BW エメイン





世の中のほとんどの人が眠っている時間だと知ってはいても、灯りのついていない家に帰るのはなんとなく憂鬱なものだ。疲れと眠気でふらふらになったエメットはひとつ溜め息をつく。
「空腹通り越しちゃったし、いっか……シャワー浴びて寝よ」
インゴとはベッドこそ違うが同じ部屋で寝起きしている。彼を起こさぬようそっと自室の扉を開ければ、予想していたより明るくて、エメットはぱちくりと瞬いた。
光源を探し、納得する。どうやらインゴはカーテンを閉めないまま眠ったらしく、窓から煌々と照る月が見えた。帰路についていたときは疲労でうなだれていて気付かなかったが、今宵はよく晴れていい月夜だったようだ。
コートをハンガーに掛けながら月夜を見せてくれたうっかり者な恋人に視線を向ければ、随分を無防備な寝顔を見せていてエメットは思わずにやけた。インゴは他人に隙を見せることをよしとしないから、眉間に皺の無い分どこかあどけない素の顔を見られるのは弟兼恋人のエメットだけだ。そんな些細なことを再確認するたびに、優越感に頬が緩む。
まじまじと見つめられている当の本人は、視線を感じたのか月光が眩しいのか、一瞬寝苦しそうに顔を顰め、逃げるように顔を背けた。自然、晒されるように伸びた首筋が淡い光に照らされて、闇夜に白く浮かぶ。
エメットの喉がごくりと鳴った。
起こすまいとしていた心遣いは一瞬で霧散し、蒼い双眸に肉食獣の光が宿った。
足音だけは消してベッドの傍に忍び寄り、白いスラックスに包まれた脚をベッドの端に引っ掛け、そのまま掛け布団ごとインゴを跨ぐ。ベッドがぎしりとひとつ悲鳴を上げたが、インゴは起きそうになかった。
そしてエメットは、
「いただきます」
そんなような言葉を喉の奥で呟いて、誘われるように白い首筋に歯を立てた。

がりっ

「い゙っ……てえ!!!」
痛みの勢いのままインゴの黄金の拳が眼前を薙ぐ。寝起き故に若干動きの鈍っていたそれをエメットは仰け反って数ミリのところで躱したが、一欠けらの容赦もない拳の威力に背筋が凍った。まともに側頭に喰らっていたら昏倒間違いなしの破壊力だった。
「あばばばば……こ、怖っ!危なかったぁ……!」
「あ゙ぁ?――エメットか。何してやがる」
「ガイアが僕にもっと攻めろと囁いた」
「はぁ?何言ってんだブッ殺すぞ」
「すいません」
「で?わざわざ寝入った隙に急所を狙ってきやがった理由はなんだ。どっかから暗殺依頼でもあったのか」
「なんで発想がそんな剣呑なんですかインゴさん。――いや、あの、不意に目に入ったコイビトの白い首筋が、こう、性的な意味で美味しそうだなぁと思って、ふらふらっと……」
「で、がりっと?」
「がりっと」
顛末を聞いて、インゴは深くため息をつく。
「ふらふらっと、って、俺は誘蛾灯か」
「あれみたいに無差別に誰彼かまわず誘ってほしくないなぁ」
「俺みたいなのにホイホイついてくんのはお前だけだろ」
「そうだといいんだけど。――うわ、え、んん?インゴさん?どしたの」
不意にネクタイを引かれ、慌ててインゴの両脇に腕をついて身体を支えると自然覆いかぶさるようになった。エメットの動揺を他所にインゴはエメットのネクタイを解き、シャツのボタンを外し始めていた。
「どうした、ってシたいんじゃねーのか」
「えっ……したいかしたくないかって言われたら、そりゃあ、したいけど」
いきなり積極的になった兄に戸惑っていうと、その当の本人から衝撃的な台詞が飛び出した。
「はっきりしねえなぁ。ヤってるとき噛んでくんの、そういう意味だろ」
「――僕、そんなことしてた?」
「してた」
「まじで?」
「まじで」
「うわぁ……ごめん……」
「まあ、嫌じゃねえけどな」
再び飛び出した衝撃発言に目を丸くして固まったエメットの唇に、インゴは喰らい付くようにキスをする。
「でも血ぃ出るまで噛むな。鉄臭え」
「うん、ごめん」
血が滲んだ首筋をべろりと舐めれば、艶っぽく鼻に抜けた声が不意打ちで耳元に響いた。
「……ちょっと元気出た」
「てめー吸血鬼か」
「いや、疲労回復的な意味でなくて……まあ似たようなもんだけど、うん、ありがと」
「なんだよ…?」
「不肖エメット、今夜はがんばらせて頂きます」
「お、おう」
エメットの瞳がいつもよりぎらぎらとしていることにインゴが気付いたのは、それからもう少し後のことだった。






「エメインへのお題は『唇の味・火に飛び込む虫のように・闇に浮かぶ白い首筋』です」とお題ったーに言われたので。
我が家のインゴさんはとことん受けには向いてない子が気がします。