鬼滅 さねげん ※鎌鼬×牛鬼 昔々、とある街道沿いの宿場町に、実弥という名の鎌鼬が棲んでいた。鼬とはいっても形<なり>は白い髪が特徴的な人の姿をしており、鼬の姿をしているのは実弥の傍にいる二匹の使い魔の方だ。 かつては実弥も白い鼬の姿をしていた。白い毛並みの獣は古来から神の遣いとされていて、実弥もそのうちの一匹だった。しかし住み着いていた神社の神があまりに気分屋で飽き性で不真面目で、ほとほと愛想が尽きて神社を飛び出して妖怪鎌鼬を名乗り今に至っている。 「気分次第で誰かに罰<ばち>をあてたり加護を与えたりするんなら、妖怪も神もたいして変わんねェ」 それが実弥の持論であり口癖だった。 宿場町というのは人の往来がある分、たくさんの情報が集まる場所だ。 いつものように突風と共にスリを転ばせたり、強盗の腕を斬りつけたりして遊んでいると、人混みの中である噂をよく耳にするようになった。 いわく、街道を南に逸れたところにある山の中に、参拝すればどんな病もたちどころに直してくれる霊験あらたかな神社がある、という。 「どんな病も、だって? 胡散臭え」 実弥は眉根を顰めた。生い立ちのこともあって、実弥は神を名乗るものが大嫌いだった。今まで見てきた神様とやらはひとつの例外もなく気分屋で、人々の期待に沿ったり沿わなかったりしたし、信仰があるのを笠に着てふんぞり返ってるものばかりだった。参拝に来た者すべてに加護をほどこす真面目でマメな神など見たことがない。 「……胡散臭えが、確かめてみねえと『いない』と確定できねえよなァ」 あまりに評判の絶えないその神社とやらがどうにも気になって、実弥はそこに向かうことにした。 実弥の棲む宿場町から向かうと人の足ならたっぷり二三日はかかるような離れた場所も、鎌鼬の飛行なら一刻もかからない。風に乗ってひとっとびして降り立ったその山は、里が近くにある割には荒れ放題で道は険しく、街で評判が高い割りにはしんと静まり返っていた。 よく考えれば、病を治してもらいたい人が街から離れた場所にある険しい山を登ろうとするには、それなりの準備と覚悟が必要だろう。静かなのはそういう理由らしかった。 びゅんと更にひとっとびして、実弥は山頂付近にあるその神社に降り立った。神社と呼ぶにはあまりにおこがましい、ただの祠がちょこんと置かれているだけだったのだが。 かろうじて人がくぐれるくらいの鳥居はあるが狛犬も境内もない、ただの祠。文字が掠れて何が祀られていたのかさえ判別しがたいそれは、時折来る参拝者に世話されているのか多少こざっぱりはしていたが、元・神の遣いだった実弥から見ても神様らしきものの存在は見えなかった。きれいさっぱり、すっからかんだ。神どころか妖怪すら見当たらず、宿るものも封印されているものもない。 「なんだこりゃあ? 肩透かしもいいところだぜ、全く……」 大きな疑念とほんの少しの期待を込めてこんなところまで足を運んだのに、収穫がまったくのゼロで実弥はたいそうがっかりした。人々からの期待に十全に応えるマメな神がいるなら是非とも見てみたかったのに。 ただ無駄足を踏んだだけで帰るのも癪で、実弥はその山をぐるりと観察してみることにした。肩に乗った傷薬担当の鼬が、宿場町近くでは見ないなかなか見ない鬱蒼とした山に興味を示してフンスフンスと鼻を鳴らしていたから、何かあるのかもしれない。 ひとまず、ほとんど獣道のような参道をざくざくと音をたてて下り、麓まで来てから山をめぐるように木々の間を飛んで回る。薬の鼬が鼻先を向ける方向が気になってそちらのほうに向かって木々を飛び移っていくと、森がさらに鬱蒼と陰っていき、未だ昼間なのに夜のような暗さになっていく。その中で更に暗くぽっかりとした一帯があって、その中にどうも奇妙な気配が感じられた。 その一際暗い場所に降り立つとそこはほとんど崖のように地面が深く窪んでいる場所で、空気の流れが悪いのかじめっとしている。参道に面してるのにこの地形は危なくないか、と思って見渡していると、ふと背後に気配を感じた。 ばっと振り向けば、相手もぎくりと身体をこわばらせる。 「だ、誰だ……?」 敵意は無いが不可解そうな声がする。その瞬間、ざっと風が一帯を薙いで一瞬光がさし、実弥にもその『相手』が見えた。 概形は実弥と同じくらいの体格の人間で、紫色の羽織と首に数珠のような首飾りを身に着けている。だが彼が人でない証拠として目立つのは腰あたりに生えた蜘蛛の脚のような黒い関節肢だ。頭には牛のような角と耳が生えていて、そのなりから相手は『牛鬼』だと実弥はすぐさま特定した。 牛鬼は人を襲ったり病に至らしめる妖怪で、今では昔に比べて人間が力をもつようになったため見かけることは珍しい。ほとんど退治されてしまっているか人里から遥か遠くに居を移しているものが多いと聞いている。実弥も実際会うのは初めてだった。 「俺は鎌鼬の実弥。お前と同じ『妖怪』だ、そんな警戒すんじゃねえ」 人間かと思ったのか肩をいからせて短剣を向ける牛鬼に、実弥は笑って両手の平を軽く掲げて見せ、敵意がないことを示す。すると牛鬼はじっと実弥を見てから、ふっと肩の力を抜いた。 「そっか。悪い、こんなとこまで誰かが来るなんてなかったからさ、驚いちまったんだよ」 「まあ、こんなに暗くちゃ誰かいるなんて思わねえ」 「だろうな。で、あんたはどういう訳でこんなとこに来たんだ?」 「最近街で噂の神社を見てみたかったってのと、俺の使い魔がここに興味を持ったらしいから、だなァ。おい、出てこい」 実弥が合図を送ると甕を持った白い鼬がぴょこんと肩から姿を現し、そのまま目の前の牛鬼に向かって突進していった。 「あ!? おい、何して―—」 止めるまもなく鼬は牛鬼の脚にしがみつき、甕の中のくすりとぺたぺたと塗りだした。闇に慣れて来た目でよく見ると牛鬼の手足は傷だらけで、薬を塗られた部分からその傷口がみるみる消えていく。鼬がこの山でそわそわしていたのは、この妖怪が傷だらけなのを察知して治したがっていたかららしい。 脚やら腕やらにまとわりつく鼬におろおろしている牛鬼という図が妙に愉快で、実弥はけらけら笑う。 「そいつ、善良な奴が痛い思いしてるのをすげえ嫌がるんだ。大人しく手当されとけ」 「へえ……? 別に俺、そんなに良い奴でもねえけどなあ」 「そこらへんは気にするな。獣の直感を真面目に考えるモンじゃねえよ」 笑いながら実弥は目の前の彼をじっと見る。警戒していたときは眦をつりあげ刃物をつきつけんばかりの格好で見るからに凶悪に見えたが、鼬にまとわりつかれて困ったように眉を下げ鼬に促されるままペタンと座っているのを見るとどうにも幼く見えて可愛い。そんな彼と会えただけでもこの山に来た意味はあったなと思っていた。そして、唐突に彼の名前をきいていないことを思い出した。 「なあ、お前。なんて名だ?」 「な? な……ああ、名前のことか! えっと、ゲンヤだ」 「ゲンヤ、か。漢字は?」 「漢字? え、しらねえよ。音でした聞いたことない。だいぶ昔に『お前は新月の夜のようにまっくろい毛並みをしているな。これからはゲンヤと名乗ると良い』って言われたから、多分俺の名前はそれだ」 『くろ』と『夜』という単語から、きっと名付け親は『玄夜』という名をあてたのだろうなと実弥は推測した。 しかしこの寂しい場所で誰とも会わずひとり傷だらけになっている寂しいぜ善良な妖怪に、自分からも何かをあげたいという世話焼き心が実弥の中にむくむくと湧きおこってきた。 「じゃあ、俺がその音に合わせて漢字をあててやるよ。そうだな……『玄弥』はどうだ」 そういってぬかるんだ土に木の枝で『玄弥』と書いてやる。 「それでゲンヤってよむのか? ……へえ、なんかちゃんと名前って感じするな。かっこいいと思う。なあ、あんたはどういう字を書くんだ?」 乞われるままに、実弥は自分の名前をその下に書く。 「あ、この字一緒なのか。はは、なんか良いな」 書いてから「自分の名前の一字をやるとか武家の親子か兄弟かよ」と実弥は内心ひやひやしていたのだが、当の牛鬼―—玄弥が嬉しそうなので、その笑顔につられるように実弥も頬を緩めた。 使い魔の鼬がせっせと塗った薬のおかげで玄弥の傷はほとんど治ってすっかり綺麗な皮膚になったのだが、ただひとつ顔に大きく走る一文字の傷だけはどうにも治らなかった。不審に思ってその傷をじっと観察すると、呪いのような痕跡がわずかに残っていた。 「この傷だけなんか違うなァ? 治らねえようになってやがる」 「ん? ああ、これそういう風になってたのか。俺、前に人間に追いかけられたことがあってさ、そのとき巫女さんなのかな、女の人に弓でやられたんだよ」 「そういう輩のまじないか、道理でこの薬とは相性が悪い。――しかし、追いかけられたってェ? なんだ、人里まで下りてったのか」 「ううん、ここに越してくる前の話。俺、前はここより西の方のちいさな池に住んでたんだけどさ、日照りが続いたときにその池が干上がって住めなくなっちまったんだよ。それで良い池か沼がないかなって探してたらうっかり人里近くまで行っちまって、そのときにやられたんだ。そのときは、俺が人間にとって怖くて気持ち悪いモンだって知らなかったんだよなあ。悪いことしちまった」 へにゃりと眉を下げて笑う玄弥に、実弥は眉を顰める。 牛鬼は確かに人に害をなす妖怪だ。人間が恐れる気持ちは分かる。しかし、ただ住処を求めていただけの彼が何をしたというのだろう。消えない傷をつけられるような謂れなんてないはずだ。 そんな人間の傲慢さにも、それを当然としているこの牛鬼にも腹が立った。 「じゃあもっと人里から離れたところで暮らせばいいだろ。そりゃあ此処は大分暗くて人なんて来ねえだろうけどよォ」 「そうできたらお互いいいんだろうけど、俺たくさん水飲むし鈍間だから、どこか他に水のある場所を探してるうちに干乾びちまうと思うんだよな」 牛鬼は沼や滝に棲むといわれるが、どうやらそういうわけらしい。普通の牛もよく水を飲むというから、生態は牛に近いのかもしれない。妖怪なのに飛べないのは相当不便だろうな、と生まれてこの方ずっと風を巻き起こしながら飛び回っていた実弥は思った。 それからぽつぽつと話をしてから、また来るという約束をして実弥は玄弥の棲家を発った。そして自分の住処である宿場町へ戻る道すがら辺りを見渡し、溜息をついた。 風は大地を沿って這うから、上空まで飛び立てば何処へでも行ける。だから地形など気にしたこともなかった。だがよく見てみるとここら一帯は平地すぎるのだった。玄弥の棲んでいた山が唯一ぽつんとちいさくそびえたっているだけで、あとは川と田畑ばかりで池のひとつもない。 街道を跨いで北に向かえば、陽気に人間と遊んでいる河童の隠れ里だってあったし、手慰みに山の形を変えたり湖を作ったりしているダイダラボッチだっていたのに。 しかし人通りのある街道を無事に渡りきるのは飛べない牛鬼にとっては難しかっただろう。そう思うと玄弥の不遇さがどうにも哀れで仕方なかった。 |