BW 上下





クダリはときどき絵を描くことがある。
画材にはこだわりがないようで、たいていの場合は安価で彩りの多い色鉛筆だが、木炭であったりもするし、水彩絵の具であったりもするし、時には職場の落とし物入れの中に放置されていた溶けかけのクレヨンであったりもした。
そのどれを使っても、クダリの描く絵は写実的でありながら写真とは異なる、鮮やかな光に満ちあふれていた。絵の具なんて重ねれば黒に近くなるはずなのに、淡泊すぎず暗くなりすぎない絵画の数々は、常にノボリを驚かせてきた。クダリの持つ絵筆には虹が宿っているのだと思わずにはいられなかった。
ノボリはいつだったか、どうやったらそんなに美しく魅せる絵を描けるのかと聞いたことがあった。するとクダリは、いろいろと考え表現しようとした結果、
「きらきらした瞬間をキャンバスに閉じ込めて、残しておきたいって思ったときに、見たものに気持ちを込めるの」
と、実に抽象的に答えた。
意味が解らずに首を傾げていると、クダリは更に悩んで答えた。
「『好き』っていう気持ちを、いーっぱい込めて白いキャンバスに重ねていく。そしたら絵ができる」
そう言われれば少しだけ納得出来る気がした。クダリの描くものは、トレインやポケモンや昔よく読んでいた童話の風景、つまりクダリが気に入ったものばかりだったからだ。
しかし納得はできても理解できたかと言えばそうでもなく、絵心の無いノボリにクダリの真似はできないということを再認識するに至った。
「ぼくが苦手なこと、ノボリが得意なことってある。その逆もある。双子でも違うってそういうこと」
ノボリの手元に残った紙面の惨状を見てそう言ったクダリの苦笑を、ノボリは忘れることはないだろう。二度と絵など描くまいと思った瞬間だった。



クダリが自宅の屋根の上で絵を描き始めたのは初秋の折り、芸術の秋とも言われる頃だった。ダブルの常連だったお爺さんが『げいじゅつか』をやめるということで、油絵のセットを譲り受けたのがきっかけだった。
いつもは1日で描き上げるクダリが、時間を見つけては屋根の上に出て絵に没頭して、随分と日数をかけて描いているものだから、不思議に思っていた。もっと言えば、せっかくの休日を一人で過ごすことが多くて寂しい思いもしていた。
それでも暗くなってから秋の日差しで焼けた赤い顔で満足げな顔を見せられれば、ノボリの胸に吹き抜けていた寂しさは緩やかに埋まっていった。
「作業ははかどりましたか」
「うん!もう少しで完成しそう」
「まだ何を描いているのか教えてくれないのですか」
「うーん……ちょっとね……」
「『げいじゅつかのクダリ』の最初のファンとして、最新作を心待ちにしています」
率直な言葉を口にすれば、クダリは口元は笑んだまま困ったように眉尻を下げた。クダリが隠し事をしたいときの癖だった。それだけでノボリには、クダリは今描いているものを見せたくないのだと分かった。
ノボリの胸の底をちりちりと不快感が焦がす。密かに恋う彼の時間を奪うそれを共有できない苦い辛さは、紛れもない嫉妬だった。しかし弟の心を無理矢理暴くような真似は絶対にしたくなかった。ただ、それを奪って彼の視線をこちらに向けたいという稚気じみた願望も確かに存在した。
そんなある日、ノボリが夕食を作っていると屋根からがたがたと片づけるような音がした。調理もほとんど終わっていて、簡単な片づけと盛りつけで終わる頃だったから、外に出て呼ぶ手間が省けたと思いながらノボリは支度を進めた。
しかし、いくら待ってもクダリが二階から降りてこない。物音はもうしていないから片づけは終わっているはずにもかかわらず。夕飯は盛りつけも配膳も終わり、あとはただ冷めていくだけになっている。
いつもは終わればすぐに「おなかすいた!」と言いながらリビングに来るクダリが上で静かにしていると思うとなんとなく心配になって、様子を見に行くことにした。
おそらく居場所は、クダリが昔描いた絵や使っていた画材がある小さな物置だ。今はその部屋の天井近くにロフトを取り付け、油絵を乾かす棚にしていると以前クダリが言っていた。
二階に上がれば、案の定物置の扉が半開きになっていてそこから光が漏れていた。その扉をノックしながら声をかける。
「クダリ、夕飯できましたよ」
「えっノボリっ!?あっ、わっ、わああ!!」
悲鳴が聞こえ慌てて扉を開けると、脚立に腰掛けたクダリがよろめいていた。
「クダリ!!」
ノボリはとっさに受け止める体制をとり、その腕の中に背中から飛び込むようにクダリが落ちてくる。その一瞬後に、二人分の体重が床にぶつかる音と、脚立が倒れる耳障りな金属音、木片が落ちたような乾いた音が一挙に振ってきた。
「いっだぁ……」
「の、ノボリ!ごめん!大丈夫?!」
「な……なんとか……。貴方こそ怪我はないですか」
「うん、僕は大丈夫。あっ、重いよね!どくね!」
腕の中にあった温もりを手放したくなくてノボリは無意識に腕に力を込めたがあっさり振り切られ、クダリはノボリの腕から退き、さっきまで自身が手にしていたものを探した。一方ノボリは部屋に脚立以外の乱れが無いか確認し、
「「あっ」」
二人の声が重なった。物置の隅に転がったキャンバスを見つけたのは同時だった。
「あああああっ!!」
クダリは急いでそれに這いより、さっとそれを隠すように抱える。
「ノボリ、見た……?」
「え、ええ。完成したのですか」
「うん、一応」
「もし良ければ、もっと近くで見せていただけませんか?」
「うーん……見られちゃったなら、いっかな。あ、まだ乾いてないから気をつけてね」
最後の羞恥心の欠片がそうさせるのか、キャンバスは伏せた状態で渡された。
ノボリは何故そこまで隠したがるのかいまいちピンときていなかった。暗がりの中で遠目に見たそれは、クダリにしては珍しい人物画にしか見えなかったからだ。
しかし、キャンバスを表にして悟った。
その絵は確かにバストアップの人物画で、絵の中の人物はクダリによく似てはいるし口元はゆるく弧を描いていたけど、何故か明らかにクダリではないと分かるタッチで描かれていた。
「これは、わたくし……?」
呟くように問う。疑問系なのは、ノボリと言えば仏頂面というのが自他共に認めるところであるからだ。
しかしクダリからささやかな首肯が返ってきて、予想が事実だと知った。
ノボリはもう一度その絵画に向き合う。描かれた当人自身の認識としては血色の悪い肌と薄墨色で構成されたパーツしかないはずなのに、キャンバスの中のノボリは夕日の中で虹色の光にきらめいている。表情は幸せそうに緩んでいて、生まれてこの方付き合ってきた自分自身の顔なのに初めて見る顔をしていて驚く。そしてそれ以上に、キャンバス全体から暖かい何かがあふれてくるのを感じた。
「あ、あのね、ノボリって家の中でだけこうやって笑ってくれるでしょ?それを残しておきたいなって思って、いっぱいいっぱいノボリのこと思いながら描いてたら、なんか、はずかしくなっちゃって……隠しててごめんね」
だんだんと声を落としながらクダリは言い訳するように言う。顔は俯いていて表情は窺えないが、耳が真っ赤になっているのだけは見えた。
ふと、前にクダリが言っていたことを思い出す。
『「好き」って気持ちをいーっぱい重ねてキャンバスに重ねていく』
瞬間、ノボリの顔も真っ赤に染まった。
誰かを思いながら好きという気持ちを沢山込めて表現する。そう思えば、クダリ自身が意図していたかどうかは分からないが、このキャンバスはクダリからノボリに向けた恋文以外の何物でもなかった。お互いが言いたくても言う勇気が無かった言葉が、言葉ではない形でキャンバスに込められて届いた。キャンバス全体から「好き」という気持ちが流れ込むようにしてぶつかってくるのが確かに感じられた。
「あの、クダリ、これ貰っていいですか」
「ノボリがほしいなら、いいよ」
「ありがとうございます。ふふ、そのうち何かお返ししますね」
「そんな、べつにいいのに。ぼくが勝手に描いたやつだし」
「こんなに素敵に描いていただいて、わたくしの気がおさまりません。数日待っていただければ、必ずお返し渡しますから」
「わかった。あっ、でもそれ乾かさないと」
「そうですね。今度は脚立から落ちないでくださいまし」
「さっきだってノボリが後ろから声かけなきゃ落ちなかったよ!」
「それは失礼いたしました。それと、夕飯できてますから着替えたら降りてらっしゃい」
「うん!」

クダリの元気な返事を後ろ目に、ノボリは考える。
あれだけの大好きを雄弁に伝えられたら、同じかそれ以上の大好きを伝え返さなければ気が済まない。貴方がわたくしのことを大好きなのに負けないくらい、わたくしも貴方のこと大好きなのです、と言ってしまいたい負けん気のような心がどこかにあった。
ノボリにはクダリのような絵心はないけれど、逆にクダリが苦手とする文章でならたくさんの大好きを気が済むまで伝えられるような気がした。
誰かを喜ばせる計画を立てるのは楽しいもので、階段を下りる足取りは自然と軽くなる。
愛を込めた手紙をしたためるのに似つかわしいレターセットは持っていただろうか。






お題ったーから「上下へのお題は『虹色の絵筆で描くもの・言えない言葉を突き付けられ・君よ永遠なれ』です」と言われたので。
描きかけで頓挫して適当にまとめたのに、話の流れとかタイトルとかは個人的にちょっと気に入ってます。