ようとせずに、メイドたちをよく困らせていたものだった。
だから、ギルベルトが家をでて遠くの学校に進学したときは寒くて寂しくて、朝が来るのが怖かった。父が「立派になって帰ってくるから」と言うのを信じてその日を心待ちにする長くて辛い数年間だった。
しかし帰ってきた兄は、二人の間にきっぱりとはっきりと境界線を引いてしまった。
「もう知ってると思うが俺たちは兄弟じゃない。お前はここの当主だし、俺はお前の執事だ。だからちゃんとケジメはつけなきゃいけねえ。賢いお前なら、言ってる意味わかるだろ?」
駄々をこねる子供をあやすような困った顔でそう言われてしまえば、頷く以外の選択肢なんて残されていなかった。
愛する兄に傍にいてほしいと願うなら、飲まなければいけない条件なのだと理解してはいる。なのに、幼い日々と同じ優しい笑みで「ご主人様」と呼ばれ世話を焼かれることに、内心ずっと心がかき乱されていたのだ。
大きく息をついてルートヴィッヒは天を仰ぐ。
「兄さん、寂しい」
夢の中でも口にした言葉を、再び口にする。
血のつながりも立場も気にせず無邪気にお互いの体温を分け合えたあの頃に戻りたい、と何度も願う心を割りきれる日は、当分訪れそうにもなかった。






お題箱にて当主と執事パロというリクいただいて書いたものでした。
ギルの口調が執事に似合わなさすぎてどうしたものかとこねくりまわしていたら、食い合わせ考えない盛り合わせみたいな迷走感になりました。陳謝する。