BW エメクダ+インゴ+ノボリ





「ボク、あんまりクダリから愛されてる気がしないな」


「――ってエメットに言われたんだけど、どういう意味だと思う?」
心なしか蒼褪めた顔でノボリの家(と言っても社宅の隣の部屋だが)を訪ねた弟の悩みは、どうにも痴話喧嘩未満のようにしか思えなかった。
「どう、って言葉のままの意味じゃないですかね」
「恋人でいる意味がないってこと、かな?」
「そうとらえたんですか、貴方は」
「だって、僕は彼を愛してるのにそれが充分伝わってなくて、そのことをエメットが不満に思ってるんだったら心変わりする理由には十分じゃない?彼を愛してくれる可愛い女の子はいっぱいいるはずなんだから……。どうしよう、僕、捨てられたくない」
ソファに座ったまま小さくうずくまるその背中を、ノボリはそっとさすった。一度マイナス思考に陥るとそのまま深みにはまってしまうのはクダリの悪癖のひとつで、そこから引っ張り上げるのは昔からノボリの役割だった。パニックになるともっと悪い方向に転がるのを知っているノボリは、そうなるまえに弟を誘導する。
「いきなりそんなに悲観的になるのはよくありませんよ。落ち着きなさい。ほら、深呼吸して。吸って、吐いて――」
そう促せば、強張っていたクダリの体から少しずつ力が抜けて、そのまま隣に座っていたノボリにもたれかかった。
「クダリは、エメット様から熱烈にアプローチされて恋人同士になったのでしょう。付き合う前も付き合ってからも、ずいぶんと仲良くしてたではありませんか。なんでいきなり捨てられるかも、なんて発想になるんですか」
ノボリとてエメットが流した浮名は知っている。だからこそ二人の深い付き合いに最初はいい顔をしなかった。エメットの思いが真剣なものだと認めたからこそ、今は彼らを温かく見守っているし、万が一のためにインゴに監視まで依頼した。
その際インゴが真面目な顔で「奴がクダリさまを悲しませることがあったら、男として機能しなくなるまでにしばきたおしてみせましょう」と言ったのは、彼なりの冗談であるとノボリは思っている。インゴの表情筋がろくに仕事をしないのを今までの付き合いで知っていたので。
そして、そんな物騒な宣言をしたインゴからは、エメットに関する不穏な話はまだ聞いていない。それどころかしょっちゅうのろけられると愚痴ってすらいた。そういう根拠があるために、ノボリはクダリをなだめる。
「よく振り返ってみなさい。クダリの考え過ぎじゃないですか?仮にクダリからの愛情があまり伝わってないのだとしても、エメット様からの愛情を疑ってはいないでしょう?まさか愛想をつかされるようなことをクダリがしたとも思えません」
するとクダリがぐっと声を詰まらせ、ノボリは瞠目した。
「え……なにかしたのですか?」
「してない……けど、でも、……ち、……てない、から」
「良く聞こえませんでした。なんですって?」
更にぐっと声を詰まらせたクダリは、しばしの沈黙の後、もうすこしはっきりした声で言う。
「えっち、してないから……その、僕が怖がって、まだできてないから……」
クダリの口から紡がれた事実は、ノボリにとって意外なようであり納得できるようなものでもあった。痛いことと未知のことを恐れるクダリの性格は、誰よりノボリが一番よく知っている。むしろエメットがよく今まで我慢していたことにと感心すらした。恋人を前にして性欲を我慢するのはさぞかし辛いだろう。
「い、一回だけ、しようとしたことあるんだけど、あんなの入る訳ないって思ったら、怖くて泣いちゃって……『怖がらせちゃってごめんね、クダリの覚悟が決まったらそのときしよう。決心出来たら言ってね』って言ってくれたのに、僕からはなかなか言えないままで……やっぱり言わなきゃ、だめだよね」
時折しゃくりあげながらそう言ったクダリは涙目でまた蒼褪めていて、今から死地に赴くかのような悲壮な顔をしていた。それをどうにかしてあげたいと思ってはいるが、経験のないことにアドバイスするのは難しい。
「クダリのその気持ちだけでもエメット様は嬉しいと思われるはずですよ。でも我慢を溜めこんでストレスになってしまうようなら、きっちりと断りなさい。もし二人の仲が駄目になってしまったとしても、せめて仕事上では最悪の結果になってしまわないようにわたくしとインゴさまでサポートしてあげますから、ね。もう一回会って話してらっしゃい」
頭を優しく撫でれば、腕の中のクダリがこくりと小さく頷いた。

しゃくりあげていたクダリの息が落ち着くまで静かに待った頃、部屋の外で誰か来る足音とがぴーんぽーんと間延びした音が聞こえた。壁の薄い社員寮ではあるが、ノボリの部屋への来客ではないということは分かった。
「この部屋ではないですね。クダリの部屋のようですよ」
「みたいだね」
「ほら、出てらっしゃい」
「うん。悩み聞いてくれてありがとね、兄さん」
「これくらいお安い御用ですよ。では、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
玄関で手を振る弟の顔は、涙の痕はあれどずいぶんとすっきりしていて、ノボリはほっと息をついた。
手のかかる弟の世話をやくのは嫌いではないが、慣れない恋愛相談に乗るのはそれなりに疲れるものだった。


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「ボク、あんまりクダリから愛されてる気がしないな」


「って言ったら、クダリがヤバイって顔して逃げちゃったんだけどどうしよう!!」
「仕事中に痴話喧嘩に巻き込むなクソが。てめーはてめーの仕事しろ」
「ボクの分もう終わったもん」
「死ね!」
こんなときばかりは出来のいい弟の頭脳が疎ましくなる。今日はシングルの方の利用者が多かったこともあって定時後の仕事量はインゴの方が多いようだ。
しかし、いつもは疎ましくなるくらい楽天的なところのあるエメットが、見たこともないくらい悲観的な顔で嘆いていたため、インゴとて少しばかりは同情的にならざるをえなかった。
投げかける言葉こそきついが、インゴとて唯一無二の血縁である弟を彼なりに大切にしている。
「……話半分でいいなら聞いてやらんこともない」
「ホント?!ありがとう!こんなこと相談できるのインゴしかいないんだよ」
「そりゃあそうだろうな」
イッシュの白いサブウェイマスターとユノヴァの白いサブウェイボスが交際しているという事実は、公然の秘密だ。とはいえここはユノヴァの二人にとってアウェイの地。気安く恋愛相談などできようはずもない。
「で、なんだって?恋人に愛されてないと思ったはなから振られたってか」
「ちっがーう!!」
エメットがガンとインゴが座っている椅子を蹴る。だがそんなことはそよ風が吹いたかのごとく受け流しながら、インゴはキーボードを叩き続けた。
「だったら分かるように話せ」
「あのさ、ボクからクダリに対してアプローチするのっていうのは、インゴも言ってる通り、恋人になる前からよくあったの。で、クダリもボクのこと好きだって知ってからはもっと積極的にアプローチしたし、クダリはそれを嫌がらなかったからそれで充分だと思ってたんだよ。この間までは」
不穏な前置きに、インゴは視線を寄越さないまま目をすがめた。
「でもさ、ボクの『好き』っていう感情はずっとそうやって表現してきたけど、クダリからはずっとされてないなって気づいちゃってさ。ふと『ボクってクダリから好きって思ってもらえてるの?』って思っちゃって」
「それでさっきの台詞か。なんでわざわざそんな嫌味っぽい言い回ししたんだ」
「嫌味のつもりは一切なかったんだけど……『だからこうしてほしい』って伝えるつもりだったんだよ。でも……」
問題提起からの改善要求。決して悪い段取りではないが、恋愛の場に関して言えば、少なくともこの場合は悪手だったのだろう。現に、クダリは改善要求を聴く前に逃走してしまった。それは、改善する気がないととらえてもおかしくない。それ以外の捉え方もない訳ではないが。
例えば、面倒な提案をする恋人に愛想をつかした、だとか。
「どうしよう、どうしよう!!ボク、クダリに捨てられたら生きていけない!」
「……そんだけ面倒くさいお前を、熟考の末受け入れてくれた人だろう、クダリさまは。そんなに捨てられるようなアテでもあるのかよ」
「めいっぱい愛情表現しまくってきたし尽くしたし、クダリが嫌がることなんて一切……あ゛」
「あるのか」
不穏な沈黙を受けて、インゴはキーボードを叩く手を止め、右拳を握りぐっと引いた。最速の一撃を万全の状態で繰り出すための、つまりは戦闘モードに移行するための予備動作だ。
それに気付かないままエメットは沈黙の後続ける。
「一回だけ、ベッドに連れ込んだことがあってさ。クダリも割と乗ってくれてたからそのままいけるかなって思ったんだけど、いざっていうときに泣き出しちゃったことがあった、かな」
「泣き出したァ?なんで?」
「それがその、ボクの、アレがね……」
途端に顔を赤らめて言葉を濁したエメットに、インゴは更に拳に力を込める。ようやくその気配を察したエメットは、一瞬の判断で数歩後ずさった。
「え、ちょ!まって!インゴいつの間にそんな戦闘態勢に入ってんの!」
「ノボリさまと約束したんだよ。エメットがクダリさまを泣かせるようなことがあったら、俺が責任を持ってお前のタマ潰すってな」
ノボリが冗談だと受け取ったインゴの提案は冗談でも軽口でもなく、彼の中では正当な契約として認識されていたらしい。
「ぎゃあ!!なにそれ!聞いてない!」
「お前らの恋愛事情を監視してますなんて、監視対象に言うわけねえだろ」
「そりゃあそうだけども!」
「……とはいえ、実の弟を問答無用で半殺しにするのは忍びないからな。一応弁解を述べる余地をやろう。その上で、最長3日以内でノボリさまと審理して判決を決める」
「うわぁどっかの法廷バトルAVGみたいな制度!」
「ついでに言えば、俺はそれなりに短気で面倒事はさっさと終わらせたい。だから余計な心理描写は省いて状況を簡潔に話せ」
「恋愛相談において情緒を省けとか、なかなか難しいことを言うね……」
インゴの顔色をそっと窺えば、「さっさと仕事終わらせて帰りたい」「実弟の生々しい話は聞きたくない」と考えているのがありありと分かる苦い顔をしていて、それもそうだと思いエメットは思考を巡らせた。
「ええーっと、さっきの説明からさらに説明を足すと、なんとなくノリで押し倒して、なんとなく前戯っぽいことしたら、テンション上がって臨戦態勢になっちゃったボクのボクにクダリがびびっちゃって、そういえばクダリって痛いのすごく苦手だったなぁと思い出して中断したことがあったよ、って話なんだけど……あ、だからクダリに痛い思いはさせてません!まだ!」
「なんとなくってなんだ」
「自前のAPP×5ロールに成功した感触があった的な」
「なるほどわからん」
途中宇宙語に聞こえた単語はスルーしながらも、肝心の行動に関しては未遂だと聞いて、インゴは構えていた拳を解き腕を組んだ。
「まだ、ってなんだ。痛い思いさせる予定なのか」
「いつかはちゃんと最後までシたいなぁ、っていうボクの願望、デス……」
インゴに睨まれ、エメットの語尾がだんだんと小さくなる。
「ひとつ聞くが、お前たちのそのベッド上での役割っていうのか、そういうのは固定なのか」
「どういうこと?」
「恋人をビビらせて泣かせるくらいだったらてめえがケツ貸してやれよ」
あたりまえに存在する選択肢、とばかりに言ったインゴの提案は、エメットからすれば盲点だったようだった。
「あー……その発想はなかったなぁ……」
「はぁ?なんでだ。どっちにも棒と穴があんだろーが」
「だってボク、どちらかと言えば愛されるよりも愛したい派なんだもん」
「もっと分からねえな。つっこむ方とつっこまれる方に愛情の多寡の差があるのか」
「ない、と思う」
「てめーの都合でノンケをホモに引っ張り込んだくせしてケツ貸せる覚悟もないんだったら、とっとと別れちまえ」
「それは嫌だ!!」
抗議するエメットの瞳に、今まで見たこともないくらいに強い意志をインゴは感じた。
「だったら漢気見せてこい」
気合を注入するようにバンと背中を叩けば、思いのほか力が入りすぎたようでエメットはたたらを踏み、叩かれた箇所を後ろ手でさすった。
「痛っっったぁ……!でも、うん、覚悟決まった!相談してよかったよ、さすがボクのおにいちゃん!」
「オニイチャンに媚びんでいいから、さっさとクダリさまと会って話してこい」
「うん!じゃあお先にー!インゴも残業がんばってね」
「おう」
手をひらひらと振る弟に軽く振り返す。
あっという間に消えた白いコート姿を見送って、インゴはひとつ溜息をついた。
「Onlookers see more than the players.(岡目八目)ってやつか。なんであんな一目瞭然のことで悩めるんだか俺には理解できねえな」
結局はやはりエメットによる悩み相談という名のノロケであったことにインゴは気付き、にわかに口の中が甘ったるくなったような気がして彼は席を立った。
もっぱら紅茶党の彼も、今なら濃いエスプレッソを飲み干せる気がした。






すれ違いばかっぷるに巻き込まれるおにいちゃんたち。
誤解解消まで書こうと思ったけど、主題がぼけるので省略。クダリちゃんちに来た人はもちろんエメット君です。