BW インノボ
※ ふわっとエメクダ前提





結局のところ、売られた喧嘩を言い値で買ったその日に、ご機嫌なオノノクスと夜遅くまで取っ組み合いしたのが敗因だったのだとインゴは思う。
そのどちらかがなければ過度な身体的疲労もなかったはずだし、寝不足になることもなかったはずだし、屋上で昼寝しているときに見知らぬ女に傍まで寄られても気づかないとういことも起こらなかったはずだ。

「お目覚め?寝坊助さん」
そう言った女性は寝ころんだインゴの上に跨っていて、顔には出さず驚いた。
「誰だテメェ」
「先週赴任してきた×××××よ。皆の前で紹介したはずだけど?」
「俺みたいなのがそういう場に出席してると思うか」
「……言われてみればそうね。でも私は貴方のこと知ってるのよ」
「残念ながら同じ顔で有名な方は今授業中だ。そっちに行きな」
「いいえ、探してたのは貴方。学校のアイドル・エメットのお兄さんインゴくん、でしょ?」
名を言い当てられてインゴはやや瞠目する。容姿端麗文武両道のエメットを知る者は多いが、学校の問題児でありほぼ授業に出席しないインゴの名と顔が一致している者はあまり居ない。教師とはいえ赴任してきたばかりならば尚更だ。
「で、その俺に何の用だ」
「この格好で分からない?」
「分からねえな」
「鈍い子。私ね、貴方みたいな男が好きなの。強くて、男らしくて、クールなひと」
そう言って女教師は、つつっとインゴの頬を撫でた。
ここまで来てインゴは今かなりの緊急事態に陥っているのではないかと気付いた。マウントをとられたからといっても喧嘩慣れした自分なら立て直すことは容易だし、殺気や敵意もなかったから警戒の必要もないと思っていた。それが最大の油断であり致命的失態だった。
女教師の手がインゴのシャツのボタンをひとつひとつ外し始め、無理やりにでも振り落とすかとも考えた。しかし嘗てエメットが「女性に怪我させる男なんて最下層のクズだ」とか言っていたのをちらりと思い出して、躊躇う。恥ずべきことだとは分かってはいたが、誘惑に揺らぐ心も確かにあった。
さりげなく自身の胸元をくつろげた彼女の、たおやかな手がベルトにかかり、ジッパーに触れた。
「私と秘密の課外授業、しましょ?」
その言葉にインゴはついに観念した。


□ □ □ □ □


「――ということが学生時代にありました」
「はぁ」
インゴの語った過去に、ノボリは間の抜けた相槌しか打てない。二人の弟たちがめでたく(?)くっついたということから派生した世間話として、インゴの恋愛遍歴を訊ねて返ってきたところの話がこれなのだから、そうなるのも無理はなかった。正直陳腐なAVか官能小説の触りの部分のようにしか思えなかったが、一応口にしないでおいた。
「ちなみにこの話をエメットにしたところ、『やっすいエロ漫画みたいな展開だね!で、続きは?』と言いやがったので、殴り飛ばしたあとオノノクスのドラゴンテールでぶっとばしておきました」
口にしないでよかった、とノボリは背筋が凍った。
「……その後インゴ様とその方はお付き合いしたのですか」
「いいえ」
「えっ」
「ワタクシの童貞を強引に奪っていった彼女からはその後何の音沙汰もなく、しばらくして男性教諭との不倫騒動を起こしていつの間にか二人揃って首になってました」
「それでも、することはなさったのですね」
「つっこめるものなら木の股にでも勃つミドルティーンでしたから」
「みどっ……?!え、ええー……」
「露骨に引かないでくださいまし、ノボリ様。ワタクシの恋愛遍歴を聞きたいと言ったのは貴方でしょうに」
「それは恋愛ではないでしょう?!」
「違うのですか」
「えっ」
「えっ」
「「……」」
二人の間に妙な沈黙が落ちる。
「……恋愛とは好きだなんだと言い合ってセックスすることではないのですか」
「違うとはいいませんが、それだけではありませんよ?こう、甘かったり苦かったり幸せだったりどろどろしていたりするものだと思うのですが」
「……ホットチョコレートの話ですか?」
「何故そうなるのですか」
ノボリは暫し悩む。インゴの衝撃的な初体験は確かにインゴの言う条件を満たしているようだが、世間一般には恋愛とは言わないだろう。だがそれを的確に説明する語彙がノボリには見つからなかった。見つからなかった結果がホットチョコレートだった。どうやらインゴは甘党らしい。
「うーん、そうですね。百聞は一見にしかずと申しますが、心の中の物は『一見』できませんからね。ならば実際やってみるのが一番わかりやすいでしょう」
「というと?」
「恋愛してみますか、わたくしたちで」
「なるほど」
あまりにもあっさり納得されて、ノボリは驚いた。半分以上は冗談だったからだ。半分未満の残りは、「余り物同士でくっついたら面白そう」という興味だった。つまり。
「今の、完全に考え無しの発言だったのですが、良いのですか?」
「嘘だったのですか」
「嘘ではないですが」
「もしノボリさまが構わないなら、是非。ワタクシも、弟もすなる恋愛というものを兄もしてみんとてするなり、というくらいでしかないのですけど」
「あら、そうですか。同じ考えなら話は早いです。これからよろしくお願いしますね、インゴさま」
およそ恋人同士になろうとする二人とは思えないくらいにビジネスライクな会話だったが、交渉成立の握手をしようとノボリは手を伸ばした。
しかしインゴはその手を取って90回転させ、
「こちらこそ、ご教授お願いいたします」
言って、手の甲にキスをした。あまりにも自然で流れるような動作に、ノボリは目を疑った。
さっきまで頓珍漢なことを喋っていた同僚兼後輩は、実は童話の王子様だったのだと言われても納得の光景だった。その王子様がキスを送った相手が自分自身だったことを再確認した瞬間、ノボリの顔が一気に火を噴く。
硬直して黙り込んだノボリに、インゴが不思議そうに問う。
「どうなさいましたか、ノボリ様」
インゴにとっては他意の無い行動だったのだろう。その振る舞い一つに一人で動揺してしまったことに、ノボリは更に恥ずかしさが増す思いだった。どうやら、恋愛指南をする前にこの異国の朴念仁に惚れてしまったらしい。
そして、溜め息を吐き出すようにして答える。
「……恋というものの深淵をまたひとつ知っただけです」
未だインゴは不可解な面持ちで首を傾げている。彼をこの色恋の底無し沼に引きずり込むには、時間がかかりそうだ。







ウチのインゴさんは人間嫌いの一匹狼系元不良だけど、notDTですよ。ということを言いたかっただけの話。
インゴさんに自分の好みをありったけ詰め込んだ感があるので逆に動かしづらいです。