刀剣乱舞 今岩今





「岩融、岩融、ちょっとこれみてください」
呼ばれて振り返ると、今剣が両手をつき出してあるものを見せていた。ちいさな手のひらの上には、猪目模様を立体的に膨らませたような形の、今剣の片手拳よりやや小さい何かが3つほど載っている。
「これ、なんだとおもいますか?」
「うん……?初めて見るな。何だこれは?どこで手に入れたのだ」
「さっき、ぼくのむねのあたりから、いきなりぽろっととびでてきたんです」
「なに!?」
ひとの胸からこんなよく分からない何かが飛び出るなど、聞いたことが無い。何かの奇病だろうか?それとも刀剣男士にはままあることなのだろうか。
「不思議なこともあるものだな。主に報告してみてはどうだ」
「えー……これ、なんなのかはわからないですけど、べつにわるいものではないきがするんです」
苦い顔でやんわりと拒否する今剣に岩融は首をかしげる。
「そうなのか?」
「だからですね、これ岩融にあげます」
「俺に?」
「はい!」
そう言って半ば押し付けるように3つの『それ』を岩融の手に渡した。今剣の両手に乗っていたそれは岩融が片手で持てる量で、そのひとつを岩融はつまんで光にかざしてみた。感触は柔らかく弾力があって、前におやつとして出たグミに近い。色は赤くつやつやとしていて、林檎のようだった。そう思うとなんだかおいしそうに見えてくる。
「今剣よ、これを食べてみてもよいか?」
「たべるんですか?」
「おう。真っ赤に熟れた木の実のようで、いかにも美味そうではないか」
「ぼくにはそうみえないんですけど、岩融がそうしたいならいいですよ」
「ではありがたく」
許可をもらえたので、それをひとつぽいと口の中に入れ、咀嚼する。すると思った通りの弾力がぷつんとはじけて、甘味と爽やかな酸味が口の中に広がった。甘い物はそれほど好きではない岩融でもその甘さはとても美味しく感じられて、いくらでも食べられるような気がした。
「ほう、これは」
続けてもうひとつ口の中に投げ入れる。次の物も甘く、しかし濃い酒を飲んだときのようにからだがぼうっと熱くなるような感覚になる。これかこれで美味い。
「おいしいですか、岩融」
「とても美味だぞ。お前も食べるといい」
「ぼくにはあまりおいしそうにはみえないんです。きにいったのなら、ぜんぶどうぞ」
「そうか」
今剣の言葉に甘えて最後のひとつも口の中に投げ入れる。口当たりのいいまろやかな甘みが広がって、幸せな気持ちになりながら嚥下すれば、今剣が満足気な笑みでこちらを見上げていた。



便宜上『猪目の実』と呼ぶことにしたそれは、今剣の胸から毎日出るようで、岩融のもとにまめに持って来ていた。
そのどれもが濃淡の差はあれどだいたい赤く、質の差はあれど甘かった。一度「お前の瞳の色をそのままうつしたようだな」と言えば、今剣は照れたようなしぐさをしていた。
その赤い猪目を、他にもどこかで見たような気がする、と岩融は思うことがあって思案すれば、すると案外すぐにそれに思い当たった。非番の粟田口の面々がやっていたトランプとかいう西洋かるたに、そんな図案があったような気がする。今剣の白い着物に重なるようにして真っ赤な実をかざしてみると、トランプの札の一枚のようで少し可笑しくなった。

そんな日が何日か続いた頃、今剣は夜戦部隊の主力として配属されることになり、岩融は長期遠征にかりだされることが多くなった。すると自然と二人の生活はすれ違うようになり、触れ合うことは少なくなる。
それでも今剣は毎日欠かさず実を渡しに来た。直接手渡しすることもあれば、気付くと岩融の居室の隅に置いてあるときもあった。
その頃から『それ』の味が甘い物だけではなくなっていった。熟れたように真っ赤なのに口にすると涙が出そうに酸っぱいものもあったし、酸化しきった血のような色の実は飲み下すのをためらうほど苦かったし、水にすこしだけ食紅を溶かしたような淡い紅色の実は舌がびりびりするほど塩辛かった。
それでも岩融はその実を残すことは一度たりともなかった。それどころか、甘味一辺倒ではないことに楽しみさえ見出して、ひとつひとつよく咀嚼して飲み込んだ。どれだけ口当たりの悪いものを味わっても、1日に1回はその実を食べなければ物足りなくなってさえいた。
日付をまたぐ遠征中に口寂しいとこぼしたところ、同じ部隊だった次郎太刀が酒のつまみとして持って来ていた乾物を分けてくれたが、それで癒える飢餓感ではなかった。そんな飢餓感を丸一晩抱えたまま帰城すると、居室の端に岩融の両手拳以上の大きさの猪目の実が置かれていた。
その存在にほっとした岩融はいつもより良く味わってそれを齧った。乾いた腹を潤すようなみずみずしい味わいに、満足気にふうと息をつく。実を全て食べきるころには、ずっと胸の内を駆り立てていた飢餓感はすっかり消えていた。



一際大きな実を食べたその翌日、朝一番に今剣が岩融の居室に現れた。
「おはようございます、岩融!」
「ああ、おはよう今剣。朝食前にわざわざ会いに来るなぞ、何か火急の用か?」
「ろうほうですよ!きょうはまるっといちにち、ぼくたちはおやすみです!」
「休み?遠征は俺の代わりがいるとしても、池田屋への出陣はいいのか」
「博多がかなりつよくなってきたので、あるじさまにかけあってこうたいしてもらいました」
「おお、そうか。ならば久しぶりに二人でゆっくりするか」
「はいっ!」
ぱあっと顔をほころばせて嬉しそうに飛び跳ねる今剣を手招きして呼び寄せて、頭を撫でる。指を通っていく銀糸の感触さえ久しぶりで、本当にすれちがった生活を送っていたのだなと再確認した。

朝食を終えたあと、なにをするでもなく二人は岩融の居室の近くの縁側にいた。今剣は岩融の膝の上ですっぽりとおさまっている。
二人とも空いた時間は体を動かしている方が好きな方だったが、たまにはこういうふうにのんびりと日向ぼっこをする時間だってあってもいい。遠征の途中で見たもの、出陣のときに仲間が言ったこと、よかったこと悪かったこと、ぽつぽつと話す時間は幸福そのものだった。
ふと今剣が岩融の顔を覗き込むようにして見上げる。
「どうした?」
「ふふふ、なんか、しあわせだなあっておもって」
「そうか。俺も丁度そう思っていたところよ」
「岩融もですか!やったあ!」
うれしげに今剣が体を揺らした拍子に、懐に入れていたものがぽろり転げ落ちるように真っ赤な猪目の実があらわれた。
「おお、それは本当に胸から出るのだな」
「そうですよ!うたがってたんですか?」
「疑ってはおらん。だが、出てくるところは見たことがなかったのでな」
「そうでしたっけ」
「おうとも。今日の実はまた随分と熟れて美味そうだ」
「はい、あーん」
ちいさな手で差し出されるそれを口で受け取って、そのままよく咀嚼して飲み込む。一番最初に食べたそれと似た味の、ふわっと甘くて爽やかな後味の残る美味いものだった。
「どうでしたか?」
「うむ、実に美味だったぞ。そういえば、これは他の者にあげたことはあるのか?」
すると、今剣がむっと一瞬黙り込んだ。
「岩融だけですよ。岩融だけにあげたいんです」
「そうか。このような善いものを俺だけになァ」
今剣が自分だけに、という事実を心のなかでリフレインする。途端、胸の奥底がぼうっと温かくなったような心地がして、じわじわと首から顔へを熱が上った。
そして、ころん、と何かが転げ落ちて左手に当った。なんだ、と思う間もなくそれを今剣が拾い上げる。
「わあ!」
『それ』は今剣の両手に少し余るくらいの、もっと言えば岩融の片手拳くらいの大きさの猪目の実だった。今まで見たものと違うところといえば、これまでのものは彩度や濃度の差さえあれど紅色だったが、その大きな実は随分と黄色が強く、日が落ちかけた空のような色をしていた。
「岩融も『ハート』がだせるんですね!」
今剣の口からその単語を聞いてやっと思い出す。かの西洋かるたの猪目に似たあの図案の名は「ハート」というのだった。
「その『ハート』とやらは俺のなのか」
「きっとそうですよ。だってほら、岩融のかみやめのいろとそっくりです」
「成程。今剣の『あれ』も瞳の色とそっくりであったなあ」
「ねえ、これたべてもいいですか?とってもおいしそうです」
きらきらした瞳で今剣が訊ねる。岩融にはどうにもその猪目の実、もといハートが無機物のような光沢をしているように見えて、到底美味そうなものとは思えなかった。
「お前がそうしたいならそうするといい」
「わあい!ありがとうございます。じゃあ、いただきますね」
橙色のそれを今剣は両手で持って、小動物が木の実を食べるように齧る。自分の胸から生まれたらしいそれが一口ずつ減って噛んで飲み下されるのを見ていると、なんだか気恥ずかしいような照れくさいような、それでいて温かい気分になった。
この気持ちを、岩融は聞き知っている。
「今剣、お前嘘をついておったな?」
「え?」
「このハートとやらを『なんなのかはわからない』と言っておっただろう?本当は何なのか知っていたのではないか」
問われ、今剣はにっこりと笑う。
「ばれてしまいましたか。でも、さいしょはほんとうになんなのかしらなかったんですよ」
「ほう?」
「こうやってかたちになったぼくのきもちを、岩融がたべているのをみて、はじめてきちんとじかくしたんです」
形になった気持ち。それがこの猪目の実の正体なのだろうと岩融は気付いた。博愛的な好意ではなく、それ以上の、たったひとりに向けた濃密な好意。それが表現しきれなくて胸の内からあふれだしたものが、きっとこの実の正体なのだ。
その形になった気持ちを想う相手が食べ、腹の中に入れる。その行為は自分の気持ちを受け入れてくれていることに近い。それは喜び以外の何物でもなかった。実際岩融だって今剣のものでなかったら、時折味の悪いものが混じる猪目の実を食べ続けることはなかっただろう。

「これからも、岩融のハートをぼくがたべてもいいですか?」
「ああ、もちろん。しかし、そう多くは出ないだろうなあ」
「えっ、なぜですか?」
「このような奇怪なものが出来る前に、この気持ちをお互いに伝えてしまえばよい。これからは隠さずにそうできるのだからな」
「そう、ですね」



岩融の予測通り、毎日現れていた猪目の実が生み出されることはぱたりとなくなった。
しかしすれ違いの生活が続いたときに、不思議な形をした緋色の実と橙色の実を交換する二人の姿が見受けられたという。






「すこし・ふしぎ」を目指してリリカルファンタジーホモが書きたかった。
何かを食べるという行為はどこなくエロスがあると思うんですが、自分の書き方だとさっぱりです。