鬼滅 さねげん



5.

そこからの一連のことを、実弥はよく覚えていない。
父が車を出して玄弥を病院につれていき、それっきり帰ってこなかった。尋常でない気配を察知して不安がる妹たちを母が宥め、実弥と共に寝室に連れて行った。
翌日から学校が始まったため、そちらに送り出されたが、両親は昨夜の続きでまだ慌ただしくしているようだった。深刻そうな面持ちでどちらかがしばらく家を空けたり実弥に留守を頼んだりしてきた。
聞こえてくる言葉の端々で、玄弥の母が亡くなったのだということだけは察せられた。たった一度会っただけの人が亡くなる、ということに対して実感はあまり湧かない。誰かが死ぬということすら、どちらの祖父母とも健在な実弥にとっては遠いどこかの話だ。けども、玄弥にとってはそんなものではないのだろうということは幼い実弥にもわかった。
玄弥に渡した花束は、結局玄弥の家の玄関の花瓶に生けたものの玄弥にほとんど見られぬまま萎れるだけの存在になっていた。あの夜玄弥は父に連れていかれたままほとんど帰って来ずにいたので。



玄弥のことを案じながら数日経った頃、学校の帰りに隣の家を覗くと扉が半開きになっていることに気付き、ひゅっと息をのむ。
玄弥が、帰ってきている。
ばたばたと庭を駆け玄関の扉を勢いよくあけると、すぐそこに長い手足を折り畳んだように三角座りで蹲る想い人がそこにいた。玄弥は実弥の来訪に気付き、ゆっくり顔を上げる。そして、いつもそうだったようにへらりと笑った。その拍子に涙がひとしずく頬をつたう。
「ひさしぶり、実弥」
実弥はなんと声をかけたらいいか分からなかった。玄弥の頬には涙の痕がくっきり残っている。家族を亡くした痛みは、幼い実弥には想像もできない。
やっとあえてよかった。大変なときに一緒にいてあげたかった。痛みを分かち合えなくてごめん。そのどれもを考えたけども、どれもが言葉にするには薄っぺらすぎるような気がして、うまく口が動かない。
何も言えないままでいると、玄弥が続きの言葉を紡ぐ。
「俺ね、遠くに引っ越すことになった。新幹線で行くような、遠いとこ」
「……ッ!? な、なんで!」
「法律的に俺の親代わりになるひと、未成年後見人っていうんだけどさ、それやってくれるひとを遠くの学校の偉いひとが用意してくれるんだって」
「なんで! 親代わりだったらうちの母ちゃんたちだっていいだろ! それかこの家に時々来てたおばさんとか、それじゃだめなのかよ!」
玄弥は力なく首を振る。
「それが、母ちゃんの遺言だから。そこにいって授かった才能を伸ばせって」
遺言。その一言がずしんと重みを持つ。
「元々、そこの学校から俺をスポーツ推薦で受け入れたいって話があってさ。俺は母ちゃんがここにいるんだから地元の高校に進学したいって言ったんだけど、ここらの学校にアーチェリーできるとこはひとつもなくて。だから母ちゃんは推薦受けろって言ってて、俺は嫌だって言って、ここんとこずっとその話で揉めてたんだよ。多分、母ちゃんは自分がもう長くないこと知ってて、そしたら俺がここに残る意味がなくなるって考えてたんだろうな。……そんなの、勝手に決めるなよ、ばか」
長い両足が腕の中で更にぎゅっと小さくたたまれ、ぐずっと洟をすする音がする。
「俺、ひとりぼっちになっちまった」
虚ろな声音に、実弥の喉がひゅっと鳴る。次の瞬間、その喉からでた言葉は完全に衝動ともいうべきものだった。
「俺が、いるだろうが!!」
それはいつか、友達がいないと嘆いた玄弥に言った言葉と同じだった。
「え……?」
「家族がいねえのが寂しいなら、俺がなってやる! 日本じゃ無理だけど世界のどこかでは他人の男同士でも家族になれんだろ? だから、俺が玄弥の……」
ぼろ、と実弥の両目から大粒の涙がこぼれた。現実的でない、夢見がちなことを言っている自覚はある。新幹線でいくような場所ですら絶望的に遠いと思ってしまうのに、さらに遠くの国での「できるかもしれない」程度のことを宣言するなんて。でも、そんな夢見がちな提案ででも玄弥を自分につなぎとめていたかった。遠くにいくからお別れだなんて、思いたくなかった。
「実弥……それ、どういう意味か、わかって言ってる?」
「当たり前だろォ! 玄弥と結婚して、お前と家族になりてえって、言ってんだ!」
「け、っこん……ふ、ふふ、は、ははっ」
「笑うな! 俺は本気で、本気でお前と……ッ」
「ありがとう」
そう告げて微笑む玄弥の顔にからかいの色は一切なくて、実弥は口を噤む。
「俺を、そんな風に特別に想ってくれてたなんて、想ってくれるひとなんていないと思ってたから、すげえ嬉しい。でもさ、こどもは結婚できないんだよ」
「……知ってる」
「だから、実弥が大人になったら、またプロポーズしてくれねえかな」
「大人って、何歳になったらだ?」
「ええっと、十八、かな? 男が結婚できる年齢がそこからだったはず」
十八。今の実弥の倍の年齢だ。ずっと年上だと思ってた玄弥だってまだ十五なのに、更にその先。そんな年の自分のことなんて全く想像かつかない。それでも。
「何年経ったってお前のこと、好きでい続けるから、嫌いになったり忘れたりなんか絶対しねえから。そしたら、玄弥は俺と結婚してくれるか?」
「うん、結婚しよう。ふたりで幸せになろう。離れ離れになっても実弥のことずっと待ってるから、大人になったら迎えにきてくれよ」
「約束だ」
「うん、約束」
玄弥が小指を差し出す。その小指を実弥はとらず、玄関に生けてあった花瓶から花を一本抜いて差し出された手の薬指に指輪のようにして結わえ付ける。
「約束するなら、こっちだろ」
玄弥は薬指に咲いた花に暫し茫然としてから、頭を足の狭間に埋めるようにして蹲る。
「げ、げんや……?」
「ほんっと、実弥はかっこいいなあ……」
脚では隠れきっていない玄弥の耳の端が赤く染まっているのを見、その意味に気付いた実弥はふっと顔を綻ばせた。





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