BW   イン+ノボ(+エメクダ)





「何言ってるの!!」
唐突に耳に飛び込んできた怒声にぎょっとして、自分に向けられていたものではないのにインゴは足を止める。
いつも笑顔のクダリが珍しく(というかインゴの知る限り初めて)激昂していることにひとつ驚き、怒鳴られているのはエメットであるのにもまた驚いた。
「ほんと分かってない!それでも君、サブウェイボス?!――何ぼーっと突っ立ってるの。正座して、正座。分かる?――そう、それでいい。あのね――」
インゴは自分らがさほど似てない双子だからかイッシュの彼らもそうなのだと思っていたのだが、笑顔を消して目を吊り上げて説教するクダリは、なるほどノボリにそっくりだった。むしろ普段とのギャップがあるだけに、今のクダリの方が数段怖い。

「の、ノボリ様……うちの愚弟は一体何を……」
クダリの気迫に押され、インゴは小声で異国の先輩に問う。離れているとはいえ同じ部屋にいるのに、あんな状態の白い二人を見ながらコーヒーを啜れるノボリもまた、別の意味で怖いとインゴは思った。
「別段何をしたという訳でもないのですが。あえて言うなら『クダリの逆鱗に触れた』、といったところでしょうか」
「それはつまりどういうことで……?」
困惑気味に問いを重ねれば、ノボリはふふっと小さく笑いをもらした。
「インゴ様もお若く新米であるとはいえ、鉄道員のひとり。ポケモントレーナーとしての就職先ならたくさんあったはずなのに、あえてバトルサブウェイに就職することを決めた理由はおありのはず。――鉄道は好きですか」
「え?ええ……」
「例えばどういったところが?」
ノボリの話の先が読めないままインゴは促されるままに答える。一口に鉄道と言っても、奥も幅も深いのがこのジャンルだ。
「ワタクシは、廃線になった線路を歩いたり、深夜の各駅列車の灯りを見るのなんかが好きです。ノスタルジックな雰囲気、といいますか。あと鉄道の歴史も好きですね」
「歴史!英国は初めて鉄道が通った国ですから興味深い資料がたくさんありそうですね!廃線になった線路はシッポウシティにもありますから、今度の休日ご案内しましょう。あの街には鉄道を取り扱った本も沢山――」
やや早口になって喋り出しかけ、少し恥ずかしげにノボリは咳払いした。
「コホン、閑話休題。わたくしたちもポケモントレーナーでありながら鉄道関係者である以上、好きなジャンル・カテゴリがございます。例えばわたくしは時刻表や臨時ダイヤの美しい編み目、スジ屋さんの職人芸を感じるのが好きです。そしてそれを正しく運行する運転士の方々やその技術も。そしてクダリは、まあベタなところで、制服と指差喚呼に憧れて入社したクチでした」
「シサカンコ?」
「分かりやすく言えば指差し確認です。目で見て指でさし口に出してその声を聞く、その一連の流れでヒューマンエラーを低減させるという、一種の習慣です。駅員といえば指差しといえるくらい一般的なものなのですけども」
彼らのあの決めポーズはそれが由来だったのかと、インゴは今更のように理解した。
「こちらではない習慣です」
「そのようですね。わたくしもエメット様の話を傍から聞いていて初めて知ったのですが……」
「ああ、それに関してあの馬鹿がなんか失言したのですね」
「有体に言えば、そうです」
ようやく話が繋がった。好きなものを貶されれば気分を悪くするのは誰しも一緒だ。人生を変えるほど、進路を決めるほど好きなものなら尚更だ。激昂するのも無理はない。
きっとエメットは「人前で声出して確認作業って、恥ずかしくない?」とか言ったのだろう。容易に想像がつく。

だからといって。

再びインゴは2人に視線を戻す。クダリの説教はとどまることを知らないようだった。むしろクダリがそこまで長々と喋れることすら知らなかった。
エメットの方は、クダリの気迫におされているのか足がしびれているからか、最初から既に半泣きの様相だ。地雷を踏んだのはエメットの方だが、知らなかったのだからそろそろ勘弁してあげてほしい。
「あの……止めなくてよろしいのですか」
「何を?」
「あのクダリ様の説教を、ですけど」
「何故」
「何故って……」
「あの子に一生懸命お話してもらえるんですよ。ご褒美じゃないですか」
「えええ……」
思わず一歩後ずさる。図体のでかい成人男性の半泣きを見てさえ、本気でそう思えるのかこのひとは。
想像を越えたノボリの盲目っぷりに引きながらも、時折「フェーズ2から3に」とか「全世界の航空業界で」とか「ミスが六分の一に」など知らない単語や事実が合間合間に聞こえてくる。あとで二人にしっかり教えてもらおうと心のメモ帳に記した。
しかし、バトル前の口上にそこまでの思い入れがあるなんて。と、そこまで考えてからインゴはふと思い至ることがあった。
「もしかして、『ダイヤを守って』って言っているということは、クダリ様は時間にも厳格な方だったりしますか。」
「当然ですとも。正当な理由がなかったり連絡のない遅刻はクダリの機嫌を大いに損ねますよ。クダリに限らず、鉄道員たるもの時間に正確でなくては」
それが普通でしょ?とまでのニュアンスで言われて、インゴはついと目を逸らした。イギリスの鉄道は運休や遅延が当たり前だ。ともすれば「1日中定刻で運行されればトップニュースになる」とすら言われる。
それを反映して、というわけでもないがエメットは時間にルーズだ。10分の遅刻は遅刻にカウントすらされないし、寝坊で30分遅刻なんてザラだった。

お前の恋路は相当険しいぞ、とインゴはそっと思う。
丁度昨夜、エメットが「クダリすっごくかわいい!好きになっちゃった!絶対モノにしてみせる!」と宣言しているのを、同じホテルの同じ部屋に泊まっているインゴは知っている。偏見もないし勝手にすればいい、という気持ちで「おー、がんばれ」と言った記憶もある。
イッシュの鉄道の正確さがなければこの出会いがなかったと言えるのが、エメットの哀れさをより一層引き立てているようにも思えた。
インゴは胸中でこっそり天に祈る。我が弟に幸あれ、と。もっと言えば、こっちに面倒事を持って来るんじゃねえ、と。
後者の祈りは通じないと直感が告げていて、インゴは大きくひとつ溜め息をついた。






海外の鉄道業界では指差喚呼って一般的じゃないんですって!っていうのを知った衝撃のまま書き殴ったものでした。ちなみに航空業界では全世界でやってるそうです。
出勤する前なんかも指差喚呼すると忘れ物がぐっと減るのを、社会人になってからすごく実感しています。