鬼滅 さねげん
※キメ学時空
※賞状びりびり事件後




実弥の愛車が射撃会場の駐車場に滑らかに止まる。
「着いたぞ」
「ん、ありがと」
玄弥が車のドアノブに手をかけたまま動かないのを見、実弥は声をかけた。
「どうした」
「いや……兄貴、本当に見るつもり?」
「見るつもりだからわざわざ来てんだろうがァ」
「そんなに面白いもんじゃねえよ?」
「承知の上だ」
「なら、いいけど」
玄弥が車を出たのを見届け、実弥も車を出る。玄弥が被っていた帽子が飛ばされたのを丁度受け止めた。
「今日は風が強ェな」
「だね。大会の頃には止んでるといいけど」
「天候に左右されるスポーツってのは厄介だな」
「そこらへんは、まあ、運も実力のうちってやつ。良くも悪くも、な」
「そうかよ」
帽子をかぶせがてら、鬣のような弟の髪を撫でる。風を読むというその髪に、少しだけ思いを乗せて。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

「なあ兄ちゃん、俺、ちゃんと17歳になったよ。だから、ちゃんと『今』の俺を見てほしい。大正の、16歳で死んだ俺じゃなくて」
手を握りながら弟がそう言い募ったのは、今年の年明けすぐの、玄弥の誕生日の夜のことだった。
「俺が射撃やることに反対してる理由、俺は分かってるつもりだよ。呼吸の才能も剣の才能もないなら諦めればよかったのに、銃を携えて死地に向かっていって鬼みたいに灰になって死んだ俺を見て、兄ちゃんがどう思ったかなんて俺には想像もつかない。すごく、すごく、傷ついたと思う。それは本当にごめんなさい」
そう思うなら今すぐにでも銃をやめろ、と言いかけたのを意思の強い藤色の瞳が制した。
「でも! 今は、死地に向かうために銃をもつような時代じゃないんだって、兄ちゃんにちゃんと理解してほしい。今の時代、今の俺を見てほしいんだ。今の俺は兄ちゃんにしてみたら、例えるならバイク事故で死にかけた奴が退院したあとまたバイクに乗ってるように見えているんだと思う。俺だって家族にそんな奴がいたら今すぐやめろって言う。でも、あのときの銃と今の銃は時代も性能も目的も違う。それに……図体以外なにもかも人並み以下の俺が、やっと見つけた取り柄だから、兄ちゃんにだけは否定してほしくないんだよ」
握られた手が、玄弥の胸にあてられる。どくんどくんと力強い鼓動が手のひらから伝わる。生きている、という実感を今更のように理解した。
「あのときの年齢を超えなきゃ俺の考えがちゃんと伝わらないと思って。ねえ、伝わった? 理解、してくれた?」
おずおずと見上げる弟の表情がたまらなくて、不意にぎゅうと抱きしめる。服越しに胸と胸が触れ合って、鼓動ごと抱きしめているようだ。
「に、にいちゃん!?」
「……もう反対はしねえ。が、感情を整理する時間をくれ。頭ではわかっちゃいるんだ。でも感情が追いつかねえ」
弟を抱きしめながら、20年以上前の記憶を思い返す。
3歳で初めて公園に行き、砂場に触れたとき。掬った手のひらから砂が突風にさらわれ、さらさらと零れ落ちる感触。弟の最期にあまりにも似たその感触に3歳の実弥は前世の全てを思い出した。あのときの焦燥感を、今の玄弥が生まれる前からずっと抱いている。玄弥に対しての感情はあの日の強い風と零れ落ちる砂の感触から始まっていた。
そのことを一度たりとも誰かに言ったことはない。けども、同じ過去を共有する玄弥にはいつの間にか気付かれているようだった。
「そっか。うん。待つよ。兄ちゃんがちゃんとまっすぐ俺を見てくれる準備ができるまで」
とんとんと赤子をあやすように背中を叩かれる。決して砂のようになりはしないしっかりとした手のひらが、実弥の震える背中を支えるように触れていた。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

大会自体が小規模のものなのか、来ている選手の人数も観戦者もそう多くはなかったため、実弥は近くで観ることが出来た。とはいっても、射撃競技の性質上後ろから見ることになるのだが。
そんなに面白いもんじゃねえよ、と言った玄弥の言葉は事実だったようで、競技の進行は淡々としている。指定の場所に6人が距離をとって立ち順番に一発ずつ打つという形で、得点の計算方法などは実弥は知らない。ただ、風が強いからか誰もなかなかクレーを打ち落とせないでいるようだった。
立っていた選手が全弾打ち終わったのか捌けていき、玄弥を始めとした次の6人が入場する。玄弥は実弥の方をちらりとも見ずゴーグルの下で目を伏しがちにし、何かをぶつぶつと呟いていた。その様子に、念仏を唱えていたかつての彼の師匠の姿が重なり心がざわついた。
ごう、と強く風が吹く。
所定の位置について6人がライフルを構える。ひときわ背の高い玄弥が一番近い位置にいるからか、背中がやけに大きく見える。弟は、あんなに大きかっただろうか。ライフルを握った腕にぐっと力がこもり、長い襟足が風に流され揺れる。その次の瞬間、世界が止まった、と思った。

嘘のような無風。
草木はざわめきを止め、しんと静まり返る。
静止した世界に突如掛け声が走る。
晴れ渡った青空に軽快に飛んでいく橙色のクレー。
銃声と共にクレーが鮮やかに弾けた。


「兄ちゃん、どうだった」
伏し目がちにもじもじとする玄弥の手には丸められた賞状が握られている。その厚い紙の一番内側には優勝の文字がはっきりと書かれている。当然だ。あれだけ皆が外し続けた的を、玄弥は完璧にとらえていた。素人目に見ても、玄弥が優勝をとるのは当然だろうと確信できた。
「お、俺は、兄ちゃんが見てくれたから、一番気合が入ったっていうか……しっかりしなきゃって思えて、だから、優勝取れたのは兄ちゃんのおかげかなって……」
「それはお前の実力だろ」
「え」
「射撃のことは何も分かんねェけどよ、お前が努力してきた証がソレなんだってことはわかったぜ。いつの間にか、こんなに大きくなってたってことにもな」
「そ、そっか。へへ、兄ちゃんにそう言ってもらえて、嬉しい」
顔を赤くして照れ臭そうに笑う弟の顔は確かにまだこどもだったけども、それでも風を制した広い背中をもつ青年なのだ。それが不意に焦点を結んだようにくっきりと実感になる。砂のように崩れ去らない、確かな現実味がそこにあった。
「玄弥、格好良かったぜ。初めてお前を格好良いって思った。惚れ直した」
思ったままを口にすれば、玄弥は大きな目をぽかんと見開いて、次の瞬間赤かった顔を更に真っ赤にした。
「ちょ、冗談にしてもなんてこと言うんだよ! 真顔で言うなよ、もー!! あーもう……びっくりしたー……」
わたわたと慌てる弟の姿に、そういえばこんなことを口にしたことなど一度もなかったか、と実弥は今更のように思い出した。力強く抱きしめたら脆く崩れ去りそうだという恐怖を抱いていたときには、こんなひどく重い愛をぶつけたら玄弥が壊れそうでひた隠しにしていたのだった。それを今、自然にぶつけていた。自分の心境の変化に時間差で自覚して、実弥は口元で小さく笑う。
「おい、いつまで立ち尽くしてんだ。帰るぞォ」
「え、あ、うん!」
車に駆け寄りながら顔を手で仰いで熱を冷まそうとする弟を横目で見、実弥はまた笑う。
風は不思議なほど凪いでいた。






『風が吹いた』企画参加ブツでした。
みんな風をプラス方向に使ってて驚いた……。私は、風=ざわめき=不穏のイメージなんですけどね。