001:accident
ヘタリア 仏独





「こういうのはもっと適任がいるだろうに」
らしくもなくぶつぶつと愚痴りながらフランスはドイツ邸の呼び鈴を鳴らした。
長い沈黙の後ドアが開き、長身で金髪の男が顔を出した。
「ああ、フランスか…」
フランスは何故目の前の人間が自分の名前を知っているのか理解するのに数秒を要した。
なぜなら彼の知るドイツは、プラチナブロンドの髪を洒落っ気もなく後ろに撫でつけ充分に筋肉がついた体をピンと真っ直ぐに伸ばした、見るからに堅苦しい男だからだ。
しかし今のドイツは髪を力なく下ろし、だるそうに背筋を曲げて、まるで生気のない姿であった。それもそのはず、彼は風邪を引いていたのだから。

ドイツやフランスのような『国』を表す者が罹る風邪には大きく分けて2種類ある。
一つは国の不景気や情勢に拠るもの。これは下手すると命に関わるものでありながら回復の目処が立たないこともままあるので、世界恐慌のときのように気合いと根性で無理して会議に出席する。というかしないとさらに年単位で病気が長引きかねないのである。
もう一つが普通の人間も罹るような感冒性の風邪。これは彼等『国』であれば多少体が丈夫に出来ているために拗らせても死ぬ事はないが、感染るのでそれの予防のために公務を欠席することもままある。

そのうちの後者が原因で会議を重要視するドイツが欠席し、隣国であるフランスが書類をここまで持ってくることになったのだ。
「その書類は読めば解る内容か」
ドイツの低くよく通る声も、今は擦れている。
「いや、多少の補足と計画の変更がある」
「そうか。上がって説明を頼む。すまないがここで立ち話するには俺が辛い」
「はいよ」

本題に入る前にリビングのソファに腰掛けてフランスが訊いた。
「今日はヴェネチアーノも欠席してたけど、もしかして風邪もらったとか?」
「……」
沈黙は肯定の証。返答を待たずに続ける。
「ロマーノが看病の仕方が解らずに嫌々ながらお前に頼って、お前が世話焼き根性発揮して色々してたら感染ってました、ってとこだろ」
「…なんでそこまで察しがいいんだ」
「年季の差の一言に尽きるな。で、お前の頼れる兄貴は何処行ったの」
「2,3日見てない。またどこか旅行に行ってるんだろう」
「これからはプロイセンに携帯ぐらい持たせておけよ、家族なんだから。ま、今更言ってもしょうがないことだけどさぁ。じゃあ本題入るぞ」
フランスが議事録を要約しながら読み上げ、それに沿ってドイツがメモを取りながら書類に目を走らせる。いつも活字のように格式ばった文字を書いているドイツの筆跡が、ミミズがのたくったようになっていた。
会議の軌道修正役をこなすドイツを普段から見ているフランスには、流石に見るに見かねた。
「このときイギリスが――なぁドイツ、やっぱりお前寝たほうが良くないか」
「いや、大丈夫だ。これ以上フランスに借りを作りたくない」
「顔真っ赤にしてる奴が言う台詞じゃないだろ、それ。説明ならまた後でしてやるからさ」
「だからだいじょ――」
気丈なドイツの言葉はそこで途切れた。
と、同時にドイツの体はソファから滑ってどたりと床に崩れ落ちた。
流石に驚いたフランスがドイツの額に手を当てると、常人ならベッドから出ることすらできないほどの熱があった。

「馬っ鹿野郎!」



ドイツが意識を取り戻したのは、ベッドの上だった。
「フランスが来て書類を届けに来て、リビングに行って…」
それから先が思い出せない。リビングに居たはずなのになんで今自室に居るのか。
ドイツが一生懸命記憶の欠落を探っていると、飄々とした声が聞こえた。
「このフランスお兄さんに感謝しなさいよー。お前ほんとに重かったんだからな。この筋肉ダルマ!」
「お前がここまで…?」
はぁ、とフランスが溜息をついて、持ってきた病人食をベッドの傍のテーブルに置いた。
「他に誰が居るってんだよ。お兄さんも暇じゃないんだぜ?日々愛を振りまき愛を探すのに毎日大忙し」
それを人はナンパと呼ぶのだが、恩人に「それを暇というんだ」と指摘するほどドイツは空気の読めない男ではなかった。
「本当に悪かった。この借りはいつか必ず返させてもらう」
「いつか、ねぇ」
肩頬を歪めたような笑みを浮かべるフランスに、ドイツは心外そうに眉を顰めた。
「もう意識を飛ばさない程度には回復したんだ。男に二言はないぞ」
「いやいや、お前が約束破るって思ってるんじゃないの。『いつか』じゃなくて『今』がいい、って話」
「家に欲しいものがあったなら好きに持ってけ。フランスみたいな目利きが気に入るようなものは無かった気がするが」
「それじゃあお兄さん、ドイツの体が欲しいなー」
「…戦争はもうしないと随分前に約束したはずだ」
ドイツはこれ以上ないほど苦い顔をし、フランスは一瞬呆気にとられた。
「戦争…?ああ、そういう意味じゃなくって」
ドイツの耳に唇が触れそうなほど近づいて、静かに囁く。
「お前の愛が欲しい」
その響きは間違いなく色味を帯びていて、ドイツの厚い肩がわずかに震える。
「常々万年発情期だと思ってはいたが、審美眼までいかれたかフランス」
「俺は何もいかれちゃいないぜ」
「お前の好みはもっと綺麗だとか可愛いとかそういう者だろう。俺とは真逆の」
「分かってないなぁ!『ギャップ萌え』ってあるじゃない」
「そういうのがあるとは日本から聞いたことはあるが…」
「瓶底眼鏡かけたやぼったい娘が眼鏡を外すと可愛く見えるとか、ボーイッシュな娘がドレスを着るとしおらしく見えるとか、例えば――」
軽く『萌え』の話をしていたはずが、くっと意識が此方に向いたのを声音で察した。
ぎょっと薄い空色の瞳が見開かれ、それを笑みで竦められた深い海色の瞳が見つめ返した。
気圧されてドイツは少し退ったが、すぐに背中に冷たい壁の感触があった。逃げられないドイツの顔を、フランスの手が捉える。
「例えば、冗談の欠片も通じなさそうなお堅いムキムキの老け顔の男が、髪を下ろして風邪でくたばってるだけで年相応に見えたり、熱で潤んだ眼差しが庇護欲を掻きたてられたり、普段禁欲的な態度な分いつもより赤い頬がそそったり、擦れた声がイイコトを連想させたり」
一言紡ぐ毎に顔と顔の距離が近くなって、唇と唇がもう触れそうになっていた。
「お兄さん一応同意の上が理想だけど、ムリヤリってのも燃えるんだなぁ。分かってくれる?」
片や先刻ぶっ倒れたばかりの病人、片や獲物を見つけた肉食獣の気配を纏った男。
戦う前に勝負は決している。


――はずだった。
張り詰めた糸を不意に引きちぎる暢気な声が玄関から響く。
「今帰ったぞー!腹減ったー!」
それは紛れもなくドイツの兄であり同居人のプロイセンの声だった。
「本っっ当あの野郎空気読めてねえな!愛が足りてない!だからモテないんだよ」
フランスは忌々しげに、聞こえもしない音量で悪友に向かって吐き捨てる。
もちろんそれは真っ当な批判ではなく、言われた側にとっては謂れも無い悪態である。
フランスがそれを口にしたということは、同時にドイツが今この場では身の危機から脱したということであった。
「ヴェストー?どこだー?」
現場で起こっていることを知る由もないプロイセンの声が段々と近づく。
「ああ勿体無い…。でも諦めないからな。俺は美しいものには限りなく愛を注ぐ性質なものでね」
フランスは嘗ての敵国であった男の頬に、挨拶のようなキスを落とした。
「このフランスお兄さんから逃れられたなんて思うなよ?」
それだけ言い残して、嵐は優雅に去っていった。






「accident:不測の出来事」(ラテン語で「倒れてくる」の意も)
フランス兄ちゃんが萌えを語れるのは、オタク御三家の一人(一国)だからです。(ちなみにもう二人はAKYと我等が祖国)
一応ここでも終われるけど、蛇足的に003:after(普独)に続きます