ヘタリア 伊(+)独





いつだったか、俺は大好きな親友の絵を描こうとしたことがある。

この世界は、もちろん痛いことも苦しいことも悲しいことも沢山あるけど、それ以上に楽しいことや嬉しいことも沢山あって、そんな世界はいつだって美しい。それを俺の目を通して切り取ってカンバスに写すのは趣味の一つだった。
写真じゃいけないのか、と言われることもある(というかモデルであるドイツ自身がそう言った)けど、写真じゃ物足りない。少しずつこの目で映してこの手で写す作業が好きだから。
そんな俺の世界の大きな一角を占めるドイツのことを描きたいなと思ったのは当然のことなんだけど、あいつはとてもびっくりしたみたいだった。でも断られはせずに、照れ臭いと言いながらも了承してくれた。

俺の小さなアトリエで、ドイツには座って本を読んでもらった。モデルが本業じゃないひとに長時間ポーズをとってもらうのは難しいから、暇じゃない程度に同じような姿勢をとれるように。
その姿をいろんな角度から眺めて、構図を決めて鉛筆をとる。
まずはアタリをとって、簡単に下書き。ドイツから借りた時間は丸一日しかないから急ぎ気味に。慣れてる手順だから迷うことは手間取ることはほとんどなかったけど。
それから下地の色をぱっぱっと置いていく。隣接する色が混ざらないように気を付けて。この辺りに影をおいて、なんてことも考えながら。
下地が乾くまで少し休憩をとって、大丈夫そうになったら次は重ね塗り。輪郭線のない現実世界をカンバスに写すために影や光を置いていくこの作業が俺は一番好き。少しずつ命が吹き込まれるのが目に見えて分かるから。
アトリエに明かりは点けず、天窓からの自然光のみを最初に配置したセンスに自画自賛しながら、影を置いていく。暗めの背景の中で南欧の太陽を浴びるドイツはしろい肌や金の髪をきらめかせて本当にきれいだった。
腕が鳴るなあ、とか考えながら絵の具を混ぜて髪の流れる色を描き、その筆で本に落とされて俯く視線を覆った長い睫毛を描く。直感の赴くまま滑らせた筆だったけども、なかなか上手く描けたんじゃない?なんて思って一歩カンバスから離れて全体像を見、はっと息を呑む。

何か大きなミスをしたわけではない。デッサン狂いがあったわけでも。むしろ良い出来だった。俺が描いた中では五本の指に入るほど美しかった。でも、その出来に言い知れぬ不安や焦燥を感じずにはいられなかった。
俺がカンバスの上に描いた彼に命を吹き込んだら、目の前の彼は絵に命を移し取られて物言わぬ彫像になってしまうのではないか。そんな考えがふと過って離れない。
ピグマリオンが造ったガラテアのように、芸術作品に命が宿ったら、その作品のモデルの命はどうなってしまうのだろうか。
進める筆の一本一本が大好きな親友の何かを損なってしまうような気がして怖くなった。大事なひとを喪う辛さを唐突に思い出して指が震える。

カラン、と筆が落ちるのを俺は遠い気持ちで聞いていたのだけど、ドイツはきちんと聞き取って、晴れた空のような瞳をこちらに向ける。
「イタリア?」
声がかけられたのと、教会の鐘が夕方六時を知らせるのはほぼ同時で、やっと俺の世界に正常に音が戻ってきた。
「ああ、もうこんな時間なのか。絵の進捗はどうだ」
「え……、あ、うん、大丈夫」
「なんか変だぞ、イタリア。どうしたんだ」
「あわわ、えっと、気にしないで!ちょっと疲れただけだから!いい時間だし早いけど夕食にしよ?」
無理やりに話を切り上げて、油絵用のエプロンを外す。ドイツは少しだけ不思議そうな顔をしていたけど、流すことにしたようで俺の誘導にしたがってくれた。

それっきり、俺はあの絵に一筆たりとも書き加えていない。少しでも完成に近づけるのが怖くなったから。

◆ ◆ ◆ ◆

そんなことがあったのを、ドイツはきちんと覚えていたらしい。たった一日絵のモデルになっただけだったのに。
あのときの絵を見せてほしいと言われて、渋々見せたら案の定指摘される。
「芸術に疎い俺でもわかるぞ。なんで未完成なんだ?」
俺は少し言いよどんでから、へらっと笑って言う。
「未完成の方がより素敵ってこともあるんだよ、ミロのヴィーナスみたいにさ」
とっさの誤魔化しに騙されてくれたのか、ドイツはふむとつぶやきながら再び絵を見つめた。
「芸術とはそういうものなのか……?」
あのとき過った嫌な直感は今でも俺の中にある。その不安を口にしたらそれが本当になってしまいそうだという予感もまた。
近代的で現実的な彼に言ったら笑われそうだからとても言えないけど。






どいちゅさんの顔や身体のかたちのうつくしさが計算されつくした彫刻のようで芸術に閉じ込められてしまいそう、というフォロワさまのツイートから。
油絵は中学んときにやったきりの知識なので信用しないでください