ヘタリア 普独 ある日。ドイツの家にオーストリアから連絡が来た。曰く、「今ベルリン駅にいるので迎えにきなさい」と。彼がこの家に来る予定などなかったのに、それがあまりにも当然というような高圧的な声音だったのでドイツは少しばかり困惑したが、オーストリアがそういう喋り方をすることも言い出したら引かないことも重々知っていたので迎えに行かざるを得なかった。 「今日はどうしたんだ、いきなり」 「ブレーメンで近々ピアノのリサイタルをすることになって打ち合わせに行っていたのですが、家に帰るつもりがいつのまにかベルリンにいたんです。まったく、この国の交通網はどうなっているのですか!」 「……まあ、真逆に行かなかっただけいくらかマシか。直角以下の差異などオーストリアにしては誤差みたいなものだ」 そんな会話をしながら歩き疲れたと言う大きな迷子を拾って家に帰ると、丁度犬の散歩から帰ってきたプロイセンと出くわした。そしてオーストリアの顔を見るなり「帰れ!!」と叫んだものだから、近所迷惑だと諫め、ばちばちと視線で火花を飛ばす二人を無理矢理家に押し込んだのだった。 正直に言ってオーストリアはプロイセンが嫌いだ。極力顔を合わせたくない。なのにプロイセンのいるドイツ邸に来た理由はと言えば、単純に疲れてどこかでコーヒーでも飲みたい、しかし無駄金は使いたくない、ならタダでコーヒーくらいはふるまってくれる元同居人の家に行けばいいだろうというものだった。丁度先方からもらった手土産もあったことだし。 しかし来たのは失敗だったかと早々に思い始めていた。コーヒーは美味しい。手土産のトルテもなかなかだ。プロイセンが威嚇してくるのも予想済みだ。けどもその威嚇がいつもと少し、いや、かなり違った。 ドイツの親権を争った仲だから「ヴェストは渡さねえぞ!」と言われるのはいつものことだが、今回はそれにプラスして、やたらとべたべたした接触を見せつけられている。 「今更ドイツを奪ったりなんかするものですか。そういう時代でもないでしょう」 そう言ってもプロイセンはドイツにぎゅうぎゅうとくっつくのをやめないし、ドイツは半ばあきらめたように兄を引きずって歩いてコーヒーのおかわりを淹れている。見ているだけで暑苦しい。 「ドイツもきちんと拒否しなさい。このお馬鹿さんは際限なく調子に乗りますよ」 「まあ、別に嫌という訳ではないからな。ここまでべったりなのはそうそうないが、にい……兄貴がスキンシップ過剰なのは昔からだし」 あなたにだけですけどね、という言葉はコーヒーとともに嚥下した。 そしてプロイセンは不気味なくらい静かで、ドイツを後ろからほとんど締め上げるように抱きしめながら、ずっとその襟足あたりにふごふごと顔を埋めているし、手はずっとドイツの手を触っている。静かにしていることで逆に何かをアピールしているのか、という発想に至った瞬間プロイセンと視線がばちんと合った。そして、真っ赤な舌をのぞかせ、ドイツのしろい首筋をぞろりと舐めた。 「ひゃあ!」というドイツの叫び声と「お下品です!!」と叫ぶオーストリアの声は同時で、その両方の反応にプロイセンはニヤリと笑った。 それからオーストリアはドイツ邸で怒りのままピアノを小一時間弾き鳴らしてから帰った。 そんなことがあった。 また別のある日。 日本でG20会議があるということでドイツは勿論現地に行く予定だったのだが、プロイセンも行くといって聞かず、犬たちは仲良くしている近所の家に預けて二人で向かうことになった。環境問題、特にプラスチックの海洋汚染についての話題がやっと注目されてきたということで、エコに関心のあるドイツとしては資料をまとめる人手が増えるのだから確かにありがたい申し出ではあったのだ。その分空いた時間に遊びに誘われるのは多少鬱陶しくはあったけども。 「仕事終わっただろぉー、遊ぼうぜー! こっちまで二人で来れることあんまねえしさぁ!!」 「兄さんうるさい! 遊びに来たんじゃないんだぞ。これから詳しい会議の資料の手配もしなきゃいけないし今後の打ち合わせだって――」 「それって別にどうしても今必要なのじゃねえだろ? 初っ端から根詰めてたら後半息切れしちまうぜ?」 弟の手をにぎにぎ掴んでぶんぶん振って遊びに行こうとねだる姿は子供のようにしか見えないが、プロイセンの言うことにも確かに一理あるのだ。けども。 「諸々の手配は後日に回すとしても、明日の準備と確認は今日やらなければいけない。だから兄さんひとりでいってきてくれ」 「ちぇっちぇっちぇー……しょーがねえなー! じゃあ近所で適当に暇つぶしてるから終わったら連絡しろよ」 「わかった。――日本!」 ちょうど話をしたかったホスト国の体が空いたのが視界に入り、ドイツは声をかけるが、二の句を告げる前にプロイセンにぐいと身体を引かれた。そして、頭まで抱えられて熱烈にキスをされた。勿論、唇に。ドイツが驚いて目を白黒させているうちにその柔らかさを十分堪能したプロイセンは、ぷはっと唇を離し満足げに笑う。 「じゃ、また後でな」 ひらりと手を振って足取り軽く去っていく兄に、ドイツはひとこと「兄さん!」と怒鳴りつけたが、あ、横からの視線に気づいてそれ以上追うこともできなかった。 「日本、こちらから呼び止めておいてすまない」 「いえ、大丈夫です。あの、えー……っと、ドイツさんとプロイセン君は、その、そういう仲で、いらっしゃる……?」 「そういう?」 彼がしばしばやる迂遠な表現は、[[rb:言語依存 > ローコンテクスト]]寄りの文化であり年若くもあるドイツには時々よくわからない。首を傾げていると、後ろからイタリアが声をかけた。 「おまえたち仲いいね、ってことだよ、ね?」 「ええ、まあ、そんなところです」 「そういうことか。確かに、奇跡的に仲が良いとよくいわれるな」 「お噂以上で少しびっくりしています」 困惑気味な苦笑に、ドイツははっとした。こちらで欧州のノリのボディランゲージをすると目立ったり煙たがられたりするのを思い出したからだ。 「すまない。もう少し言動を慎むように兄貴に言っておく」 「気遣わせてしまってすいません。えっと、それでご用事はなんでしょう」 「ああ、さっきの会議の詳細な資料が欲しくてだな。イタリアもか?」 「うん。あとドイツ、メモ取ってたんでしょ。見せてー!」 「まったく、また居眠りしていたのか! ……あとでコピーを渡そう」 「グラッツェ! ほんとドイツがいてくれてよかったよぉ」 「こういうときばっかり調子のいい……」 溜め息をつくドイツに、日本がくすくすと笑う。 「まあ、それがイタリア君ですから。あ、そういえば今晩お二人を食事にお誘いしようと思っていたのですけど」 「ほんと!? いくいくー! ドイツは?」 「俺は兄貴を待たせているから……せっかくの誘いだがすまない」 「いえいえ、急な話でしたから」 「本当に仲がいいねえ」 「仲良きことは美しきかな、です」 友人ふたりに微笑まし気にそう言われると、なんだかむずむずと照れくさくなってドイツは頬を赤くしてそっぽをむいた。 そんなことがあった。 更に別のある日。 ドイツの元にフランスから連絡が入った。 「お前のお兄ちゃん酔いつぶれて寝ちゃったから回収に来てよ」 またかと思いながら、やれやれと立ち上がる。プロイセンは機嫌がよくなると酒の進みが早くなるタイプだから、友人と飲みに行くと結構な確率で酔いつぶれるのだ。前回はほんの一か月前だっただろうか。 彼らがいる店の位置情報が送られてきたので、さっさと車を飛ばして迎えに行けばその場にはフランスだけじゃなくスペインもいた。予想の範囲内である。 「おー、お早い到着やなあ」 「今日は車だからな。兄貴は?」 「ほら、そこ。プロイセン、お迎えが来たで」 テーブル奥の長椅子に横になっているプロイセンを、向かいに座るスペインは足でつつきながら声をかけるが起きる様子はない。そこに、人数分の水を持ってきたフランスが戻ってきた。 「あっドイツ、お迎えごくろうさん」 「呼んだのはそっちだろう」 「そうだけどね。――いやあ、元々家族とはいえこんな図体ばっかりおっきな子供が恋人じゃ大変でしょ」 「ほんまにな! うるさいし手間かかるしうるさいしめっちゃうるさいし、普通だったら早々に愛想つかされとるで」 「愛想尽きたらお兄さんと火遊びしてみる? なんてね」 「冗談でもやめとき、フランス。プロイセンがキレてこっちに火の粉かかるの嫌やぁ」 「心配するのそっちかよ!」 軽快に掛け合いしてけらけら笑うラテン二人に挟まれて、ドイツはただただ困惑するばかりだ。 「話が見えないんだが……。今、恋人と言ったか? 俺と? 兄さんが?」 ドイツのその言葉に、二人の方こそ驚き困惑した。ほんのさっきまで、プロイセンが寝潰れるまで、この兄弟が付き合っているという共通認識のもとでずっと話していたのだから。 途端、フランスはうっかり幽霊でも見てしまったような顔でさっと蒼ざめ、自身の両腕を摩った。 「えっ何、俺たちプロイセンの幻覚ずっと聞かされてたの? 怖っ……怖っっ!!」 寒気を酒で誤魔化そうとワインを呷るフランスを横目に、スペインは首を傾げた。 「酔っとる以外は正気に見えたけどなぁ……あ」 「どうした?」 「やば、今日俺冴えとるかもしれん。謎は全て解けた、や!」 「え、なになに」 「いや、今日の会話よー思い返してみたら別にコイツ嘘はついとらんな思ってん」 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ この三人で集まると、だいたいは後々何を話したんだか覚えてないようなくだらない話しかしない。最近あったちょっと面白いことだとか、どこぞの眉毛の太い男への悪だくみだとか、思い出話だとかだ。仕事の愚痴となると、フランス・スペインの怠け癖のしわ寄せがドイツにいっていることもあって、プロイセンの機嫌が悪くなるからというのもある。 そして今日の議題はこの兄弟のことだとラテン二人は最初から決めていた。というのも、前々から距離が近いのがひどくなっているようだという噂はあって、先日の日本での会議のときにそれが事実であることを二人が目の当たりにしたからである。 「お前、ここんとこ弟と随分仲良さそうじゃん」 話を切り出したのはフランスからだ。それにプロイセンは少しだけ驚いたような顔をしてからニィッと笑った。 「そう見えるか?」 「見えるっちゅーか見せつけとるやろ」 「まあな!」 「えーいつからそんな感じ? やることやってんの?」 「そういうのはもっと先! だって、相手はヴェストだぜ」 「あー、おカタそうやもんなあ。そや、ソッチはどっちの役割するつもりなん?」 「もっと先つってるだろ! あーでも、俺がトップやりてえなあ。あいつのブツつっこまれたら俺様の繊細なケツが壊れちまいそうで怖え」 「確かに! ブツだけでかくてテクのない童貞とかよく考えたら最悪だな!」 「おいてめえヴェスト馬鹿にすんなよ!」 「ケツ云々先に言い出したのそっちじゃん」 「俺はいいの、当事者だから! っつーか、くっついてるだけで十分すぎるほどめちゃくちゃ幸せだからソッチはまだいーんだよ」 でれでれと脂下がった顔でそう言われて、二人はそろって天を仰いだ。これだから欧州一の『子育て成功者』は! そこから下ネタと親バカと思い出話を織り交ぜて三人の会話は大層盛り上がったのだった。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 「つまりな、プロイセンは付き合っとるとも付き合ってないとも言っとらん。『俺はこうしたい』って願望はめっちゃ言っとるけどな」 「そういえばそうだった……かも? よく覚えてたね」 「今日俺そんな飲んどらんもん」 「そういえばお前喋ると飲むのも食べるのも疎かになるタイプだっけ。――いや、なんであいつそんな回りくどい叙述トリックみたいなことしてんの」 「え、知らん」 「謎全て解けてないじゃん」 「こいつの考えることなんか分かるわけないやん。大方根回しのつもりとちゃうん」 「なるほどねえ」 せっせと外堀を埋められている攻略対象を二人は見る。いかな感情故か、堂々とした偉丈夫は顔を真っ赤にして俯いて黙りこくっていた。怒っているわけではなさそうだから、十分に脈はありそうだ。 「ま、そのへんの話し合いはお二人でどーぞ。俺たちは勝手に想像して楽しく飲んでるからさ」 そう送り出してやれば、ドイツは真っ赤な顔のままもそもそと喋った。 「勝手に人を酒の肴にするな……だが、うむ、俺たちは失礼する」 まだ目覚める気配のない兄をドイツは抱えて足早に店を出ていき、ふたりはにやにやとその背中を見送った。 「やることやるまでどれくらいかかるか賭けない?」 「賭けるほどの手持ち無いわぁ」 車を走らせながら、ドイツは一カ月前のことを思い出していた。 そのときも今みたいにプロイセンを迎えに行ったのだが、ドイツも家で軽く飲んでいたために徒歩だった。[[rb:この国 > ドイツ]]では少量の飲酒であれば飲酒運転のうちに入らないが一応念のためというのと、身体は鍛えているから成人男性一人を背負って歩くくらい簡単にできるからそれでいいだろう、タクシー使わせるのももったいないし、という判断だった。 とっぷり夜も更けた静かな住宅街を、眠った兄を背負いてくてくと歩いていると、途中で背中でもぞもぞと動く気配がした。 「兄さん、起きたのか?」 「ん……? ヴぇす、と?」 「ああ」 「そっかぁ、ヴェストかぁ」 起きたなら自力で歩いてもらおうかと思ったが、このふにゃふにゃした声音は寝言のようなものだろう。 「ヴェストぉ」 「ん」 「愛してるぜぇ」 ふわふわとあまったるい声音でそう言われたものだから一瞬どきりとしたが、子供のころからまっすぐ愛情を表現されていたからその延長だとドイツは認識した。 「そうか」 「世界一愛してる」 「そうか」 「これからもずっと傍にいてやるからな」 「……ダンケ」 声音が近いからいつもよりも照れるが、兄がこうやって大事に思っていてくれているのは純粋に嬉しかった。 「わかったなら、いい」 プロイセンはむにゃむにゃ言ってからまたすとんと眠りに落ちた。なんの前置きもなかったから、それが兄弟愛や家族愛以外の意味を含んでいるだなんて微塵も思わなかった。 そして、好意を向けた相手がいっとう大事な弟ならば、同じだけの好意を返されなくても受け取ってくれるだけで構わないと、この兄ならいかにも考えそうなことだと今なら思うのだった。 信号待ちの間、後部座席で眠るプロイセンをちらりと見る。暢気な寝顔が少しばかり恨めしい。 「そういう大事なことは、素面のときに言え、馬鹿兄貴」 こっちは好意を返す用意はとっくにできているのだから。 ラノベの鈍感主人公みたいな挙動をしてほしかったがためのお話でした。片想いにみせかけてとっくの昔に両想い設定だいすき。 |