体格談義 本丸の大浴場は基本的に二十四時間使えるようになっている。刀剣男士の生活リズムが出陣や遠征でばらばらになるからだ。なのでだだっぴろい風呂をほんの二三人で使うなんてことがよくある。 このとき大浴場を使っていたのは加州と大和守のふたりだけだった。そこにガラガラと引き戸が開く音がひびく。ぺたぺたした足音は二人の方へ向かい、髪を洗っている加州の横で止まった。 「ああ、肥前か。そっちも遠征帰り?」 「おう。──加州、あとでちょっとツラ貸せ」 「え、いきなり何。喧嘩なら風呂入る前にしてほしかったんだけど」 「違えし、二つ返事で喧嘩買おうとすんな。確かめたいことあんだよ、後でいい」 「なになに、清光喧嘩するの? 審判やっていい?」 「違えって言ってんだろ! まあお前も一応来い、第三者の目も合った方がいい」 そう言って肥前は離れたところで体を洗い始め、残された二人は首を傾げた。 「で、確かめたいことって何」 「ああ。ちょっと腕伸ばしてみろ」 「腕?」 加州は湯船の中に入っていた右腕をまっすぐ前に伸ばす。肥前はそれにぴったり沿うように左腕をくっつけて伸ばした。 「次、脚」 「はい」 同じように加州は右足を湯船の中で伸ばす。同じように肥前は左足をくっつけて伸ばす。 「やっぱ変わんねえよなぁ!?」 「いや、だからなんなの」 「清光と肥前、体格近いよねって話?」 「察しがいいな大和守、それだよそれ。なんか先生がいきなりおれをガリガリの成長不良児童みたいな扱いしてきやがってよぉ」 あー、と二人声が重なった。 「ひとって誰かを見るとき自分と比較しがち、みたいなこと聞いたことあるし、南海先生と比べたらそりゃあ肥前は痩せて見えるんじゃないの?」 「でもお前らをガリガリ扱いしねえだろ、先生は」 「だって僕ら先生とあんま絡みないもん」 「ってゆーか実年齢若い刀何故かでかくない?」 「あぁ、長曽祢とか和泉守とかもでけえよな」 「新々刀で小柄っていうと天保江戸の二人くらいかぁ」 江戸初期生まれ・小柄・細身が共通する三人は同様に上を見上げ同時に溜息をついた。今の自分の能力にさほど不満はないが、男たるものとして恵まれた体格に憧れはある。 「ああいうのと比べると、肥前は長曽祢さんとは別の意味で腹斜筋洗濯板だよね」 「あ゛ぁ?」 「いや事実じゃん。さすがに俺らもアバラ浮いてないもん」 アバラ、と呟きながら肥前は自分の横腹に手で触れる。硬い骨の感触がする凹凸がそこにあるのが、想像よりもはっきりと分かった。思い返せば、南海もここに触れて驚いたような顔をしていたような気がする。 「でもまあ今んとこ健康体なわけでしょ?南海先生が変に心配する以外。何か問題あるわけ?」 「ぅえ、あ、そ、れは……」 加州の疑問に、肥前は思わずどもる。重大な秘密というほどではないが、正直に白状するには少々覚悟がいる話題ではあった。 そうとは知らないながらもフォローをいれたのは大和守だった。 「そりゃ困るでしょ。最近の先生、隙を見ては肥前の茶碗にもりっもりにご飯盛ってるもん。僕初めて見たとき、海の家のかき氷持ってんのかと思った」「かき氷て。マジ?」 「あ、あー……まあ、それだ。先生にメシの世話されるのは落ち着かねえし、加減ってもんを知らねえからな、あの人は」 苦笑いをしてみせると、加州と大和守にも心当たりはあるのか苦笑いを返した。 「じゃあ穏便にやめさせたいよな。って言っても、刀剣男士って基本的に太りも痩せもしないもんだけど」 「お腹はすくのに、不思議だよね」 「筋トレでもするか?」 「それも『体の使い方を覚える』のが主で、あんまりバルクアップはしないってさ。山伏が言ってた」 「じゃあそのセンもなしか」 「先生説得するのが一番手っ取り早いんじゃない?」 「おれに出来る気がしねえ……」 「がんばれー、夜食分で炊いてた米肥前に貢ごうとする前に止めてー」 「マジでやりかねねえな。可及的速やかにやめさせるわ」 そこから三人は夜食のおにぎりの話題に移りながら風呂を上がった。 数日後の夜。 「おれは!これ以上太れねえって言ってんだろ!!別に飢餓でも成長不良でもねえし十分健康体だ!!だからそのイチモツをさっさとおれのケツにぶちこみやがれ!!」 と怒鳴る肥前の声が、聞こえたとか、聞こえないとか。 |
百面ダイスに細工して この本丸の審神者はゲーム全般が好きで、特にTRPGと呼ばれる種類のものが好きだった。 本丸立ち上げたての頃は初期刀をずっと近侍にしていたのだが、近侍をやりたがる刀が増えるにしたがって、公平を期すためにTRPG用のダイスを振って近侍当番を決めるようになった。そういう経緯のある本丸である。 そういった決め方であるから近侍当番の割合はほぼ均等、だいたい1年に3,4回ほどである。少なくとも肥前がこの本丸に来た当初はそうであった。 だから気づきにくかったのだが肥前が近侍当番になった翌日もしくは翌々日に、必ず南海が近侍当番になるようだった。1回2回なら偶然だろうけども、2,3年も続けば不自然であることに気づく。 流石に気になって肥前が南海に問いただしてみたところ、特に悪びれもせずに「おや、ばれてしまったね」と彼は笑った。 「ばれた、ってことは後ろ暗いことでもしてんのか」 「いやいや、そんな大それたことはしていないとも。ちょっとばかり権威というものを有効活用してみただけさ」 「権威?」 南海太郎朝尊という刀は、先生というニックネームを頂いてこそいるが刀としては和泉守兼定の次に若い。権威と呼べるようなものはないはずである。 「なにも付喪神というものは刀にだけ宿るわけではないだろう?」 曰く、南海が近侍をしたとき、審神者に近侍の決め方を聞いたのだという。すると審神者はひとつのちいさな角ばった球体のようなものをとりだした。それは百面ダイスと呼ばれるもので、面のひとつひとつに小さな数字が描いてある。審神者が好むTRPGでこのようなダイスを使う者はもうほとんどいないのだけど、帰省したときに親が使っていたこれをみつけたので近侍決めのときに使うくらいはしてみてもいいんじゃないかと本丸に持ち込んだという経緯があった。 見てみるかい、と言われて南海が何気なく受け取ると、そのダイスには小さな付喪の萌芽が感じられた。ヒトのカタチをとるほど力を得てはいないが、小動物の魂のようなものがある。そこで試しに南海はダイスに向かって「肥前忠弘の番号を出した翌日は南海太郎朝尊の番号を出すこと」と命じてみた。するとダイスはぶるりと小さく震えた。それが了承か拒否かはそのときわからなかったのだが、それ以降ずっと命じたとおりに使命を果たしてくれているのだからあのダイスは賢い付喪が宿っているのだろう。 といった話だった。 肥前は頭を抱えて溜息をつく。まさかこのマッドではあるが温厚な彼が新人いびりのようなことをしているとは思いもしない。ダイスの付喪に肥前の言葉が通じるかはわからないが、何年も変なワガママに突き合わせてすまないと謝らなければならない。 「なんだってそんなことしたんだよ」 「それはもちろん君のためだよ」 「……は?」 「いや、君のためというと多少語弊があるかな。正確に言うと、君のことがもっと知りたいから、だね」 「はぁ」 あからさまに「何言ってんだ」という顔をしたためか、南海はくすくすと笑う。 「君は時々忘れてるかもしれないけど、君が思うよりずっと君のことを愛しているわけだよ。だからね、僕の見ていない場所で君が何をして何を考えて何を喋っているのか気になるんだ。僕たちはこうやって二人でいると僕ばかりが話してしまうだろう? それこそ今みたいに。だからね、君が主を丸一日二人きりでいるとき何を話しているのか何をしていたのかつぶさに聞き取りをしていた。そういうことさ」 あまりに立て板に水といった調子でまくしたてられたものだから、肥前は反応できずに「はぁ」ともう一回つぶやいた。しばらくして「探偵かストーカーみたいだな」という思考がちらついたが、口には出さなかった。別に不快感があるわけでもなく伝えるべきこととも思わなかったので。 「……なあ、先生」 「なんだい」 「別に、主に聞かなくてもおれに聞けばいいんじゃねえの。何をしたとか喋ったとかよ。その方が、こうやって話してる時間増えるだろ」 すると南海は眼鏡の奥で鋼色の瞳をぱちくりと瞬かせた。 「なるほど……いや、なるほど、そうだね。なんで僕はそれを考えもしなかったんだろう。いや、たぶんそれはいつも僕ばかりが喋っていて肥前くんがあまり自分から話すことがないから、しかしこれは僕の思い違いなんだ、君は口数の多い方ではないけど訊けば話してくれるのだよ、それを失念していたんだ」 南海の口から零れる言葉は途中から独り言のように早口になっていき、それを肥前は「ほんとうによく喋るなぁ」と思いながら眺めていた。南海は学者気質のせいなのか好意を理詰めで考えるフシがある。そんなところを面倒だなと思うし面白いなと思うこともある。面倒なとこも好ましく思えるのが「好き」ということなのだろうな、と思う。口にはしないが。 そんな話をしたしばらく後、本丸に所属する刀が百を超え百面ダイスが使えなくなったということで彼(?)は近侍任命の任を終えた。 退役したダイスはこれも何かの縁だと肥前が引き取って、身内のワガママを数年きき続けたことを労いながら部屋の小物入れに大事にしまっている。 付喪の萌芽があると南海が言っていたから、もしかしたら近いうちにヒトの形をとるかもしれない。もしかしてその姿は南海に似ているのかもしれないと思って、肥前は少し笑った。 |
変わるということ 顕現してから修行に行って帰ってくるまでの間の姿、審神者が好き好きに「修行前」「極前」「特」などと呼んでいたものに名前がついた。『初(うぶ)の姿』だ。 修行を終えた者からすると「なるほど、あれはうぶだったのか」と納得する名前らしいのだが、僕はまだ修行が解禁されていないからいきなり「お前は今『初の姿』だ」と言われても首を傾げてしまう。 違和感を覚えるのは僕だけではないのか、肥前くんも納得しかねるといった顔で眉をひそめていた。 「一度折れて打ち直された人斬りの刀に『生ぶ』なんておかしいだろうが」 「『生ぶ』ではなく『初』だよ、肥前くん」 「変わんねえよ。語源はソレだろ」 「確かにそうだろうけども」 『生ぶ』とは刀剣において作刀当初の姿を指す。磨り上げや目釘穴を増やされていない、生まれたままのかたち。しかし本丸において顕現当初が生ぶの姿の者はおそらくいないといっていいだろう。人の手に渡り物語を得てきた刀に磨り上げや目釘穴の増設はつきものだ。これから物語を得ていくつもりである巴形・静形の両名は例外かもしれないが。 そこまで考えてふと気付いた。極とは、今の主、つまり審神者の手に渡った刀として形を変えられるということではないだろうか。刀身が、ではなく、刀剣男士として心と形が変わる。思い返せば、修行を終えた者たちは口々に「主に合わせた姿になってきたよ」と言っていた。僕はその意味をずっと図りかねていた。彼らなりに忠誠心を表した言葉なのだろうと勝手に推測していた。皆同じうような表現になることは、気にも留めていなかった。 持ち主に合わせた形になるということは、持ち主に合わせて精神性まで変わってしまうということ。 僕が勝手に下戸仲間として好感を抱いていた不動君を思う。確かに彼の精神は健康的とは言えなかったが、修行を終えて帰ってきてからはすっかり酔いも抜けてしっかりしてしまって、ありていに言えば「とっつきづらくなった」。 酒豪集団からこっそりはずれて彼の隣に座って甘酒を分けてもらうのが好きだったのだけど、彼が禁酒するようになってそれもなくなった。 持ち主に合わせて精神性が変わってしまうことは、心の在り方で優先順位が変わってしまうこと。 肥前くんは今でこそ主にはほとんど無関心で僕の世話を焼いてくれているが、修行を終えた彼は僕より先に主の世話を焼くようになるのだろうか。 僕は今でこそ何か発見をしたり伝えたいことがあると真っ先に肥前くんを思い浮かべ彼に話すのだけど、修行を終えた僕はその相手に主を選ぶのだろうか。 僕と肥前くんは恋仲で、一番優先する相手はお互いだけども、修行を終えた僕たちはそのままの心を維持できるのだろうか。 今まで何度も見送っていた『修行』が途端に恐ろしいもののように思えてくる。 強くなりたいという気持ちはある。極になれば出来ることも増える。しかし、主に合わせた形になるとはどの程度を指すのか、個人差があるだろうけど、僕は、肥前くんは、どの程度変わってしまうのだろうか。 おそらく先に行くのは肥前くんだろう。初の僕は極の彼に向き合えるだろうか。 「ねえ肥前くん、『初』じゃなくなっても、僕のことを好きでいてくれるかい」 「はぁ? 当たり前だろ」 その即答が頼もしく感じられるのに、不安は拭い去れない。「当たり前」じゃないかもしれない、なんて考えてしまうばかりに。 |
4こめ |
5こめ |