BW エメクダ





1カ月ほど前から、少しばかり奇妙な習慣が、二人の間にはあった。

「ん、んんっ、ふ、ぅ」
鼻から抜けるような声がクダリから漏れる。エメットに唇を貪られ、うまく息継ぎができなくて涙が滲んだ。時折聞こえる下品なまでの水音が羞恥を煽り、身体の奥が熱を持って苦しい。薄目を開ければぎらつく蒼い瞳が真っ先に視界に飛び込んでなんだか辛い。それでも口から融けるように気持ち良いのは確かで、やめて欲しくなかった。
しかしやがて限界が来て、ギブアップを告げるように肩をタップすると、喰らうような唇がようやく離れた。
「ふあ、はっ、はぁっ」
「ごめんクダリ、大丈夫?」
「ふう、ん、まあ、なんとか。――満足した?」
「ん」
「そう」
クダリは目を瞑って大きく息を吸う。エメットとキスをするようになるまで、キスがこんなに荒々しく疲れるものだとは知らなかった。過去付き合ったことのある女の子とは、いずれも交際期間がほんの数日だったからか、触れるようなバードキスしかしてこなかった。文字通り喰らわれるようなそれは、エメットとが初めてだった。

口寂しいなら、さっさと恋人つくってその子とすればいいのに。エメット、モテるんだからさ。

そう告げるべきなのは分かっていた。だけど言えなかった。情熱と執着を一身に浴びているような疑似的な感覚を手放したくない自分が居た。
そのことに気付いている理性的な自分が「これはまずいぞ」と警鐘を鳴らしていた。それでもこの場から動きたくなかった。



恋人とするような口づけを友達同士でありながら交すようになったきっかけは、やはりエメットだった。

元々、生まれた地は違えど好きなものが酷似していた二人は、研修を通して知り合ってから急速に距離を縮め、ほんの数日で数年来の親友のような仲になっていた。
休憩中や終業後に暇を見つけては趣味のことについて語ったり情報交換をして、休日は積極的に合わせて、買い出しも兼ねてポケモングッズの店をひやかしに行ったり、気になっていた映画やミュージカルを見に行ったりした。
その親密さは兄たちをして「わたくしより彼との方がよほど双子のようではありませんか」と呆れさせるほどだった。

変化の発端は、自他ともに認める親友となってしばらくしたある日。クダリの部屋でポケモンたちのブラッシングを終えた頃だった。
「ねえクダリ」
「なーに」
「キスしていい?」
「……えっ?」
「だから、キスしていい?」
「いや、聞こえなかったわけじゃなくて。なんで」
問うてもエメットは曖昧に笑うだけだった。
「ちょっとだけだから」
「なんだよそれ」
なんか言い方が「さきっぽだけだから」って騙す男みたい、とは思ったが言うのはなんとなくやめた。男同士だというのに、エメットとキスする自分を思い描いても何故か違和感や嫌悪感は無かった。
「別に、いいけど」
「ほんと?」
消極的な合意を見せただけで彼は華やかななかんばせを子供のようにぱあっと輝かせ、クダリが身構える暇も与えずさっと距離を詰めた。

それはもちろん『ちょっとだけ』で済むはずもなくて、完全にエメットのペースに飲まれたクダリは、その先のことをぼんやりとしか覚えてない。終わった頃には衝撃と酸欠で朦朧としていて、そのことに気付いたエメットが驚いて何事か騒いでいたことが頭の片隅に残っているのみだ。

そのときから、ふたりきりでいるときに時折唇を求められ、求められただけ与える奇妙な関係が続いている。


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「あーおもしろかったー!」
「だねー。期待以上だったよ。最近のSFXはすごいなぁ」
先程見た映画の話をしながら二人は近くの喫茶店へ入った。一応ネタバレへの対応として、衝立のある店の端の席に対面で座る。パンフレットほぺらぺらとめくるエメットの顔を真正面に見据える位置にきて、クダリはしまったと胸の内で呟いた。
クダリの中の冷静な自分が警鐘を鳴らす。がんがん、がんがん。ここ数日で随分と聞き慣れた音だった。

「久々に魅せる悪役って感じの作品見たなぁ。でもあの人サムライドラマのでしか知らなかったからなんか不思議」
「サムライ?ああ、時代劇か。少し前までよく出てたね」
「あっ、やっぱり書いてあるよ。『緑一面のセットに大立ち回りするのは初めてで緊張しました』だって!――クダリ、どうかした?」
「ぅえっ?!あっ、いや、なんでもないよ」
「元気ないように見えたけど、疲れた?」
「……ちょっとね。僕もパンフレット読みたいな」
「はい。このあと特になにも予定無いし、長めに休んでこっか」
「うん」
できるだけ自然に見えるようにパンフレットに視線を移し、そっと嘆息する。
ここ最近、エメットの顔を見ると無意識に唇をじっと目で追ってしまっていた。横や斜向かいに居るときは大丈夫なのに、正面にいるとぽーっと見つめることをやめられなかった。気を抜けば「キスして」と言ってしまいそうになって、すんでのところで思い止まることが何度もあった。
友達相手に何考えてるんだ僕は、と自身を叱咤する。パンフレットを眺めている間にもエメットが映画の内容をいろいろと喋ってはいたが、あらぬ方向へ意識が飛んでいたためにどちらかの内容も頭に入っては来なかった。あんなに興奮して観てた映画の解説にも目が滑って、このままじゃ近いうちに仕事に影響が出るのは必然に思えた。

馬鹿馬鹿しい。廃人の憧れ・サブウェイマスターの片割れが、友達にキスして欲しくてろくに業務もこなせません、なんて。

そんなことを考えている間にも、エメットがぱたりと話をやめたのには気がついて視線を上げれば、幸せそうに弧を描いた口元といつもより青みを増した瞳が目についた。
あぶない、と警鐘が音量を上げる。がんがん、がんがん。
「クダリ、キスしていい?」
問いはあまりにも予想通りすぎて、ぐっと息が詰まった。
これまではお互いの部屋か、兄たちの居ない執務室でだけで、公共の場所で求められるは初めてだ。言うなら今だ、と直感が告げる。
ただ、断られるなんて小指の先ほどにも考えていないエメットの期待を裏切ると思えば、喉の奥に綿の塊を押し込まれた気分だった。
「ねえエメット」
「ん?」
「こういうの、やめにしない?」
「こういうのって?」
「キス」
「なんで」
「なんでって……」
くるりと丸くなった双眸は純粋に疑問だけを映していて、クダリは戸惑う。
「なんでって、ヘンだろ。友達同士で、こ、恋人同士みたいなキスって。いや、ユノヴァじゃどうか知らないけど、少なくとも僕はそう思うし」
エメットは丸い瞳のまま、ともだち、と口の中で呟くように復唱した。
何か間違ったことを言っただろうかと思ったが、碧眼からぽろっとこぼれた雫にそんな考えはきれいさっぱり吹き飛んだ。雫はぽろぽろと数を増し、やがて左右対称の筋になる。
「えっ、えええっ?!なに?どうしたの!?なんで泣いてるの!?」
「ご、ごめん。ボクの間抜けっぷりに、ちょっと、嫌気がさした、だけ」
ぐしぐしと目元を擦ったエメットは、すぐに神妙な顔になった。
「あのさ、クダリ驚くと思うけど、聞いてくれる?」
「う、うん、いいけど、なに?」
ちょっと言いづらそうにエメットは視線を彷徨わせ、ぽつりと言った。
「あのね、ボクたちもう恋人になったと、思ってた」
「えっ……」
エメットがすっかり紅潮してるのにも頭に届かないくらいにクダリの思考はフリーズし、直後フル回転させて今までの会話を思い出せる限り洗いだし、それらしき会話を脳内検索した。
だが、どれだけ考えても該当しそうな会話は思い当たらなかった。
辛うじて挙げるなら、「クダリと一緒の時間が一番楽しい」と言われたことと(そのときは少し照れたが「僕もだよ」と返した)、「クダリは彼女とか居るの?」と訊かれて「居たら休みごとに君と遊んでないよ」と答えたことぐらいだった(そのときは「だと思った!」と晴れやかな顔で喜ばれたので、少し腹が立ってエメットの向う脛を蹴り飛ばした)
「そんなこと、言ってた?」
問えば、金糸がぱさぱさと左右に揺れる。
「よかった、そんな大事なこと聞き逃してたんじゃなくて」
「さ、最初にキスしたときね、ほんとにちょっとだけ、ちゅってするつもりだったんだよ。で、したあとに、好きだよ、友達以上の気持ちで愛してる、って言おうと思ってさ。でも、クダリの顔見てたら止まらなくなっちゃって。で、気が付いたらクダリ死にそうになってて」
だっていきなりあんなのされたら息出来ないよ、とクダリは口の中でもごもご言った。
「でも拒否されるとかじゃなくて、したいって言ったらさせてくれてたから。だから想い通じてたのかなって。ボクの勘違いだったね」
「そりゃあ、言われなきゃ分からないよ……男同士で「友達」の枠組みからはずれるなんて思ってもみなかったし、自分で言うのもなんだけど、僕鈍いもん」
「だよね。あー……知ってたはずなのになぁ」
初めて見る諦めたような哀しげな笑顔に、ぎゅうと胸が締め付けられる。そんな顔をさせたい訳じゃなかった。
「じゃあ、なに、今日のこれ、デートのつもりだったの」
金糸が今度は縦に揺れる。
「ついでに言っちゃうとね、いつになったらえっちさせてくれるのかな、って思ってた」
「……っ!しないよ?!」
「分かってるって。終わったあとにいつも「もういい?」とか「満足した?」なんて聞いてくるから、進展は望めないかなとは思ってたよ。だけどそれ以前の問題だったね。なんか一人で浮かれてて馬鹿みたい。実際、馬鹿なんだけど」
つまるところ、エメットの「キスしていい?」は、好きだよ、であり、愛してる、であり、セックスしたい、であったらしい。
「分かりづらぁ」
思わず漏れた呟きに、エメットの肩がびくりと揺れた。いつもはすっと伸びた長身をこれ以上ないほど折り畳むように丸くするその姿に、クダリは罪悪感を抱かずにはいられなかった。
直接的な言葉を聞いてもまだ、クダリの中には戸惑いはあれど、いっそ不思議なほど嫌悪感はなかった。エメットの本当の心を知った今でも、「キスしていい?」って言われて「いいよ」と応えられるだろうし、「もっと先に進みたい」と言われても少し逡巡した後に消極的な合意を見せられる気がした。最初のキスと同じように。
知り合ってからの月日は決して長くはないけれど、エメットはクダリの大事な人だし、大事な人には笑っていて欲しいし、今みたいに俯いて泣いてほしくなんか絶対なかった。
クダリはエメットの笑顔が好きだ。身長も顔立ちもどう見ても大人なのに、ぱあっと幸せそうに華やいだ表情は子供っぽくて、春色の笑顔は見てるこっちもつられて嬉しくなる。俯いてないで、そんな笑顔をまた見せて欲しいと思った。エメットの笑顔が好きだから。
好き。
小さく口の中でだけ呟くと、何かがすとんとあるべき場所に収まった心地がした。

「さっきの今で気持ち悪いかもしれないけど、あの、クダリのことちゃんと諦めるから、さ、これからも友達でいてほしいな。前も言ったと思うけど、ボク、クダリと一緒にいるときが一番楽しいし、今までこんなに深く仲良くなった人、インゴ以外いなかったから」
無理矢理笑顔の形を作りながらそう告げられて、胸のおくがつきんと痛む。
「……べつに、友達じゃなくてもいいんじゃない」
瞬間、嗚咽がひときわ大きくなりエメットが立ち上がった。そして荷物と伝票を握りしめ去ろうとしたのを見て、クダリは言葉の選び方を間違えたことを悟った。とっさに手首を握りしめて引き留める。
「違っ……そういう意味じゃない!」
「離してよ!好きな人に嫌われたんだし、もう、ここに居るの、つらい」
「嫌ってなんかないって!」
手首を握ったまま立ち上がり、口先に触れるように口づけた。今まで与えられるばかりだったから、クダリはこのやり方しか知らなかった。
「……なんで」
「とりあえず、座ろ」
「うん……さっきクダリ、もうキスしたくないって言った」
「言ってない。友達同士でヘンって言っただけ」
「だから」
「だから、恋人同士なら別にヘンじゃない」
「どういうこと」
問われて、クダリは暫し言いよどむ。これだけ言えば伝わってもいいじゃないか、と思った。だけど、鈍感に過ぎることに関しては人の事は言えない訳で、ここで機会を逃してしまえば、もしかすると一生連絡できなくなるかもしれなかった。エメットにはそれだけの行動力があることを知っていた。
息をぐっと詰め覚悟して、ひとつ大きく息を吸う。
「要するに、エメットが僕のことそういうふうに好きでいてくれるのと同じように、僕も君のこと好き、ってこと。恋人同士のキスしたいし、それ以上のことも、たぶん、したい」
「……同情で言ってたり、しない?」
「僕はそこまで自己犠牲精神にあふれちゃあいないよ」
「そっ、かぁ……よ、よかった……。もー、ボクすっごいかっこわるい!ちゃんと告白できてなかったし、空回ってるし、顔ぐっしゃぐしゃだし……あー、安心したらまた泣けてきた」
ぼろぼろ涙を流しながら見せる綻ぶような顔は、やはりクダリの好きな笑顔だった。胸にぽっと熱が灯った気分になり、つられるように笑う。
「ほんと、すごい顔。目ぇ真っ赤!おしぼり追加もらってこようか」
「うん、お願い」
ついでにとっくに出来上がって冷めかかってるであろうコーヒーももらってこよう、とクダリは苦く思う。
立ち上がってキスした瞬間、こちらにコーヒー持ってきていたウェイターと衝立越しに目があったことは、エメットにはまだ秘密にしたほうがよさそうだった。






我が家のエメクダは趣味友達の進化系。
くっそ、エメクダ増えろよ!欲を言えば、鬼畜でも代替でもインノボのオマケでもないエメクダ増えろよ!