鬼滅 さねげん
※ 原作軸・柱稽古if・和解前




これで全部の分裂体を帰したはずだ。そうでなければ今日一晩やったことが無駄になる。
散々に感情を揺さぶられたせいか、実弥はひどく疲労していた。
よろついたその足で再び玄弥の元に行けば、夜の時と同じようにしのぶと炭治郎がそこにいた。ベッドで眠っている玄弥の顔色は随分と良くなっている。が、目を覚ます気配はない。朝日がたっぷり注ぐ東向きの部屋の中で、まだ深い眠りについているように見えた。
「不死川さん、進捗はどうですか」
「竈門が言ってた玄弥のいる場所は全部行った。全部ここに帰したと、思う」
「それは上々、と言いたいところですが……まだ『足りてない』ようなのですよ」
「ハァ!? 蝶屋敷の敷地に一つ、山に二つ、俺の家に一つ、だっただろうが! 全部会って説得したぞ俺は!」
「炭治郎君、今の話は確かですか?」
「はい。夜中の内に玄弥の匂いはひとつずつ消えていって、今はもうこの部屋にしかありません」
「だとしたら、今欠けている分裂体はもっと遠くにいるか既に朝日に照らされて消えてしまっているか、でしょうか」
しのぶの言葉にざっと血の気が引く。
「オイ待てェ! そんなことあるのかよ!!」
「無いとは言い切れません。普通の血鬼術なら陽の光を浴びれば解毒できるものですが、玄弥君はそもそも『普通』ではありません。鬼化したときは陽の光で灼けたという診療記録も残っていますから、可能性はゼロではないでしょうね。そうなってなければいいと、勿論私も思ってはいますが」
「俺、里の外に出てるのがいないか探してきます!」
炭治郎が力強く言って部屋を飛び出していく。
それに続いてしのぶもゆっくりと部屋の外に向かう。そして一度実弥の方をまっすぐ見た。
「私は似たような事例がないか、もう一度資料を探してきます。不死川さん、彼に容体の変化などありましたらすぐに知らせてくださいね」

そう賑やかでもなかった部屋がしんと静まり返った。屋敷の生活音が随分と遠く聞こえて、別の世界のようにも感じられる。
太陽はまだ低い位置だが空は晴れ渡っていて、光が眩しい。これだけ眩しければ普通目が覚めるものだろうに、玄弥は変わらず眠り続けていた。
ベッドの外に出ていた玄弥の手を取ると、人並みに温かくてほっと息をつく。夜中に触れた分裂体たちは、血が巡っていなかったのか夜風そのままの温度だったのか、死体のように冷たかったのを思い出した。
「玄弥……」
ぽろりと弟を呼ぶ声がこぼれ出る。何を語り掛けるでもなく、ただ呼びたくて。
すると、静かな部屋に濁ったような短い音が鳴ったのが聞こえた。
「玄弥?」
もう一度呼べば、音ももうひとつ。横たわる弟の姿に変化はない。深く眠り続けている。じっと見つめていると、もうひとつ更に大きく音が聞こえた。ひぐっ、と声を押し殺したような音が。方向は間違いなく玄弥の方から、―?否、玄弥の『下』からだった。
はっとして実弥がベッドの下を覗き込めば、確かにそこに居た。手のひらに載るほどの小さな小さな弟が、更に小さく体を丸めて声を殺してぼろぼろと涙をこぼしていた。
「……玄弥、そこで何してんだ? こっちにおいで」
できるだけ優しい声音で呼んでみたが、こちらを振り向きもしない。手を伸ばせばなんとか届く位置に居たのでそっと手で掬うと、抵抗なくころんと小さな玄弥は手のひらのなかに収まってくれた。そのまま両手で包み、念の為日の光が当たらないように自分の身体で影を作ってから片手を外す。
小さな玄弥は、そんなに泣いたらその体があっという間に干からびてしまうんじゃないかというくらいぼたぼたと涙をこぼし、実弥の掌をぬらしていく。
この小さな玄弥も何か伝えたいことがあるのかと耳を澄ましていると、ぐずっと洟をすする音の合間に、ぽしょぽしょと声が聞こえた。
「さみしいよ、兄ちゃん」
独り言のようなそれは、兄を呼びながらも実弥の方を見ない。丸くうずくまったまま、寂しい寂しいと声を上げる。
「ひどいこといってごめんなさい、ばかでごめんなさい、弱くてごめんなさい。でもひとりにしないでよ。置いてかないでよ。ひとりはもういやだよ、さみしいよ、にいちゃん。にいちゃん、どこにいるの」
たくさん傷つきながら、たくさん寂しい思いを抱えながら、それでも直向きに兄を慕うこの心に、もう何度胸を打たれただろう。
掌の上の小さな玄弥にぼたぼたと熱い雨が降る。
「もう泣くな、兄ちゃんはここにいる。ひどいこと言ったのは俺の方だ、お前はなんにも悪くねえ。本当に悪かった。もう突き放したりしねえから、もう寂しい思いなんてさせねえから……こんな兄ちゃんでも許してくれるなら、目を覚ましてくれ、俺を見てくれ、玄弥。お前が起きてくれなきゃ抱きしめることだってできねえだろ」
ほんの幼い頃にそうしていたように、玄弥の背中をトントンと宥めるように撫でる。手の中の弟は小さすぎて指先でそうするしかなかったけど、それでも兄の存在はきちんと示せたようだ。丸く蹲って下を向いていた玄弥がゆっくりと顔を上げた。
「にい、ちゃ……?」
「ああ、兄ちゃんだ」
「にいちゃ、に、ちゃ……あ、うう、うぁあああああっ、ぅああああ!!」
玄弥は実弥の親指に縋りついて、声を枯らさんばかりの大声で泣き叫んだ。にいちゃん、にいちゃん、とそれしか言えなくなったかのような姿に、どれほど大きな寂しさを抱え続けて来たのかを思い知らさせる。
こんな酷い兄をこんなにも慕ってくれるなら、もう他所で幸せを見つけろなんて決して言えない。一人で抱えるには大きすぎる寂しさを埋められるのは、きっとこの世にお互いしかいない。
「ごめんな、玄弥……もう二度と離れたりしねえ、寂しい思いなんてさせねえ。俺にはお前だけだ」
そう言って小さな身体をもう片方の手で包み込んでやると、そのまま掌の中に融けたように小さな玄弥は姿を消した。



涙の後だけ残る掌をじっと見つめたままでいると、ベッドの上の玄弥がわずかに身じろぎをした。それに気づき実弥はぱっと顔を上げる。
「玄弥!?」
呼びかければ、ずっと静かに深く眠っていたその顔がむずがるように眉根を顰めた。枕元に近寄りじっとそのさまを見つめていると、瞼がゆっくりと持ち上がる。窓の光が眩しいのかはっきりと開かないのが少しもどかしい。
「あれ、ここ……どこだ……?」
かさついた声で呟いてから、視線だけが僅かに実弥の方を向く。
「ああ、また俺、都合のいい夢見てる……」
夢じゃねえ、と言おうと思った口からは熱く震える安堵の息しか漏れない。その代わりに、玄弥の掌を拾い上げて自分の頬に寄せ存在を示した。
「にいちゃん、泣いてるの? どうしたんだよ、泣かないで……」
一晩中心を殴られ続けた兄の思いも知らないそんな言葉に、実弥は不格好に笑った。そして。
「誰に泣かされたと思ってんだ、馬鹿野郎」
そんな悪態ひとつをどうにか吐き出した。

◇ ◇ ◇ ◇ ◇

日が昇り人々が活動を始め、やがて陽が落ち人々は眠りにつく。
里の中で一人の隊士がひっそりと命を落としかけていたことなどほとんど誰も知らないまま、いつもと同じように日々が過ぎていく。柱の邸宅からは檄と悲鳴がひっきりなしにあがっているし、その面倒をみる使用人たちもせかせかと動き回る。柱同士が稽古している場所からは、およそ人間が立てているとは思えない破壊音が聞こえ、近くを通る人を驚かせている。
表面上、何も変わったことはない。
しかし件の異変の当事者である玄弥と実弥の間に流れる空気は大きく変わった。弟が兄に無理に近づこうとすることはなくなったし、兄が弟を怒鳴りつけることもない。特に実弥の方は、多忙であるのにその合間を見つけては玄弥と過ごす時間を作っているようで、二人が話している場所に偶然出くわした隊士は自分の目を疑ったという。
「あの鬼よりも怖い風柱様が、微笑んでる、だと……」
口を揃えてそんなことを言う。
彼らほどではなかったにしろ、炭治郎も驚いた者のひとりだった。
「実弥さんって、あんなに優しい笑顔ができたんだな」
そんな感想を述べれば、玄弥は一瞬目を丸くしてから、ははっと笑う。
「あれが本当の兄貴だよ。昔からよく知ってる、世界で一番優しい人だ」
そう言って頬を緩ませる玄弥の顔は、兄そっくりの優しい笑顔だった。


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