刀剣乱舞 なんひぜ





ふらふらと自室に帰った南海は、天袋から手のひらほどの大きさの白い小物入れを取り出し、震える手でそっと開けた。
中にはスペアの眼鏡、そして傷ひとつないきれいな柘植の櫛が入っていた。
「これが、きみの心のかたちだったのかい」
南海はへたりこんで、ぽろりと涙をこぼした。

失くしたはずの櫛を発見したのは約一か月後、まったくの偶然だった。読み終わった本を積み上げた本の山の上に置いた瞬間それが崩れ、山の中から転がり落ちてきたのだ。
南海には手近なところにある小さなものを無意識に栞替わりに挟む悪癖がある。栞替わりにするくせに翌日には続きではなく別の本を読むことがしばしばあるから、本に挟んだのを忘れて紛失するのだ。失くし物の原因の何割かがそれといってもいい。
例の櫛もその悪癖の餌食になってしまったらしく、山が崩れた拍子に広がった本に、櫛のかたちとぴったり重なる跡が残っていた。
南海はそこで初めて陽光の差す場所で櫛を見、装飾のかわいらしさに微笑み、さらさらとした手触りのなめらかさに驚いた。いつも仏頂面の肥前がこんなにかわいいものを店で手に取ったと想像するとなんだかおかしくて愛おしくて、今度こそ失くさないようにと天袋の小物入れにそっとしまったのだった。

それからずっと暗がりに閉じ込められていた新品同様の櫛が今、別の意味を持って南海の手の中にある。
贈り物としての意味すら理解されず、日用品としての使命すら果たされず、何年も手入れすらされてなかった、肥前の愛の化身。
南海の言葉や振る舞いに人知れず傷つきながら、それでもなにくれと尽くし与えてくれた肥前の心を思う。散々に傷つけたこの口で、どうして愛を請えようか。今までしてきたあまりに恥知らずな行いに消えてしまいたくなって、後から後から涙がこぼれた。

「あれ、先生、おはよ」
陸奥守の部屋から直接広間に向かって遅めの朝食をとっていた肥前が、のっそりと居室に帰ってきた。二日酔いゆえか眠たげにしていた眼が、南海の涙を視認した瞬間ぎょっと見開かれる。
「先生どうした!?」
そして次の瞬間その手の中にある櫛を見、しばし硬直する。勘のいい肥前はそれで何が起こったのかを凡そ察して舌打ちをした。
「やたら酒注いでくると思ったらあの野郎……おれも口止めしなかったけどよぉ」
肥前は南海の正面に座って、櫛を手に取った。
「一応おれも探したんだけどさ、先生が先に見つけてたんだな」
「本の山の中から出てきてね……」
「ああ、なるほど。で……ああ、あの天袋にしまってたのか」
「失くさないようにと思って」
「先生にも何かを大事にしようと思う心があったんだなあ」
本当に何の気なしに、嫌みのかけらもなく、ただただ感嘆といったふうな言葉に、南海はまたぽろりと涙をこぼした。本当に、いかに信用がなかったのか。過去の自分を殴り飛ばしたくなる。
それを見、肥前は苦笑して櫛を南海の手の中に戻した。
「なあ先生、別に先生が気に病むことじゃねえんだよ。おれが勝手にあんたを好きになって、勝手に何か贈りたくなって、勝手に押し付けたもんだ。先生のものになったんだから失くそうが捨てようが先生の自由だ」
「でも僕は君をたくさん傷つけただろう、これの件以外も、たくさん」
「おれが勝手に期待して勝手に傷ついただけだ。先生の責任じゃない」
「そんなの、あまりにも僕に都合が良すぎる」
「しょうがねえだろ、おれは先生が好きなんだから」
ふっ、と息が漏れるような声で肥前は一瞬笑った。それは明らかに自嘲の笑みだった。
「先生が熱心に本を読んでる横顔をきれいだなって思う。何かを発見して嬉しそうに喋ってるのを聞くと、おれも嬉しくなる。難しくて何言ってるかわかんねえけど、それでも。何かを探してるなら一緒に探してやりたいって思うし、見つけて渡したら喜んでくれるかなって思うだけでおれも嬉しい。先生が楽しく生きててくれりゃそれでいいし、泣いたり苦しんだりしてほしくねえ。そんだけなんだよ」
「どうしてそこまで」
「どうしてだろうなあ。それが好きってことなんだと、おれは思ってる」
それが好きってこと。
彼が陰でひそかに傷ついてきたのがこんなにも悲しいのは、これが好きってことなのか。
彼が心から笑っていてくれるならなんでもしてあげたいと思うのは、これが好きってことなのか。
南海はようやく愛について深く理解した。本で読み映像資料を見ただけでは理解できていなかった。本物のそれに触れて、ようやく理解した。
「僕は……僕は、君のために何をしたらいい? 肥前くんの幸せのために何ができる」
「言っただろ、先生が日々を楽しく生きててくれりゃそれでいい」
「それじゃあ今まで君がくれていたたくさんのものに、釣り合わなさすぎる」
「そんなことねえと思うけど」
「僕は、知っての通り全然気が利かないし、君が何をもらったら嬉しいとか、そんなことすら知らない。この身ひとつぐらいしかあげられるものがない」
肥前の眠たげな瞳が一瞬見開かれたのを、南海は見逃さなかった。
肥前の愛は常に何かを「差し出す」ことだった。その真意を南海は言葉にされるまで気づかなかった。
南海の愛はどれだけ言葉を尽くそうと肥前には伝わらなかった。櫛に託した想いが南海に伝わらなかったように。
「ねえ肥前くん、もう君の心を欲しいとは言わないよ。代わりに僕のこの身を君のものにしてくれないかい。僕を、君だけのものに」
言葉で伝わらないのなら、行動で示せばいい。彼の愛のかたちと同じかたちで表現する。幸い彼らはひとであり物だ。自分自身を選んだ相手の所有物にできる。
肥前はしばし瞠目し呆気にとられたように黙ったのち、ははっと声を漏らした。それは南海が見たことのない笑いだった。彼を覆っていた殻のようなものが剥がれ落ちて、やわらかな中身があらわれたような緩んだ笑みだった。
「おれだけの先生、か。……そりゃあ良いなあ。すげえ、良い」
ふ、ふふっ、ははっ、と笑いながら肥前は脱力し姿勢を崩して、ついに寝ころんだ。南海は、こんな上機嫌な彼は見たことがなかった。きっと本丸に来てから、否、政府に顕現されたときから数えても、初めてだ。
「さあ、君だけの僕に何かしてほしいことはあるかい」
「あー……じゃあ枕になってくれよ。まだ頭痛えし眠いんだ、陸奥守が散々飲ませやがったから」
「お安い御用さ」
南海は部屋の隅にある薄手の毛布を取ってから肥前の傍に座った。肥前はその膝にのそのそと乗り上げて頭をおろした。
「お安い御用と言ったはいいけど、固いだろう。寝にくくないかい」
「おれは枕は固い方が好みだ」
「それは良かった」
肥前に毛布をかけてやって、南海はなんとなしに子守唄を歌う。
「先生歌下手だな。声はいいのに」
「おや、初めて言われたよ。誰かに歌を歌ってあげるなんて初めてしたものだから」
くつくつと肥前の肩が揺れる。南海の頬が自然と緩む。
ああ、これが好きってこと。




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