刀剣乱舞 義経主従





本丸を散歩するなら屋根の上が一番だ、と今剣は思っている。どこで誰が何をしているのかすぐにわかるし、遮るもののない広々とした空だって見渡せる。
常ならば他の者がその行動を見るやいなや危ないと言って止めようとするが、今は草木も眠る丑三つ時。彼を止める者などどこにもいない。
誰にも邪魔されず思うまま屋根の上をひらりひらりと飛び回っていると、本丸のはずれの棟に見慣れた大きな人影を見つけた。いつもの袈裟姿で得物を抱えたまま縁側に座して、ぼうっと夜空を見上げている。
こんな時間に起きている人がいるとは思わなかった今剣は嬉しくなって、瞬く間にその棟に飛び移り、猫のように身軽に人影の隣に降り立った。

「岩融、ふしんばんでもしてるんですか」
突然の来客に声を上げるでもなく一瞬だけ目を丸くした岩融は、口元を薄く緩めて迎える。
「この本丸に不寝番なぞ要らんらしいぞ。単に眠れないだけだ。今剣もか」
「はい。うっかり夕方まで昼寝しちゃったんです」
「そういえば言っておったな」
「でも岩融はきょうもしゅつじんだったでしょう。つかれてないんですか」
「疲れてはいるんだがなぁ……やはりこの人の体が馴染んでおらんのか、眠れんのよ」
そうぼやく岩融の顔には確かに疲れの色が見え、目の下には薄くくまがあった。
「あるじさまがいってました。やりとなぎなたは、ひとのからだになじむのがとくにおそいって。そのかわり、かんぜんになじんだら、とんでもなくつよくなるんですって」
「それはいいことを聞いた。ではそれまでの辛抱だな」
「でも、つかれているのにねむれないのは、つらいでしょう」
「辛くはあるが仕様があるまい。時間が解決する類の問題だ」

いつになるのかもわからないその日まで、彼は眠れぬ夜をいくつも重ねるのだろうか。薙刀を抱えて不寝番のような真似をして。それは、夜空がいくら美しくともとても楽しめないだろう。そう思いながら空を見上げた。
今にも落ちてきそうな大きく丸い満月が、星の光をかき消すほどの存在感を放ちながら煌々と輝っている。その光景はまるで。
「あの日のようだ」
二人共考えていたのは同じことのようだった。
「ぼくたちが、ぼくたちのまえのあるじが、たいこばしでであったよるみたい」
「ああ。碌に夜目もきかないのに、こんな夜は血が騒ぐ」
そこでふと、今剣は佩刀するようにして腰にさしたものの存在を思い出した。今日もらったばかりのそれは、先日初めて戦で誉れをとった祝いの品として審神者にねだった龍笛だった。
「では、ぶりょうのなぐさめにふえをふいてあげましょう」
「いつの間にそんなものを。それに、吹けるのか?」
「さあ、どうでしょうね。ぼくもふいてみるのははじめてなんです」
というのも、初めての笛は岩融に聴かせたくて彼らの帰陣を待っていたら、待ちくたびれて寝てしまったのだ。それをあえて今言うことはしないのだけど。
初めての試みに幾分か緊張しながら笛を口元まで持ってくると、今剣は習ったこともない龍笛を吹くことができると直感的に理解した。それはきっと、文化人を主にもつ歌仙が歌を詠むように、料理を趣味とした主をもつ燭台切が料理を得意とするように、笛の名手を主にもつ今剣もまた先天的に笛の名手なのだろう。
歌口に唇を当てて、丁寧に息を吹き込む。
舞い立ち昇る龍の鳴き声と例えられる美しい音色が、静かな夜空に響き渡った。



その旋律の名を今剣は知らない。かつて牛若丸とも遮那王とも呼ばれていた少年がよく吹いていた旋律を記憶のままになぞって奏でた。
岩融は最初のほうで「いい音色だ」と小さく呟いたきり、目を閉じて静かに聞き入っている。
その様子に気をよくした今剣は、曲の終わりがくると始めに戻り繰り返して吹く、というのを何度かやった。そして疲れてきたところで龍笛をそっと口から話せば、糸がふつりと切れるように旋律は止まった。
「岩融、ちゃんとできましたよ!どうだ、すごいでしょう」
得意げに言ってみても返事はなく、岩融は壁にもたれたまままだ目を閉じていて、抱えていた薙刀はいつの間にか縁側に置かれている。不審に思って近づいてみれば、穏やかな寝息が漏れているのが聞こえた。
なんでねてるんですか、と憤慨しかけて、寸前でやめる。笛を吹くのに夢中になって、岩融が眠れないと言っていたのを忘れかけていた。
一等大事な昔なじみの悩みを自分の力で解決できたと思うと、胸のうちにあたたかいものがこみ上げる。
この薙刀の化身である男はいつだって、少年の姿をしている今剣のことを助け守ろうとするけれど、されてばかりなのには納得がいかなかった。主同士は主従だったが自分たちはそうではないのだから、ふたりの関係は対等であるとはずだ。
だから今のこの状況は、もらいっぱなしだったものをようやくひとつ返せたという安堵を今剣にもたらした。
岩融が座っているために立った今剣と同じ高さにあるかんばせは、牙のような鋭い歯を見せて笑ういつもの表情に比べるとかなりあどけない。この本丸に来てからずっと眠れなかったのだったら、この顔を見るのは自分が初めてだと思えば、またひとつあたたかいものが胸に満ちた。


月の輝る静かな夜、話し相手だった男は既に夢の住人で、体には心地よい疲労が乗っている。これだけの条件が揃えば今剣にも眠気が襲い、ふわぁと欠伸をもらした。
今剣の寝所は大広間に一番近い大部屋である短刀部屋で、槍・薙刀部屋であるこの離れは大広間から一番遠い。屋根の上を散歩していたときは大した距離には思えなかったが、眠気を引きずって戻るには億劫だ。
どうしようかと思いながら寝ぼけ眼でくるっと見回すと、岩融の着ているたっぷりとした紫の袈裟が薄い掛け布団のように見え、今剣の行動は一瞬で決定した。
その袈裟をそっとまくり、もぐりこむ。岩融が目を覚ましていないかを確認し、さらに近づいてぴたりと寄り添う。全体から伝わる体温にさらに眠気を誘われ、今剣はふうと息をついた。このぬくもりは、少しくせになるかもしれない。
今宵は偶然こんな状況ができてしまったが、眠れない岩融が眠れるまで笛を吹いて、その傍でぬくもりを借りて自分が眠る。これはとてもいいやりとりのように思えた。
明日になったら部屋替えの許可をもらおう、と考えながら、今剣は赤い眼を完全に閉じた。






放置してるといびきかいて寝てる岩さんだけど、眠れない時期があってもいいなと思って。
三条は皆夜空が似合うけど、前の主の影響が色濃いこのふたりは特にそうな気がします。かっこいい。