ヘタリア 普独





『十時に公園の噴水の前で』

少し遅めに起きた朝、そんな書き置きがテーブルにあるのを見て俺は「またか」と思う。
元々今日は二人で外に遊びに行く――言わばデートをする約束があった。そういうとき、兄さんはメモを残して先に出かけていることが偶にある。それは兄さんが勝手に始める『ごっこ遊び』の開始の合図だった。
「先に言ってくれれば心の準備のしようもあるのに」
呟く声はもちろん兄さんには届かない。心の準備をさせないために、この緊張感を演出するための抜き打ちなのだったら、兄さんは俺に対してすら策士なのかと少し呆れる気分にすらなった。

ゆっくり朝食をとって身なりを整えて、犬たちにいってきますの挨拶をして外へ出る。指定されていた噴水の前には待ち合わせ時間の少し前に着いたので、持ってきた本を開いて待つ。
そして数分後。
「よお兄ちゃん、誰かと待ち合わせか?」
あまりにも聞きなれた声の、だけどあまりにも見慣れない姿の兄さんが声をかけてきた。
独特の銀髪を黒いハーフアップのウィッグで覆い、赤い瞳は緑のカラーコンタクトで隠している。服もいつも好んで着る黒と銀を基調とした変に派手なものではなく、スタイルの良さを際立たせつつも派手すぎない落ち着いた色合いの服装だ。(ファッションには疎いのでそうであることしか分からないのだが)
その姿に少し驚いてから、できるだけ平静を装って俺は言う。
「そうだったのだが、さっきキャンセルの連絡が来てな。どう時間を潰そうか考えていたところだ」
「なら丁度良い。俺も暇してたんだ、遊ぼうぜ」
「ああ、構わない」
ここまでが台本通り。兄さん発案の『他人ごっこ』は、いつもこうやって始まるのだ。



アドリブが苦手で演技力にも自信のない俺は、この『他人ごっこ』が少し苦手だ。知らない男の顔をした兄さん相手にどう振舞っていいのかいつも悩んでしまう。
そんな俺をよそに、バートと名乗った兄さんは(Gilbertの後半をとっているのだと思う)どことなくラテンっぽい振舞いをして俺をエスコートする。その表情は実に楽しそうでうらやましいくらいだ。きっとこのごっこ遊びの楽しみ方を熟知しているのだろう。俺にもそのコツを教えてほしい、とは思いながら今は演技中なので言えずにいる。

さらっと俺の手を取ったバートは、おすすめだというカフェへ俺を連れていって、今日どこ行こうかと話し出した。そしてその合間に、初対面の他人というていで色々話した。
ここでは俺はルートヴィッヒという名の普通の青年ということになる。

社会人?学生?
社会人だ。
仕事なにしてんの?
詳しくは言えないが、いわゆる役所勤めみたいなものだ。
へえ!頭いいんだな。
そうでもないさ。まだまだ学ばなければならないことはたくさんある。
おお、まっじめー!
よく言われる。頭が固いとか、融通がきかないとかな。
いいんじゃねえの?俺真面目なやつ好きだぜ
……ダンケ。

促されるままに散漫に喋っているとバートはよくこうやって、俺を口説いてるのかと思うようなことを言う。その表現が妙に迂遠だからなんと返そうか迷っていると、彼はさらっと話題を変えるから毎回意図を尋ね返すこともできないでいるのだ。
「なあ、動物とか好きか?市内の動物園にパンダ来てたの見に行きてえ」
バートが喋る片手間に触っていたスマートフォンをこちらに向ける。画面には去年来たパンダの記事が表示されていた。来てすぐのころは行列ができていてなかなか見られなかったそうだが、もう人の波も落ち着いたころだろう。
「前にテレビでも取り上げられていたな。俺もそこは気になっていたんだ」
「じゃあここ行こうぜ!あ、でもその前に腹ごしらえな」
そういってバートはさり気なく伝票をとってレジに向かった。



ペットとか飼ってんの?
ああ、犬を3匹。
3匹も!世話大変じゃねえ?
そうでもない。賢くておとなしくちゃんと言うことを聞いてくれる子ばかりだからな。
へえ、好かれてるんだな。
主人として慕ってくれてはいるだろう。
いいと思うぜ!犬に好かれる人間に悪い奴はいねえし。
なんだそれは。迷信か格言かなんかか。
いや?俺の持論。
自信満々に言っておいて持論か。しかしそれに依って言うなら兄さんは良い人ではないことになってしまうな。
犬に好かれてねえってこと?
変なちょっかいばかりかけるからな。悪い人ではないんだが。
お前の兄ちゃんってどんなやつなんだ?
難しいな……一言でいえば過保護。それに、うるさいし飽き性だし余計なことばかりするんだが、悪い人ではないんだ。
ははっ、全然そう聞こえねえ!
だから難しいと言ったんだ。良いところだってたくさんある。頭がいいしマメだしきれい好きだし――

そこまで喋って、ふと何か違和感を覚えたが、その正体を掴みかねている間に頼んでいたランチがテーブルにきて、違和感は他所に追いやられてしまった。



しっかり昼食をとったあとは、たっぷり動物園を堪能した。
いつか見に行こうと思っていたパンダにも会えたし、シロクマも見てきた。(クヌートにもう会えないのは寂しいがそうでなくても彼らはかわいい)
園内にある『鳥の家』ではバートが楽し気にはしゃいでいたし、その様子に俺も楽しくなった。
大きなものも小さなものも、勇猛なものも愛くるしいものも、動物はやはり皆かわいいし癒される。それらを見て一緒に楽しむ者がいるならなおさらだ。

存分に癒しを得て日が傾いてきたのを見、俺たちは動物園を出た。
満足げな息をふうと吐いて落ち着いた頃、一歩先を歩いていたバートがくるりと振り向いてにこっと笑う。そして。
「なあ、せっかくだからこのまま夜も一緒に過ごさねえか?」
思わずうなずきかけて、はたと思いとどまる。
このセリフはバート――否、兄さんとの『ごっこ遊び』の終了の合図だ。つまり、俺は決められたセリフを言わなければならない。
「すまない、家で待ってる人がいるから」
「そっか」
そう言ってバートは少し寂し気に笑った。
「なら今日はここまでだ。またどこかで会おうぜ。じゃあな」
手を振って街中に消えていく背中を俺はぼうっと見送る。いつもこの瞬間は、不可思議な魔法にかかっていたような、幻術を見せられていたような妙な気分になる。彼の言う『またどこかで』は永遠に来ないことを頭のどこかで分かっているからだろうか。しかし魔法でも幻術でもないことは、手元にある土産物のチャームが証拠になっていて、また妙な気分になるのだった。

別れてから俺は近くの喫茶店に入って時間を潰す。
幻影の残滓に浸ってぼうっとしながら、待ち合わせのときに読んでいた本を取り出す。朝読んでいた続きのページを開けば、現実と架空の狭間に落ちたような場所から完全に架空の世界に意識を飛ばすのは簡単だった。
読書にきりがついてふっと紙面から顔を上げて時計を見れば、一時間ほど経っていて、俺はやっと現実の世界に戻ってこられた気がした。



家に帰ると、変装を完全に解いたいつもの姿の兄さんが出迎えてくれて、なんだかとてもほっとして深く息をつく。
「ただいま、兄さん」
「おかえり、ヴェスト。もうすぐ夕飯できるから荷物部屋に置いたらテーブル片付けておいてくれよ」
「わかった」
とは言われながらもたいして散らかってもいないテーブルを台拭きで拭いていると、視界の端に朝の書き置きを見つけて、またもやっとした妙な気分が戻ってきてしまった。いつもはそのまま夕食をとって『他人ごっこ』のことはなかったかのように夜の時間を過ごすことになるのだが、思い出してしまったからには問いたださずにはいられない。
「兄さん」
「んー?」
振り向いた兄さんに、書き置きのメモをぴらっと向けて見せる。
「なんでいつもいきなりこういうことをするんだ」
「どっちの理由を聞きたいんだ?『いきなり』の方か、『こういうこと』の方か」
「どっちも」
言えば、兄さんは一瞬間をおいて、フヒヒッと妙な声をあげた。
「な、なんだその笑いは……」
「いや、気づいてねえんだなあって思って」
「分からないから聞いているんだが」
機嫌が下降するのを自覚しながら口を曲げれば、兄さんは「まあまあ」となだめた。
「んーっとな、『他人ごっこ』をする理由は、ヴェストにたくさん喋ってもらいたいからだな」
「喋る?いつも喋ってるだろう」
「でもお前、伝える必要ないこととか俺がもう知ってることはあんまりそれ以上喋んねえだろ」
「そりゃあ、過去の自慢話を何度でも飽きずにする兄さんに比べればな」
「だから俺ばっかりじゃなくて、お前が話してるの聞きてえなあって思ったときにやるんだよ。俺、お前の声好きだし」
「ダ、ダンケ……?」
唐突に褒められると妙に照れて視線のやりばに困る。
「そんで『いきなり』の理由は、お前に台本作らせねえようにだな」
「台本」
「最初からこの日この時間にこういう演技するって決めたら、どこで何を言うか一言一句何をしゃべるかお前決めて来ちまうだろ?そういう台本の朗読を聞きたいわけじゃねえんだよ、俺は」
さすが兄さんだ、俺の行動パターンをよく理解している。否定する要素も、不合理なこじつけもなくて納得するしかなくなってしまった。
「む、そう、か……いや、しかし……」
「なんだ、動物園デート楽しくなかったわけじゃねえだろ?」
「それはそうなんだが……まあ、いい」
この胸に抱えるもやもやした何かをうまく言語化できず、そして兄さんの言う通りデートが楽しかったのは確かだったから、それ以上言うのはやめた。
ふうん、とも、へえ、ともつかないような相槌を打ってから兄さんは「できたぞ、食おうぜ」と言った。
話している間にテーブルの上にはカルテスエッセン(パンやチーズなどを切っただけの軽い夕食)の準備が整っていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

いまいち納得できてないような顔をしたまま黙々とパンを口に運ぶヴェストを見、俺はばれないようにほくそ笑む。
さっき俺がヴェストに説明した「『他人ごっこ』をする理由」は決して嘘ではないが、完全に真実でもない。ヴェストとたくさん喋りたいというのもあるけど、それ以外の理由も大いにある。

そもそもコレを始めようと思い立った理由が、日本から「お久しぶりです、プロイセンくん。ドイツさんからお噂はかねがね聞いていますよ、お元気そうでなによりです」なんて言われたことだった。噂ってどんなだよ、と聞けば「まあいろいろと。悪いことは話されてませんよ」と濁された。
俺の目と耳がある場所ではあんまり俺のことを褒めたり貶したりしない弟が、他人の前では俺のことをよく話すだって?なにそれ聞きたい。めっちゃ聞きたい。
と、ここで盗聴器でも仕掛けてしまえば簡単なんだが、それではつまらない。あと、気づかれると後が怖い。そんなときに思いついたのが『他人ごっこ』だった。

分の悪い賭けではなかったが、戦果は思った以上。容姿を変えて視覚情報をごまかし、決められた口上から始めて気持ちを切り替えさせることで、俺を「初めて会った気さくな男」とヴェストに認識させることに成功した。ここまで雰囲気の飲まれやすいのを見せられるとちょっと心配にならないでもないが、今のところ都合がいいので指摘しないでおく。
そしてヴェストがリラックスして話しやすいテンポと空気を意識的に作って誘導すれば、あまりにもあっさりと俺の前で「兄さん」の話をするようになった。しかもノロケみたいな褒めが七割を超える。
端的に言えば、最高。これはクセになる。元々俺は褒められたがりである自覚はあるけど、愛する弟の口で褒められるのは格別だ。
とはいえ、あんまり頻繁にやるとヴェストのほうも慣れちまって「イメチェンした兄」と認識するようになるだろうから、忘れたころにたまにやるのがいいと俺は思っている。

それと、もうひとつ。
別れ際にヴェストに「待ってる人がいる」と言わせるのが好きだ。
どれだけ気の合った他人と出会っても、さりげなく口説かれても、必ず俺の元に帰ってくるという言質がほしい。その「気の合った他人」すら俺なんだからひどいマッチポンプだけど。
「待ってる人がいる」と言って別れたあと、先に帰った俺が待つ家でこうやって夕食をとるという事実がまたたまらない。だからこの時間も俺にとってはデートの続きみたいなものだ。


「なんだ、俺の顔に何かついてるか?」
俺があんまりまじまじ見てたものだから、ヴェストがそんなことを言い出した。口元にパンくずはついてるけど可愛いから黙っておく。
「んー、別に?今日は楽しかったなあって思い返してただけだぜ」
「そうか」
そう言ってヴェストがパンにバターを塗っているのを幸せな気持ちでまた眺める。いつまで俺の手の上で転がされてくれるかな、とか、次はいつにしようか、なんて思いながら。






『ごっこ遊びする普独』というお題で書かせてもらいました。
どいつさんがとてもちょろいつですが、兄さん相手だからちょろいんですとここで弁明させていただきます……。
なんかツイでも支部でもわりかし良い評価もらえてびっくりしたお話。