ヘタリア 普独
※ 時系列は90年代前半のどこか
※ 史実に触れてますがwiki斜め読みレベルの知識なのでふんわり流してくれると幸い





その気持ちはきっと吊り橋効果だ。
そう言われたら、ドイツは「明確に否定はできないが違うと思う」と答えるし、プロイセンは「ふざけんなバーカ! 俺様とヴェストの絆なめんな!」と答えるだろう。
スタンスは違えども二人ともが、自分の中に芽生えた恋を否定はしない。
本国とは気候の違いすぎる戦地で身を寄せ合って眠ったことや、任地は離れても出来る限り密に連絡をしたこと、苦しい戦況を乗り越えるために夜通し話し合ったこと。二人の間にかわされたそういった触れ合いが、元々あった兄弟間の親愛をゆっくりとじわりと変質させていったことに気付いていたからだ。
そして自分の抱えるそんな淡い恋のような気持ちは、相手も抱いているものだろう、と二人ともが思っていた。だからこそ、この非常時が終わればいつかきっと、という気持ちが長引く苦境の支えになっていた。

しかし、その『いつか』は来なかった。
長引いた苦境の果ての降伏。慌ただしい戦後処理。そして分断。敗者の末路なんて散々なのは承知していたが、まさか愛するひとと離れ離れになった上に、反目しあわなければならなくなるなんて思ってもみなかった。
いつどうなるとも知れない身でで、想いを告げることなんてとてもとてもできない。告げることで相手の重荷になってしまうのが怖かったからだ。お互いが抱えているものをうっすらと察しながら、しかしそれをはっきりさせることはできないまま二人は離れ離れになった。
そして復興や賠償で忙殺される日々の中、ふと空を見上げては同じ空の下で密かに想うひとが元気にしていることを祈り、稀に会議で顔を合わすことはあっても会話は禁じられていることが一層もどかしく、ただただ恋心を募らせていた。
そんな四十年だった。長く生きる彼らにしてみたらたったそれだけとも言えるはずの、しかし二人にとっては長く辛い四十年だった。

誤報による突然の壁崩壊。冷戦の終焉。慌ただしい再統一。
あまりに急ではあったが、手を取り合って「早速一緒に暮らそうか」と言えることは彼らにとって幸福以外の何物でもなかった。

なのに、二人の心の平穏はまだ取り戻せていない。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

再統一からこちら、ドイツはずっと体調を崩したままだ。そしてそれは東ドイツが西ドイツに併合され経済状態が悪化したからだということを、東ドイツたるプロイセンは重々承知していた。こうなることは予想できないわけではなかった。それでも、どうにかして弟とひとつになりたかった。
加えてこの混乱をまとめるのもドイツがやらなければならない。プロイセンが代理をするわけにはいかないことが山ほどあって、もどかしい思いをするばかりだった。

「ヴェスト、身体の具合どうだ? 食欲あるか?」
臥せるドイツの汗を拭いながらプロイセンは問う。平日に仕事に忙殺されている疲労がどっと来るのか、この数か月ドイツは週末にはベッドに寝た切りになる生活だ。養生しても治るわけではないし、平日になれば動かなければならない。けども自分のせいでこうなっているのだからと、プロイセンはせっせと看病せずにはいられなかった。
「にい、さん……」
「おう、なんだ」
「……、……」
何か言いたいのかと耳を澄ませたが、ドイツの次の言葉はカサカサに掠れ吐息ばかりになって言葉として耳に届かなかった。
「え、なんだって?」
問い返せば、ドイツは一瞬だけ何かをあきらめたような顔をして、微笑んでからゆっくりと首を振った。今は何もいらないという意思表示なのだろう。しかしなにかせずにはいられないプロイセンはうろうろと視線を彷徨わせてから、サイドテーブルの上の水差しが空になってるのを見つけった。
「水だけ用意しとくな。なんか用あったらベルで呼べよ」
そう言ってドイツの額をそっと撫でてから水差しをもって部屋を出ようとした瞬間、ひどくうるさい音を立てて扉が開いた。
「Hello! ドイツ! 君がずっと寝込んでるって聞いたから俺がお見舞いに来たんだぞ!!」
聞き覚えのある声と言動は、姿を見ずとも誰だかわかる。アメリカだ。こんな横暴な真似をする奴をプロイセンは他に知らない。
両手いっぱいにバーガーを抱えたアメリカは、ドイツのベッドに駆け寄りそのバーガーのひとつをドイツの額に載せた。
「何やってんだよお前」
思わず突っ込むと、はじめてその存在に気づいたとでもいうようにアメリカはプロイセンの方を見、わずかに眉根を寄せた。
「なんだ、君、いたのかい」
「いちゃ悪いかよ」
「別に。――なあドイツ、ハンバーガーは君んとこのひとが俺の家で開発したデリシャスでアメイジングなフードだ! 俺はこれを食べればいつだって元気百倍なんだ、君だってそうなることを信じてるよ」
大音量でそう言うアメリカに、もっと声量を落とせと嗜めながらドイツは額のハンバーガーをサイドテーブルに置き、一言ダンケと言った。
その表情にプロイセンはどきりとする。今まで見たことがない表情だと思った。安心感と信頼と許容と混ぜ込んだような柔らかな笑み。ドイツが産まれてから別離に至るまでずっと過ごしてきたプロイセンですら見たことのない表情だった。
それに暫し硬直していると、アメリカが険しい顔でぐいっとこちらを向いた。
「なんだよ」
「ここでは言わないよ。――ドイツ、たくさんあるからこれを食べて元気を出してくれよ。元気になったらまた一緒に遊ぼう!」
そう言ってアメリカは声の音圧とは裏腹なそっとした手つきでドイツの額をひとつ撫で、プロイセンを手招きしながら部屋の外に出た。

「実はね、俺は君にはこの家を出てって欲しいと思っているんだ」
険しい顔で言うアメリカの発言に、プロイセンは面食らう。
「はぁ!? なんでだよ! 俺とヴェストが一緒に暮らすのは悲願だったの、お前だって知ってるだろ!」
「ああ、知ってるさ。でもね、彼が君と一つになることでここまでひどく体調を崩すことになるなんて、俺だって予想外だった。まあ、色々と急だったしね」
いつかの教え子は師匠を越え、威圧する目つきでじっと睨む。
「彼は俺の大事な友人だ。その友人の辛い姿なんて見たくないんだよ。そしてその原因が傍にいるなら、引き離したいと思うのは自然だろう」
「……引き離してどうすんだよ」
「さあ? 俺はドイツに用があるのだし、ドイツに害をなすものは遠ざけたいと思っているだけさ」
明確に『害』と言われプロイセンは言葉に詰まる。しかし否定などできなかった。
じっと睨み合い、先に目を逸らしたのは若く青い瞳の方だった。
「まあ、ドイツがそう望まないなら俺が干渉できることなんてないけどね」
プロイセンに発言権などないと遠回しに言いながら、ひとつ溜息をついてアメリカは家を出て行った。

プロイセンはソファに寝転がりながらプロイセンはぐるぐると考える。
自分がいない四十年の間、ドイツの支えになったのは他でもないアメリカなのは知っている。けども、その彼に対して、諸邦の奴らや自分に対してまで見せないような、ほっとした顔を見せるなんて。
喉の奥のもやもやとした気持ちを押し出すようにプロイセンは息を吐く。
『大事な友人』その言葉が頭でリフレインする。友人という言葉の裏に何かあるのだろう。誰にも見せたことのない顔を見せる相手がいること、自分にすらぎこちない顔を見せること。そしてアメリカのあの発言。それらが頭の中でぐるぐると渦巻いて最悪の結論を導き出す。
プロイセンが誰よりも愛しく想う弟は、かの四十年の間にかの超大国の傍に居場所をみつけたのだろう。敵同士であった兄を想うのに疲れて、味方である彼に想いをよせたのだろう。もしかしたら、分断前に両想いだったというのは自分の願望が見せた勘違いだったのかもしれない。
そう考えるに十分な状況証拠はあり、それを否定する要素はどこにもなくて、プロイセンは嫉妬の情で煮えたぎる心の熱をため息で逃がすほかなかった。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

たっぷりと眠って少しは体調が回復したドイツが階下に降りると、話し声が聞こえた。プロイセンの他の声は聞こえないから電話なのだろう。足音でうるさくしてはいけないだろうとできるだけ気配を消して部屋に入る。
「またかよ。俺様も体調あんま良くねえんだけど?――ハイハイ、お前はそういうやつだよなあ、よぉく知ってるぜ……ったく……。仕事はどーすんだよ。――あっそ。ん、分かった。明日の夜な。店の予約取れたらまた連絡する」
そう言ってプロイセンは受話器を置いてから、視線を部屋に戻し「うおあ!」と短い奇声をあげた。
「なんだ、ヴェスト起きてたのかよ」
「ああ。少し楽になったし、明日からまた仕事だからな」
「あんま無理すんなよ。原因の俺が言うなって話だけどよ」
「受け入れるという判断をしたのは俺だ、気にしないでくれ。それより、その……」
今の電話のことを訊いていいのだろうかと迷い、ドイツは口ごもる。四十年前の自宅に電話はなかったから、こうやって兄が見えない誰かとプライベートな話をしていることなんてなかった。個人的な手紙を盗み見てしまったような気まずさがあるし、二人きりの家なのに『誰か』の気配を持ち込まれるのが嫌だという気持ちも抱いていた。もちろんドイツだって電話はするのだから、本当に勝手で一方的な我儘なのだけど。
黙ったままドイツがちらりと電話の方を気にしたのを見、プロイセンは彼の言わんとすることをうっすらと察した。
「俺がよく電話してるの気になるか」
問いに、黙したままひとつ首肯する。
「色々急だったから東側の奴らがなにかと訊いてくんだよ。俺様が真っ先に一抜けたみたいな感じだったからなー」
「……今のはそういう感じではなかったように聞こえたが」
「ああ、あれはベラルーシから。ベラルーシ知ってたっけ、ロシアの妹」
「名前と、遠目に見たことなら。髪が長くて険しい顔をしている方、で合ってるか」
簡潔かつ的確な表現にプロイセンはケセセと愉快げに笑った。
「険しい顔ってお前に言われちゃ世話ねえな! ま、悪い奴じゃねえよ、顔こえーけど。自然に笑えばカワイイんだけどなあ、ヘンなとこ残念な奴だぜ」
そう言って少し困ったように笑う兄の、その顔その声音にどきりとする。大事なひとを考えながら、そのひとのダメなところも許容する、そんな声音だと思った。ドイツが生真面目すぎて失敗をしたときに笑いながらよく言われた「しょうがねえなあ」という呆れと愛情がこめられた言葉と同じいろをしている、と直感的に思った。
「で、俺が東<あっち>にいるとき案外俺たち似たもん同士だなーってよく話してたんだよ。相談とか愚痴聞きとか。――あ、そうだ、明日あいつとメシ行ってくるから、悪いけどヴェストも適当に外で済ませてくれ」
「……分かった」
動揺が声音に出てしまった、とドイツはすぐに悟った。嫌な想像が頭の中を駆け巡って何の否定要素もない確信となる。信じていたものに裏切られたような、立っていた地面が急に消えてしまったような巨大な不安感が足元をぐらつかせた。
倒れる、と思った瞬間、昔よりはいくらか細くなった腕がドイツの身体をとっさに支えた。
「うおっ、と……あっぶねえ! ……! ヴェストお前顔真っ青じゃねえか! 何が楽になっただよ全然マシになってねえじゃねえか!」
「いや、これは……、あ、ああ、そう、だな。まだ具合が悪いみたいだ。もう少し、寝てくる」
「おう、そうしろそうしろ! 部屋になんか消化にいいもん持ってこうか?」
「いや、食欲がないからいい」
「そっか。まあ食って治るもんじゃねえしな……しっかりおやすめよ」

心配するプロイセンの声を背に受けながらドイツはふらふらとベッドに戻り、ベッドサイドに置いていた濡れタオルを額ではなく瞼の上に乗せた。目元はひやりと冷たいのに、目頭がじわじわと熱くなる。
『似たもん同士』『あいつとメシ行ってくるから』『笑えばかわいい』
さきほどの兄の言葉がぐわんぐわんとリフレインする。彼が彼女のどこに共通点を見出したのかは知らないが、気が合う男女が同じ場所にいて仲良くなれば、そこから恋愛に発展するのなんてなんの不思議でもない。ましてやプロイセンは異性愛者であるし、ドイツはそれを知っている。
なんで自分が兄にそういう意味で愛されているなんて思っていたのだろう。なんで期待してしまったのだろう。
「ばかだな、俺は」
潤んだ声音の呟きが、ひとりきりの部屋の空気にとける。タオルが吸いきれなかった涙が目尻からこぼれおち、じわりと耳を冷たく濡らした。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「なんだプロイセン元気そうじゃん!」
「元気も元気だぜ! いや経済とかはまあゴタゴタしてっけど、念願の再統一できたわけだしな。こんな幸せなことがあるかよ!」
「長い事別居してても筋金入りのブラコンは変わんないねえ。知ってたけど」
「ったりめえだろ!」
統一記念式典内の立食パーティ会場で、プロイセンはフランスと気安く話している。
特に祝うべき日の式典ということで近隣国や遠方の親しい国も参加していて、フランスもその一人だ。主役はどちらかと言えばドイツなのだけども、体調面のこともあっておとなしくしていて、代わりにプロイセンが挨拶の応対をしている。
元気そうだね、正直消えるかと思ってたよ、新しい生活はどう? だいたい皆そんなことを聞いてくる。それら全てにプロイセンは大げさなほどの幸せアピールをして、あの日以来燃え続けている嫉妬とそれによる苦しみを完璧に隠しきっていた。
「もう二度と、頼まれたってヴェストの傍から離れてなんてやんねー!」
何度も繰り返すその言葉に嘘はない。愛する弟に選ばれなかったとしても、四十年の離別の間に気持ちが変わってしまったのだとしても、それ以前に積み上げた関係性は自分こそが絶対で唯一だと確信しているからだ。それさえあれば十分だと自己暗示をかけようとすらしていた。


そんな笑顔の裏の葛藤を知る由もなく、ドイツは壁際の簡素な椅子に腰を下ろして深々と溜息をついた。
(兄さんは今、幸せなのか。そうか……)
ずっと会いたかったひとの隣にいながら、ドイツ自身は幸せかと問われて素直に肯定できそうにない。それどころか、遠い空を見上げていた四十年の離別のときや、それ以前の淡く想いを寄せ合っていた苦境のときの方がもしかしたら幸せだったかもしれない、なんて思ってしまうことにひどく嫌気がさした。

暫し目を閉じて心を落ち着けてから会場を見渡すと、ロシアが足音を忍ばせながらプロイセンの背後にゆっくりと近づくのが見えた。
プロイセンと歓談していたフランスが近づくロシアの姿を視認し、プロイセンからさりげなく離れた数拍後、ロシアが代わりに無言で密接。それに気づいたプロイセンは大声叫んで驚いた。
慌てて離れようとする彼の肩を、ロシアがしっかりと捕えながらにこにこと喋る。きっとロシアにとっては挨拶であり歓談なのだろうけど、プロイセンはひどく嫌そうな顔をして離れたがっている。ぐいっと顔をそらして何かを探したプロイセンは、会場外に目的の人物を見つけたらしい。大声で「ベラルーシ!」と呼んだ。
呼ばれた彼女は二人の姿を見、淡い金の髪をなびかせて驚くような速さで近づく。それに気づいたロシアは一気に悲壮な表情をして逃げるように去っていった。ロシアを追おうとするベラルーシの襟首をプロイセンがひっつかんで引き留める。険しい顔をさらに険しくする彼女に、プロイセンは笑いながら喋り、彼女はそれをひととおり聞いたあとプロイセンの向う脛を思い切り蹴った。

ドイツのいるところからは遠くて会話は聞こえないが、仲がよさそうだと思った。そして、お似合いだな、と思ってしまった。
黙っていれば格好いいよく笑う男性と、無駄口は叩かず笑えば美人な女性。惹かれ合うには十分なのだろう。
あの日散々泣いたはずなのに、またじわりと目が熱くなる。胸の内にどろどろとした鉛が溜まっていくようで、その重さが脚を地面に縫い付けた。
潤む息を深く吐いて、汗を拭うふりをしながら滲む涙をごまかすと、聞きなれた声が隣から聞こえた。
「ハロー、ドイツ。調子はどうだい」
「アメリカか……。調子はまあ、良くはない。が、もうすぐ山場も落ち着くだろうから、それまでの辛抱だな」
あたりさわりなくそう答えるが、復興に一番手を貸してくれた友人相手にそんな誤魔化しは通用しなかった。
「俺は政治や経済じゃなくて、君自身のことを訊いてるんだ、ドイツ。――だって君、分断期よりも辛そうな顔してる」

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

荷物を部屋に置いてくるのすら億劫で、ドイツは帰るなり服すら緩めずリビングのソファに崩れるようにどさりと座り込んだ。
やっと帰れた、やっと解放された、という気持ちが強い。式典が終わった後、プロイセンが運転する車での二人きりの帰路。二人が交わした言葉はふたつみっつのみで、あとは重苦しい沈黙が車内を満たしていた。
原因は主にプロイセンだ。会場では朗らかに笑っていたのに、車に乗り込むなり露骨に不機嫌を表すようになった。何を怒っているんだ、と訊いても、別に、と簡素な返事があるだけで、それ以上ドイツは訊けなかった。
ここ数カ月、兄はよく不機嫌に黙り込むようになった、と思う。何かあったのか訊いてもやはり「別に」としか返されなかった。原因はきっと自分なのだろう。彼自身だって決して体調はよくないのに、ドイツの方が重篤に寝込むせいで家事や看病を押し付ける形になっている。数日なら我慢できても、何カ月も続いて今後どれだけ続くのかも分からないようなら当然イライラするだろう。
兄達の期待と権威を託された弟なのだから責任だって一人で背負うべきだったのに、半分以上押し付ける形になってしまった上に、今だって大変な兄を支えきれずこんなに不甲斐ない。愛する人の特別で唯一になれなかった代わりにせめて嫌われないようにと思っていたのに、愛想をつかされる原因ばかりが次々と思い浮かんでまたじわりと目が熱くなる。長引く風邪のせいかどうにも涙腺が緩くて、そんなこともまた自己嫌悪に拍車をかけた。

ソファに沈み込みながら思考の迷宮に入ってしまったドイツに、先にシャワーを浴びていたプロイセンが声をかける。
「あがったぜ。ヴェストもシャワー浴びてこい」
シャワーで頭を冷やして頭を切り替えたのか単純にすっきりして機嫌が良くなったのか、表情は車内のときよりずいぶんと明るい。その顔を見上げて、ああやっぱり好きだなあ、とドイツは思う。そして、破れた恋を消化するのにはまだ時間がかかりそうだ、とも。
だからこそ、ずっと考えていたことを告げなければ。節目を迎えた今日だからこそ言うべきだ。自分のために、そして愛する人の幸せのために。
「兄さん、近いうちに俺はこの家を出て行こうと思う。――別居しよう」

痛いほどの沈黙が部屋に落ち、ドイツはたまらず目を逸らす。数呼吸の後、それを破ったのはプロイセンの方だった。
「俺の聞き違いか? 今なんつった、ヴェスト」
「別居しよう、と、言ったんだ」
「なんで……! 俺、今日『ヴェストと暮らせて幸せだ』って、『もう離れない』って、何度も言ったのお前だって聞いてただろ!? なんでお前がそんなこと……!」
ひどくショックを受けたプロイセンの表情に、ドイツの胸がじくりと痛む。けど、ここでケリをつけなければ。
「少し前から、兄さんがイライラしてるのは気づいてる。そうさせているのが俺だっていうことも。いくら昔仲が良かったって言っても、長く離れてから再会してすっかり元通りなんてきっと無理だったんだろう。なあ兄さん。俺はもう、俺のせいで兄さんの気分を害してることに、疲れてしまったんだ……」
「違ッ……! それは――」
「ベルリンは兄さんの心臓だった場所だから離れないほうがいい。でも俺はここじゃなくてもやっていける。だから――」
瞬間、ドイツの身体がガクンと持ち上がる。プロイセンがその胸倉をつかみ上げ、額が触れそうなほど間近で真っ赤な瞳をぎらつかせて睨みつけていた。
「ここを出て、お前はどこに行くんだ。アメリカの野郎のとこか」
静かな声音で、しかしひどく怒っていることは隠しもせず、プロイセンは問う。その態度にも発言にも理解が及ばずドイツは困惑するばかりだった。
「いや、仕事があるから国外に行くつもりはない。ボンに戻るか、ポツダムあたりに部屋をみつけるか、他の兄たちの家を間借りするかとか、なんとなく考えていただけだ。でも、そうだな……仕事と体調がおちついたらアメリカに旅行にいくのもいいかもしれないな」
胸倉を締め上げる拳が一層力を増す。けどもドイツはもうほとんど自棄で、シャツが破れたらどうしようということくらいしか考えられなかった。
「兄さんも、こんな不甲斐ない弟の看病ばかりしていて気が滅入るだろう。俺は出ていくから、家に友人でも恋人でも呼んで気晴らしするといい」
「そんな相手がいる前提で言うんじゃねえよ!」
「兄さん、その発言は彼女に対してあまりにも不誠実だ」
「は? 彼女? なんの話だ」
逆に問われ、ドイツは言いよどむ。自分の口からはっきり示してしまうのにはどうしても抵抗があった。
「……東<あっち>にいるときに親しくなって、今も二人きりで食事を……デートを、する女性が、いるだろう」
「なんだよそれ!? ――あ、もしかしてヴェスト、それベラルーシのこと言ってんのか」
それにドイツはひとつ首肯を返す。
「バッカお前! あいつはそんなんじゃねえよ! だいたいあいつが好きなのはロシアだって知っ……ああ、クソッ! そういうことか!」
ベラルーシがロシアを好きで結婚したがっているということはあまりにも有名だとプロイセンは思っていた。けどもそれは東側での話であって、西側にいたドイツが、顔と名前がなんとか一致する程度の認識である彼女に関してそこまで知っているはずがないのだ。そして女性と二人ででかけるということを隠しもしてなかった以上、そういう疑いをかけられるのも無理はないと、ようやく気が付いたのだった。
自分の過失に気づき、胸倉をつかみ上げていた手から力が抜ける。
「ヴェスト、違う。それは誤解だ。あいつと俺は、お前が思ってるような仲じゃねえよ。お互い、兄弟をこんなにも愛してるのにうまくいかねえなって愚痴りあったりアドバイスしたりたまに共同戦線張ったりしてただけだ」
「うそ……だろ……」
「嘘じゃねえ。なあヴェスト、俺が一番好きなのは今も昔もお前ひとりだけだ。お前がどんなに変わったって、誰かのものになってたって、それだけはずっと変わらない。お前を手放してまで得たい幸せなんか無えんだよ。だから、俺の手からお前を勝手に奪うな。お前の隣にいさせてくれ、頼む……」
そう言ってプロイセンはドイツを抱きしめ、ドイツは自分のものではない涙が頬を濡らすのを感じた。そしてあまりの急展開に暫し茫然とした後、緊張で強張っていた身体からずるりと力が抜け、眦からひとつぶ熱い涙がこぼれた。
「俺も……俺だって、今も昔も兄さんだけを愛してる」
「アメリカは違うのかよ」
「なんでだ? あいつとはお互い初めてできた年の近い友人でしかない。一番きついときに助けてもらったから恩義や親愛はあるが、それだけだ」
「そっ、か」
ゆっくりと吐き出すように漏れたその一言で、ドイツは兄の方もなにかを誤解していたのだと察した。けどもそれを口にすることはなかった。
愛するひとの体温を感じているだけのこの時間が何よりも幸福と安らぎに満ちていて、永遠に浸っていたいとすら思っていた。



Care killed a cat.(心配事は猫さえも死に追い遣る)と俗に言う。
その日以来ドイツの精神を削っていた最大の事柄が消え、体調は快方に向かい、一日中寝込んでいるようなことはなくなった。
密かに心配していた友人たちは、何かが収まるべきところに収まったのだと気づいたし、実際その通りだった。そしてこれまで以上にプロイセンからいかに今の自分が幸せかを聞かされるようになるのだった。






「分断前両片思いだったけど統一後お互いに恋人がいると勘違いする」というリクを受けて。
私のゆるふわ頭じゃひねり出せないネタなので、そういう切り口提案できるのってすげえなあって思います(こなみ)