ヘタリア 普子独





兄に本を読み聞かせてもらうのは幼いドイツの大好きなことのひとつだ。プロイセンの膝に腰かける形でだっこしてもらい、背中に体温を感じながら耳に近いところでゆっくりと朗読する声は心地よくて、夢とうつつの間でとろとろするのが気持ちよくてついついねだってしまう。
冒険活劇の本を選ぶとどうにもうるさいし、短い話だと読み聞かせの時間も少なくて物足りない。だから持ってくるのは少し長めの話が載った童話集だ。
本を抱えて訪ねれば、プロイセンはいつだって緩く笑って「ヴェストはあまえんぼさんだなぁ」なんて言いながらこっち来いと手招いてくれる。「本くらいもうひとりで読めるだろ」なんて断られたことは一度もない。
甘えたいという気持ちを少しでも見せれば全力で甘やかす姿勢をとってくれるのが嬉しくて、今日もまた童話集を抱えて兄の部屋にいくのだった。


「――王子様がキスをした瞬間、眠りの魔法がとけてお姫様は百年の眠りから目覚めました。眠っていた城中の人たちも目を覚まし、動物たちも動き始めました。城を覆っていた茨はほどけて、蘇ったにぎやかなお城で王子様とお姫様は結婚し幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
おとぎの世界にふわふわまどろんでいたドイツは「めでたしめでたし」の言葉で意識をゆっくり浮上させる。すこしぼんやりしたまま目の前に広げられている本に目を落とし、ふと、あることが気になった。このあたたかい空間をもう少しだけ引き延ばしたくて、それを口にする。
「にいさん」
「んー?」
「なんで王子様はお姫様にキスをしたんだ?」
言いながらドイツは本の挿絵を指差した。そこには城のてっぺんの部屋で眠るお姫様に王子様が唇を落とす絵が描かれている。
その質問にプロイセンは虚を突かれたようにきょとんとした。
「なんで、って、何がだ?」
「王子様は姫にキスをすることで眠りの魔法が解けることを知ってたのか?」
「いや、百年経ったら解ける魔法だからキスしなくても解けるぜ。だからこの流れはまあ、偶然だな」
説明を聞いてもなおドイツはちいさく首をかしげた。
「キスで魔法が解けるんじゃないなら、勝手にキスしたらだめだろう」
プロイセンは、自分は全く疑問に思わなかった、しかし言われてみれば至極真っ当な指摘にうろたえる。
「ま、まあ、そう……だな?」
もっと過激な展開だった原典を知っている身としてはそう濁すことしかできない。そして少し考えてから、言う。
「でも、一目見てすげー綺麗で好きになっちまったら、キスしたくなっちまうもんだろ?」
「そうか?」
「王子様はそうだったんだろ。俺だってヴェストのほっぺにいつだってキスしたいしな!」
そう言ってプロイセンは幼いドイツのやわらかくまるい頬に強く唇を押し当てるようにキスをした。
「ちょ、にいさん!!」
抗議されてもプロイセンは意にも介さずふへへと笑う。そのままくすぐったがる弟の瞼や額にキスの雨を降らせると、感じた疑問をよそに置いてちいさく抵抗するのに思考を持っていかれ、つまりプロイセンはごまかすことに成功したのだった。


ドイツがそのときの疑問を思い出したのはその数日後だった。
外で鍛錬をしていて疲れて家に戻ると、いつの間にか外から帰ってきていた兄がリビングのソファで眠っていたのを見かけたのがきっかけだった。
窓から西日が強く赤く照り付けている。しかしソファの背もたれが影になってプロイセンの目を覚ますには至らないようで、しかし背もたれの淵からもれる光がちかちかと銀の髪を照らす。傍目には冷たく見えるような銀の髪が、生気あふれる柔らからな橙に染まって、しかし影になっている頬はそのせいで血の気が失せているようにも見えた。それはなぜか生と死の狭間にいるいばら姫を思わせた。
死んだように眠る兄に近づいて、その頬にそっと触れる。細い指先から少し低い体温が伝わってほっと胸をなでおろす。そしてあまり見下ろすことのない兄の顔をじっと見つめた。
(きれいだ)
そう思った次の瞬間に、ほとんど無意識にその唇に唇で触れていた。淡く触れるだけの、こどものキス。しかし頬や額にするような親愛のキスではなく、まぎれもなく愛情のそれだった。
いばら姫のようにプロイセンが目覚めることはなかったが、ドイツは胸の中でなにかが目覚めるのをたしかに感じた。
『好きになっちまったら、キスしたくなっちまうもんだろ』
兄が言ったその言葉が耳の中でよみがえる。
(好きになったら……)
じわじわと胸があたたかくなる。頬が火照る。心臓がどきどきする。
(これが『好き』。おれは、にいさんが、すき)
そう認識してしまうともう兄のことを直視できなくなってしまって、ドイツは逃げ出すように部屋から飛び出した。こんな気持ちを抱いてしまったら、きっともう本を読み聞かせてもらいながらふわふわとまどろむことなんてできなくなってしまうだろう。あの時間はとても好きだったから、こんな形で不意になくなってしまうのが惜しかった。けども、それ以上に嬉しさや恥ずかしさが波のように押し寄せて頭がいっぱいになってしまった。
「にいさんが、すき」
小さく唇に言葉をのせると、さらに顔が火照った。

唐突に直視してしまったその感情は、ちいさなからだで受け止めるには大きすぎて、しかし告白する勇気はとてもとても持てなくて、好きな人を直視するたびに妙な挙動をしてしまって兄に大層心配をかけるのだった。






「初めて恋を自覚する普子独」というリクでかかせてもらいました。
最初いばら姫系のタイトルにするつもりだったのに、書いてるときに聞いてた某アイマス曲が頭の中でずっとリフレインしてまして……