ヘタリア ギルッツ・パラレル





不思議な夢を見た翌々日、ルートヴィッヒは出勤できる程度には回復した。
シフトに穴をあけたことを謝ったり、先輩医師に心配されたり、担当患者からも心配されて気まずいような恥ずかしいような一日を過ごし、ふと気づいた。ギルベルトの姿が見えないことに。
この病院に棲んでいると言っていたからここから離れることはあまりないのだろうし、なんだったら出勤してすぐにでも「お前がいなくてすげーヒマだったんだぜ!」などと言いながらじゃれついてくるとなんとなく思ってたのだけども。
いつもふざけているように見えて、あれでいて職務にはまじめな男だから、いないということはないのだろうけど、と思うと胸の内がすうすうするような寂しさがよぎったが、休んでいた分の申し送りや診察の多忙さに追われてそれどころではなくなってしまった。

ルートヴィッヒが考えていた通り、ギルベルトは病院を離れてはいなかった。ルートヴィッヒの魂の気配を先回りして察知し、彼を意図的に避けていただけだ。
熱で朦朧としていたルートヴィッヒの言葉がずっと後をひいて、胸にしこりとして残っていて、彼に会ってもいつも通りでいられる自身がなかった。。
とはいえ職務は忠実にこなすのが死神としてのギルベルトの流儀だ。今日もこの病院で死んだ患者の、体につながった薄い糸をナイフで刈り取って天の扉まで連れて行った。
魂を扉の前まで連れて行き現世へ帰ろうとすると、その背中に声がかかった。
「ギルベルト、お待ちなさい!」
聞き覚えのあるその声に苦く顔をゆがめながら、振り返る。
「俺様に何か用か。坊ちゃん」
坊ちゃんと呼ばれた天の扉の門番・ローデリヒはギルベルトのそばにふわりと降り立ち、彼のまわりと観察しながらぐるりと一周した。
「な、なんだよ……」
「なんだよ、じゃありませんよ、このお馬鹿さんが!なんで尻尾が太くなっているんですか!」
「尻尾ぉ?」
言われて自分の尻を見れば、黒いパーカーの裾の下からにょろりと黒い矢印のような形をした、子供の腕ほどの太さの尻尾が伸びていて驚いた。死神は鏡に映らないものだから、自分の後ろ姿なんてめったに見ることもなく、今までそんなものが存在するとは知らなかったのだ。
「え、こんなのあったの俺。そりゃあ道理で悪魔と間違えられるわけだぜ」
その言葉にローデリヒは眉根をぐっと寄せる。
「知らなかったのですか?死神になったときに説明を受けているはずですが」
「あー、なんか聞いたかも?忘れたけど」
「まったく……」
曰く、その尻尾は現世との結びつきを示すものだそうだ。
魂を燃やし尽くしておらず天の扉をくぐれない魂が死神になるのだが、その魂を担当した死神が刈り取りきれなかった糸の名残がその尻尾になる。つまりそれは現世との結びつきであり、魂が抱えるエネルギーの指標なのだ。
現世と天界を往復することでそのエネルギーは消費され、死神の尻尾はだんだんと薄れていき、完全に消えたときその死神はただの死者の魂になり天の扉をくぐれるようになる。
だから通常死神の任期は3年から5年、長くて10年である。その短期間でエネルギーを使い果たすほどに、現世と天界は途方もなく遠いのだ。
「え、俺10年以上は死神やってるけど」
「だからおかしいと思ったんですよ……ほとんど毎日元気にあの道のりをやってきては帰っていって。なのに今は死神になりたての頃より尻尾が太くなってるなんて、一体何をしたのです」
エネルギー、と言われて思いあたる節はある。
「あ、あっちでクーヘン食ってたから、とか?」
「このっ……お馬鹿!!」
「いや、生者が死者の国の飯食ったらいけないのは知ってるけどよ、その逆がダメとか俺聞いてねえし」
「そりゃあそうですよ。ダイエットのために運動してそのあとにドカ食いするようなものですよ、そんな馬鹿なことする人がいるなんて想定するものですか」
「オイお前それ生者の前で言うんじゃねえぞ、絶対ブン殴られるからな」
「そんなのはどうでもよいのです。その習慣続けてなんかいたら、貴方、永遠に天の扉を通れませんよ!」
別にいいし、と言いかけて、その寸前でギルベルトは口をつぐむ。
今まで見て来た生者や送ってきた死者のなかで、いっとうお気に入りでずっと一緒に居たいと思うひとができた。でもそのひとは、すでにいない誰かをずっと想っているのを知ってしまった。ならば、勝ち目のない戦に挑む前に永遠に撤退してしまった方がいいのではないかと。彼の想う別の誰かとこれ以上重ねられるのは耐えられそうになかった。さっさと抱えたエネルギーとやらを使い切って、彼の元から去った方が双方のために思えた。
「わーったよ、覚えておく。もうあいつの前に現れる気はねえしな」
そう言ってローデリヒの横をするりとすり抜け、ギルベルトは現世に帰っていった。



好きなひとの前からあえて姿を消す、というのはギルベルトが思っていたよりもずっと難しかった。
避けることが難しいのではない。会いたいと思う心を抑えて離れるのが辛いのだ。今まで毎日のように会って話していたから余計に。
砂漠の真ん中で逃げ水を追うような渇望感に胸が焼かれ、会いたいと思う心と身を引きたいと考える頭がばらばらになりそうだった。

そろそろ限界かも、上に掛け合って担当エリア変えてもらわねえと、などと考えていたある日、ふわりといい匂いがした。甘くてどこか懐かしい、どうしても焦がれる匂い。ルートヴィッヒに初めて会った日、彼を一気に好きになったきっかけになった、あのアプフェルクーヘンの匂い。
ルートヴィッヒの前から姿を消してかれこれ3週間ほど経つ。もうギルベルトがここを離れたと思ってもいいだろう頃合いなのに、クーヘンを焼いてきたということはどういうことなんだろうか。
そう思ったギルベルトはルートヴィッヒの後ろをそっとついていき、スタッフルームに入ったのを見送ってから壁の向こうにある通気口に隠れた。
すると彼は、すぐに手荷物の中からタッパーを取り出し、親戚にもらったけど食べきれないから、と些細な嘘をつきながら、仲間たちに自由に食べるように言った。
瞬間、ギルベルトは叫びだしたい衝動にかられた。
それは全部俺のもんだ!誰にもやらねえ!
喉元まででかかったその叫びを聞く者は当然いるはずもなく、同僚のドクターたちは広げられたそれを次々取っていった。
おいしいね、その親戚ってお菓子屋さんなの、遅番のひとたちにもとっておこうか。そんな言葉が聞こえて腹の底がぐらぐらと煮える。
それ以上聞きたくなくて、壁をすりぬけて外に出たギルベルトは、勢いのまま病院上空まで飛んで行って、はああ、と大きく息をついた。
「あー、もう、ダメだ。ほんとにこれ以上は……嫉妬でどうにかなっちまう」
へたに近くにいるからいけないのだ。遠くに行こう。ただでさえ生者に対して平等でない死神なんてできそこないもいいところなのに、ここまで執着してしまうなんでできそこないどころか下の下だ。いずれ悪霊にでも堕ちてしまうかもしれない。
でもその前に。意志が弱いことは自分でも分かっているが、あと一度だけあの不思議と懐かしい味を噛みしめたかった。


静かになったスタッフルームにそっと忍び入る。ドクターたちはそれぞれ仕事で出払っているのは分かっていた。とはいえルートヴィッヒ以外には見えないのだから堂々としていいのだけど。
テーブルの上には朝広げられていたタッパーがそのままに置いてある。誰かが言っていたように、遅番や夜勤の者のためにとっておいてあるのだろう。中身は半分以下にはなっているがまだ残っていた。
そこから一切れとりだしてそっと口に運ぶ。食べなれた、そしてまったく飽きないやわらかな甘みと香りが喉を通って、思わずため息が漏れた。
「あー……うめえ」
「そうか、よかった」
後ろから思いがけない声がかかって、ギルベルトは思わずクーヘンを取り落としそうになった。
そろりと振り返ると、そのよく聞きなれた低い声の主が立っていた。まったく気配に気づかなかった。目の前のものにどれだけ意識がいっていたのか、と後悔する。
「久しぶり、ギルベルト」
「……おう、久しぶり、だな」
「こうすればきっと、あなたから来てくれると思っていた」
「俺がここからいなくなったとは、思わなかったのかよ」
「ああ。この病院のあちこちからあなたの気配がしたから」
ルートヴィッヒの発言にさらに驚く。ギルベルトにルートヴィッヒのの居場所が分かるのと同じように、彼もそうだとは思わなかった。
「なのに姿を見せてくれなかったから、俺が気付かないうちにあなたの機嫌を損ねるような何かをしてしまったのではないかと思って」
「そんなことはねえよ」
そうはっきりと否定すれば、ルートヴィッヒはほっとしたような、それでいてさびしそうな顔で小さく笑った。
「なら、理由を聞かせてほしい。――ああ、そろそろ行かなければ。俺の仕事が終わる夕方に、裏庭で。それと、クーヘンは全部食べていいぞ。元々あなたのために作ったものだから」
そう一方的に約束して、ルートヴィッヒは退室した。


「ほんとうに待っててくれたんだな」
かつて担当患者であった少年の死を共に悼んだあの空き地で、約束通り待っていたギルベルトに、ルートヴィッヒはそんなことを言った。
「当たり前だろ」
「ずっと俺の前から身を隠してたあなたがそれを言うのか」
「悪かったよ……お前がそこまで気にしてるなんて思わなかった」
「気にするに決まってる。あれだけ毎日そちらから構ってきていたのに、それがぱったりと無くなったんだぞ。あなたに何かあったのかと思ったが、居る気配だけはするから、色々考えてしまった。なあ、本当に俺はあなたの気を損ねるような事をしていないか?」
「してねえよ」
決まり悪くなってギルベルトはそっぽそ向く。あえていうなら、あのうわごとにがずっと胸に引っかかって苦しいだけだ、とは言わない。熱に浮かされていた彼はきっとあのことを覚えていないから。
「これからもずっと俺を避けていくつもりか。それとも、どこか遠くに行ってしまう、とか」
「……さあな」
「否定はしないのか。そうか……。なら、ひとつだけ、聞いてほしいことがある。俺みたいなのに言われても困るだけかもしれないが、今このときだけ、甘えさせてくれ」
そう言ってルートヴィッヒは一歩ギルベルトに歩み寄り、その手をとって両手で包む。また触れられるとは思わなかったあの熱が、実体のない手を、そして霊体の身体をじわりとあたため、ギルベルトは瞠目した。
「このつめたさ、やはりあのとき傍にいたのはあなただったんだな。――ギルベルト、俺はあなたを愛している」
思わず、え、と喉の奥から声が漏れた。
「なん……うそ、だろ」
「嘘なものか。――生きる世界や立場が違いすぎるのは、重々分かっている。でも俺が悩んでいるときや困っているときに傍で支えてくれたことは、あなたを好きになるには十分だった。それだけを伝えたかった。……ありがとう、すまない」
俯きながら言って、そっと離れていくあたたかい手を、今度はギルベルトが力強くとらえた。
「お、俺も!お前が、すきだ!」
思いがけないその言葉に顔を上げたルートヴィッヒのまなじりから、一粒光が散る。
「……この場限りの同情で言ってるなら、そんなものはいらない」
「そんなんじゃねえよ!俺だってルッツが好きで、でもお前、別のやつが好きだと思ってたから……これ以上お前の傍にいるの辛くて……。なんか、ガキみたいな嫉妬だけどよ」
「他のやつ……?」
「前、寝込んでたときに言ってたんだよ、『キスして、にいさん』って。多分お前覚えてないだろうけど」
途端、ルートヴィッヒの顔が真っ赤に染まって、あ、とか、う、とか意味を為さない言葉がこぼれていった。
「あれは、その、いや、覚えている……が、誤解だ!」
「誤解?」
「あのときは、子供のころの夢をみていたんだ。昔ほんのちいさな子供だったころ、俺は身体が弱くて、当時はまだ元気だった兄さんによく看病してもらっていてな。でも病床で見る夢というのは悪夢ばかりで、眠りたくないなんて駄々をこねて兄さんを困らせていた。そんなとき、『悪夢を見なくなるおまじないだ』なんて言って瞼と頬にちょんちょんとキスしてもらっていたんだ。もちろん家族間での愛情表現の、だ。だから、あなたが考えてるような意図じゃない」
「じゃあ、『にいさん』は……」
「兄は俺の人生に大きく影響を与えたひとだし敬愛しているが、あなたに抱く恋情とは別の気持ちだ。誓っていい。――これで誤解は解けただろうか」
「お、おう……」
「なら、もうどこかに行ったりしないか?」
これ以上死者と生者が関わり続けていいのかという葛藤がなかったわけではない。だが、迷子の子犬のようなおどおどと寂しそうな瞳を見てしまったら、そんなもの途端にどうでもよくなってしまった。
「あったりまえだろ!お前が嫌だって言っても傍でつきまとってやるからな!」
勢いよく肯定したギルベルトに、ルートヴィッヒは気が緩んだように緩く笑む。
「なあギルベルト、ひとつ約束をしてほしいんだ」


………

……




「約束を、覚えているか」
「勿論」
「最期はあなたの手で、魂を刈り取ってほしい、と」
「今こそがそのときだ。約束を果たそう」
「こわくねえの?」
「あなたと一緒なんだろう。何を恐れることがあるんだ」
「そっか。納得してるならいい。お疲れ様、そして、これからもよろしくな」
「ああ、よろしく」
ささやかだが確かに医学界に貢献したひとりの医者は、生涯独身を貫いたがゆえに看取る家族のいないひとりの男は、寂しさを微塵も見せない穏やかな顔のまま瞳を閉じる。
彼の顔の上をさっとナイフで薙いで死神は言う。ずっと寄り添ってきた愛する人も、こちらの世界は初めてのはずだ。
「さ、行こうか」
寄りそうふたつの魂は寄り添って天に向かう。その片方の背中から伸びていた黒い糸はごく細く、風に溶けるようにふつりとかき消えた。






一連の話を4=死で終わらせたかったがための両想い編。
「死が二人を分かつまで」なんて誓いの言葉がありますが、死んでなお共に寄り添う約束をしてるってなかなかにすごいなって、指摘されて気づきました。
彼らの知らなくてもいい裏設定はこちら