ヘタリア 普独




「今日は大いに飲んで食べて歌っていってくれ!」
笑顔のバイエルンにそう見送られて二人が意気揚々と向かっていったのは、世界最大のビールの祭典・オクトーバーフェストだ。たくさんテントが立ち並びおいしそうな匂いがし、たくさんの人波からにぎやかな声があふれている。
「やっと、これたぜ……」
「本当にな。長かった、大変だった」
会場を見る彼らはレーダーホーゼをきっちり着こなして気合十分に見えるのに、目はどこか淀んで疲れがにじんでいる。
例年、バカンス明けで仕事がたまっている上に再統一記念式典を控え多忙を極める九月は、仕事の山場を越えれば浴びるほどビールが飲めるということのみでモチベーションを保っているところがある。いつもは暇を持て余しているプロイセンも、今年はドイツの補助として修羅場に駆り出され大変な思いをした。だから今回二人にとってオクトーバーフェストは打ち上げに近い意味を持っていた。忙しさを抜けたあとのフェストビアはさぞかし美味いだろう。


二人がこういうイベント会場や混んでる店に来る場合、大抵は二手に分かれプロイセンが席を探しドイツが料理やチケットなどの手配をする。これは単純に、プロイセンの方が派手で人ごみの中でも見つけやすいためだ。国民の体現であるドイツが自国で人ごみに埋もれると、驚くぐらい気配が消えることもあって、目印になるには向かないというのもある。
だから、ビールジョッキとヴルストを二人前持って「このあたりで待ってる」と言った兄を探せば、そう苦労もなく見つかった。ディアンドルを着た若い女性三人に囲まれた姿で。
女性たちはいくらか酔っているのか、頬をそめ臆面もなくプロイセンに話しかけにこにことしていて、まだ素面のはずのプロイセンはその勢いにのまれているのか顔がデレデレとしてだらしない。胸を強調したディアンドルに目を奪われているのが傍目にもわかって、ドイツは浮かれていた気分が一気に冷め機嫌が急降下するのを自覚した。
オクトーバーフェストはビールが最大の目玉ではあるが、料理や演奏など祭りを華やかにする要素はたくさんある。会場で会った知らない人との会話や、かわいらしいディアンドル姿の女性を目で楽しむのも、祭りの魅力大きな要素だろう。だが、どうしてももやもやと不愉快な気持ちが湧いてしまう。
悪かったな、かわいくも華やかでもなくて。
見てていい気はしないが、邪魔するのは無粋だとはわかっているため、彼女らの話が終わるのを気配をひそめてじっと待った。
「おにいさん、かっこいいわね! レーダーホーゼすごく似合ってる」
「そうか? ダンケ! あんたたちもそのディアンドルすげえかわいいな!」
「でしょ? あたしたち、この祭りのために新調したの」
「どうりで! きらきらして眩しいくらいだぜ。妖精みたいだ」
「ふふふ、冗談でも嬉しいわ。ねえおにいさん、あたしたちこれから広場に踊りにいくの。一緒に行かない?」
「お、いいな! ……あ、悪い、今人待ってるからさ」
「あら、お連れさんがいたのね。彼女?」
「男だけど」
「じゃあそのお連れさんも一緒に行きましょうよ」
「そうしてえとこだけど、まだ俺達来たばっかでさ、一杯も飲んでねえんだ。だからビール楽しんだらにするぜ」
「あら、それならしょうがないわね。また広場で会いましょ」
「おう!」
軽く挨拶を交わし、女性たちはひらひらと裾をひるがえして軽快に去っていった。彼女らが遠くに行くまで見送ったプロイセンが視線を正面に戻すと、すぐそこに弟がぬっと立っていて、大げさなに見えるほど飛び上がって驚いた。
「おあっ、ヴぇ、ヴェスト……いつからそこにいたんだよ声かけろよ気配消すんじゃねえよ」
動揺が早口で出てくるあたり、後ろめたいきもちはあるのだろう。じっとひと睨みしてから、やや乱暴にジョッキと皿をテーブルに置く。
「別に消してない、待ってただけだ。ディアンドルを見たり褒めたりして楽しんでるのを邪魔するのも無粋だろう」
「最初から見てたんじゃねえか……ま、とりあえず飲もうぜ」
機嫌が降下したままなのを自覚しながら、ジョッキをかちあわせて乾杯してから呷る。何があろうとビールに罪はない。ぬるくなり炭酸が抜けるほど放置しては、この場にも酒蔵にも失礼だ。喉を通りぬけていく泡とホップの香りとアルコールが、全てを吹き飛ばしてくれることを願って、一気にジョッキを乾す。
「あー、美味え! な?」
「ん」
「怒んなよぉ……別にあれ、浮気でもナンパでもねえからな?」
「怒ってない」
「仕事んときより眉間の皺深くしてそれはねえぜ。――いや、だってさあ、見ちゃうだろあんなの! かわいくてひらひらして、おっぱい強調して、にこにこされたらさぁ、ちょっとはデレッとするだろ分かるだろ」
「分からないな。美しい花を愛でるくらいの感覚でしかないから」
「あー……そうだな、お前はそうだよなぁー……」
ドイツが大人の体躯になって少なくとも百年は経っているはずだが、対面した女性に下心を見せたことは一度もない。良く言えば紳士的で硬派、悪く言えば女性慣れしてなくて初心で臆病。そこに『ドイツ』としての国民への博愛が加われば、プロイセンの気持ちなど到底理解できるはずもない。
そう思うと途端に自分がひどく俗っぽい男な気がしてきて、プロイセンは悲しい気持ちすらしてきた。
「ヴェストほど無欲にも硬派にも聖人にもなれねえよ、俺は」
「別に俺は聖人なんかじゃないし、欲もちゃんとある。……少し、嫉妬しただけだ」
「俺に非がある状況で言われても嬉しくねえ」
「別に喜ばなくていいし気にしなくていい。ほら、さっきのひとたちと広場で会う約束してるんだろう。ビールも飲んだことだし、行ってくるといい」
「だーかーらー! なんでお前と一緒に来てんのに一人で他の奴んとこ行く選択肢が出てくんだよー! 行くなら一緒にだろ!!」
「さっきみたいなやりとりをまた間近で見ろというのか。俺は結構だ」
「悪かったって! もう浮気しません! いや今のも浮気じゃねえけど!!」
肩をつかんでがくんがくん揺さぶってくるプロイセンは最早涙目にすらなっていて、ドイツは少し面倒だなと思い始めていた。ほんの小さな、夫婦なら喧嘩にすらなってないだろう悋気でなんでこんなことになったのか。もやもやとした気持ちを抱えてるのは事実なので簡単に許すとも言えないからどうすることもできず、とりあえず通りがかりのウェイトレスにビールを二杯注文した。

局所的にどこか湿気った空気のなか、二人は杯を重ねる。
泥酔とまではいかないまでもそれなりに酔ったころ、
「俺さぁ、ヴェストに嫌われたら本気で生きていけねえんだよ」
プロイセンが俯きながらそうぼそりとこぼした。何をバカなことを、と思いはしたが口にだせる雰囲気ではなかった。
「ずっと俺は俺自身が一番好きだったのに、お前が生まれたときから、お前が一番大事になったんだよ。ヴェストが子供んときもそうだったし、お前とこういう関係になったときから、もっと。もう、自分だけを大事にして生きるやりかた忘れちまった」
そんなことないだろう。どんな苦境に立ったって器用に生きてきた兄が、一人の男の機嫌ひとつで路頭に迷うはずがない。他に大事にするひとができたら、そのひとを愛して守って生きることができるに決まっている。
そんな猜疑のような心が、ドイツのなかにはずっとある。プロイセンの愛を信じていない訳ではないが、感情の方向や力は常に一定ではないのを知っているからだ。そんな思いがあの嫉妬の根元だったのだと、今気づいた。酔って思考が単純化されたのかもしれない。
「……兄さんを嫌いになることなんか無いから、そんな仮定に意味はないぞ」
たとえこの恋人としての関係が終わることになっても、兄弟の絆は切れない。慈しんで育てて愛してくれたひとを、嫌いになることなんてできるはずがない。そんな言葉はビールとともに喉の奥に流し込む。
「また今年も一緒に記念日を迎えて、年越しもして、また一緒にこうやってフェストに来て、そういう変わらない暮らしを大事にしてくれればいい」
「ん、そっ、か」
むにゃむにゃとそう言いながら、プロイセンはゆっくりとテーブルにつっぷした。
今回立て込んだ仕事を一緒にこなすとき、ドイツにきちんと休憩をとらせようとしてプロイセンは自分の割り当て以上の仕事をこなし無理をしていた。その分早く酔いが回ったのだろう。
「少し寝ておけ、兄さん」
「ん」
うとうととしだした兄の頭を撫でれば、一段カクンと頭が落ちすうすうを寝息をたてた。それを見届け、ドイツは淡く笑みながらまたその銀の髪をすくように撫でる。変わらない暮らしを大事にしてくれればいい、これからも大事にしていきたい。ずっと、できるかぎりずっと続いていけばいい。そう願いながら。





オクフェスにいく芋兄弟というリクで書いたものでした。
何故お祭りネタでこんな薄暗くなったのか……