源氏兄弟 ふと気が付くと、自室の傍の縁側で髭切はぼーっと座っていた。 出陣も遠征も内番もない日はそうしていることが多いけども、気が付くと、ということはなかったように思う。思うだけで、過去にあったかもしれないが。基本的には過去に頓着しないたちなので記憶にない。 手元にある湯呑はすっかり空になっていて、腰の横に置いてある急須も空になっている。自室に移動して湯沸かし器を見てもやはり空だった。いつもは弟が空になる前に水を継ぎ足してくれているので、こんな状況は稀だ。 別段役割が決まっているというわけでもないので、たまには自分で水を汲みに行こうか、と湯沸かし器を手にして、ふと気づく。 「直近の蛇口ってどこだっけ?」 厨まで汲みに行くのは遠いからと、太刀棟の近くに飲料用の蛇口を新設するように審神者に進言したのは他の誰であろうかの弟だったはずだ。しかしそれを利用するのも彼であったために、髭切はそれを使ったことがなかった。 ポットを抱え縁側に出てきょろきょろを見回してみるが、やはり見当たらない。裏手にでもあるのかと回ってみたが見当たらない。もう一度表に出てみてやはり見当たらないので、別の棟にあるのかと思った矢先、丁度通りすがる姿が見えた。鶯丸だ。 頻繁に茶を飲む彼なら知っているかもを声をかける。 「ねえねえ、このあたりにある蛇口がどこにあるか知らないかい?」 鶯丸はしばらく固まった後、こてんと首を傾げた。 「……君は誰だ?」 「え?」 「新人が来たという話は聞いていないんだが」 「だいぶ前からいるよ?源氏の重宝、髭切だよ。忘れちゃった?」 「……?知らないな」 同じ太刀棟に住んでいることもあって、彼を話をしたことは1度や2度ではない。だから髭切の名も顔も知らないなんてことはあるはずがない。 だが、鶯丸が洒落や酔狂でそんなことを言っているわけではないのは、顔を見ればわかる。 これは何か尋常でない事態が起こっていると察し、さっと血の気が引いた。 本丸を歩く道中、すれ違う面々から怪訝な視線を向けられる。そのすべてが「誰だコイツ」と言っていて、じりじりと心が削られる。 この異変の原因を知っているのは審神者であるはずだと思いながら居室に向かえば、近侍に誰だお前はと問われ、止められるのを無理やり突破して居室の障子を開けば中は空だった。 問い詰める相手もなく、原因を探るすべもなく、胸がすうすうとし足元もおぼろげなになりながら、ずっとポットを抱えていることに気付いて、ひとまずそれを戻そうと自室に戻る。 ことんとそれを置いたとほぼ同時に部屋の障子が開く。振り返ればそこには弟が立っていた。 「誰だ貴様、俺の部屋で何をしている」 刺々しい言葉を投げつけられた瞬間、他の誰からの視線よりもより鋭くそれが刺さり、心臓が氷点下まで冷えたのがありありとわかった。 『――、―――!』 意識の外で、誰かが呼ぶ声がする。 「な、に……」 『――、――夫か、兄者』 「んん……え?」 視線を上げると、心配そうに見下ろす弟の顔が見えた。 「起きたか、兄者、ひどくうなされていたぞ」 「あれ、夢……?」 「悪い夢でも見たのか、兄者。目が覚めたなら、もう大丈夫だぞ」 「そう、夢、か……。ねえ、僕の名前を呼んでくれるかな」 「名前?――源氏の重宝・髭切。もしくは、鬼丸、獅子ノ子、友切。どれも悪くはないが、やはり俺と同じ由来の『髭切』の名が俺は好きだな。どの名でも兄者は俺の兄者であることには変わりないぞ」 「ふふ、そう。そうだねえ。今までごめんね」 「ん?何がだ?」 「ううん、こっちの話だよ。魘される声で起こしちゃったなら、そっちもごめんね。もう大丈夫だよ」 「そうか。まだ夜明けまで少しあるから、ゆっくり眠るといい。ではおやすみ、兄者、良い夢を」 「うん、お前も、良い夢を」 そう言って、髭切は再び瞳を閉じ、深く深く息をつく。 忘れられるというのはあれほどまでに深い絶望をもたらすのだと、まさか夢を通して知るとは思わなかった。そして記憶してくれている人がいるという安心感もまた。 誰であろう弟が自分のことを覚えていてくれていると理解したなら、次はいい夢を見れそうだと思った。 源氏推しの人から「夢」というお題で書いてと言われたもの。 いつもぼけっとしてる兄者にはちょっとしんどいめに遭わせたくなる性癖です。不憫なお膝ももっと書いてみたい。 |
沖田組 手入れが終わり部屋に戻ると、丁度加州が何かを食べるところに遭遇した。 「戻ったよー……何食べてんの?」 加州の手には大き目の湯呑のような容器に、均一に薄黄色をしているつやつやした何かがぎりぎりいっぱいまで入っている。液体のようには見えない。 「――具のない茶碗蒸し?」 「こんな真昼間から夕食のおかずみたいなの食べないって。これね、燭台切謹製のプリン。今日のおやつ」 「ぷりん?」 「そう、プリン。知らない?」 「名前だけは聞いたことあるかも。見たことないけど」 「あれ、そうだったっけ」 もっていたスプーンをむにむにと唇にに当てながら加州は考える。初期刀である彼はこの本丸で出た食事やおやつほぼ把握しているし、プリンも審神者と一緒に何度か食べている。 しかし大和守が来た頃は意外と遅く本丸の人員も増えてきたころで、審神者の懐事情の関係で大量購入できるいわゆる『お徳用』にさしかわった頃だった。そこからスナック菓子に変遷したり本丸で和菓子ブームが起こったりで、こういった洋菓子が出たのは久しぶりだった気がする。 「んじゃ、厨いってお前の分も取りに行こうか。はじめてのプリン」 容器のせいで茶碗蒸しのようにしか見えないそれをおやつと言われてもピンとこないまま、加州につれられて厨に向かえば、ぷりんとやらの作り主である燭台切がまだそこにいた。 「あっ、丁度よかった。燭台切、普通のプリンって今冷蔵庫にある?」 加州が聞けば、隻眼をにこりと笑みの形にして肯定する。 「うん、あるよ。流石に全員分作るのは難しいかったからね。普通のと僕のとで先着順に好きな方選んでもらおうかと思って半分ずつ用意したよ」 「だってさ」 「普通?普通のと普通じゃないのがあるの?」 まだ把握できない大和守は首をかしげる。 「まーね。説明面倒だし、見れば分かるよ」 「そうだね。皿用意しようか」 「うん、お願い」 そう言って加州は冷蔵庫から『普通』のプリンを取り出し、燭台切は綺麗な小皿とスプーンを用意した。 小皿を受け取った加州はプリンのふたをとり皿にさかさまに伏せ、ぷちんと何かをへしおった。 「何してるの?」 「プリン用意してんの。ほら、これ」 伏せた容器から、つるんと容器と同じ形のぷるんとしたものが現れた。それをスプーンごと差し出され、思わず大和守は受け取った。 「これが、ぷりん」 「そう。食べれば?甘くて美味しいよ」 「うん」 スプーンをプリンに当てれば、少しの弾力のあとぷつんとスプーンの形に割け、ぷるるんと欠片が乗っかる。それを恐る恐る口に運んだ大和守は、目を見開いた。 「つめたい……!おいしい!」 「でしょ?」 そのリアクションにつられて加州も笑う。 「冷たくてなめらかでぷるんぷるんしてて、不思議な感じ。甘いのにこの茶色いのが……なんだろこれ」 「カラメルね」 「その、からめる?ってやつがほろ苦くて、甘いだけじゃないのが素晴らしい。すっごく美味しい」 「うん、おおむね同意だけどどうしたのいきなり。お前そんな食レポ始めるようなやつだったっけ」 「わかんない。なんかスイッチ入った」 「あっそう。まあ気に入ったなら、今度主にまた買っておいてもらうように頼もうか」 そう言って加州はずっと持っていた自分の分のプリンを食べ始めた。 「そういえば、それもプリンなの?僕のとなんか随分違うみたいだけど」 「うん。どう違うのかわかんないけどね」 それを傍で聞いていた燭台切が簡単に解説する。 「プリンっていうのは特に定義はないみたいだからね。僕が作ったのは最近主流になってきているらしい、カラメルのないタイプだよ」 「へえ……」 茶碗蒸しにしか見えてなかったそれがなんだかとても美味しいもののに見えてじっと注視してると、見かねた加州が苦笑した。 「俺の半分食べる?」 「いいの!?」 「気になるんでしょ?いいよ」 「それじゃあ、ありがたく」 もっていた大きい湯呑を加州に差し出され、大和守はそわそわとスプーンを差し込み、ぱくりと食べる。 「こ、これは……!さっきのより弾力がない代わりに、口どけがはんぱない。すっととけてつるっと喉に通っていく感触が見事すぎてやばい。カラメルのほろ苦さはないけど、やわらかな甘さが口に残ってなんだかすごく幸せになる。なんだこれ」 「なんだこれはこっちの台詞だよ。ほんとなんのスイッチが入ったの」 「ははは、そこまで気に入ってもらえたなら僕も作った甲斐があったよ。近いうちに改良したものを作るから、そのときは味見よろしくね」 「ほんとに!?そのときは是非!」 目をきらきらさせてそう言う大和守を見、相方のこんな顔初めて見たなあと加州は思う。そしてひとくちプリンを運びながら、美味しいプリンを売ってる洋菓子屋さん、万屋の近くにあったような、と考えていた。 やっさだ推しの人から「初めてプリンを食べた安定」というお題をもらって書いたもの。 なぜ食レポが始まったのかは書いてる自分にもよくわからない。 |
獅子王+蛍丸 夏の盛りが訪れる前、夜目の効かない者も多い中、本丸中の明かりが控えめにされる。 それはこの時期に見られる蛍の鑑賞を審神者が好んでいるからである。そしてそれを好むのは審神者だけではもちろんなかった。 庭の池に架けられた橋の上で三角座りをしながらちらちらと舞う光をぼうっと見る少年がひとり。 そして、彼に歩み寄る少年がひとり。 「よう、今日の蛍は綺麗か?」 橋のてっぺんまで来た獅子王は蛍丸に問う。 「もちろん。蛍が綺麗じゃない日なんてないよ」 「そっか」 蛍丸の隣にすとんと腰を下ろし、獅子王もまたたく光をぼうっと見る。 「君って、こういうの好きな方だっけ?」 「んー?どうだろうな」 「なに、それ」 ふふっと笑って蛍丸も池の方に目を移す。 そのまま二人で蛍を眺め、しばらくして、獅子王はふと口を開いた。 「ゲンジボタルっているじゃん」 「うん」 「あれの名前の由来、じっちゃんなんだって」 「そうなの?」 「平家討伐を成せなかったじっちゃんの無念が蛍の光になったとかなんとか」 「へえ」 「今日それ知ってさ、じっちゃんの名残がこんなとこにあるんだなって思って、見てみたくなったんだよな。ここにいるのがゲンジボタルかどうか、俺知らねえけど」 「ふふ、でも、俺も知らない」 「なんだよそれ」 二人でくすくす笑いあってから、少しして、蛍丸も口を開く。 「俺の名前の由来知ってるっけ」 「欠けた刃を蛍の光が直したとか、だっけ」 「そんな感じ。で、さ。神社にいた俺が大きな戦のあと行方不明になって、何十年か後に『写し』が作られることになったんだけど、そのプロジェクトに出資した人達が自分のことを『蛍丸を直す蛍』だって言ってたんだって」 「へええ」 「俺がそれを知ったのも割と最近だったんだけどさ。このちいさな光にひとの想いを乗せる力があると思うと、なんかすごいよね。頼政公のもそうだし、写しの方も」 「そうだな」 「それだけ人に愛されてるっていうかさ」 「語りついで受けついで、か。こんな儚いいきものに、ひとの想いが何百年も託されるって、なんか不思議だよな」 「うん」 「それがじっちゃんの『無念』から来たものだとしてもさ、忘れられるよりずっといいよなって」 「それだけ人々がこの光を愛してきたんだなって思うよね」 「だな」 そして再び沈黙が訪れる。 ちかちかと瞬く光は、そのひとつひとつが長くて3週間ほどの命だ。でも何百年もの人の想いを乗せた光だ。 自分もそれだけの想いを受け止めて輝けるだろうかと、二人は言葉にせずとも思いながらまたたく光をずっと眺めていた。 ゲンジボタルの名前の由来はじっちゃんだと聞いたので。 こういうつながりであんまり縁のなさそうな子同士をしゃべらせるのは結構好きです。 |
4こめ 丁度1年と少し前あたりだろうか。本丸の1周年記念として皆が食材を持ち寄ったり飾り付けをしたりして、盛大に宴を開いて1周年を祝ったことがあった。 勿論2周年目である今年も同じように宴を開いたのだが、薬研贔屓の審神者の意向により、前年比200%増しで鯛料理が振る舞われた。最初に持ち寄った薬研は当然喜んだのだが、厨番であった歌仙と燭台切は「もう鯛の姿は当分みたくない」という程であった。 さて、その記念の宴は1月下旬に開かれたのだが、鯛の旬は春、2〜4月あたりらしい。というのも産卵時期が5月だから丁度その前が一番脂がのっているのだそうだ。 ということを、2年目にして初めて審神者は知った。 「というわけで、旬の鯛、沢山仕入れてきました!沢山食べてね、ニキ!!」 満面の笑顔で渡された発砲スチロールの箱には大量の鯛が詰め込まれている。時々びちびちしている。 「こりゃあ食いでがありそうだ!ありがとう、大将」 その場に不足していたツッコミ要員は当然のように厨にいる。 「もう!見たくないと!言っただろう!!!」 ぷりぷりと怒るのは初期刀でもある歌仙だ。燭台切はその隣で青い顔をして卒倒寸前である。 「え、そんなに嫌か?美味いじゃねえか」 「美味いかどうかの問題じゃないんだよ!どんなに好物でも嫌になるほど食べればうんざりするだろう」 「…………?」 「しないのか、君は」 「しねえなあ」 はああ、とため息が綺麗にふたつ重なった。 無言で卒倒しかけていた燭台切はようやっと飛ばしかけていた意識を取り戻し、薬研にひとつ宣告した。 「君が鯛をこよなく愛しているのはわかったよ。でも僕たちはそこまででもないし、トラウマを抱えているくらいだ。だからね、調理は薬研くんがやってくれると、助かるなあ」 助かる、と言っておきながらもう顔は完全拒否の姿勢をとっている。 「まあ、そういうことならしょうがないな。嫌がる相手に料理させちまうのも、せっかくの旬の鯛がかわいそうだ」 「薬研がやってくれるなら僕からも異論はないよ。今日の夕飯の当番は薬研でいいかな」 「ああ、分かった。でも料理は不慣れだから時々教えてもらってもいいか」 「まあ、それくらいなら」 歌仙が厨使用の許可を出した横で燭台切が棚をごそごそとやっている。 「ん、何やってんだ?」 「僕たちがいつも使っているレシピサイトの端末だよ。よかったら参考にしてね。くれぐれも勘でやらないようにね」 「勘じゃだめなのか」 「……料理は不慣れな者が勘でできるほど簡単じゃないんだよ。生薬の調合だってそうだろう。同じさ」 「なるほど」 「じゃあ、任せたよ」 「ああ、任されたぜ」 そんな流れで今夜の夕飯の命運は薬研の肩にすべてかかることになった。 二人が去ったあと、そこそこ広い厨に薬研と、大量の鯛と、ぴかぴか光る端末がひとつ。 この手の端末は使ったことがあるからささっと"鯛"と入力して決定ボタンを押す。 するとずらーーーっとレシピが並んでいて一瞬目まいがするようだった。 「鯛のかまの塩焼きに、兜の味噌汁。ふむ。かるぱっちょ?あくあぱっつぁ?ってぇのは何だ?」 見慣れないカタカナが並んでまた目がちかちかする。 「勘でできるほど簡単じゃないって言ってたから、見慣れない単語のはやめた方が良いな。ああ、吸い物に鯛めしなんかいいな。探せば分かる単語も一杯あるじゃねえか」 ふんふんと頷きながらレシピを漁って、これぞというものを2,3決め、さて始めるかと立ち上がって、ふとあることに気づく。 ぐるりと周りを見渡して、解決策も見当たらないことにも気づく。 「あー……うん、任されたって言っちまったしな」 「君に夕飯を任せたのは早計だったかな」 苦い顔で歌仙が言う。 「いや、面倒になって手抜きしたわけじゃねえんだ。ただな、鍋も釜もおたまもぜーんぶ高いとこにしまってあってだな」 「それくらい、呼んでくれれば取ったのに!」 「男には引けねえときってのがあるんだよ」 その日の夕飯はあらかじめ炊いてあった白米と、机いっぱいに広がる鯛の刺身のみだった。 nama(デスクトップを配信する機能)でお話かいてーって言われて、とんだむちゃぶりだと思いながら書いたもの。メモ帳カタカタしてるだけの配信なんて何が面白いんだと思いながらやったけど、見てた人にはそこそこ好評でした。 お題は「鯛の刺身か鯛めしにするか悩むニキ」 |
5こめ |