お題:手を繋ぐ 本をタブレットで読む利点のひとつは片手を空けられることだな、とドイツの右手をいじりながらプロイセンは思う。大きい弟の左手は、四本の指でタブレットを支えながら親指でスワイプするのに十分足りているので。 もちろんこの空いた右手も十分に大きい。大きくなったなあと思う。ほんの百年ほど前はプロイセンの手の中に納まるくらい小さかった掌は、いまや同じくらいの大きさだ。すこし大きいくらいかもしれない。指は確実に一回りは大きい。重ねて並べてみれば一目瞭然だ。にぎにぎと握り込むと掌の厚みもなかなかのものなのが分かって、その頼もしさにプロイセンはくふくふ笑った。 この大きな掌は見た目相応にスマートフォンの操作が苦手で、それなのにマジパンのぶたさんを作るのは得意なのが不思議だ。兄に似て基本的には手先が器用なのだ、この弟は。なのになんで端末の操作が苦手なのか。タブレットは使えているのに。大きな手を両手で揉みこむ。少しかさついている。手の乾燥で反応が悪いのかもしれない。あとでハンドクリームを塗り込んでやろう。ニベア缶はどこに仕舞っただろうか。 指に一本一本触れていくと、中指にペンだこがあるのがわかる。利き手が違うプロイセンの丁度左右対称になる位置。プロイセンのそれは主に日記によってできたものだが、ドイツのそれは仕事でだろう。とはいえ書類仕事はだいぶデジタル化しているというからこのお揃いのようなペンだこはだんだん消えていくのだろうか。それは少し寂しい。一度日記をデジタルにしたときは一日で壊れてしまったから、日記はアナログ一本でやっていくつもりで、プロイセンのペンだこは消える予定がない。今のうちに愛でておこうと思ってお揃いの中指に口づけると、ずっとされるがままだった指先がぴくんと動いた。 「お?」 「お、じゃない。兄さん、何やってるんだ」 「ヴェストのおてて愛でてる」 「触って楽しいもんじゃないだろう」 「え、めちゃくちゃ楽しいけど?」 「……俺が読書に集中できないからやめてくれ」 顔をほんのり赤らめているドイツを見、プロイセンはにやにや笑う。手だけを愛でるのも楽しいが、そろそろ本人をまるごと愛でよう。そのほうがもっとずっと楽しいに決まってる。とりあえず手始めにと、散々愛でた掌を重ね合わせ指を絡めた。 |
お題:フリー 「なあ、秘密の話なんだけどさ」 「雑談みたいに秘密の話をするな。で、なんだ」 「俺、ずっと好きな奴いるんだよ」 「……ふうん」 「誰だとかどういう奴かとか聞かねえの」 「言いたいなら言えばいい」 「じゃあ存分に話すぜ! まずな、すげえ可愛いんだよ。昔はちっちゃくてかわいかったけど、今は俺よりでっかくなってるのに相変わらずかわいいからほんと奇跡だよな。だって自分よりでかい男とか普通可愛いなんで思えねえじゃん。なのに可愛い。奇跡。あと、中身は堅物なのに触ると案外やわっこいのもいい。ギャップってやつか? ギャップといえばさ、そいつめちゃ乙女趣味なんだよなあ。見た目雄々しいのに。ふわふわした動物が好きで、お菓子作りが趣味で。いや今時趣味にジェンダーを持ちだすのは時代錯誤だって分かってるけどさ、それでもこんな見た目でこんな趣味、みたいなの思っちまうのはしょうがねえだろ? そういうのを気にしてるのも好き。俺がプレゼントした可愛いアップリケつきのエプロンを几帳面につけて、誰かを射殺しそうな目つきで粉やら何やらを軽量して、出来上がってくるのが最高に美味いクーヘンなとことか最高に好き。若いのにしっかりしてて賢いとこもすき。本を読んでる姿とか絵師呼んで絵画にしてえ。とりあえず写真だけこっそり撮るけど」 延々と喋り続けようとするプロイセンを、ドイツは片手で制す。もう片方の手は自身の顔を覆っているが、真っ赤に染まる耳までは隠せていない。 「……どうして、その秘密を打ち明けようと思ったんだ?」 「どうして? あー……今だ!って思ったから、だな」 「そういう感覚は本当に何年経っても理解できないな。だが、そうだな、兄さんが秘密を打ち明けてくれたのなら、俺もひとつ秘密を話そう。俺の、好きな人の話なんだが」 その一言にプロイセンの顔が強張る。その様にドイツは薄く笑う。けどもその『好きな人』の話をべらべらと語れる語彙がないことに、言い出してから気付いた。でも、少しずつ口に出していこう。『好き』を伝えてもらえることの、暖かで優しい感情を貴方が教えてくれたのだから。 |
お題:スイーツ ドイツは「秘密の趣味」だったお菓子作りも近年では隠さなくなった。パティシエに男性が多いのになんで隠そうとするのだという意見を聞いたのが転機だったようだ。 それでもスイーツがメインのカフェに一人で行くのに躊躇するようで、そういう場には兄を誘っていた。プロイセンとしてはカフェデートという気持ちでいる。が、しかし。 「ふむ、これは……ラム酒を利かせているのか。それに、これはオレンジピール……いや、レモンが混ざっているか? 不思議な味がするな」 クーヘンを口に運ぶドイツの表情は『市場調査』といった方が正しいような面持ちだ。プロの味を知り分析し自分の作業に反映するという点では確かに調査である。そんな色気のなさすら可愛く見えるのは兄であり恋人としての欲目ではあった。 「そのクーヘン、なんかあったか?」 「柑橘なのはわかるがあまり食べなれない味がする。美味いから気になるんだが」 「俺様にも食わせろ、ほら、あ」 ぱかっと口を開ければ、特に躊躇うこともなくドイツはフォークで一口分掬ってその口に運ぶ。 「ん……あー、これ柚子じゃね? こないだ日本ちで食ったマンジュウがこんな感じの風味だった気がする」 「なるほど、柚子か! 道理で食べなれない味だ」 「そんなに気にいったのかよ」 「ああ、美味いだろう?」 はた目にはわかりにくいが目をキラキラさせて柚子のクーヘンを見つめるドイツに、プロイセンは首を傾げる。 「それなりに美味かったけどよ、普段ヴェストが作ってるクーヘンの方がずっと美味えと思うけどな」 「何を言う。プロが作ったものに俺が趣味で作ったものが及ぶはずがないだろう。兄さんのそれは贔屓目というやつだ」 「いや、贔屓目なしにお前の方が美味いって」 「……まあ、味覚は人それぞれだが」 解せぬといった顔で今度はドイツが首を傾げる。それにプロイセンはケセセと控えめに笑い声をあげた。 愛情が一番のスパイスだ、と在り来たりなことを言うのは簡単だが、この頭の固い弟はそんな曖昧な言葉に納得はしないだろう。 「ヴェスト、お前自分の年齢考えろよ。そんじょそこらのパティシエより長い間クーヘンの研究してきたんだから、その時間の分お前の方に利があんだって」 「そうか? そうかもしれないが……しかし、やはり新しい感性は若い人から定期的に吸収するべきだな」 「研究熱心なこって」 「趣味も遊びも真剣にやってこそ楽しいんだ」 「それには同意するぜ」 「というわけで、日本から柚子を分けてもらい次第そのジャムを使ってクーヘンを作ろうと思うんだが、食べてくれるか?」 答えのわかっている質問をしている顔でドイツが言い、プロイセンはにっと笑みを深くする。 「世界一美味えヴェストのクーヘン、楽しみにしてるぜ」 「兄さんはおおげさだ」 「おおげさじゃねえってば」 よく似た笑顔の兄弟の午後は、穏やかに過ぎていく。 |
お題:色 この国の春は気候が不安定で、晴れたかと思えばどんより曇ったり初夏の陽気かと思えば冬のような寒気が戻ってきたりする。面倒くさくはあるが、その面倒くささが訪れたことこそが長い冬が明けることの証左のようでプロイセンはそれを気にいっている。 今日もドイツがテレビの天気予報とにらめっこして着る服を考えていた。仕事が外回り中心になりそうだからそのあたりを気にしなければならないらしい。 「厚着したのにあったかくて上着が手荷物になるより、最初から薄着してってちょっと寒いくらいがよくねえか」 「俺が寒がっていたら周りの部下が気を遣うだろう」 「遣わせておけよ」 「そういうわけにはいかない。俺はそこまで偉い立場じゃないからな」 難儀なことだ、と兄は呆れ笑う。実際そこそこ偉い立場なんだから偉ぶればいいのに。その価値観の違いが面白くもあるけれど。 テレビに映る天気予報が告げる降水確率は50%。高いとみるか低いとみるか。 「半々の確立を堂々と予報とするんじゃない。占いと変わらないじゃないか」 「それには同意するぜ」 「雨となると荷物……いや、しかし……、そうだ」 はっとひらめいた顔をしてドイツが顔を上げ、プロイセンの方に目を向ける。 「ん?」 「兄さん、荷物持ちとして来てくれないか」 「え、はァ? いや、別にいいけどよ」 暇は十分持て余してるし荷物持ちをするにも別に異論はない。しかし生真面目なこの弟は兄をそういう風に扱うことは滅多にないから少しばかり驚いた。 「今日の仕事はな、地方の花畑を国の観光事業として援助するか決める出張なんだ。するとしたら来年以降になるが、今回は見ごろのそれに援助の価値があるかという視察だな。だから、兄さんも一緒に見てほしいと思って。意見も聞きたいから。どうだ?」 そういう風に言われると、頼られたがりのプロイセンは気分がいい。ドイツが乗せようと思って言っているわけでもないことも分かっているからこそ、気分がいい。 「いいぜ、荷物持ちでもなんでもやってやるよ。ヴェストと一緒に見る花畑はさぞかし綺麗だろうぜ!」 「いや、先入観込みで見てもらっては困る」 「ケセセ! 純粋な観光客気分が視点だって必要だろ」 「それはそうかもしれないが」 少し困り顔をしながら薄く笑う弟を見、プロイセンは想像する。 一面の花畑。色は何でもいい。鮮やかなものでも地味なものでも。その背景にある晴れた空。手前にいるドイツ。その髪は春の陽光のようなきらめく金で、瞳は青空よりも済んだ青。花畑をきれいだという弟こそが、視界に入る中で一番美しく映る。 長い長い冬から抜け出した先にいた春色の男は、プロイセンの視界にはいつだって美しい。 それを思うと花畑を見る前からすでに口元はにんまりと弧を描いた。 |
お題:春の訪れ 春は冬の間眠っていた動物たちが起きだしてくる季節なのに、人間は眠くなるのは不思議なものだ。そう思いながらプロイセンはニヨッと笑う。ソファには、毎年この季節になると一度はみられるうたたねをする弟がいた。 「先方の都合で予定がダブルブッキングしてしまったから片方頼む」と面倒ごとを任されて出かけたのに、先に帰っていたドイツが呑気に寝ているものだから、にわかに悪戯心が湧き起こる。 どういう風に起こしてやろうか。手をわきわきさせながら寝顔をのぞき込んで、ぴたりと手を止める。どうにも寝顔が「呑気」とはいいがたかったからだ。春の陽気にあてられて眠っているにしては、眉間の皺が深い。 プロイセンはしばし思案して部屋を見渡すと、リビングの端にモップのような毛並みを丸めてうとうとしているベルリッツをみつけた。 「おい、寝るならあっちいけ、ヴェストのほう」 ドイツを起こさないように小声で話しかけると、ベルリッツは不審げな目で見上げてくる。うるさいなと言わんばかりの顔に少しばかりムッとするが、重ねて言う。 「お前らのご主人のほう。足元あっためてやれ」 プロイセンに対しては若干反抗気味な彼もご主人のためとあれば速やかに動く。なるほどね了解、といった顔でのしのし歩いていってドイツの足元を包むように体を載せて丸くなった。 そしてプロイセンはブラケットをとってきてドイツの膝にかける。厳しい冬に比べれば暖かくなったとはいえまだ少し肌寒い。足元を温めてやれば寝心地がよくなったのか眉間の皺はずいぶんと浅くなった。 見たか俺様の手腕!と自慢してまわりたいが、一番自慢したい相手は夢の中なので、フンと偉そうに鼻を鳴らす。 「ゆっくりおやすめよ。いい夢を」 そう小さく呟いて、いつか弟が子供だった頃によくしてやっていたように額にキスを落とした。そして弟の寝顔をじっとみてにんまりと笑ってから、部屋着に着替えるために自室に向かう。 リビングにのこされたドイツの眉間の皺は、すっかり消え失せていた。 |