刀剣乱舞 源氏兄弟 僕の弟はほんとうに優秀だなあ、と髭切は最近よく思っている。 もともとよく気が利く性格をしているのか、髭切のことを心配したり世話をしたり細々と動く男だった。 そのことが周りに認知されてきたのか、色々な物事を頼まれるようになった。買い物を頼めば指定された品に加えて本丸で切れかけていた消耗品まで買ってくるし、遠征を頼めば度々大成功を収めてくる。 仕事が早く物覚えが良いため、一部の者しか扱えない現代機器の使い方を早々に覚え、人が増えて煩雑になってきた本丸の備品管理の一部を任されるようになった。(例えばこの仕事を他の太刀にやらせると、壊したりデータを消したりするのだそうだ。「太刀は話を聞かないマイペースが多いからな……なぜ他人事みたいな顔をしているんだ?兄者」) その有能さゆえしばしば近侍になることもあったし、面倒見がいいため増えてきた短刀達の遊び相手をすることも多かった。 つまるところ、膝丸はとても多忙だった。 今日も膝丸はせかせかと忙しそうに本丸を歩き回っている。 先ほど縁側でぼーっと暇をつぶしている髭切の方にも訪ねてきて「買い置きしていたタオルがごそっと無くなっているのだが知らないか」と聞いてきた。足りないなら買い足せばいいじゃないと髭切は思うのだが、財政管理とか節約の面からするときっちりしておかなければならないらしい。 知らないのでそのように言ったらまたどこかに消えていき、しばらく後ぷんすか怒りながら消えていった方からタオルを両手に抱えながら現れて、備品庫のほうに向かっていった。 すると備品庫で同じく帳面を付けていたらしい審神者が待っていて、無事備品を見つけ出した膝丸を褒め、頭をわしわしと撫でた。 手を振り払おうにも両腕がふさがっているからか上手くいかず、頭ごと逃げても撫でる手が追っていく。結局膝丸は審神者の気がすむまで撫でられることにしたらしい。 微笑ましいその光景を見、ひとり呟く。 「ひとの役にたって、ひとに慕われる。良いことだよね」 良いこと、と言いながらその表情は固い。髭切は胸の内に黒い澱みのようなものがまた増えていくのを感じた。 最近このようなことが多い。 例えばそれは、今のように膝丸が褒められ撫でられている姿を見た時であったり。 例えばそれは、粟田口の子らに囲まれて少し困ったように、しかしどこか嬉しそうな弟の姿を見たときであったり。 例えばそれは、誉を一番沢山とって帰ってきた膝丸が隊員に肩を組まれて帰ってきたときだったり。 胸の内にいつの間にか滴っていた暗い色をした滴が、やがて濁った水たまりになり、今では本丸の池よりも大きな黒い澱みになっている。その澱みは悲しみよりなお暗い色をして、怒りに似ていながらそれよりも不気味に凪いだ水面を見せている。 嫌な気持ちを抱えるのは苦しい。誰のことも嫌いじゃないし嫌いになりたくないのに、嫌な気持ちばかりが溜まっていく。 髭切はその気持ちを、おもちゃを取られた子供が癇癪を起こすのをやめられないみたいな、大人げない感情なのだと自己分析していた。そして千年も生きていながら大人になり切れていない自分を恥じて、それを外に出すことはなかった。 今日も今日とて膝丸は長期遠征で、夕餉のとき髭切はひとりだった。最近は膝丸の姿を見るだけで黒い澱みが溜まっていくから、今は少しだけ気が楽だ。 「近頃はどうだ、髭切よ」 そんな時にそう声をかけてきたのは小烏丸だった。 「近頃?そうだなあ、結構暇を持て余すことが多いけど、まあまあ元気にやっているよ」 「ふふ、この父にまで隠すことはない。浮かぬ顔をしていたであろう」 「……そんなに分かりやすかったかな」 「そうでもないぞ?でも我の目は誤魔化せぬ」 「まいったなあ。恥ずかしいからあんまり言いたくなかったんだけど……でも君になら相談してもいいのかも」 「言いにくいことがあるなら、ほれ、太古より愛されてきた人類の英知がここにある」 童子のようなましろい顔でどこかあだっぽく笑んだ小烏丸の手は、徳利と猪口が二人分あった。 酒にちびちびと口をつけながら髭切は胸の内をぽつぽつと話す。 こんな子供じみた感情も、父を自称するひと相手になら言ってもおかしくないように思えた。それに、普段なら隠しておきたかったこの感情をひとりで抱えるのに、随分と疲れていたのだ。 一通り吐き出し終わり、猪口の中身をぐいと呷ってふうと息をつく。隣を見れば小烏丸がくつくつと笑っていて、どうにもきまりが悪くなってしまった。 「笑わないでよ……」 「ふふふ、悪い悪い。いや、嫉妬の鬼を斬った刀が、嫉妬は良くないよと言っておきながら、嫉妬に憑りつかれてるとは、これが笑わずにいられようか」 笑いながら言われた言葉に髭切は衝撃を受ける。 「嫉妬?この気持ちが?」 「そうだ。なんだ、自分で気付いてはおらなんだか」 「だって、そんな気持ち知るはずもなかったよ」 「羨望よりもずっと暗く、怒りより静かに燃え沈んでいく、その感情。ふふ、この父には嫉妬にしか見えなかったぞ」 「そうか、これが……」 子だとも思っている相手がひとつ何かを学んでいくのを、小烏丸は温かい気持ちで見つめていた。それが明るいことであれ、暗いことであれ、学び育つのは良いことだと小烏丸は思っている。長く生きたと自負していながらなお知ることを見つけたなら、尚更。 しかしそれを口に出すことはなかったため、髭切の思考は更に深いところに沈んでいく。 髭切にとって嫉妬とは、ひとを呪い、時に殺す感情だ。 自分が斬ったとされる鬼は小烏丸にも言われた通り嫉妬の鬼だ。嫉妬を抱え生きながら鬼に成った橋姫は、妬む相手を、その家族親戚を、更には関係のない人々まで呪い殺したという。 また物語の中ではあるが、源氏物語の六条御息所は嫉妬のあまり生霊となって葵上に仇をなしたし、後世能楽の般若の面で有名になったという。 嫉妬と呼ばれるこの黒い澱みは、このままにしておいたらやがて湖になり海になり、あふれだして誰かを取り殺すようになるのだろうか。 そうなる前に一刻も早くこれを消さなければ。 その翌々日、髭切は風邪をひき、高熱を出した。 ふっと意識が浮上して目を覚ます。見慣れた天井が目に映り、気配を感じてそちらに視線を傾ければ薄緑色の髪が視界に入った。 「あれ、おまえ、いつかえって」 その黒い背中に声をかければ、自分のものとは思えない小さなかすれ声が出て自分でびっくりした。しかし聞き取りづらかったであろうその声を膝丸の耳はしっかり拾い上げたのか、ばっと振り返り素早く枕元まで駆け寄ってきた。 「兄者!!目を覚ましたか!!!」 「こえ、おおきい。あたまにひびく」 「ああああ、すまない兄者……食欲はあるか?何か飲むか?」 「みず。のどが、かさかさ」 「すぐ用意する!」 部屋に水差しを用意してあったのか、ほんとうにすぐに水の入ったグラスを差し出された。 それを飲み干せば、幾分か声は出しやすくなった。 「ありがとう。――あ、おかえり。遠征お疲れ様」 出迎えの言葉を言えば、膝丸はくわっと噛みつくような勢いで身を乗り出した。 「お疲れ様、ではないぞ兄者!遠征から帰ってきたら兄者が倒れたと聞いたときから、俺は血が引いて生きた心地がしなかったぞ!」 「ご、ごめんよ……」 「いや責めているのではない……いや、責めているのは俺自身に向かってだ。熱を出した原因は、いきなり兄者が滝行をしたいと言い出して、それを受け入れやらせたからだと山伏に聞いた」 その通りだった。悪い感情を消すには精神修行するべきだと考えた髭切は、年若いながらも修行の道に通じた山伏に教えを乞うことにしたのだ。 一番近いところでできる修行として、本丸裏に簡易的に作った滝に打たれる方法を聞き、実践してみたのだ。初心者は短時間でやめておくべきだと事前に聞いてはいたのだが、嫉妬心を消そうとするあまり気付かず山伏と一緒に長い時間滝に打たれて、結果がこのざまだった。 「山伏も最後まで面倒を見るべきだったと悔いていたぞ」 「これは自己責任だよ。治ったら謝りにいくね……」 「それに俺は、いきなり兄者がそんなことを言い出すほど、何か悩んでいることに全く気付かなかったことが悔しい。誰よりも傍にいたはずなのに、と思ったのだ。しかし思い返してみれば最近忙しくて、兄者との会話がめっきり減っていて何か聞ける環境ではなかった」 沈痛な面持ちを見せる膝丸の顔色は悪く、髭切はそっと視線をそらす。まっすぐ向けられる気遣いにいたたまれなさが湧いて辛い。 「だからな、兄者」 「う、うん……」 「俺は主に言って、近侍の任を永久に外してもらった」 「うん、……え!?」 「俺が雑事にかまけて兄者の方を向いてなかったからこんな事態になってしまったのだ。ならばそれを排除するのが妥当だろう?」 「えっと、お前はそれでいいの」 「いいもなにも、また遠征から帰ってきたら兄者が倒れてるとか、俺は二度とごめんだぞ!!」 「そう……心配かけたね」 「本当にな!だから、今度なにかあれば真っ先に俺に言うのだぞ」 「わかったよ」 膝丸の必死なさまに、髭切はふっと笑いをもらす。 弟が傍にいればきっとあの澱みは溜まりはしないだろう。ならば、二度とこんなに悩むこともないだろう。 この失態は恥ずかしいものだし実際に体も辛いが、この結果を引き出せたのならよかったのかなと、髭切はほっとした気持ちで思うのだった。 よく話す源氏推しの人が「嫉妬の鬼になる兄者は食傷気味」と言っていたので、ならば「嫉妬の感情を初めて知る兄者とかどうよ」と言ってみたら食いつかれたので書いたもの。 ブラコンは書いてて楽しい。 短文まとめにこれの数時間後の話があります。 |