鬼滅 さねげん ※現パロ(数学教師25歳×大学生20歳)二人暮らし 不死川実弥という男を知る人たちは口を揃えて「あいつ『怒』以外の感情表現するの?」と言う。 「そんなことないけどな。結構感情表現豊かだぞ?」と、生まれてこの方実弥の一番近くにいた弟である玄弥は思う。 確かに素の顔が口角下がり気味で怒った時にそれがぐっと吊り上がるさまは身内から見ても怖いが、好物のおはぎを食べているときや下の弟妹の世話をしているときは表情が緩むのを玄弥は何度も見ているし、趣味に興じているときは声がうっすら弾むしご機嫌な鼻歌だって歌うのも知っている。家族に向ける穏やかな笑みがこんなにもうつくしい人を、玄弥は他に知らない。 とはいえこの状況でそんなににこにこご機嫌なのはやっぱり不思議だなあ思う、と玄弥はベッドに腰掛けながら半ば諦め気味に天井を見る。手持ち無沙汰で足をぶらぶら揺らせば、足首に繋がった鎖がじゃらじゃらと音を立てた。 兄弟として過ごしてかれこれ二十年、すったもんだの末恋人という属性がついたのが二年半前、二人が一緒に暮らし始めたのが丁度二年前。玄弥が大学進学を期に二人暮らししたいと申し出ると、実弥はすぐさま一人暮らししていたアパートを引き払って 3LDKのマンションに越したのは流石に驚いたが、二人で新しい暮らしをしていこうという意気込みが感じられて胸の奥がぽっと熱くなったのをよく覚えている。 そこから甘い生活が始まり、それが少し変質したのが一年弱前。 チューハイ片手に据わった目でスマートフォンを見つめている実弥に、「何そんな一生懸命見てんの?」と声をかけたのがきっかけだった。本当に何気なく、ひょいと画面を覗き込む。すると画面には手錠やら鎖やら手首用革ベルトやらがずらっと並んでいて思わずぎょっとした。 「ちぃっと玄弥を監禁したくてなァ」 さらっと吐かれた兄の言葉に更にぎょっとする。そして反射的に、 「単位取れなくなると困るんだけど」 と返してしまって、今度は実弥が目を瞠って振り向く。その顔に、ヤベエこと言っちまった、とありありと書かれていて玄弥は焦った。聞かないふりをしておけばよかったと思えども、もう遅い。 「それに痛いのもちょっとご遠慮願いたいかなぁ、みたいな……」 「お、おう……」 「なにそのリアクション」 「いや……こう、怖ェとかドン引きとかそういう反応じゃねえなと思ってよォ」 「引くってほど理解が追いついてねえんだもん」 「そうかよ」 そう呟いて、実弥は目を瞑ってため息を逃がすように深く長く息を吐いた。その顰められた眉根に、なにか抱えた苦悶のようなものを感じ取る。 「兄ちゃん、そういうの本当にやりたいなら、俺、協力しようか……?」 「は!?」 再び実弥の菫色の瞳が丸くなった。普段ここまで極端に感情が表にでない方だから本当に珍しい。 「ほら、いつも兄ちゃんに甘やかされてばっかだしさ、たまには兄ちゃんがしたいことしてほしいし」 たどたどしく伝えれば、実弥は口をむずむずさせてからひとつ息をついた。 「あー……そうか、なぁ、お前的にはきちんと単位がとれて痛くなきゃいいのか」 「え、ウン、まあ……あと公序良俗に反しなければ」 「ンなことしねえわボケ!」 「うん、そこは兄ちゃんのこと信用してる」 「……そっかよ、ありがとな」 そう言って柔らかく笑んだ兄に、玄弥もつられて笑みを返す。その笑顔のうつくしさに『監禁』という言葉の異常さへの印象は吹き飛んでいた。 それから毎月末の週末、金曜の夜から日曜の夜までの期間限定で玄弥は実弥に『監禁』されることになった。 その単語から誘拐拉致監禁のような不穏なものを玄弥は想像していたのだが、単純に『勝手にこの部屋から出てはいけない』と命令され、申し訳程度に身体の一部を緩く縛られるだけだった。監禁場所だって、元々物置として使っていた空き部屋を片付けて居心地よくしたもので、ベッドまである。 こんなに緩くていいのと訊けば、「長時間きつく縛ったら鬱血して最悪末端が壊死すんだろォが」とやや怒り気味に言われた。行動の自由を奪いたいのであって、拘束したいわけではないらしい。その境目が玄弥にはよくわからないのだが。 しかし『行動の自由を奪う』というのは実弥にとって重要であるらしく、それを勝手に破るのは地雷なようだった。一回だけ、日用品を買い足しに実弥が外出した折、急な尿意に襲われた玄弥が拘束具であったタオルを食いちぎって部屋を出たところ、帰宅した実弥に見つかって真っ青な顔をされてしまったことがあった。怒るでもなく、「げんや、どこにもいくな」と呟いたきりただただ無言で強く抱きしめ何時間も離れなかったのにはさすがに参った。約束していたのに弟が勝手にどこかに行く、というのが兄をひどく傷つけるのだと玄弥はそのとき初めて知った。怒られるならまだいい。弱々しい声で懇願されると、相当に気が滅入るのだ。 それ以来、玄弥を部屋に縛り付ける拘束具は手首と足首に巻く革製のベルトになった。ベルトにはそこそこ強度のある鎖が繋がっていて、手首の鎖は肩幅程度、足首の鎖はもう片方の端が部屋のベッドに結わえ付けられている。鎖の長さは家の中をある程度動き回れるが玄関からは出られない程度になっていた。 この鎖は玄弥を縛り付けるものであると同時に、引きずる音で部屋から出て軽い用をこなしたいという報告にもなった。トイレに立つ時であったり、漫画の続きを自室からとりたいときだったり、授業のレポートを書くから手首の鎖を外してほしいときだったりした。じゃらじゃらと音がすれば料理中だったり在宅仕事の途中であっても実弥が顔を見せるので、いちいち声を発さなくていい分楽だった。 とはいえ、そういうタイミングは少ない。なぜなら実弥は『監禁』の間中玄弥をずっと傍に置いて離れないからだ。 あるときは、レンタルしたDVDを監禁部屋で一緒に見た。玄弥を実弥がだっこ人形にするような状態で。泣くタイミングが二人一緒なことに気付いて顔を見合わせて同時に笑った。 あるときは、リビングの椅子に座っているように指示され、実弥はカウンターキッチンで御機嫌に昼食を作った。その料理は手首の拘束を外されないまま全部「あーん」で食べさせられた。 あるときは、一緒にゲームをした。負け続ける玄弥が「この鎖があるから勝てないんだ!」と癇癪を起して、予備の鎖を実弥につけてもう一戦挑んだ。実弥が勝った。 あるときは、実弥が大人買いした漫画を二人で順番に読んだ。先に読んだ実弥の静かなリアクションに玄弥がそわそわしたり、後から追って読む玄弥のリアクションを実弥がにやにやしながら見つめたりした。 あるときは、ただ無言で背中合わせになり自分のお気に入りの道具を手入れした。実弥は古物商で衝動買いしたという太刀を。玄弥は高校時代から使っている競技用ライフルを。 あるときは、ずっとセックスばかりした。それはそれは優しく丁寧にぐずぐずに融かされて、数えきれないほど達せられた。どこにも拘束はなかったけども体中から力が抜けてしまってベッドから一歩も動けやしなかった。 自分たちの月末の週末の過ごし方は、世間的には不可解だという自覚はある。けども兄がそれを求めるなら、弟として恋人として玄弥は叶えてあげたいと思った。月に丸二日行動を制限されるだけで、この愛しい兄が安心した表情を見せてくれるなら、それだけで充分だった。 この元物置を表現する語彙としてはきっと、『鳥かご』だとか『檻』だとか『箱庭』みたいなものが相当するのだろう。けども、本質はそこじゃないと玄弥は思う。 じゃら、と足首の長い鎖を指先で弄びながら、部屋をぐるりと眺めれば色々なものが視界に入った。 二人が好きな漫画の愛蔵版が一揃いきっちりしまってある本棚。昆虫図鑑と植物図鑑。衝動買いした丁子乱れの刀と刀掛け。玄弥のライフル。二人が試合でとった成績を賞した賞状やトロフィー。何度観ても泣いてしまう動物映画のDVD。ほかにも思い入れがあったり好きだったりするものが、邪魔過ぎない程度に雑多に詰め込まれている。 兄がここに引っ越す前一度だけ行ったことのあるアパートには一切なかったそれらは、玄弥と共に暮らすうちに増えたものだ。ずっと自分の幸せを視野の外において生きてきた兄が、初めて自分の幸せを求めて作った家が、自分の欲求のままに作った部屋がこれなのだと玄弥は思う。つまりこの部屋は実弥にとっての『宝箱』なのだ。そしてその宝箱に、一月のうちたった二日でも丁寧にしまっておきたい宝物が玄弥という一人の人間なのだろう。そう自惚れられるほど、玄弥は兄に愛されている自覚があった。 そりゃあ、大事な宝物が勝手にどこかいったり傷ついたりするようじゃ、気が気じゃないだろうなあ。 思考を巡らせながらぼんやりとしていると、簡単な食事と洋酒とジュースを持って部屋に実弥が入ってきた。 「なに、昼間っから酒?」 「たまにはいいだろォ。疲れてんだよ」 「いいけどさ、兄ちゃんすぐ酔い潰れんじゃん」 「オメエが強すぎんだよ」 くだらないやりとりをしながら実弥は小さなテーブルにコトコトと酒盛りのセッティングをしてDVDプレイヤーの電源をつけた。ひととおりセッティングが終わって、映画のオープニングが流れる頃には、実弥は玄弥の後ろに陣取って弟を抱きかかえていた。 「なあ、兄ちゃん」 「ん?」 「俺『も』兄ちゃんのこと、世界で一番大事な宝物だって思ってるよ」 「……なんだ、いきなり」 「こういうの、思ったときに言っておかなきゃなって思って」 「そーかい。……ありがとな」 まだ一杯も飲んでないのに、背中に触れる体温がじわりと熱くなる。ちゃんと伝わったようだ。ここが兄にとっての宝箱であると同時に、自分にとっても宝箱であるのだと。 最後の一文を書きたいがためのお話。 実弥は多分宝箱云々は意識してない状態で、本能的に「こいつは手に届く場所に置いておかないといけない」って思ってる。 |