ヘタリア 普独
※ 三流芸能記者×弱小劇団役者の芸能パロ 悲恋気味





若き舞台役者・ルートヴィッヒは一人の男を探していた。自分の演劇にどうしても足りない重要なファクターを、彼こそが持っているのだと確信していた。
ともすれば人間離れしたとも思えるあの美貌。暗い観客席の中にいてなお目を惹く印象的な眼差し。一度すれ違っただけでわかる見事なスタイル。
彼を見かける度に、どこの劇団員だろうか、自分が知らないだけで国外では有名な俳優かモデルだろうかと思っていた。有名人だとしたら、なんで自分なんかが所属する小さな劇団の劇なんか見に来ているのだろう。そんなことを考えずにはいられなかった。
ただ、彼がどこの劇団員でも著名人でも構わない。うちの劇を度々見に来てくれるくらいならきっと協力してくれるだろうと、半ば確信をもって名も知れぬ彼を探していた。

「街中でも見かけたことがあるから、この辺りに住んでいると思ったんだが……」
監督にことわって皆が練習している時間にも街に『彼』を探しに出ていたルートヴィッヒは、三日連続で空ぶって深くため息を落とす。あれだけ目立つのだから探そうと思えばすぐに見つかると思っていたが、どうやら見込みが甘かったらしい。
しかし落ち込んでいても仕方がない。気を取り直してあと一度だけ駅前で探そう、とくるりと進行方向を変えた瞬間、ルートヴィッヒは後ろを歩いていた人とぶつかってしまった。その衝撃でカチャンと音がして道路にサングラスが落ちる。後ろの彼がかけていたものらしい。
「す、すまない!」
とっさにサングラスを拾い、目立った傷がついてないかと見てからぶつかった相手に手渡す。
「こっちこそ悪い、ちゃんと前見てなかった」
目深にキャップを被った彼がサングラスを受け取る。猫背で俯き加減だったキャップのツバがこちらを見るために一瞬上向き、彼の目がちらりと見える。その瞬間、ルートヴィッヒはついに探し物を見つけたことを確信した。
こんなに印象的な赤い瞳をもつ男がそう何人もいてたまるものか!
サングラスを掴んだ彼の腕を掴み返して、驚きのまま叫ぶ。
「ずっとあなたを探していたんだ!」
舞台稽古で鍛えた声量のせいで周りの人がぎょっと振り向くのには気づかなかった。



困惑する彼の腕をルートヴィッヒはぐいぐいと引っ張って稽古場に連れて行き、監督に合わせた。
「監督! この人なら十分に条件を満たしているだろう!」
どこか上機嫌なルートヴィッヒに驚きながら、監督は銀髪の彼をじっと見、ゆっくりと頷いた。
「ああ、確かに。彼以上にあの役をこなせる人物はいないだろうな。どこで見つけてきたんだ」
「たった今、駅前でだ」
そのまま話を進めそうな二人を遮って、銀髪の男はやや苛立ち気味に口を開いた。
「コイツに会ったのは確かにそうだけどよ、そもそも何の話だか俺様さっぱりわかんねえんだけど?」
「おい、ルートヴィッヒ……」
「す、すまない……すっかり舞い上がってしまって」
ルートヴィッヒが説明したのはこういうことだった。
この劇団で次にやる演目は、オムニバス形式の短編集のような演劇であること。その中のひとつの劇が、彫刻家と彼が命を賭してつくりあげた彫刻の話であること。当初はその彫刻は人形で代用するつもりだったが、脚本や演出の変更によりその彫刻を人間が演じる必要が出たこと。しかしそれを演じてくれるような人材がなかなか見つからなかったこと。
「何せ稀代の傑作という設定にしてしまったからね、並みの容姿の役者じゃ務まらないんだ。とはいえ美形の役者なんて予定の詰まったスターばかりだから、こんな弱小劇団の公演のためにわざわざ出てもらうこともできなくて」
そう言って監督は苦笑する。加えて彫刻家役であるルートヴィッヒが言う。
「長く公演する訳ではないから、もし予定をあけられるなら是非あなたに俺の相手役をしてほしいんだ」
彼らの舞台をよく見に来ていた一人のファンであった男は、困ったように頭をがりがりと掻く。
「はぁ、そういうことか……でも俺、芝居なんてやったことねえんだけど」
「え、嘘だろう!? てっきりどこかの役者かモデルかなんかだと……」
「嘘じゃねえよ。ギルベルト・バイルシュミットって名前、どっかで聞いたことねえかな。あちこちの三流週刊誌で芸能ゴシップばっか書いてるフリー記者。それが、俺」
まさかこんな華やかな容姿の男が「撮る」側だったことに、ルートヴィッヒは目を丸くするばかりだった。

結局他にあてもないならとギルベルトはそのオファーを承諾し、その劇の台本を受け取った。劇のほとんどがルートヴィッヒ主導で動き、時折エキストラとして他の劇団員が出る。ギルベルトの出番は、もとは人形で済ます役柄だっただけあって、動きもセリフもごく少ない。最後の最後、ルートヴィッヒ演じる彫刻家が今際の際に見た、完成した彫刻が命を宿し一言話しかけてそっと触れる、という幻影のワンシーンのみだった。
「本当にこれ、俺がやんの……?」
「難しくはないと思うが」
「でも一番重要なシーンだろ。素人がやっていいのかよ」
やや及び腰になるギルベルトに、ルートヴィッヒは淡く笑ってみせる。
「監督がこのシーンを人間に演らせると決めた時、この役をできるのはあなたしかいないと思っていたんだ」
その言葉にギルベルトは赤紫の瞳をくるりと丸くした。
「俺のこと、知ってたのか!?」
「名前も職業も知らなかったが、あなたのことは舞台の上から見ていたからな。度々観に来てくれているのにも気づいていた」
「マジかよ……」
半ば絶句といった様子で驚くギルベルトの白い頬に、淡く紅が散る。その表情に改めてルートヴィッヒは、やはり彼は美しいひとだなと再確認した。



公演も間近だということで、ほかの短編を演じる団員の練習にも熱が入る。ちょうど大きな仕事を終わらせたばかりのギルベルトは、関係者になったのをこれ幸いとできた暇のほとんどを稽古場で過ごすようになった。
壁際でぼうっと劇団員のやりとりを見ていると、衣装の最終チェックを終えたルートヴィッヒが近づいて話しかける。
「練習もないのによく来ているな」
「まあな。華やかな舞台の裏側ってやっぱ見てて楽しいし」
「そうか? あなたにとってはそんなに珍しいものでもないだろう」
もっと大きな劇場やドラマの芝居の裏側も見てきただろうに、という意味を込めて言うと、ギルベルトは一瞬ぎょっと驚いた顔をしてから、苦く笑った。
「いや……仕事柄、もっと汚い側面ばかり見てきたし探してきたからな、きらきらしてる役者たちを見るのは新鮮だ」
「あ……す、すまない」
「ケセセ、なんでお前が謝ンだよ! 褒められた商売じゃねえの知ってて選んだのは俺自身だぜ」
ギルベルトの仕事のことをルートヴィッヒはよく知らないが、流れ聞く噂や本人の口ぶりからすると、あまり良いものではないというのは察せられた。隠すべきものをあえて暴いてみたり、ほんの些細な瑕疵を重大な欠陥のように言い立ててみたり、話題作りのための炎上を作り出してみたり。つまらない真実よりも面白い嘘を歓迎する大衆の、下世話な心を満たすための記事を書いていると聞いた。
ギルベルトのいう「きらきらした」側にいるルートヴィッヒからしてみれば、あえてそんな仕事を選ぶ理由なんて想像もつかない。
「『褒められた商売じゃねえ』職業を選んだのには何かわけがあるのか?」
「んー、たいした理由じゃねえよ。めんどくせえ親へのあてつけみたいなもんだ」
「あてつけ?」
「うちの親、たいして継ぐもんもねえくせに家柄に固執するクッソつまんねえ奴でさ、品格がどうの格式がどうのってうるさかったんだよ。そんで、厳しく育てられた反発で十六になった時に家飛び出して、まじめに会社員やんのも癪だから根無し草やってたらこんなありさま」
「それはまた随分と……」
無鉄砲、刹那的、行き当たりばったり。そんな言葉ばかりが思い浮かんで、しかし口にするのもためらわれてルートヴィッヒはもごもごと言いあぐねる。その複雑そうな顔にギルベルトはけらけらと笑いながら、逆に問い返した。
「あんたの方こそ、なんで役者の道を選んだんだ? もっと堅実な道の方が合ってるように見えるぜ」
「ほう、例えば?」
「医者とか学者とか……職人とか?」
「最後のはこの格好を見て言っただろう」
衣装合わせで着ていた彫刻家の作業着の裾を引っ張ってルートヴィッヒはくすくす笑う。
「……そうだな、俺も最初は特に理由もなくそういった道を目指していた。きっかけは、友人に連れて行ってもらった『ロミオとジュリエット』だったな」
「また随分ベタな」
「いいだろう、別に。――今まで演劇に触れる機会もなく、テレビドラマにも興味はなかったのに、目の前の舞台でそれぞれの役を『生きる』彼らを見て、どうしようもなく惹かれたんだ。こんな自己表現があるんだ、と思い知らされた。そのときからだな、この道に魅入られたのは。――まあ、あなたのいう通り、ありきたりなきっかけだ」
苦笑気味にそう締めたルートヴィッヒに、ギルベルトは逆に真顔を返す。
「いいんじゃねえの、そういうの。好きなことを見つけて、それに邁進できるって幸せなことだろ。それに、ルートヴィッヒがこの道に来たから俺はあんたに出会えたんだし」
「えっ?」
「あ、いや、あー……」
思わず言ってしまった、という顔でギルベルトは俄かに慌てだして、しかしすぐに顔を取り繕ってニッと笑ってみせた。
「あんたのファンになれてよかったってこと」
「はは、さすが芸能の記者だ。役者の喜ばせ方をよく知ってる」
「本心で言ってるんだぜ?」
「そうか、ありがとう」
どこまでがお世辞なのかわからないギルベルトをあしらいながら、ふとルートヴィッヒは初めて演劇を見に行った日のことを改めて思い出していた。



子供のころからルートヴィッヒは「俺はここにいる」というのを誰かに伝えなければならないという、漠然とした焦燥感を抱いていた。その誰かはわからない。顔も名前も性別も知らないし、会ったことがあるのかもわからない。実在しているのかも。
そんな相手にどうやって伝えればいいのかなんてわからなくて、ありきたりな学生生活を送っていた。そんなとき出会ったのが『ロミオとジュリエット』でありその劇団の団員募集のポスターだった。観客席にいた自分を魅了した彼らのように、自分があの場に立てば『誰か』が見つけ出してくれるのではないかと思ったのだ。
冷静に考えればそんなもの、運命の人の迎えを信じる少女のような思考だ。それを、若いとはいえ成人男性が考えること自体がおかしいいう自覚はあった。だからこの夢見がちな思考のことは一度も口外していない。それに一度踏み出した演劇の道は想像していたよりも面白くて、一時はきっかけなんてどうでもいいとすら考えていた。

だから本当にその『運命の人』が現れたときは本当にびっくりした。
初めて名前付きの役をもらった公演の翌日。楽屋に戻ると受付から「ルートヴィッヒさん宛に花束が届いてますよ」と知らされた。ちいさな劇場での公演の、主役でもない俺個人にだって? そう驚きながら花束を受け取るとその中に手紙も入っていた。ルートヴィッヒ・シュルツ様へ。そうはっきり書いてある。
中身は、昨日の初公演を見たということ、劇はとても素晴らしく、特にルートヴィッヒに目を引かれ一瞬で好きになったことなどなど、これでもかというほどに褒めちぎる言葉がたくさん綴られていた。そして最後に、
「この劇場であなたにあえて本当によかった。これからも応援しています。 あなたのファンより」
そう締めくくられていた。
あなたにあえてよかった。少しだけ筆跡が乱れたようにみえるその一文をそっと指でなぞる。そんなの、ルートヴィッヒこそが言いたかった。
あなたにあえてよかった。見つけてくれてありがとう。俺がずっと探していたのはきっとあなただ。また会いに来てくれるんだな。嬉しい。本当にありがとう、『運命の人』。

それ以来初公演の翌日には必ずルートヴィッヒ宛てに花束と手紙が届くようになった。手紙は必ず手書きかつ匿名で、初日を観たと分かる感想が丁寧で紳士的な筆致でしたためられていた。ルートヴィッヒはそれらをすべて綺麗にとっておいて、心が疲れたときに読み返しては元気をもらうこともしばしばだった。
この匿名のファンの存在を知った仲間たちは、それが誰だか知りたくならないの?とよく訊いてきたが、ルートヴィッヒは首を振った。自分が彼(もしくは彼女)に対して密かに『運命の人』だなんて幻想をみてしまっているのと同じように、彼もまた舞台上のルートヴィッヒに幻想を見ているかもしれない。だったら二人を隔てるこの透明な幕を超えない方がお互いのためだ。正直に言ってしまえば、舞台を下りた等身大の自分を見て『運命の人』に失望されるのが怖かった。
だから彼の応援や期待には、舞台上で一生懸命に演じることで報いるのが一番だとルートヴィッヒは思っていた。
(次も彼は来てくれるだろうか。今回はギルベルトのおかげで、想定よりもっといい舞台になるはずだ。どんな感想をくれるだろうか、楽しみだ)
そんなことを思いながらそわそわとルートヴィッヒは初公演の日を迎えた。

けども彼の思惑とは裏腹に、その翌日、花束は届かなかった。
その更に翌日も、その翌日も、花束も手紙も届くことはなかった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


若き記者・ギルベルトは、ずっとルートヴィッヒを探していた。
あの日ルートヴィッヒの方がギルベルトを見つけるより前から、もっというなら記者になる前から、ずっと探していた。ルートヴィッヒを――半分だけ血の繋がった生き別れた弟を。

ギルベルトは、没落した貴族であるバイルシュミット家に生まれた。ろくに受け継ぐ財産もなく、あるのは二束三文の土地と、広いだけで古びた家屋のみ。それをとんでもなく大事なもののようにする祖母と、その言いなりになる父と、反発する母というギスギスした家庭だった。
生まれた時からそんな環境におかれたギルベルトの唯一の癒しは、5歳離れた弟・ルートヴィッヒの存在だった。母が働きに出ている間弟の相手をするのはギルベルトしかおらず、幼い彼はそれを苦とも思わなかった。弟がハイハイしたり歩いたりしたのをつぶさに見てきたし、初めて喋った言葉が「にーちゃ(兄さん)」なのを今でもギルベルトははっきり覚えている。そのとき胸に沸き上がった身体を満たし溢れるような歓喜も。
だから、ギルベルトは弟を溺愛した。こどもの身体でできる限りの愛をたった一人の弟に注いだ。親に愛されることはとうに諦めていたギルベルトの人生には、弟さえいればそれでよかった。

そんな歪な日々は、不仲だった両親がついに離婚したことによって唐突に終わりを迎えた。ギルベルトが8歳・ルートヴィッヒが3歳のときのことだ。
ギルベルトは父の血のつながった息子だったが、ルートヴィッヒはそうでなかったらしい。そういう理由で二人きりの兄弟は大人の都合で離れ離れになった。
ギルベルトはあらんかぎりの力で抵抗した。ルートヴィッヒと離れるなんて嫌だ。俺をあっちの家にやってくれ、できないならルートヴィッヒをこっちの家に入れてくれ。そう主張し続けた。
けども、家柄を気にする祖母は息子(ギルベルトの父)の血を継ぐギルベルトを手元に置きたがり、そうでないルートヴィッヒは要らないと断じ、父はそれに唯々諾々と従った。
当時齢8つの子供にそれ以上できることなどなく、最低限彼らの庇護の元で表面上おとなしくした後、ギルベルトはその古臭い家から飛び出したのだった。たったひとりの弟を探すために。
とはいえ、学もなく家柄も人脈も投げ捨てた少年にツテなどない。人脈の広そうな人に会える方向を目指してふらついていたら、いつのまにか三流芸能記者になっていた。日々の食い扶持をつなぐのに精いっぱいになっていたら、当初の目的など見失った結果だった。

だから、弟の手がかりを見つけたのは本当に偶然だった。
ある脚本家のもとに取材に行き、その机の上にあったポスターに目を留めなけば、今でもギルベルトは夢の世界で弟の幻影を見ながら茫洋とした日々を送っていただろう。
「そのポスターが気になるのかい? 私が昔書いた本の舞台化の告知だよ。小さな劇団だけどもね」
ポスターのデザインは目を惹くほどには特異なものではなかった。けども、出演者の項目の端にひとつ、ずっと探していた名前――ルートヴィッヒの名があった。ルートヴィッヒ・シュルツ。シュルツは母の旧姓だ。離婚のあと母が再婚していなければ弟は一字たがわずその名であるはずだ。
無言でじっと見つめるギルベルトを不審に思ったのか、脚本家はポスターを押し付けて問答無用で部屋から追い出した。
茫然としたままポスターを再び見る。場所はここからそれなりに遠い劇場で、初公演は明後日と書いてあった。

そこからのギルベルトの行動があまりにも迅速だった。同姓同名の別人であるという可能性を考えないでもなかったが、今時ルートヴィッヒなんて古風な名前の若い男がそう何人もいるか?と考え直して、躊躇わずさっさとその劇場近くまでの切符と直近の宿を手配して飛んで行った。
そしてその選択は微塵も間違いではなかった。
ギルベルトは職業柄今まで一流の舞台を何度だって見てきたけども、こんなにも感銘をうけた舞台はないと断言できる。名前とセリフをもらっただけの役でしかないルートヴィッヒにひたすらに目を惹かれた。
スポットライトを浴びてきらきら輝く髪に、若いのにそうと感じさせない威厳を感じさせる厚みのある身体。堂々とふるまう仕草。そしてなんといっても、見覚えのあるその面立ちに目を奪われる。古いアルバムにあった両家の家族の集合写真に写っていた母方の祖父とそっくりな彼は、間違いなくギルベルトの生き別れた弟に違いなかった。

奇跡でも見たかのようにぼうっとしながらギルベルトはホテルに戻り、頭の中でルートヴィッヒの一挙一動を再生し続けた。
内側から輝いているように見える姿、生き生きと動く仕草。今まで取材した超一流の俳優たちにすら心を動かさなかったギルベルトが、ただひとりルートヴィッヒにだけ大きく心を動かされた。そしてそれが恋であることに気づいた瞬間、熱っぽくぼうっとしていた頭が一気に冷えた。
(半分しか血がつながっていないとはいえ、弟に恋だって? 正気か? でもこんなに、ずっとたった一人のことしか考えられないなんて、こんなに心惹かれるなんて、これが恋でないならなんなんだ?)
ぐっと喉元が締まったような気分で細く深く息を吐き、ギルベルトは頭を抱える。ルートヴィッヒと話したいし触れたいという気持ちは勿論ある。けども自分の目指す道に身を置く未来ある若者に、下衆な虚構で飯を食ってきた自分が接触していいわけがない。
故に抱えた気持ちの昇華として、ギルベルトはルートヴィッヒの匿名のファンとして応援し続けることにしたのだった。


そんなことを思い返しながらギルベルトは舞台袖で出番を待っていた。
改めて、なんで自分はこんなところにいるんだ、などと思う。ルートヴィッヒと直接関わり合いになるつもりはなかったのに、向こうから接触を図ってきて、困っているんだ手を貸してくれなどと言われたら、是を返さずにはいられなかったのだ。弟を溺愛する兄として、彼という役者のファンとして、そして彼に惚れたひとりの男として。
(あいつの前で歪な想いを上手いこと隠し続けてきた俺も随分"役者"だな)
じっと目を瞑って、舞台に上がっているルートヴィッヒの声を聴く。
『まだだ、まだ足りない……彼はもっと幸せに笑んでいるはずなのだ……』
ルートヴィッヒが演じるのは孤独な彫刻家だ。妻が置き土産として遺していった息子を、いっとき憎んでしまったために息子と生き別れになった。その贖罪と哀惜と愛をこめて、病に身体を蝕まれながら一目見たことすらない息子をかたどった天使の彫像を一心に彫っている。
ルートヴィッヒは健康な若者であるのに、やつれた壮年の彫刻家の晩年の姿すら発声と仕草できっちりと演じてみせたのを、ギルベルトはリハーサルで観ている。何度も練習で見たのに、本番の今を観客席で見れないのを少し残念に思った。
「ギルベルト、そろそろ準備して」
裏方スタッフに声を掛けられ、軽く返事をして立ち上がる。たったひとこと喋るだけの役だけども、ルートヴィッヒに見いだされたからには期待に応えなければ。


目を瞑りじっと佇むギルベルトにカッとスポットライトが当たる。
悲しげな音楽と共に、上手からルートヴィッヒがよろよろと現れる。やつれた風なのにきちんと張った声で最後の場面を朗々と演じる。
『私の命の砂時計はもう残り僅か……最後の仕上げをしなければ』
よろよろとした足取りでギルベルト演じる彫像の前まで行き、その顔に触れる。SEにはやすりをかける音。ルートヴィッヒが頬に数秒触れるのが合図で、ギルベルトは無表情からほのかな笑みに表情をかたちづくる。
『ああ、やっとだ……やっと、笑ってくれた』
そのセリフの後ルートヴィッヒが倒れ、ギルベルトがその額に触れひとこと赦しの言葉を添える。台本ではそう書かれていたし、リハーサルでもそうだった。
けども、ギルベルトはそうしなかった。頬に触れるルートヴィッヒの掌の熱さに誘われ、ルートヴィッヒが倒れる前に目を開いてしまった。
予定にないその動作に、ルートヴィッヒはギルベルトを間近に見たまま驚きに目を瞠る。二人にだけスポットライトが当たって周りは暗闇に塗りつぶされた二人だけの世界が小さな円状にぽつんと落ちた。ギルベルトの視界いっぱいに澄んだ空色の瞳が映る。誘われるようにルートヴィッヒの頬に触れ、そして台本にはない、しかし心からの言葉がこぼれおちるように唇から漏れる。
『やっと、会えた』
服の内側に隠したマイクが小さなその一言を会場中に伝え、それを合図にスポットライトがバツンと消える。次の瞬間はっとしたルートヴィッヒはばたんと音を立てて倒れ、彫刻家の死をつたえる。
そしてゆっくりと幕が閉じた。


当然、監督からは予定にないギルベルトのアドリブを叱責された。
けども、
「あれはあれで良いアレンジだったよ。一方的に赦すのではなく、彫像から愛を返された表現はいい。あのときの君の表情も含めて、ね。けどあれをやるつもりだったなら事前に相談してほしかったな」
そう言って苦笑されもした。
「いや、あれは動くタイミング間違えちまって……咄嗟の判断だったんだ」
「そうなのかい? じゃあ明日以降は予定通りで頼むよ」
「ハイ」
内心冷や汗をかきつつも、持ち前の胆力でそれをみじんも顔に出さないまま話を終え、監督が去ったあとフウと大きく息をついた。
あのアドリブはミスに対する咄嗟の判断などでは決してない。ギルベルトの心からの気持ち、今までファンレターにすら書けずにいたルートヴィッヒへの想いがうっかりと零れ落ちただけだ。なんであの場で出してしまったのだと思いもするが、あれこそが時折噂に聞く「本番に潜む魔物」なのだろう。
あのまま、台本にないセリフのせいで照明係がライトを落とせずにいたら、自分は何をしていただろうと思いギルベルトはぞっとする。衆人環視でありありながら小さな円に囲われた二人だけの世界で、ひょっとすると口づけてしまっていたかもしれない。
ぶるりと身を震わせ、邪念をぶんぶんと振り払う。
ルートヴィッヒの懇願に負けてこんなにも近づくべきではなかったんだ。役者と観客を隔てる第四の壁の、あちら側へ行くべきではなかった。嘘と虚構の世界で生きてきたギルベルトにとって、舞台のスポットライトはあまりにもまぶしすぎた。
この公演が終わったら、国外にでも居を移すべきだろうとすら思った。この街でまた偶然にルートヴィッヒに会ったりしたら、今度こそ何をしでかすか自分でもわからなかった。ずっと探していた弟が今も元気に生きている、それだけ分かればよかっただろう。役者なら国外からでもいずれ情報をえられることもあるだろう。そう思うことにしてギルベルトはひっそりと新居を探す作業に移った。
ギルベルトがずっと演じてきた『運命の人』の手紙をルートヴィッヒが心待ちにしていることに気づかないまま。






「芸能パロ」というお題をいただいて、がらかめモチーフが思い浮かんだのでこんな感じになりました。結構難産だったなあと思いながら文字数カウント通した1万字近くいってて白目剥いた。