BW インノボイン ※ 五月雨インビジブルの続き 休憩から帰って来てから、どうもインゴの様子がおかしい。ノボリがそう気づくのにさほど時間はかからなかった。 喋る内容も、書類を捲る手つきも、作業能率も変わったところは無い。だが、声音は僅かに低くなっているし、表情も硬い。それに、何よりも視線が全く合わない。 (こ、これでは初対面の時まで逆戻りしたようではないですか……!いや、初めてお会いしたときでも目を見て話してくださっていたから、あの時以下!) ノボリは表面上の笑みを崩さないまま、内心ひどく焦っていた。 いつから彼を好きになったかなんて、ノボリは覚えていない。初めて会ったときにはもう恋に落ちていたのかもしれないし、彼の片割れであるエメットにさりげない優しさを見せた瞬間かもしれないし、シングルバトルの楽しさや手持ちの子たちの話をしたときに僅かに緩んだ表情を見たときかもしれなかった。 重要なのは、好きになったと自覚してから様々な手を講じて距離を詰めてきたということだ。 人付き合いが不得手だと聞いたから、率直に「ではこれからは私たち友達ですね」と伝え、彼の懐に一歩踏み込んだ。 不快でない程度のボディタッチで更に距離を詰めた。ユノヴァ出身だからかボディランゲージに抵抗が無いようなのは実に助かった。 ことあるごとに彼を褒め、また彼の指導役として頼りがいのあるところを見せた。 食事や休憩はできるだけ一緒にいるようにし、他人を寄せ付けないようにしつつ、喋り下手のインゴの口からできるだけ情報を引き出した。 さりげなくインゴの好きなタイプを聞きだし(「ドラゴンタイプが好きです」と言われてずっこけたのは別の話だ)、彼の理想像に添うように振る舞った。その理想像というのがどことなくエメットに近く、聡く狡く甘え上手なノボリの性格がそもそもエメットに似てることもあって、理想像に沿うのは容易かった。 日々の努力は実を結び、会って2週間もしないうちにインゴの『無二の親友』、希望的観測を込めれば『親友以上恋人未満』くらいまでには距離を詰めていた。 インゴが心を開く度にポケモンに懐かれたような達成感を味わい、彼の事を知る度にどんどん恋の深みにはまっていく思いだった。 なのにここにきて、まさかの逆転劇。ノボリの背筋に嫌な汗が伝う。嫌われた、などとは考えたくなかったが、少なくともなつき度(?)は下がったように思える。 「い、インゴさま……」 「はい」 返事だけは返ってくるものの、碧い双眸は書類に落とされたまま、振り向きもしない。それだけでノボリの心は折れそうになったが、こんなことで折れていては先に進めそうにない。この恋に関して臆病ではあったが、いつになく諦めは悪かった。 「何か……考え事でも?」 「いえ?何故そうお思いに」 「眉間にくっきりと皺が、いつも以上に刻まれてますから。悩みがあるなら私が聞きますよ。今でなくても、ほら、先日行きたいと仰っていたヒウンのバー、昨日ライモンに分店が出来たそうで――」 「ワタクシは結構です」 「えっ」 背筋に冷や汗が通る。ここまで硬い拒絶を受けるとは思わなかった。 ノボリの笑顔が強張ったのを察知したのか、インゴは慌てて取り繕った。 「いや、そうではなくて、ええっと」 「……?」 「ノボリ様から……いや、ワタクシではなく他の方と……」 「他の方とは?」 インゴの言わんとすることが読めなくて首を傾げる。 「ノボリ様には好きな人がいらっしゃるのでしょう?ワタクシなど構わず、その方と行ってください」 ノボリは数秒固まってから、言葉の意味を理解し、蒼褪めた。 「いいいいインゴさま」 「落ち着いてください」 「わわわ私は落ち着いていますとも!」 「そ、そうですか」 「そそそそうですとも!あの、その情報はどどどどどこから?」 狼狽えまくっているのが丸分かりだったが、落ち着いていると本人が言っているのだからと、インゴはスルーすることに決めた。 「情報源、ですか?鉄道員たちから聞きかじった噂話を、クダリ様から裏付けをとった確かな情報、のはずですが」 (クダリ……!なに言っちゃってくれてるんですかぁ!!いや、自分から話しておいて口止めしなかったのは私ですけども!) ノボリの狼狽っぷりは止まることを知らず、故にあの情報は確かなものだったのだとインゴは確信した。ただ、知られたくなかったのであろうことを自分の口から突き付けてしまったことには申し訳なく思った。 「心配なさらなくても、口外したりしません。できることなら、ノボリさまのお力になりたいのです」 「そ、そうですか」 「教育係をやっていただいている身分で言うのもおこがましいですが、こちらでの仕事内容も大分覚えてきましたし、その方との時間を作るのに協力しようかと思っています」 「申し出はありがたいのですが……」 「ワタクシではやはりまだ力不足ですか」 「そういうことではなくて……」 ノボリは狼狽で鈍った思考回路を精一杯動かしていた。 インゴはノボリに好きな女性がいると思い込んでいる(そしてそれは順当に考えれば当然の結論だ)。しかしそれは誤解で、このままでは、インゴはノボリと距離をとってノボリを早く帰宅させようとするだろう。 誤解を解いて再び距離を縮めるには、本当のことを言うしかない。だが、告白に踏み出そうと思えるまでにはあともうひと押し、インゴがノボリのことを好きだと確信できる言動が足りなかった。更に希望を言えば、雰囲気のいいバーや夜景の見えるレストランで告白したいなどと、呆れるくらいにベタなことも夢見ていた。 ぐるぐると迷走を続ける思考回路を、ちかりと瞬いた小さな光が、ばちんと叩き切った。インゴの紺碧の瞳の中に一瞬きらめいたひとしずくが視界に映った瞬間、言葉を選ぶ猶予もないまま口が動いていた。 「私は貴方が――」 半分叫ぶように言ってしまったせいかインゴはぱっと顔を上げ、はずみでぽろりと雫が落ちた。その様子すら綺麗だと思いながら、同時に言ってしまったという後悔が胸中に吹き荒れた。しかし、もう戻ることはできない。 「貴方が、好き、なんです」 勢いの余韻のまま最後まで言い切り、相手の様子を窺う。インゴはたっぷり数秒目を見張り、直後ぐっと眉根に皺を寄せた。 「申しておりませんでしたか。ワタクシ、そういった冗談が大嫌いなのです」 返って来たのは、ノボリが今まで見たなかで一番凶悪とも言える表情とつれなさすぎる言葉だった。元ヤンの本気の睨みにノボリの心はめった打ちのダメージを受け、ひび割れてぼろぼろの様相を呈していた。だが、ぎりぎりのところで踏みとどまった。諦めが悪くなければバトル施設のトップなどやっていられない。 「冗談ではございません。私の好きな人は、間違いなくインゴ様なんです」 「しかし、クダリ様から伺った人物像とワタクシはあまりにも違う」 「それはきっと、私から見たインゴさまと、インゴさまご自身でとらえてるインゴさまでは見え方が違うからでしょう。こちらには惚れた欲目というものもありますから」 「惚れた欲目……」 「ええ。だから私の分まで仕事を引き受けなくてもいいですし、何なら定時までにできなかった仕事は等分に分けて、一緒にご飯に行ってくれた方が私はずっと嬉しいのです。――分かっていただけましたか?」 「それでは、ノボリ様は本当にワタクシが……?」 「さっきからそう言っているではありませんか。――あの、できればお返事をいただきたいのですが」 なんとかかき集めた余裕を取り繕って笑みを浮かべているつもりではあるが、いつもよりずっとぎこちなくなっているのは自分でも分かる。丁寧に計算して詰めていったのに、もうすぐ王手といったところで派手に悪手を打ってしまった自覚はあった。 考えうる最悪の事態を想定しながら彼の言葉を待つ。 「ワタクシは――」 インゴはたどたどしく切り出した。 「ノボリ様に好きな方がいらっしゃると聞いて、最初に感じたのは苛立ちでした。ワタクシに特別に時間を割いてくれているように見えたのは勘違いだったのかと、勝手に騙されたような気持になっていました」 それは勘違いなんかじゃない、と言いたくなるのをノボリはぐっとこらえる。インゴは話を遮られるのを嫌うのを、短いながらも濃い付き合いで知っていた。 「しかし、ワタクシみたいなつまらない男がノボリ様の、例えば親友だとかに、なれるはずがない、と思い至って。それでもノボリ様はワタクシの特別で唯一なのだから、邪魔はするまいと思って……」 インゴの固かった表情がふっと緩む。自嘲と安堵を含んだような複雑な笑みだった。 「思えば、あれは嫉妬だったと、今理解しました。ワタクシはノボリ様のことが、ずっと好きだったのですね」 ぽかんと間抜けな表情でノボリは固まった。インゴの言葉は耳には届いていたが、思い浮かべていた想定と現状が乖離しすぎて、脳がきちんと理解できていなかった。 それを、聞き取れなかったのだと思ったインゴは、今度は聞き取れるようにとノボリを抱き寄せ、もう一声をその耳にささやいた。 「だから、もし貴方がワタクシを好きだと言ってくださるなら、是非ワタクシの恋人になってください」 言って、そのまま唇にキスを落とした。 その瞬間漸く理解が追いついたのか、ぴゃっと声を上げてノボリが身体を離した。 「だめでしたか」 「だめではないですが!今のはちょっと急すぎたといいますか!……あの、もう一回やり直させてください。その、キス、を」 「どうぞ」 どちらともなく唇を寄せ、互いの唇を食むような柔らかなキスを繰り返す。触れる度にあたたかな気持ちが次から次へと溢れ出て満たされていく。そこからどんどん深く追い求めたくなるのを、なんとか押しとどめたのはノボリの腕だった。つぅ、と二人の間に銀糸がつたうのを見止めてしまい、二人してうっすらと紅潮する。 「こ、ここから先は仕事のあとに」 「ええ。それと、先程言っていたバーにも案内してくださいませ」 「後の楽しみがあると思えば溜まった仕事にも俄然やる気が湧きますね」 「それは重畳。楽しみにしています」 くすくすと笑いあう二人の居る部屋の扉の向こうに、「そろそろ入ってもいいかなぁ」と空気を読んだ部下が書類を持って待っていることを、この時の彼らはまだ知らない。 続きを書いたはいいけど、前のがあれはあれで完結させたつもりなのを思うと、どうにも蛇足感がある気がします。 あと、特にどっちが受けで攻めっていうの考えずに書いたので、どうにも百合くさい。あえて言うなら前作がノボインで今作がインノボだろうか。 |