26:穴
ヘタリア 東西+伊





帰宅すると、同じ家に住んでいるはずなのに最近とんと姿を見なかった男がいた。
「よぉ、ヴェスト」
「今更帰ってきたのか。随分長かったな。今度はどこに行ってたんだ」
「色々、だな」
表舞台に立たず自由になったプロイセンの「色々」の範囲の広さは本当に読めない、とドイツは思う。もしかしたら誰にも知られていない太平洋沖の小島にも行ってるかもしれないからだ。
「隠居生活は暇そうでなによりだ」
「なんだ、キツいなら心優しいお兄様が今にでも代わってやるぞ」
「気持ちだけ貰っておく。兄さんに任せたら世に混乱を巻き起こしそうで怖い」
「そう言うと思ったぜ。――そうだヴェスト、お前に土産を持ってきてやったぞ俺様に感謝しやがれ」
珍しいこともあるものだ、とドイツは思うと兄はきっちりとそれを言い当てた。
「今、珍しいとか思っただろ」
「鋭いな」
「てめーの考えてることなんざお見通しだっつーの。フン、まあいい。昔お前に教えたよな?『釜底抽薪。敵の力にはかなわないときは、勢いを弱めるようにする。これは「柔よく剛を制す」という方法である』」
「ああ」
「『欲擒姑縦。迫りすぎれば兵は反撃してくる。逃げさせれば勢いも減る。追い詰めるように迫ってはならない――』」
「『気力をなくさせ、闘志を消し、散り散りばらばらになってから捕らえれば、刀に血塗らずに済む』 お前に教わったことは全て覚えている」
「敵には非情であることも屈辱を味わわせることも重要であることも、だな」
「もちろん」
「それが解ってるなら、今回の土産は気に入るはずだ。部屋に置いといたから後で見とけ」
偉そうな演説はそこで終わり、酒飲んでくるとだけ言ってプロイセンはフラッと外へ出ていった。
ドイツは自室へ行ってみると、それぞれの国の言葉で書かれた世界各地の菓子の本が一山積まれていた。
「甘い物で敵の胃袋を篭絡しろ、ということか…?」
もったいぶった台詞の割には娯楽の範疇に入る本で、やや不思議に思いながらもドイツはその山から1冊だけ残して他は趣味用本棚に仕舞った。

残した一冊の中で手元にある材料で出来そう物を試作し、それが甘い匂いを漂わせ始めた頃、超人的な嗅覚があるかのようなタイミングでイタリアがドイツ宅にやってきた。
「チャオ、ドイツ!いい匂いがするね」
「今新しい菓子を作ってるところだからな。もう少ししたら完成するから待ってろ」
「じゃあドイツの部屋で遊んでていい?」
「それは構わんが、読んだ本は元の場所に戻しておけよ」
「了解であります隊長!」
イタリアは左右が反転した彼なりの敬礼をして、だだだっと音を立ててドイツの私室に駆けていった。
(あの様子だとまた俺が片付けることになるんだろう)
イタリアの落ち着きのなさを見てドイツは苦笑する。
まもなく私室の方向から本が落ちたような音がした。
(ここまで予想通りだと溜息すら出ないな)
しかし、ドイツが予想した範囲外の音まで響く。
ガチャン どたどたっ ガタン!
イタリアが頻繁に出入りするため割れやすい物など置いてなかったはずの私室から、何かが壊れたような音がした。
さすがに不審に思ったドイツは焼き上がった会心の作の菓子を置き部屋に向かおうとすると、逃げるように飛び出したイタリアと鉢合わせした。
「どうした、イタリア」
「え、あの…俺ドイツのこと心から大好きだし、ドイツが厳しいのは俺がヘタレだからだと思ってたんだけどさ…ごめんっ!俺、あのレベルまでついていけないかもしれない!ほんとにごめんなさいっ!!」
目尻に涙の光を残しながら、イタリアはドイツ邸を飛び出していった。
「うちにイタリアが泣いて逃げ出すような格闘技の本なんてあったか?」
ひとりごちてから、あるかもしれないとドイツは思う。なんと言ってもドイツとは違って生まれも育ちも違う、戦法には徹底的に疎いのがイタリアという男だからだ。
しかし考えている事が完全に見当外れであるということに、部屋の扉を開いてから気づいた。

部屋に散乱しているのは所謂『エロ本』と称される類の雑誌と、それらが詰まった箱。
それもSMに特化していて、ご丁寧にハウツー本まであり、あの万年発情期のフランスにですら「キワドイ」と言わしめそうなものもあって、全て見覚えのないものばかりであった。
その側には少し動かされた箪笥やシーツがめくり上げられたベッド。そこから箱が引っ張り出されたのは火を見るより明らかであった。
雑誌の他に散らばっているものは、手錠やら鞭やら縄やら果ては精神が大分子供っぽいどこかのAKYにすら「モザイクが要るもの」と言わしめるものまで様々であった。もちろんこれらもドイツが買ったものでは決してない。というか使う相手がいないのだから買うはずもない。

「なんだこれは…昨日掃除したときには無かったはず」
そこまで考えて、ふと思い当たる人間がいた。
悪戯っぽく輝いていた紅玉の瞳は、子供のようであり、しかし子供のように無垢な事ばかりを見てきたわけではない瞳である。
「奴か。そういうことか…」
そう呟く彼の瞳にも、眼差しに射られた者は凍えそうな、火よりも遙かに熱い蒼い炎が灯っていた。
「『暗渡陳倉――陽動作戦と見せかけ、静かに別の場所に不意打ちをかける』やってくれたな、クソ兄貴」
ドイツは一番近くにあった鞭を手に取り、力任せに振るった。
破裂音と共に床に鋭い傷が刻まれる。
「奴から学んだことだ。この『恩』は一番に返してやらねばならんだろう。存分に資料はあることだしな」

自室でのドイツの様子を外から覗き見ていたイタリアが誤解を更に深めることも、
下世話な「時間差びっくり箱」的な悪戯が想定外の被害を巻き起こしていることも、
悪戯の内容が仕掛けた本人にまるっと返ってくることも、
それがきっかけで知らずに済んだはずの穴の深みを覗き込むことになったのも、
このときの彼等には与り知らないことであった。






ドイツのドはドSのドー ということで、S根性覚醒話。
蒔いた種とはいえ普が不憫だ…。
あ、作中に出てくる堅苦しい四字熟語は三十六計のうちのものです。なんで中国のをゲルマンズが知ってるんだというのは適度にスルーしてください。戦うために生まれた子たちだからいろいろ研究したんだよきっと!