ヘタリア 海典





童話が、なぜ世界中の人びとに読み継がれているか、考えたことがある?読んだ人がその童話に感動するからだよ。読んだ人が感動するのは、そこに何かの真理を見つけてきたからじゃないかな。ただの童話でも、ある人はそこに自分の人生を変える宝物を見つけるんだよ。(『奇跡を呼ぶ天使の贈り物』)

シーランドが難しい顔で絵本を抱えているのを見たとき、スウェーデンはそんな言葉を思い出した。往々にして、その「真理」に子供が気づくのは大人になってからなのだ。
「シー、なじょした」
「パパ、この本には『めでたしめでたし』が少なすぎるのですよ」
シーランドが抱えていた本は、かつてデンマークがシーランドへの土産にと持ってきた、世界的に有名な童話作家の作品集だった。確かに彼の書く話は理不尽なものや悲恋が多い。「世の中にはそういったこともあるのだ」とこの少年が理解するのには、まだ精神が熟しきっていないのだろう。
「特にこれなんか、こんなことがあっちゃいけないのですよ!王子は王子失格なのですよ」
ぽこぽこと怒りながらシーランドが指したのは、恋をし様々なものを失った末に泡になって消えた娘の話だった。
「王子はみんなを幸せにしなきゃいけないのですよ!」
「だけんど、男ってのは鈍感なもんだ」
「男の子は好きな人を守ってあげなきゃいけないのですよ!」
この少年の、国としては短い生の中のどこでそんなポリシーができたのかスウェーデンは知る由も無いが、その志は褒めるべきだと感心した。『国』である者として「大切な人を守る」や「愛する人々を幸せにする」という心は欠かしてはならないものだからだ。
「立派だな。そっだらいつか」
一人前の国さなれる、と続けようとした言葉はシーランドに遮られる。こどもの思考回路はときとして大人には理解できないほど華麗に飛躍するのだ。
「だから、シー君は大きくなったらパパを守ってあげるのですよ!泡になんかしちゃわないのですよ!」
シーランドはきっぱりと言い切ってスウェーデンに抱きつく。ハグというよりは首っ玉にかじりつくといった方がいい構図だったが、本人は抱きしめているつもりであった。
「……俺はだいじ(大丈夫)だがら、シーは国民守ることば考えてりゃええ」
「そういう意味じゃないのですよー…」
シーランドは呟いてさらにぎゅうとしがみついたが、当のスウェーデンはシーランドの思考をどうやったら軌道修正できるかを考えていた。
男というのはいつだって肝心なときに鈍感なものなのである。






ショタには無限の無敵攻めの可能性があると信じて疑っておりません。
自分的海典の基本形。