鬼滅 さねげん
※ 原作軸・柱稽古if・和解前



その異変を彼が知ったのは、とあるひとりの隊士の言葉からだった。

「あれ、お前さっき柱修行の山んとこいなかったか?」
そう声をかけられて玄弥は首を傾げた。任務を終えて鬼殺の里に帰ってきたばかりだ。里の奥にある山には入っていない。
しかしその隊士は柱修行を終えて山を下りてきたところで、その道すがら玄弥を見たと言う。その時間を訊くと、その時間は玄弥は藤の家紋の家を出立した頃だった。
「え、そうなのか。うーん、俺の見間違いかな」
「かもな。何か用だった?」
「いや、お前柱修行終わってたはずだからあの場所で何してんのかなって思っただけ」
そう言って隊士は外に用事があったのか、玄弥と入れ替わるように里から出る。その背中に軽く手を振ってから、またひとつ首を傾げた。
知る限りこの里には自分と似た背格好の誰かなんていない。なのに誰かと自分を見間違うなんてことあるだろうか。

それが一回だけなら気にも留めなかったが、同じようなことが立て続けに何回も起こった。
街に買い物しに行っていた時間、里の大通りで見かけた、だとか。
岩柱邸で写経していた時間、風柱邸の近くで見かけた、だとか。
どうにも気味が悪い。似た背格好の人などいないはずなのに、自分に似た誰かがこの里のあちこちで目撃されるなんて。
任務の際、知らない内に奇妙な血鬼術にかかってしまい、里の皆に幻覚でも見せているのだろうとも考えた。しかし普通血鬼術とは、鬼が戦闘を有利にして身を守るものか、獲物である人間を捕えやすくするものかのどちらかだ。敵対者である玄弥ではなく玄弥の周りの人に幻覚を見せる意味がわからない。
この奇妙な事態を悲鳴嶼に相談してみると、やはり彼も屋敷の周りに不思議な気配を感じることが増えたと言った。時折感じる幽霊の類に気配が似ていて、敵意や害はなさそうだから放っておいたらしい。同じ屋敷に住む玄弥自身はその「気配」を感じたことがなかったため、いよいよ怪談じみてきたようで身を震わせた。
そして、ついには玄弥をよく知る炭治郎まで玄弥の幽霊(?)を見たと言ってきた。
「それ、本当に俺だったのか? 見間違いじゃなく?」
「俺は玄弥みたいに細身で背が高い人を他に知らないぞ。それに、ちゃんと玄弥の匂いがしてた。そこの通りでぼうっとしてたから声をかけたんだけど反応が薄くて、肩を叩いて声をかけたらちょっとだけこっちを見てから何も言わずふらっと岩柱邸のほうに行ってしまったんだ。随分と悲しそうな匂いと、あと鬼の匂いも強かったから、任務帰りで疲れてたのかなって思って……でもそのすぐ後逆方向からお前が来たから本当に驚いたんだ!」
その日は朝からずっと里の奥の山で射撃の練習をしていた。それにいくら疲れていたって友達に挨拶されたら挨拶を返すくらいの常識はある。
「最近どうも『もう一人の俺』みたいなのが里をうろついてるみたいなんだよな。さっきみたいなの、もう何度か言われたぜ」
「えっ、なんだそれ……奇妙だな。血鬼術の影響か?」
「わかんね。変な術かけられた覚えは特にねえんだけど」
「体に不調とかは?」
「ああ。むしろ最近は好調。前よりも体が軽く動くくらいだぜ。柱稽古で体力が向上したのかもな」
「だったらいいんだけど……でもやっぱり異常であるのは確かなんだから、誰かに相談した方がいいと思うぞ」
「悲鳴嶼さんには相談したけど、『見た』わけじゃないからやっぱりなんとも言えないみたいでさ。でも、やっぱり変だよな? 明日蝶屋敷で定期健診があるから相談してみる」
「ああ、そうしたほうがいいな。俺の杞憂だったならそれが一番だ」
そう言って炭治郎はニカッと笑い、つられて玄弥も淡く笑む。
結論を言えば、それは『杞憂』ではなかったのだけど。



「玄弥君、あなたきちんと食事は摂っていますか」
厳しい声音でしのぶに睨まれ、玄弥は気圧される。
「い、一応。他の隊士ほど沢山食えはしないですけど、一応人並みには」
「そうですか。だとしたらこの数値はおかしい。いえ、絶食していたとしてもおかしいのですが」
「俺の体が、何か……?」
「体重が以前計ったときの七割ほどにまで減っているのですよ」
「なな、わり……?」
三割減ったということは分かるが、数値を聞いてもピンとこない。
「丁度、両脚を付け根から切り落としたくらいの重さですね」
「え、さすがに脚を?がれて生やしたことはないですよ。切り落とされたあと強くくっつけたら治ったってことはありますけど」
「……それについて言いたいこともありますが、話が逸れるので今は置いておきますね。他に、何か体調に異変を感じたことはありませんか」
このところ体の動きが軽くなったことと、体調のことではないけれど自分の生霊みたいなものが里をうろついているらしいということを報告した。
「そうなると、あなたの生霊……もしくは魂の一部が質量を伴って本体から離れた、というのが一番合理的に説明がつきますが、だとしたら何故……? 玄弥君、最後に鬼喰いをしたのはいつですか?」
「柱稽古後すぐの任務なので、三週間前くらい、です」
「というと……ああ、これですね。二十日前に診療に来た記録があります。本当にその時以来やっていませんね?」
嘘をついたら見抜きますよとばかりの厳しい目つきにさらされ、玄弥はコクコクと頷く。
「普通血鬼術の影響というのは日に当たる時間を重ねれば消えるものですが、あなた自身の体質とどう絡んでくるかまでは未知数ですからね……。一応任務に出るのは控えて経過を見ましょう」
「わ、わかりました」

体の調子はむしろ良好なくらいなのに鬼退治を控えろと言われるのはどうにも据わりが悪い。けども異変が起こっているのは事実なのだから納得するしかない。
眉根を顰めながら蝶屋敷を出ると、通りの向かいからこちらに駆け寄ってくる小柄な女性が見えた。
「弟様! やっとお会いできました、先日は本当にありがとうございました」
深々と頭を下げる彼女は誰だったか暫し思い出せず、数秒後「ああ! あの時の!」と声をあげた。
一昨日、任務帰りで街を通った際、大きな荷物を抱えて困っていた女性に声をかけたのを思い出した。玄弥はただ困っている人を助けるだけのつもりだったのだが、彼女はたまたま鬼殺の里で働いている者で、玄弥の隊服を見てそれを伝え助けの手をとったのだった。
確か彼女は風柱邸の下働きをしていると言っていた。その風柱の弟であることも道すがら喋ったような記憶がうっすらある。
そんなに頭を下げられるようなことをしたつもりはないのであわあわとしていると、女性は続けて言う。
「せっかく助けていただいたのに恩を仇で返すようなことになってしまい本当に申し訳ありませんでした……!!」
「え、仇?」
「私、屋敷に勤めて日が浅く、まさか風柱様が弟様と不仲だなんて知らなかったのです。風柱様がひどく怒鳴っておられる声が遠くからでも聞こえて、屋敷の前まで連れてきてしまったのを深く深く後悔しておりました……先輩方にも強く叱られてしまいました。本当に申し訳ございません」
しょぼしょぼと声を小さくする彼女に、玄弥はただただ困惑する。
「俺が、兄貴に怒鳴られていた? そんなことありましたか?」
「えっ!?」
「いや……そんな覚えがなくって。あなたと街で会ったのは覚えてるんですけど。あの、それって一昨日あったこと、ですよね?」
「ええ、そうですとも。荷物を屋敷の中に運んでいただいているときに、ちょうど風柱様が帰ってこられて……本当に覚えてらっしゃらないのですか?」
ありえない記憶の欠落に、玄弥はぞっと血の気が引く。兄と顔を合わせて怒鳴られるなんて、そうそう忘れる出来事じゃない。なのにその記憶がすっかり抜け落ちていた。
更に、それに連なってひとつ奇妙なことに気づく。鬼の活動が急速に少なくなって任務が減り隊士の大半が里にいる今、ほとんどの隊士とは三日とあけず姿を見かけることになる。しかしこの二三週間、兄と顔を合わせた記憶が一切なかった。






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