BW インノボイン





「クダリさま、ひとつお聞きしたいことが」
そう言ったインゴの声音は業務連絡のように淡泊だったが、眼差しだけが異様なほど真剣見を帯びていた。
「ええっと、僕に答えられることなら」
「ノボリさまに恋人ができた、という噂は本当でしょうか?」
気難しい顔をしているインゴから「恋人」なんてそんな甘い言葉が出たのがなんだか不思議な感じがした。
「うーん、恋人かどうかは知らないけど、好きな子なら居るみたいだよ」
「好きな子……どんな相手か、ご存じですか?」
クダリはこらえきれず、ふふっと笑った。その問いはつい先日、クダリがノボリ本人に聞いたことだったからだ。

ノボリはいつもにこやかだが、テンションの上下を表に出すことは少ない。
だからここ数日ノボリの機嫌がやたらといいことに気づいたのは、おそらくクダリが初めてだった。
「兄さん最近機嫌いいね」
するとノボリは目をぱちくりとさせてから、客や部下には見せないような脂下がった顔で、にまーっと笑った。
「あ、分かりますぅ?」
「分かるよ、僕にならさ。何かいいことあったの」
ノボリは少し逡巡して、クダリになら言ってもいいですかねと呟き、つつっとクダリの隣に寄って腰掛けた。
「……?」
「実はですね」
クダリの他にはだれも聞いてやしないのに、内緒話をするように耳元に口を当てた。
「好きな人ができたんです」
今度はクダリが目をぱちくりとさせる番だった。
弟と違いジャンクな恋愛を繰り返してたノボリは、いつもクダリの知らぬ間に恋人を作り気づかないうちに別れていた。「好きな人」が「恋人」でないことなどほぼなかった。そんなノボリが美味しいものを丹念に味わうような恋のしかたをするのは珍しい。初めてと言えるかもしれない。
「なんだか兄さんらしくないね」
「初めて本気で好きになったひとですから」
一番好きなお菓子を頬張っている子供のような笑顔を見せるノボリを、クダリは肘でつつく。ある種の違和感から始まった質問は、完全なデバガメ根性の好奇心にすり替わっていた。
「なになに、どんな人ー?あの兄さんをめろめろにしたのってさ」
「どんな、と言われましても」
「きれい系?可愛い系?」
「その2択なら、きれい系ですね。凛々しい印象のある、初対面だと少し取っつきにくいくらいきれいな方です。でも内面はとても可愛らしい」
「へえ?」
「一本筋が通ったところがあってかっこいい。そして、なかなか人を寄せ付けない反面、懐に入れた相手にはとても優しい。表現方法は不器用ですけどね。そこが可愛らしい。そういうところを褒めると照れるのがまた可愛い」
「懐には入れてもらえたんだね」
「ええ、趣味が近かったものですから。それがあの方を競り落とす上で大きなアドバンテージになっていると自負しております」
「競り落とすって」
「ライバルは複数人居るんですよ。ご本人は気づいてらっしゃらないと思いますが」
「え、その子鈍感なの?それとも天然?」
「両方です」
「あちゃあ……告白はまだ?」
「ええ、あの方が私を好きになってくれたらしようと思いまして。日々の努力の甲斐あって、もう少しで好きになってくれそうな気がするのです」
「まわりくどいことするね」
やはり兄らしくない、とクダリは思う。何事にも当たって砕けてみる、無謀にも近い勇気で物事に挑戦するひとだったはずだ。
「言ったでしょう、初めて本気に好きになった人だと。絶対に失敗したくないんですよ」
さっきまで楽しげに語っていたノボリの瞳が、一抹の寂しさに彩られたのをクダリは確かに見た。同時に、本気の恋というのはこんなに人を変えてしまうのだと初めて知った。

「クダリさま?ぼーっとされて、どうかなさいましたか」
「え?いや、なんでもないよ。兄さんの好きな人のことだっけ」
「はい」
「えっとね、凛々しいきれい系の人で、可愛いくて優しくて天然な子って言ってたかな」
「元からノボリさまはそういう方が好みなのですか」
「どうなんだろ。いろんな人と付き合ってたと思うけど。でも、今回のは初めての本気の恋だって」
「――そう、ですか」
インゴの瞳が、何らかの感情で揺らいで光り、その光は一瞬で消えた。その眼差しにクダリは既視感を感じたが、それが何なのかよく分からなかった。
「それにしても、なんでそんなこと聞くの?」
「相手がワタクシの知ってる方だったら、ノボリさまの恋を応援しようかと思いまして」
「そういうことかぁ。でも、僕にだって助けは求めてこなかったし……兄さんから頼まれたら、相談とか協力とかしてあげて」
「わかりました。お忙しいところありがとうございます」
そう言ってインゴは部屋から去った。

再び一人きりになった部屋でクダリはなんとなしに呟く。
「インゴさんは優しいなぁ。忙しいのはお互い一緒なのに他人の恋の応援までしようとするなんて。表情があんまり動かないから冷たく見えるけど……あれ?」
クダリは慌ててノボリとの会話の記憶を総ざらいした。
最初に「クダリになら言ってもいい」と言ってはいなかっただろうか。特に秘密だとは聞いてなかったからインゴに喋ってしまったが、本来ならあまり情報を漏らしたくなかったのかもしれない。
通常業務に加えてインゴとエメットの研修も指導もあって、プライベートな時間があまりないのはノボリだって一緒なのに「日々の努力」と言えるほどにアプローチを重ねていたらしい。ということはそういうことができる距離にいたということではないだろうか。
それに、ノボリは終始「あの方」と呼んでいた。好きな人だとか可愛いという表現からてっきり相手は女性だと思っていたが、「彼女」という代名詞は一度も使わなかったように思う。
更に悪いことに、ノボリが言っていた「あの方」の話を惚れた欲目の部分を抜いて見れば、「初対面ではとっつきにくいけど、身内には優しく、ノボリと趣味が一緒の人」だ。それはつまりインゴのことではないだろうか。
もちろん、全ては推論でしかない。証拠など一つもない。だけど、この仮定は当たっているのではないかという直感が、クダリにはあった。
「……ごめん兄さん。僕余計なこと言った」
クダリは机に両肘をついてうなだれる。その懺悔は、誰も聞くことがなかった。






肉食系ノボリさんは、ガツガツ攻めなのか襲い受けなのか未だに結論が出てません。
これだけで終わりのつもりだったんですが、支部で続き期待されてたので続いちゃいました→『梅雨空トワイライト』