鬼滅 さねげん
※ 原作軸・柱稽古if・和解前




里の奥の山に二つ。片方はおそらく山の中にある岩柱邸の敷地内。
蝶屋敷の敷地内に一つ。
そして、風柱邸の中に一つ。
その四か所から玄弥の匂いがする、と炭治郎は言った。随分と高性能で便利な鼻だと呆れたが、正直に言ってその情報は助かった。鬼を寄せる戦術ばかりをとってきた実弥は、あまり索敵が得意でない。
しばし迷ってから、とりあえず蝶屋敷にいるものから探すことにした。すると程なく庭に面した縁側にそっと座している大きな人影がすぐに見つかり、実弥はぐっと息を詰めた。
ほんのついさっきまでベッドで眠っている玄弥を見ていた。なのにここにも玄弥がいる。生霊だの分身だのを実際に見たことはなかったため、俄かには信じがたいが、血鬼術の影響と考えれば『信じがたい』からこそ信憑性があるともいえる。
生霊騒ぎと聞いていたからもっそ幽き存在かと思っていたが、はっきりと像を結んでいるし、月明りに照らされて影もある。ただ、玄弥の形をした人形がそこにあるかのように、生の気配が妙に薄い。
いつも会話を打ち切っていた弟相手にどう声をかけたらいいかわからずその人影の後ろに立ち尽くしていると、それは実弥の方を振り向いて小さな眉を困ったように下げて寂し気に笑んだ。
「兄貴」
「……玄弥」
その名を呼ぶだけで妙に勇気が要って、喉がつっかえる。どう接したらいいだろうか。何を話すべきだろうか。どう言えば本体に戻れと説得できるだろうか。
言いあぐねている兄をよそに、玄弥の分裂体は視線を庭に移してするりと言葉を紡ぐ。
「ねえ、兄貴。ここにすみって子がいるの知ってる?」
唐突な質問に、一つ首肯を返す。
「あの子の名前を聞く度、顔を見る度、妹の寿美を思い出すんだ。全然似てないのにな」
「俺もだ」
玄弥のすぐ下の妹・寿美は、上の二人がこんな兄だったからか可愛い顔をしているのに妙に男勝りでお転婆だった。蝶屋敷のすみとは似ても似つかない。でも、小さいなりでしっかりと家の仕事をこなしているところがすこし似ていて、貧乏だけど穏やかだった日々を思い出させた。
「昔のことを思い出す度、あの家に帰りたいって思う。けど、そんなもの跡形もなくなっちまったってことも、思い出す。――なあ兄貴、俺たちが住んでた家、なくなっちまったんだってさ」
「ああ、知ってる」
「はは、だよな。俺、それ知ったの結構最近でさ。俺たちが住んでた長屋一帯取り壊されて大きな家建ってて、まあ、そりゃあ一家惨殺のあった場所なんてそのままにできねえよな。それ見て、俺の帰る場所って鬼殺隊以外になくなっちまったんだなあって、思った」
声音に滲む郷愁のいろにたまらなく寄り添いたくなって、実弥も縁側まで出て隣に腰掛ける。彼と同じ郷愁を抱けるのは、もうこの世に実弥しかいない。
「もう、居場所はここにしか、ないんだよ」
居場所、という言葉で記憶が頭に過った。それはほんの数日前実弥が玄弥に投げつけた言葉だった。『弱ェ奴はここに居場所なんか無えんだよ、さっさと鬼殺隊辞めてどこかに行っちまえ』そんなことを言った。かつて実弥も味わった生家を失った痛みが、玄弥にとってまだ鮮明であるなんて思いもしないで。
そして同時に、ここにいる玄弥は本物の玄弥が無意識に切り落とした傷口なのだと気づいた。言葉の刃で切りつけられ、入り込んだ毒がが全身に回る前にその部位ごと抉って落とされた。その傷口がきっと此処にいる玄弥の分裂体だ。もしかしたら、他の分裂体も。
「……俺を追ってこなきゃ、近所の人に世話になってりゃ、あの場所にお前の居場所はあったろ」
裕福ではなかったけど、治安も良くはなかったけど、でも優しい人が集まった街だった。親兄弟を亡くし一人きりになってしまった子供を見捨てるような街じゃなかった。だから年端もいかない玄弥を残していったのに。
「兄ちゃんに謝らなきゃって、そればっかり思ってたから。どうしても一度謝らなきゃ、俺、あの夜明けに囚われて先に進めなかったんだよ」
実弥もあの夜明けにずっと囚われている。そんなところばかり似た兄弟だった。
「ここで、すみや他の蝶屋敷の子たちと一緒にここの手伝いすることがあってさ、そしたらちょっとだけ、ここに居場所ができたような気持ちになれた。でも、兄ちゃんの傍に居場所がつくれたらな、って、ずっと思ってる」
「玄弥……」
名を呼んだきり、なんといえばいいか分からないまま、無造作に縁側に触れている玄弥の冷えた手を包み込むように握る。弟がやっと見つけた居場所を、羽根を休める場所を奪うつもりじゃなかった。こんな危険な場所じゃなく、もっと他に幸せになれる場所があるからそこに行けと思っていた。でも、玄弥が自分の傍を望むなら。
指先に力がこもる。じわりと上がった温度が、玄弥にも伝わったのが分かった。この指から想いも伝わればいいのにと思った途端。
「ありがとう、兄ちゃん」
小さな声と触れ合った感触が夜の闇の中にすうっと融けるように消えてなくなった。
「玄弥!?」
玄弥が、弟の分身がいた場所にはもう塵ひとつ影ひとつ無い。月明りが縁側を照らしているだけだった。実弥は暫し絶句して、あの分身が玄弥本体の元に戻ったことに気付き、深く息をついた。





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