鬼滅 さねげん 9. 実弥はあまり口が上手くない。雑談や業務連絡は問題なくこなしてきたが、他人と密に言葉を交わし内面を見せることはなかったしその必要を感じてこなかったからだ。その上手くない口で、たどたどしく一生懸命に、ぽろぽろとこぼしながら拾い集めるように、自分が何を感じ何を考えどう生きたかを玄弥に話した。 今までの人生で誰も、母でさえも求めてこなかったことを、この世で一番大事なひとが求めてきたからだ。 話しながら、なんて虚しい人生だと思った。成績だけ見れば大抵のことは人並み以上にできていたはずなのに、腕の中には何も残っていない。 何事にも強く感情を動かされることなく緩やかに止まりかけていた心臓を唯一動かしたのは、一か月前の事故の報せだけだった。自分の知らないところでたったひとつ大事な命の灯が消されかけている、それが耐えられなくて衝動的に帰って来ていた。 しかしそれ以降、己の中に棲む化物が見違えるほど大きくなった弟を食い散らかす悪夢ばかりを見た。いつかそれが現実になってしまうのではないかと恐れ、帰ってくるべきではなかったかと何度も考えた。結局、この選択が正しかったのか間違っていたのか今でも分からないでいる。 自分の情けなさが嫌になって段々と俯いていった視線がベッドのシーツしか見なくなった頃、すぐ横でひぐっと濁った声がして実弥はぱっと顔を上げた。 「な、なんで玄弥が泣いてんだよ……」 「兄ちゃんがっ、じ、自分で、なかねえからっ」 「ばか、やめろ、お前に泣かれるとどうしたらいいか分かんねェ」 たてがみを梳るように頭を撫でてやれば、玄弥は実弥にすがりつくようにして泣き出した。縫ったばかりの腹部の傷に衝撃がきて少しばかり呻き声が漏れたが、撫でる手は止めなかった。 しゃくりあげる声がだんだんと小さくなって、目元を真っ赤にした玄弥はゆっくりと顔を上げる。 「おれ、兄ちゃんにいっぱい愛されてたんだな」 「お前を愛さなかったことなんて一瞬だって無ェよ」 「兄ちゃんが家出てったの、俺のこと嫌になっちゃったからかなって、ずっと思ってたからさ」 確かに、そう思われる態度を半年あまりとっていたかもしれない。ただただ、玄弥に合わせる顔がなかったのだ。玄弥に申し訳なくて、自分自身がおそろしくて。 「兄ちゃん、俺、兄ちゃんが愛してくれたように、俺も兄ちゃんを愛したい。兄ちゃんが守ってくれたように、俺も兄ちゃんを守りたい」 「守るったって、お前……」 「これでも一応強くはなったんだぜ。ほら、錯乱して刃物振り回した人ブン殴れるくらい」 玄弥が拳をぐっと握ってみせるのに実弥はぽかんとしてから、ふっと気が抜けたように笑った。確かに、昨夜弟に守られたのだ。おそらく人生で初めて。昔から引っ込み思案で人見知りの癖に、いざというときクソ度胸をみせる弟だった。 「だからさ、これからは二人で支えあって生きていこう。一人で抱え込まないで。……もう二度と、そんな寂しい生き方しないでくれよ」 おれはさびしかったのか。 言われてやっと気づいた。この生きづらさは、寂しさのせいだった。寂しさを埋めてくれるのは、この世にたったひとり、玄弥しかいなかった。 ぼろ、と実弥の頬にあついものが伝う。それは眦から次々とあふれ、視界をゆがませる。その視界の中で弟がまた泣くのが見える。泣くなよ、と言いたかった言葉は意味をなさない嗚咽にしかならなかった。 何年もの間積み重なった寂しさを洗い流すような涙の洪水は、看護師が容体を見に来るまで続いた。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 本来なら二週間は入院するような怪我だったが、実弥は一週間で退院できるまでに回復した。玄弥も事故の怪我の回復が速くて医者に驚かれていたから、二人してそういう体質なのかもしれない。お互い身体が頑丈で本当によかった。 「兄貴、あれから考えてたんだけどさ、あのアパート引っ越さない? 嫌な思い出いっぱいあるだろ」 「……まあ、お前が卒業したらだな」 「あと一年半以上あるけど」 「別にいい。玄弥との思い出も詰まった家だ。それに……」 「それに?」 「転居届出しなおすのが面倒くせェ」 ずっと大人でずっとかっこよかった兄が唐突に見せた物臭に、玄弥は思わず吹き出す。 「確かに。あと俺も転校は面倒くさいな。射撃部ある学校少ねえし」 「前から思ってたんだが、射撃って危なくねえのか」 「まだクレー射撃できる年齢じゃないから俺が使ってんのはビームライフルだよ。弾出ないやつ」 「へえ、そういうのがあるんだな」 「免許とれたらクレー射撃の方もやってみたいとは思ってるけど」 「ふうん」 「あ、納得してねえだろ。言っとくけど、射撃よりも車の方がよっぽど危ねえんだぞ」 「お前が言うとシャレにならねえな。っと、そうだ、夏休みの宿題どうなった」 「……渡すの遅れた分提出期限伸ばすからそれまでに出せって」 「なんだ間に合ってねェのかよ」 「数学だけな」 「なんだよ、数学なんて一番簡単じゃねえか」 「うっわ、これまでの人生で兄貴を一番遠い存在に感じた、今」 「おいやめろ、本気で傷つく」 「はは、冗談だって」 他愛のないやりとりをしながら、二人の兄弟は九月の青空の下を並んで歩く。 蝉の鳴き声はすっかり遠く、いつの間にか秋の虫の声が混じっている。 身を焦がすような夏が終わる。爽やかな風が吹く秋が始まる。 8< |