ヘタリア 普独





ある日。
ふと俺は「最近デートしてないな」と思った。デートと言ってもこれといって何かしたい訳ではない。恋人であり兄たるひととは同じ家に住んでいて家ではずっと傍にいるのだから、わざわざ何かしにどこかに行く必要もないのだ。だけど、ほんの近所でもいいから一緒に出掛けて歩いて話す、という時間を最近とってないなと思ったのだ。
「兄さん、今度の休みのとき一緒にマルクトにいかないか」
「お、いいぜ!何か買いたいものでもあんの?」
「いや……なんでもいいから一緒に出歩きたいなと思っただけなんだが」
そう正直に言えば、兄さんはにっと明るく笑った。
「そういえば最近なかったな?りょーかい」

しかし、予定をたてた端から別の予定が入るのは世の常で、そんな話をした翌日、秘書から週末をまたいでの出張が急遽入ったという報告がなされた。
『昨日の今日ですまない、兄さん。週末に出張が入った。マルクトに行く予定はまた後日で』
そうメールすれば、すぐに返信が来た。
『そっか、そりゃあ残念だけどしょうがねえよな。ところで今日は残業あるのか?』
『たいした仕事はないから、今のところはないはずだ。定時に帰れる』
『了解』
残業が確定したときにはすぐに兄さんに連絡を入れるが、兄さんから残業の有無を訊かれることはよほど稀だ。連絡できる今のうちにどちらか訊いておこうとおもったのだろうか。
そう思って気にもとめなかった俺が兄さんの真意に気づいたのは定時後、職場の門を出てからだった。
「よお、ヴェスト。今日もおつかれさん」
「兄さん!なんでここに」
「今から夕飯とかの買い出ししようと思ってな、ヴェストと一緒に。時間はあるだろ、一緒に歩こうぜ」
確かに職場から家までは食料品店もたくさんある。けども。
「車で通勤しているから歩けはしないな」
言えば、
「お前の車は昼のうちにここから家まで運んでおいたぜ!」
残業の有無のメールはその意味だったのかと思い至る。たっぷり残業した後はさすがに疲れて家までは歩けないが、定時上がりなら徒歩帰宅できる余裕はある。
「疲れてんなら自転車持ってきて2ケツしてこうか?」
「いや、いい!そんな学生みたいな真似できるか!」
「俺は別に構わねえけどな」
ケセセと笑う兄さんに寄り添って、持て余し気味に見えた手をそっと取って淡く握る。とたん笑いが止まってどうにも居心地が悪い。俺からのアクションにいちいち驚かないでほしいのだけど。
握った手を同じくらいの力で握り返して、うきうきした声で兄さんは言う。
「よーし、ヴェスト!何食いてえ?なんでも作ってやるぞ!」
「……兄さんが作ったものならなんでも」
心からの気持ちでそう言えば、淡く握られた手に力がこもったのが分かった。



またある日。
俺は帰ってきて家の様子が変わったことに気が付いた。
元から決して汚くはない家だけども、今日は妙に全体がこざっぱりとしている。よく見るとリビングの壁の色がやや明るくなっているし、カーテンの色もそうだった。
この国では夏は短く冬は長いため家は冬向きに作ってあるが、それでも夏はそれなりに暑い。イタリアからしてみれば涼しいそうだが、暑い。
夏の間もう少し過ごしやすくならないものかなあ、重苦しく感じる気がする、と夏服を押し入れから出しながら思ったような言ったような。曖昧な記憶がぼんやりと思い出された。
驚いていると、ダイニングから兄さんがひょこっと顔を出す。
「ヴェスト、おかえり」
「ただいま、兄さん。これは一体……」
驚いた顔のまま問えば、兄さんはへらっと笑った。
「お、早速気づいたか」
「気づくに決まってる」
「こないだお前が部屋が重苦しいって言ってたからさ、少しでもさわやかになるように模様替えしてみた!どうよ」
「えっ、一人でか!?」
「おう!リビングだけなら業者呼ぶまでもなく俺だけでもできそうだったからな。犬たちは接着剤のにおいちょっと嫌そうにしてたけど、しばらく換気したら大丈夫になるだろ」
なんでもないことのように言うが、相当な労力だっただろうに。兄さんにそんな負担をかけたくで言った言葉じゃなかったのに。そう思いながらもうまく言葉に出来ずもごもごとしていると、兄さんは先回りして言う。
「俺も夏は見た目から涼しくしたかったしな!――晩飯トーストだけどトッピングのリクエストあるか?」
話を変えられてダンケを言うタイミングも逃したことに気づき、少しだけ不貞腐れながら「チーズ」と答えた。



別のある日。
テレビを見ながら「最近ナッツ類を食べた覚えがないな」と呟いた。アーモンド入りのアイスのCMが流れていて、とても香ばしそうに見えたから。
普段の食事というとパンと芋と肉とチーズ、みたいなものが多くなってしまうから、高いわけではないのに口にする機会があまりない食材というのは案外多い。
「そういやそうだな。明日の晩酌のつまみはナッツ類にするか」
俺の独り言を受けて兄さんが言う。夕飯当番は交代制だけど買い物は兄さんがすることが多い。
「良いな。買い足しておいてくれるか」
「おう!」

そんな会話はした。けども。
「何でこんなに……」
ビールの隣にはナッツの袋が3つ。ミックスナッツとアーモンドとピスタチオ。いや、食べたいと言ったのは俺だけど2人で食べるには多すぎないか。
「日持ちするしいいだろ。余ったらクーヘンの材料にでもしてくれよ」
そう言って兄さんは袋をあけ皿に盛る。そして、ピスタチオの殻はこっちな、と空の深い皿をこっちに寄せた。
気遣いはありがたく受け取って、ピスタチオを一粒取る。殻を割ろうとして指に力を入れると、殻ごと中身まで粉々になってハアとため息をついた。どうにも力を込めすぎるこの太い指は、ちいさな殻をむくのにはあまり向いてないようでいつもこうなってしまう。俺の手からぱらぱらとおちた欠片を見、兄さんは盛大に笑った。
「ぶっは!なんだお前!粉々じゃねえか!へたくそかよ!!」
「……笑うな。こういうのはへたくそなんだ。いつもこうなってしまう。味は好きなんだが」
「マジパン細工はキレイに作るのに不思議なもんだなあ。まあ苦手ならこっち食ってろよ」
言って兄さんはミックスナッツとアーモンドの皿をこっちに寄せ、殻用の皿を兄さん側に引きながら、兄さんがたった今剥いたピスタチオを俺の口に放り込んだ。

テレビは借りたDVDの映画を流し続け、俺はアーモンドを食べながらビールを飲む。そして兄さんはちらちらと映画を見つつ手は一心不乱に殻を剥き続けていた。そういうのは食べながら剥くものだと思うのだが、先に面倒事を終わらせたい気持ちも分かる。しかしせっかく一緒に映画を見てるのだから見ながら話をしたい。少し寂しく思いながら話しかけて邪魔することもできず静かに映画を見ていた。
しばらくして、兄さんが「よし!」と言って体を起こした殻用の器にはこんもりと殻が入っていて、その横には剥かれたピスタチオが少し小ぶりの皿に盛られていた。そしてその皿をこちらに寄せた。
「ほら、食え」
「……え?」
「え、じゃねえよ。剥くの苦手だっつーから剥いといた」
「……だ、ダンケ?」
「ケセセ、なんで疑問形だよ! あんまテレビの方見てなかったけど今どんな展開?」
「ああ、主人公が――」
要点をかいつまんで説明しながら、小皿のピスタチオを口に運ぶ。美味かった。



その日の晩。
目に見える形で示されたさりげない愛情にふわふわとしながら飲むビールは美味くて、平日の疲れも相まって俺は早々に酔いつぶれ寝てしまったらしい。
それに気づいたのは兄さんが軽くもない俺を俺の寝室まで運んで寝かせて掛け布団をかけたときだった。
目を開くと暗い部屋の中でも兄さんが柔らかく笑んでいるのが分かって、掛け時計を見ればまだ夜であることもわかった。
「にい……さん……?」
「おっと、今お目覚めか?」
「すまない、寝落ちてしまって」
「気にすんなよ。疲れてんだろ。おやすみ」
俺の頭を撫でて立ち去ろうとする兄さんの服の裾をとっさに掴む。
「けど、約束……」
約束というのは、週末の夜はセックスをするという俺たちの間での取り決めだ。激務に流されて他のことが疎かになりがちな俺のために決められた、大切なコミュニケーションのための取り決め。
「寝落ちるくらい疲れてんなら今はたっぷりおやすんどけって」
頭をゆっくり撫でながら兄さんは言う。
「そういう、わけ、には……」
抗議はするけども、あたたかい手のひらの温度に誘われてまたとろとろと眠気が襲う。
「好きなひとのこと大事にしたいって思う俺の気持ちも汲んでくれよ。俺のことは明日構ってくれればいいから」
額と瞼と頬と唇にちゅっちゅっとキスを落とされる。なだめるような触れ合いにまんまと乗せられてしまい、俺はすっかり眠りの淵から底へつきおとされてしまった。



翌朝。
俺は兄の用意した朝食をとってから、テーブルに両肘を立てて指を組み、はああ、とため息に近い深い息をつきながら手に額をつけて俯いた。
疲れているわけではない。昨晩の兄さんの気づかいとたっぷりとれた睡眠時間のおかげで、すっきりさわやかな目覚めだ。ためいきをつく理由はほかにあった。
「兄さんがスパダリすぎてつらい」
人をだめにするソファなるものが一時期流行ったと聞いたことがあるが、その言い回しを借りるなら兄さんは『ひとをダメにする恋人』だ。際限なく甘やかされて抜け出せそうにない。
顔を起こしながら視線を向けた先には、その当人がいる。犬たちの朝の散歩のときに花屋で買ってきた花の茎を整えながら花瓶に生けていた。
背を向けていたはずなのに、俺の独り言が聞こえたのか兄さんは振り向いて首を傾げる。
「スパ……?」
独り言が聞かれてたことが俄かに恥ずかしくなり、慌てて言いつくろおうして、しかしその前に兄さんの方がはっと気づいたような顔をした。
「スパ……あ、もしかして温泉いきてえの?ハンガリーにオススメんとこ聞いて予約しとこうか?」
「そのスパでは……いや、頼む」
「次の週末でいいよな?じゃ、それまでは俺様のマッサージでお疲れの弟を揉みほぐしてやるぜ!」
「ダンケ」
そう言って俺の肩を兄さんがもみほぐす。睡眠はとれたからさほど凝ってもいないけど、あたたかい手のひらが触れるだけでじんわりと気持ちいい。力の抜けた体を、首、肩、背中とほぐしていった手はさりげなく胸へ延び、片方の手は腹へ、そして下腹部に延びた。
そして兄さんの口元は俺の耳に寄せらせる。
「昨夜の分、今したい。いいか?」
低く小さい声で問う声は、けどもしっかりと耳と頭に届いた。瞬間、煽られた興奮でばくばくと心拍が上がる。荒くなりそうな呼吸はごくりと息を呑みこむことで抑えた。二つ返事でJaを返しそうになる本能を理性でたたき伏せて、ひとつ深呼吸したあと、言う。
「ね、寝汗をかいてるから、シャワーしたあと、なら」
ゆっくりと言ったその言葉に満足したのか、「わかった」と言って身体ごと離れる。
急激に上がった体温を深呼吸でほんのすこしだけ冷まして、立ち上がる。
散々甘やかされた分、俺は何をしたら報いることができるだろうかと、風呂場に行きながらふと考えた。きっと、「ヴェストが隣で幸せそうにしてんのが俺の幸せなんだぜ!」とでも言うのだろうけど。






スパダリ兄さんが見たい!!って言ったら「書いて!」って言われたので書いたらやたらめったら長くなった件
どいちゅさんはやたらめったら甘やかされてほしい。