ヘタリア 普独





チチッ、と雀の声が聞こえてプロイセンは目が覚める。うっすらと目を開けば、カーテン越しに見える太陽光が目を刺して眩しい。
ぼんやりとしているうちにその眩しさに違和感を覚え、がばりと起き上がり慌てて時計を見る。すると平日だというのに起きる予定の時間より一時間以上も過ぎていて、寝る前に確かにセットしたアラームのスイッチはオフになっていた。もちろん、鳴った覚えも止めた覚えもない。
基本的に朝食の用意はプロイセンの役目だ。プロイセンが寝坊したからといって弟が朝食を抜くなんてことはないけども、それでもせめて決められた役目くらいは果たすというのが隠居生活しているプロイセンの責任であり矜持だった。
つまり、ひどい寝坊をした事実に青ざめながら、ひゃあ、と声にならない声を上げて慌ててベッドから飛び出すのだった。

「悪いヴェスト! 寝坊ちしまっ――あれ、今日平日だよな? 仕事は?」
いつもならドイツはもうスーツに着替えて出勤準備を終えているくらいの時間だ。だというのに今はルームウェアではないにしろ、パーカーにスウェットという散歩にでもでかけてきたかのような恰好で、ゆっくりとコーヒーを淹れ朝食の準備をしているところだった。
「モルゲン、兄さん。今日は急に休みをもらってしまったんだ」
「休み?」
「少し前休日出勤しただろう? それの振り替えを処理せず忘れたまま月末近くになってしまって。来月以降になると処理も面倒だし仕事もまた立て込んでくるから、急だけど暇なうちに振休とっておけと言われてな」
なるほど、と呟きながらプロイセンはテーブルを見る。そこに並んだパンは買い置いてあったものではなく、近くのパン屋の人気商品、プロイセンがその店で一番好きな種類のパンだった。
「もしかして、俺様の目覚ましを切ったのってお前?」
問えば、ドイツは少し自慢げに笑う。
「ああ。いつも兄さんにばかり任せているから、こういうときぐらい俺がやっておこうと思って。眠っている兄さんを上手く出し抜けてよかった」
降ってわいたような休日なのだから存分に二度寝でも決め込んでしまえばいいのに、この可愛い弟はその朝の時間を、兄の目覚ましを止めて兄のお気に入りのパンを買いに行き兄の担当の家事をこっそり請け負うことに費やしたのだ。これを可愛いと言わずになんと言おう!
「もー! ヴェストってば俺様のこと大好きかよ!」
言葉選びが下手くそになった自覚がありつつそう言えば、常より上機嫌なドイツは照れ隠しもせず笑って肯定した。
「そうだぞ。知らなかったのか?」
「知ってるに決まってんだろ!」
「そうか、ならよかった。ではそろそろ食べようか」
そんな風にして、平日でありながら休日でもある二人の一日は幸せに始まった。


いつもより少し遅めの朝食の後は、いつもならどちらかだけで行っている犬の散歩に二人ででかけた。夏とはいえ気温の上がりきらない午前中の空気はからっとしていて気分がいい。気分の赴くままにいつもの散歩コースから外れて、食材の買い出しに寄ったりレンタルショップで見たい映画を借りたりもした。
「あなたはまたシュナース作品か……」
「このチープなユルさ大好きなんだよなあ! そういうお前はなんでフランス映画だよ」
「最近フランスが会うたびにこれを勧めてくるからいい加減乗ってやるべきかと思ってな」
「無視すればいいだろ、そんなの」
「『俺のとこの美しい作品でも見て野暮ったいセンス磨きなよ』って繰り返すんだぞ? 言われっぱなしは腹立たしいじゃないか」
似てないようでよく似てると言われることの多い兄弟は、映画の趣味はあんまり合わない。だがそれを不満だとも思わないし趣味を押しつけることもない。なんでも一緒なのはつまらないからだ。
「あ、今日の昼飯この店にしようぜ」
「丁度俺もそう言おうと思ってたところだ」
大事なところは『好き』を共有できているからそれでいい。


ペット同伴可のその店で昼食を摂ったあとは、ドイツは作りたかったクーヘンに挑戦すると言ってキッチンに籠り、プロイセンは暇を持て余した。最初こそドイツの背中に文字通りへばりついて作業工程を見学していたのだが、暑っ苦しいし火を使うから危ないと言って引きはがされた。
日頃から綺麗にしてる家で特別することもなく、せっかくドイツが家にいるのに自室にこもってゲームするなんてもったいない。かといって、リビングで借りた映画を見る気にもならない。この些細な非日常に妙にそわそわしてしまって、悪い意味ではなく落ち着かないからだ。
そわそわうろうろする兄の姿にあきれたように笑いながら、ドイツは庭で犬たちと水遊びでもするように提案し、プロイセンはその通り従った。犬たちにもその浮足立った気持ちが伝播したのか、水遊びは大層盛り上がって、びちゃびちゃになった身体を乾かすべく上がりきったテンションのまま一人と三匹は近くのドッグランへ走っていった。
「あれっ俺様なんでこんなとこいるんだ?ヴェストが家にいるのに!」とはっとしたのは二時間後、走りまわって気持ちよく疲れた頃、愛する弟から『兄さん、どこにいるんだ?』というメールを受け取ったときだった。



いつのまにかとろとろと眠っていた。
明るいうちからホラーを見る気になれないというドイツの意見で、一緒に見る映画は朝借りたフランス映画にしたのだが、プロイセンからみるとそれはどうにも退屈だった。映像や音楽が美しいというのは分かるが、愛だの哲学だのと言われてもよくわからないし興味を惹かれない。アメリカ映画のように画面がひっきりなしに動く映画の方がよほど面白いと思う。
ドイツも同じように思っていたのか不可解そうな顔で画面を見つめていたのだけが唯一面白くて、冗長な映画は疲れた体をたやすく睡魔の手に引き渡した。

スタッフロールが流れているのだろう、エンディングと思われる曲が流れているのが聞こえる。瞼の向こうが明るいのに重くて開かない。寄りかかった弟の肩が、固いのに心地よくてもうしばらくこうしていたいなとぼんやり思った。
「兄さん? 映画終わったぞ」
プロイセンを起こしたいのか起こしたくないのか、静かな声でドイツが言う。もう少しこうしてまどろんでいたくて黙ったままでいると、ふふっと息だけで笑う声が聞こえた。
「はしゃいで疲れてうたたねするなんて、こどもみたいだ」
兄の子供の頃を伝聞でしか知らない弟がそう呟く。いいじゃねえか、と口答えしたい唇は眠気で重く動かない。
しばらくその体勢のまままどろんでいると、ず、と寄りかかった肩が動くのが分かった。体重のかかった身体は手で支えられゆっくりとソファに横たえられる。肩から背中にかけてふわりと被せられたそれはブランケットだろう。そして、大きなあたたかい手のひらがそっと頭に触れて髪をすくようにひとつ撫で、触れた時と同じようにそっと離れた。
その手のひらの熱が名残惜しいな、と思うと同時に、昔うたたねしている弟にこうやってブランケットをかけて頭をなでてやっていたのをぼんやりと思いだした。



「なんかもったいないことした気分だぜ!」
夕食の後に供されたレモンのクーヘンを食べながらプロイセンは唇を尖らせる。
「何がだ?」
「折角平日にヴェストがいるのによ、ドッグランいっちまったり寝ちまったりして、結局一緒にいちゃいちゃできたの午前中だけじゃねえか」
「どっちも兄さんの方がしたことだろうに」
「だからもったいねえなあって!」
思うに、朝っぱらから可愛い弟が可愛い兄孝行をしてみせたせいでずっと浮足立っていた。つまりこの些細な後悔の一端は彼にあるのだとちょっと思っていた。とんだ責任転嫁だけども。
もやもやとわだかまる気持ちと共にフォークを咥えたままぴこぴこと揺らして見せれば、それをドイツは行儀が悪いととがめながら苦笑する。
「別に今日できなくても、休日は今日だけじゃないんだから兄さんのしたいことはいつでもできるだろう」
いつでも、の言葉に少しだけ驚いたような気分で、動いていたフォークが止まる。
「いつでも」
「ああ、いつでも。今週末でも来月でも来年でも。――兄さん、今回のクーヘンはどうだ」
「ん。美味いぜ」
「そうか、良かった」
夏だからさっぱりしたものをと思って今朝買ったレモンを使ったんだ、とか、上層のゼリーは冷却時間がかかるからこぶりにした、とか初めて作ったクーヘンの苦労やこだわりをドイツは喋る。それを半ば聞き流しながらプロイセンはもうひとくちクーヘンを口に運んだ。クリームの甘く重い食感をレモンのさわやかさが打ち消してさっぱりと甘いくちどけが口に広がり、喉を通る。甘すぎるものはそう好きではないプロイセンの口にとても合っている。弟と共に過ごした休日を思えば猶更美味く感じた。
「あー……俺様幸せすぎるぜ」
満足げな息を漏らすようにそう言えば、クーヘンの味についての感想がそうだと聞こえたドイツは笑いながらダンケと言った。
「そんなに気に入ったならまた今度作ろう」
「楽しみにしてるぜ! なあ、来年も再来年も夏の初めにこれ作ってくれよ」
「ふふ、そんなに気に入ったのか? わかった、良いレモンが手に入ったらな」
弟の笑顔につられるようにプロイセンも笑う。
この味を口にするたび、今日という日を思い出すだろう。目覚めてすぐに香る焼きたてのパンの匂い、夏の街に吹く風、浴びた水しぶきの冷たさと眩しいくらいに緑に広がる芝生、まどろみながら聞く美しい音楽、やわらかなブランケットの感触。そういったものを。
思い返す約束を結べること、甘い感情の蜜が胸の内をじわじわと満たしていくこと、その幸福感が上手く言葉にならなくて、もう一度プロイセンは「幸せすぎる」とこぼすように口にした。






フォロワさまのお誕生日によせて、「幸せすぎる」と弟に伝える兄さんというお題で書かせていただきました。
これでもかというほど幸せなシチュをぎゅっぎゅとつめこみました。兄弟二人幸せになれ……!!