ヘタリア ギルッツ・パラレル
※十二国記の世界観でパロディしつつ、原作にはない国『周』(国氏は秀)という舞台でお送りします





秀麒・ルートヴィッヒは自室の扉をぱたりと締めて深く深く息をつく。王と喧嘩してしまった今、仁重殿のこの部屋だけが自分の居場所のような気がしていた。世話係の女官は下がらせたから、ルートヴィッヒは広い寝室に一人だ。
牀台に腰かけ、格子窓から空を見上げる。鬱々とした気分とは裏腹に晴れた夜空の真ん中に月が煌々と照っていた。その月の反対側に、ルートヴィッヒからのびた影が薄く床に落ちた。
「兄さん」
深く落ち着いた低い声が、どこか頼りなげに広い部屋に響く。その声に応えてルートヴィッヒの乳母たる女怪・ギルベルトが、影からするりと姿を現した。
「……秀麒」
「名で呼んでくれ」
「ルートヴィッヒ……ルッツ」
ギルベルトだけが呼ぶ名で呼べば、ルートヴィッヒの疲れた顔にわずかに笑みがにじむ。
「こちらへ。すこし、話を聞いてくれないか」
「おう」
応えてギルベルトはゆっくりとルートヴィッヒに近寄り、四肢を折る。その馬の形をした背にルートヴィッヒは腰かけ、ヒトの形をした背に上体を預けてまたひとつ息をついた。かつてルートヴィッヒが蓬山にいた幼い頃、よくこうやって背に載せてあやしつけてやったのをギルベルトは思いだす。そして背中にかかる圧が今はずっしりと重いことに「大きく育ったなあ」とひっそり笑みを口に含んだ。


ルートヴィッヒという名はギルベルトがつけた。麒麟よりも身分の高い者は王しかいないため、胎果でない限り麒麟に名前をつけるなら王以外にはいないのが普通だが、この秀麒だけは蓬山にいる時点でギルベルトがルートヴィッヒと名づけていた。これは極めて異例のことだった。
ギルベルトはそもそもの生まれが、女怪としては非常に珍しい、ヒトの男の上体をもった女怪だった。短い銀の髪と紅玉の瞳と白い膚をもつ美しい容姿だったが、肩幅は女というにはあまりに広く筋肉質で、胸は貧乳と呼ぶよりも胸板といった方が正しい厚みだった。
人のかたちをした背には小ぶりながら蝙蝠の羽が生え、下半身は黒毛の雌馬。尾は尾長鳥に似て色は濃紺で、それは光の反射によって虹色に瞬く。
獣がよく混じる女怪は良いといい、麒麟に対する情が非常に深いともいい、ギルベルトもまたそれらを満たしていたがその異質さは蓬山に住む女仙たちを大いに困惑させた。
こんな女怪をもつ麒麟はどんなに異質だろうとも思わせたが、むしろ麒麟の方は麒麟らしすぎるくらいの麒麟だった。性格は仁で、おとなしく賢く真面目で責任感を強く持ち、そして見事に周の王を選んだ。
ギルベルトは相も変わらず異質で、仕える主たる麒麟に雑な口をきいたり名前をつけたり、あまつさえ麒麟に「兄」と呼ばせたりとめちゃくちゃなふるまいをしていたが、当の秀麒はそのふるまいを気にしないというだけでどこまでも真面目で仁な麒麟だった。
そんな秀麒・ルートヴィッヒが初めて味わうどうにもならない挫折。それが、選んだ王との折り合いであった。


最初はぽつぽつと、次第に滔々と、王への愚痴がルートヴィッヒの唇からこぼれ出る。すぐに政務から逃げ出すとか、気が付いたら女官を口説いてるとか、脱走しようとしてるところを捕まえて説教すると拗ねるだとか。
麒麟と王は一心同体だ。麒麟が死ねば王も死ぬ。だから麒麟たるルートヴィッヒの小言は自分の為であり王のためであるのだ。けども、それをいまいち実感してない王は拗ねてルートヴィッヒと喧嘩をした。
彼が話すすべてのやりとりをギルベルトはルートヴィッヒの影に潜みながら最初から聞いていたが、そんなことはおくびにも出さずルートヴィッヒの話を聞き続けた。それがこの真面目で抱え込みがちな愛する麒麟にとって必要なことだとわかっていたからだ。
「……俺は、選ぶ王を間違ってしまったのだろうか」
気弱な言葉がルートヴィッヒの唇が漏れ出る。その言葉をギルベルトは予測していない訳ではなかった。でも、そう思ってしまうだけの心的疲労があることに少しだけ驚いた。
「麒麟が王を選び間違えるなんてあるはずねえの、お前だって知ってるだろ。麒麟は天が決めた自分の王以外に額づけやしないんだから。それが他国の王であっても」
「ああ、知ってる。でも、主上は――フェリシアーノは王になんてなりたくなかったんだ。『お前が勝手に俺の家にやってきて勝手に誓約したんだ、俺は王になんてなりたくなかったし、だから昇山だってしなかったのに』 フェリシアーノはそう言った」
「ああ、言っていたな」
秀王・フェリシアーノはルートヴィッヒが市井に出て見つけた王だった。禁軍将軍であった祖父の財産を転がしながら絵描きをしていた裕福な青年だった。金があるなら護衛を雇って昇山しろと周りの人に言われていたところを、自分から王を探さねばと気が急いて国に下ったルートヴィッヒが割って入って誓約の言葉を述べた。今代の王と麒麟の出会いはそういうものであった。
「天が王に選んだ者はそうなる器があるから天が選んだと、俺はずっとそう聞いていたし信じていた。けど、王になんてなりたくなかったなんて言われたら、俺にはどうしようもない……フェリシアーノはずっと市井で絵描きをしながら、愛する女性をみつけて伴侶として、普通の人として生きていた方がよかったのかもしれないと、そう思ってしまうんだ」
ルートヴィッヒは頭をギルベルトの肩口に埋め、ぽろぽろと涙をこぼす。あたたかい雫がギルベルトの肩を濡らす。他の人の前で、フェリシアーノの前でさえも見せないその涙の温度にギルベルトは胸の内がじんわりとあつくなるのを感じた。
「大丈夫だ、ルッツ。お前が額づいて、あの子が『許す』と言った時点で天の采配は決まったんだ。それに外れてたらそんなことは起こりえない。知ってるだろ?」
「……」
「ただ、まあ、一介の絵描きだった男がいきなり死ぬまで国のために尽くす王になれだなんて普通はなかなか納得できないもんだ」
「そうなのか?」
「お前は生まれながらにしての宰輔だからピンとこないかもなあ」
「……」
「王と麒麟がぶつかるのはいいことだと思うぜ? 仁の獣たる麒麟の言うままになってたら収まる戦も収まらないし、かといって背いてばかりだったらあっという間に失道しちまう。だからこれはお前たちに課された使命なんだよ。これを乗り越えられたらきっとお前たちは良い世を築けるはずだ」
「そう、だろうか」
「ああ、信じていいぜ! フェリシアーノだって、本心ではルッツのせいなんて思ってないはずだぜ。ただ、急激に変わった暮らしになじめなくてイライラしてるだけだ」
「そうなのか?」
「多分な。だから、政務が溜まってたとしてもあんまりがみがみいうのは違うんじゃねえかな。今まで絵描きだったんだったら、絵を描く時間を作ってやるのもいいんじゃねえの? 元農民だったどこかの王は王宮の庭に畑作って安らぎの場所にしてるそうだぜ」
「そうか……参考になった、ありがとう兄さん」
「どうってことないぜ。――さ、安心したなら牀台に戻れ。そんでゆっくり眠って落ち着いた心で王に謝るんだ。そしたらきっと王もお前の気持ちをちゃんとおちついて聞いてくれるはずだぜ。麒麟の言葉は民意であり、王を想う言葉だって、頭では分かってるはずだからな」
「そうだといいんだが。……なあ兄さん、このまま寝てしまってもいいだろうか。一人だと不安に苛まされそうなんだ」
ギルベルトは一瞬瞠目し、そしてとろりと目元を潤ませて頷いた。
「ルッツがそうしたいなら」
そう言ってギルベルトが更に楽な姿勢に腰を落とせば、ルートヴィッヒは床に腰をつき、一瞬姿を融かしてから獣としての麒麟の姿に転変した。
しばらくして、すうすうと穏やかな寝息の音が聞こえる。獣の姿になったルートヴィッヒの鬣をギルベルトはそっと撫で、鬣と同じ色をした月を見上げてふと思う。
色にかまけて失道した王は過去に沢山いる。趣味にかまけて政務を疎かにした王もまた。ギルベルトは、ルートヴィッヒにそんな短命の王に仕える麒麟にはなってほしくないと思っていた。仕える麒麟が短命であることを願う女怪などいない。けども、ギルベルトはその重いが一層強かった。
ルートヴィッヒが選んだ王なのだからよほど短命ということはないだろうけど、もし色に耽るような男だったらどうしようと思わないでもなかった。王としての責務を果たさず突然手に入れた権力に溺れ、ルートヴィッヒを失道の病に陥れるような王だったら。
そのときはきっと、ギルベルト自身が王を弑してルートヴィッヒの命を延ばすか、それが叶わなくとも苦しむ時間を少しでも減らそうとするだろう。
麒麟を守るために王を弑するなんて過ぎた思いを抱くなんてただの女怪にはすぎた願いだと気づいてはいる。けど、ギルベルトは生まれた時からそうしても構わないと思うほどにルートヴィッヒに執着していた。
ルートヴィッヒが生きてさえいれば、王がどうなろうと世界がどうなろうとどうでもよかった。ギルベルトの世界はそうできていた。
その執着を異質というのならばギルベルトは確かに異質なのだろう。それを後悔も悔悟もしなかった。
ただ、王がどうであろうとルートヴィッヒが長く幸せに生きていられるようにとそればかりを願っていた。その過ぎた願いの根底にあるのがどんな想いなのか気づかないまま。




十二国記新刊決定ヒャッホウしてパロ妄想綴っておりましたら是非書いてほしいとリクいただいたのでもそもそ書いたやつ。
男体の女怪という愉快なシロモノは個人的に割と好きです