鬼滅 さねげん
※鎌鼬×牛鬼




しばらく二人で平穏に暮らしていると、何か思うことがあったのか玄弥の行動に変化が訪れた。
まず、玄弥は友人と遊ぶ時間を減らし、悲鳴嶼のところに出掛けるようになった。実弥にしてみれば玄弥が湖を含めた家の敷地外に行くのは些か不本意だったが、悲鳴嶼は大きすぎて敷地には入れないし、信頼のおける人物と認めてもいるので実弥は黙って見送っていた。帰ってきたとき、友人と遊んだときのような晴れ晴れした楽しそうな表情ではなかったのが少し気にかかってはいたが。
それから、玄弥が実弥の顔や体に触れることが増えた。色っぽい気配を感じるわけではないから誘われているわけではないようだ。母が子を心配したり慈しんだりする手つきに近い。それでも惚れた相手にそうされてまるきり平然としていられるはずもなく、柄にもなくどぎまぎした。
さらに、何かもの言いたげにじっと見つめてくることが増えた。どうかしたかと尋ねてみても、「なんでもない」と躱されたり「見てただけ」とそのまま返されたりした。目が合う回数が増えたというのは所謂『脈がある』ということだと聞いていたから、これは祝言をあげられる日も近いかと期待して少しばかり浮かれた。(それを聞いた宇随は「随分駆け引きの上手い子牛ちゃんだな」と褒めてるのか驚いてるのかわからないことを言った)

しかし、実弥は元来気が長いほうではない。
好いた相手から触れられて見つめられて、なのにその相手はなんでもないような口ぶりをするし他の男のところに頻繁に通う。そんな焦らされることを続けられたままじっと相手からの行動を待つことなんてできなかった。
三か月待った。気の短い実弥にしては驚くほど長い間待った。遠回しで思わせぶりなことを友人がしていたら一日とたたず張り飛ばしているのを、玄弥が相手だからそれだけ待てた。
だがそろそろ何か進展があってもいいのではないかと、直接つついてみることにしたのだった。

「玄弥、俺に何か言いてェことがあんだろ。隠し事するな」
焦らされたせいでうっかり詰問するような口調になってしまったが、ここで訂正するのもきまり悪くて真剣な顔をつくって玄弥をじっと見つめる。
俺のことが好きなんだろう。なら言え。早く言え。とっとと吐け。
ただただそれだけの思いで見つめていると、玄弥はひっと喉で息を詰まらせ、大きな目がみるみるうちに潤んでいく。そしてあっという間に限界を迎えたそれはぼろりと大粒の涙となってこぼれおちた。
「兄ちゃん、ご、ごめんなさい」
「……は?」
「お、おれ、兄ちゃんに助けてもらったのに、なんにも返せない……役にたたない愚図でごめんなさいっ……!」
一度あふれた涙は滝のように次々と流れる。その様に実弥はひどく肝をつぶした。期待したのとは全く違う。そんな懺悔は求めてない。そもそも謝罪をうけるようないわれはない。
「おい、なんだ、何の話だァ!?」
「俺じゃ、兄ちゃんを助けてあげられない……」
「助けてくれなんて一言でも言ったか? 何か誤解がある、いちから話せ」
玄弥の手を握り落ち着くまで待ってからもう一度促すと、ぽつりぽつりと話し出した。
「前、いったん家の中に戻ってきたときに兄ちゃんと宇随さんが話してるの聞いちゃったんだ。兄ちゃんが病気にかかってるって。治らない病気だって」
基本的に妖怪は病気に罹らない。妖怪の体調に影響を与えるのは呪いか祓いか若しくは土地との相性の類である。
そんな話をしたかと実弥は首をかしげてから、宇随の言う『不治の病』のことだと気が付いた。あれは所謂『お医者様でも草津の湯でも』というやつである。しかし人とも妖怪とも触れ合わずひとりで過ごしてきた玄弥がそんな歌を知るはずもない。
「それ聞いて、ああ兄ちゃんは俺に病気を治してほしくてここに連れてきたんだなって分かったんだ」
分かってない。誤解である。とりあえず後で宇随ブン殴ると心に決めてから、実弥は続きを促した。
「思い返してみたら、兄ちゃんは俺に会いに来てくれてたときも時々具合悪そうにしてたなあって」
それは玄弥の前の棲み処が空気が淀んでいて鎌鼬にとって相性の悪い場所だったからだ。
「ここに移ってきてからも、顔が赤かったり手が熱っぽかったりしたし」
惚れた相手に触れられて顔色まで平然としていられるほど実弥は器用じゃない。それなりに長く生きてはいるが、これが初恋なのだからしょうがない。
「でも兄ちゃんに病魔が巣くってるような気配は少しもないし、悲鳴嶼さんなら何かわかるかもと思って聞いてみたけど『実弥をきちんと見ていれば分かるはずだ』としか言ってくれなくて……」
相談された悲鳴嶼のほうもさぞかし困っただろう。本人同士が伝えても気づいてもない色恋に首を突っ込むほど彼は野暮ではない。しかしもう少し分かりやすく助言してくれればと実弥は思わずにはいられなかった。病を治すという性質をもった玄弥にその助言は「丁寧に診察しなさい」と聞こえたことだろう。

しおしおとしょぼくれる玄弥に、実弥はどう声をかけるべきか考えながらがりがりと頭を掻く。
本当ならもっといい雰囲気というか、お互いがお互いの気持ちになんとなく気づいたときというか、「それらしい」ときに言いたかった。けども、ここまであらぬ方向に誤解が進んでしまったならやむを得ない。実弥は判断が速かった。
「俺は別に、病気なんかしちゃいねェよ」
「でも宇随さんが」
「あれは物の例えってやつだ」
「たとえ」
そんなの考えもしなかった、という顔で玄弥はぱちぱちと瞬く。悲しそうな顔をやめてくれたので実弥はほっと息をついてから話を続けた。
「前、うっかりお前を『俺のもの』にしちまったって言ったとき、お前は「俺たち家族になったんだな」って言っただろ。それを聞いて、俺は嬉しかった。俺はお前とずっと一緒に居てェって思ってたから、そうできる関係だってお前が認めてくれて嬉しかった」
「お、俺も! 兄ちゃんとずっと一緒にいられたらって思ってた」
「だけどよ、家族っつっても色々あんだろ。親子だとか兄弟だとか。犬を飼ってる人間はその犬を家族って言ったりするしな。俺にとっては白鼬二匹は人間と飼い犬みたいな関係だと思ってる。けどよォ」
実弥は玄弥の手をとる。涙をぬぐっていたその手はひんやりと湿っていて、温度を分け与えるようにぐっと握った。
「俺は、お前と、夫婦みたいな関係になりてェ」
「夫婦って……俺たち二人とも男だろ?」
「人間や動物のように子を殖やすつもりなら男と女じゃなきゃいけねえが、妖怪なんて極端に言えば傘や琵琶を長年放っておくだけでも勝手に増えるようにできてんだ。男同士で何も問題はねえよ。嫁さんもらってる宇随の方が俺等んなかじゃ珍しい」
「そう、なんだ?」
「……まあ、お前が今までと同じ、兄弟として暮らしたいっつうならそれでも構わねえ。でも、どこか他所に好きな奴ができて出ていきたいなんて言ったら、俺はそれを絶対に許してやれねえ。俺のお前に対する『好き』はそういう『好き』だ」
口にしてみて改めてその横暴さを認識して、実弥は内心で自嘲する。勝手に『俺のもの』にしておいて、勝手に束縛して、一方的に惚れた相手の自由を許さないなんて。でも、玄弥ならそんな横暴も許してくれるのではという期待も少なからずあった。
「俺は……俺も、ずっと一緒に暮らすなら兄ちゃんとがいいし、兄ちゃんが他の誰かのとこに行くのはやだなって思うよ。だけど、俺は人間の家族っていうものをちゃんと見たことがないから、親子や兄弟と夫婦とがどう違うのかわからない」
「なら、夫婦でしかしない触れ合い方を試してみて、それから決める、ってのはどうだ」
まだあまりよくわかっていない顔をしながらも、玄弥はひとつコクンと頷いた。
それを承諾とみて、実弥はぐっと二人の間の距離を詰める。反射で仰け反る玄弥の肩を捕まえ、もう片方の手で頬に触れる。お互いの吐息が触れる距離になって初めて、二人の間にはなかった『色』のある空気が流れた。
「にい、ちゃ……」
空気にあてられて玄弥の顔が赤く染まる。ああ、これは大丈夫だ。捉えた勝機に、実弥の頬が緩く上がる。
そしてゆっくりと唇に唇を寄せ――

「こんにちはー!! 玄弥が祝言を挙げると聞いたので、お赤飯炊いてきましたー!」
空気を読まない天狗の少年の声が大音量で響き渡り、いい雰囲気は雲散霧消した。
ぶちぶちっと実弥のこめかみで久しぶりに血管の切れる音がする。
「気が早ェわクソッタレが!!!」
玄関に向かってこちらも大音量で怒鳴りつける実弥は、最初に気が早いことを宇随に漏らしたのは自分だということをきれいさっぱり忘れていた。



実弥は怒り心頭のまま、やたら元気な天狗(とその隣で無言でにやにや笑っていた小豆洗い)を追い出した後、もう一度求婚をやりなおして承諾をもらい、晴れて二人は名実ともに家族になることになった。
そして数日後いつぞやの引っ越し祝いのときと同じように、周囲の妖怪たちを集めて賑やかに祝言を挙げた。
文句なくめでたい陽気な式だったのだが、ただひとつ、式の間実弥が忌々し気に赤飯を睨みつけていたのに参列者はそろって首を傾げたという。





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