鬼滅 さねげん ※鎌鼬×牛鬼 「また来る」の約束がまさか翌日果たされるとはお互いに思っておらず、玄弥は驚いていたし実弥は少しばかり気まずく苦笑した。 昨日はこの傷だらけの寂しい牛鬼に出会ったことで頭がいっぱいになっていたが、そもそもここに来た理由は街で噂の神様とやらを探しにきたからだったのだ。 というわけで、忘れないうちに玄弥に訊くことにした。 「このへんに、人間の頼みごとをまめに叶えてやる奇特な神様とやらがいるらしいんだけどよ、お前見たことねえか?」 玄弥は目をぱちくりとさせて首を傾げた。 「さあ、そういうのは知らないなあ。っていうか。そもそも神様って、本当にいたんだ?」 「そりゃあいるところにはいるぜ。俺が昔住んでた神社にもいたし、近所の神社にも大抵はいたもんだ。まあ、みんな気まぐれでぐうたらで頼み事なんてそうそう叶えちゃくれねェ奴らばっかだ」 「へぇ~! 神様かぁ、俺は一度も見たことないな。っていうか、見たことないからどういうのが神様か知らねえや。もしかしたら、山ん中ですれ違った鹿が実は……ってことがあったかもしれないし」 「ははっ、そういうことも偶にあるって聞くぜ。まあ、人間みたいに特別鈍感な生き物ならともかく、妖怪なら普通感づくもんだけどなァ」 「それ、俺が『特別鈍感』だって言ってる?」 「いやぁ、別にそこまでは言ってねェよ。ちょっと物知らずの気があるとは思ってるがな」 「それは否定しねえけど」 むっとむくれてみせる玄弥の表情は、体の大きさの割にはどこか子供っぽくておかしい。良く言えばスレてない。それはきっとほとんど誰とも会わないまま過ごしてきたからかもしれないし、妖怪としては若いからかもしれなかった。 「あ、つらそうな顔した人間がよくこの山を登ってくるのを見るけど、もしかしてその神様に会いに来てたのか?」 「間違いなく、そうだろうな」 「ああ、道理で! 人間の足じゃ元気な人でも一苦労だろうに、元気がない人が登ってくるなんて変だなあと思ってたんだよ! あんまりしんどそうだから、こっそり背負ってた病魔を食ってあげてたんだけど、ちゃんと神様にあえて無事に里まで帰れてるといいな」 なんでもないことのように言われたそれに、実弥はいぶかしく眉を顰める。 「んん!? 今なんつったお前」 「え? 無事に帰れてるといいなって……」 「そっちじゃねえよ! 病魔を、喰ったって?」 「う、うん……なんか変だった?」 きょとんとした顔をされ、思わずため息が漏れる。思い返せば、ここにいるのが病魔退散の神様といわれているということを玄弥に伝えていなかった。 「牛鬼は人を襲ったり病気を撒いたりするといわれる妖怪だ。その逆をする奴ァ聞いたことがねえ」 「え、そうなのか!? 病気なんか撒いて何か楽しいのか?」 「いや、それは知らねえよ、何を楽しく思うかは妖怪それぞれだからなァ」 「それもそうか。――あ、また来た」 玄弥が里のある方を向き、実弥もそれに倣ってそちらに注意を向ける。するとほとんど獣道のような参道を通ってゆっくりと人が近づいてくる気配がした。 「たぶんまた病魔を背負ってる人だな。俺はちょっと行ってくるけど、実弥はどうする?」 「そうだなァ……珍しいモンが見れそうだし、ちょっと離れたところで待ってるわ」 「了解」 実弥はつむじ風に乗って近くにあった高い木の梢に座って参道を見下ろす。 この山の道はただでさえ足場が悪いのだが、山の中腹をいくらか超えたところに一際険しい難所があって、そこから先は比較的平坦な道がありその末端に祠がある。難所を上がった場所の傍に崖のようなくぼみがあってその底が玄弥の棲家になっていた。 参拝客は本当に大変そうにゆっくりゆっくり難所を登って、どうにか超えた頃にはすっかり息を切らしていた。ぜいぜいと鳴る胸を気持ち悪そうにさすりながら、近くにあった平たい岩に座って休憩する。 玄弥は両手に持った短剣と腰から生えた節足を使って器用にするすると崖を這い上がり、岩の裏にそっと陣取る。背後に立たれている人間は疲れているからか玄弥に気づく気配はない。 玄弥が両腕を動かして空中の何かを?ぐような動作をすると、そのあたりが一瞬陽炎のように揺らめいたように見えた。そして見えない何かを持った玄弥はがぶがぶと大口を開けて食べる動作をする。彼にはその『何か』が見えているのだろうけども、実弥には陽炎の揺らめきしか見えない。しばらくするとその揺らめきすら消え去って、玄弥は元来た道をするすると下っていった。 玄弥に後ろをとられていたことに終<つい>ぞ気づかなかった人間は、肩を回したりぐっと伸びをしてから立ち上がり、軽快な足取りで参道を進んでいった。 梢からすとんと降り立った実弥は、玄弥を見てぎょっと驚いた。瞳は赤く染まり白目の部分は黒く染まって、相貌のおそろしさがぐんと増していたからだ。 「お前、その目どうしたんだよ」 「目? ああ、これか、放っておけば治るから気にしないでくれよ。病魔食うとこうなるんだ」 気にするなと言われても無理な話だ。玄弥は目が大きく印象が強い。どうしても視界に入る。 「なあ、さっきのがお前の食事か?」 「食事っていうのとはちょっと違うかなあ。別に食わなくても生きていけるし。俺が暇してるから、こっそり手助けしただけ」 「手助けって……お前のその顔の傷、人間にやられたんだろうが。なのになんで」 「だってあの人、矢を射ってきた巫女さんじゃないもの。あれはもう百年も前だからそんなに恨んでないし、あの人だってきっととっくに亡くなってる。この古傷のせいで、近くにいる大変そうな人を助けない理由にはならねえよ」 反転した目を細めてにかっと笑う玄弥に、実弥は眉を顰めた。 人間が怖くない訳じゃないだろう。怖いと思う心があるから『こっそり』手助けしているのだろう。手足についた細かな傷跡は崖を登る際に木々や岩に擦れてついたものだと、一部始終を見ていた実弥は気付いていた。人を助けようとしなければ負わなかったはずの傷だ。 なのに、何故そこまでして。 玄弥のその優しさはいつか身を滅ぼすような気がして、胸の中にもやもやが蟠る。 しかし、かねてからの持論であった「妖怪も神もそうたいして変わらない」という事象を彼が証明してくれたのが嬉しくもある。人間たちが病魔退散の神として崇め街まで噂を轟かせていたのは、間違いなくこの牛鬼なのだ。当の玄弥はそれを自覚していないようだけども。 その複雑な気持が唇をむずむずとさせ、暫しの沈黙の後、 「くれぐれも人間に見つかったりするなよ」 と、それだけ言うにとどまった。 |