鬼滅 さねげん




3.

葬儀から数日経ってから、玄弥の保護者として実弥がこの家に住むようになった。
「未成年が身寄りもないまま一人で暮らしていけるとでも思ってんのか」
そう言われてしまえば、玄弥は納得するしかない。家事くらいは一人で一通りできるようにはなっているが、税金だの法律だののことは全く分からなかったからだ。実弥が来てくれることによって、転校しなくてもよいのは大変に助かった。
逆に実弥の方の仕事などは大丈夫なのかと聞けば、ネット環境さえあればどうとでもなるそうだった。

実弥の急な引っ越しにあたって、遺品整理も兼ねた家の片づけをした。
とはいっても、裕福でもない母子家庭にそんなに物は多くない。高価なものや長く使えそうなものなんてものはあるはずもなく、母の衣服やわずかな化粧品や日用品は処分しようかという話になった。そうやって空けた母の部屋を実弥の部屋にするのである。狭い安アパートにはそこしかスペースがなかった。
箪笥の中を空にして、母ちゃんの服ほんとうにちっちゃいなあ、子供みてえ、なんて呟いていると、部屋の奥でガチャンと何かが割れる鋭い音がした。
咄嗟に振り返ると、ぎちぎちと拳を握りしめ血走った眼を吊り上げた実弥と、その足元に割れたガラスがあった。その尋常でない様子に玄弥は一瞬怯む。
「ど、どうしたんだよ」
「なんだってこんなモン飾ってやがる!!」
「え? なんでってそれは……」
割れていたのは母が枕元に飾っていた小さな花瓶と写真立てで、その写真立てには昔亡くなった父の写真が入っていた。花瓶の花は母がこまめに取り換えていたが、世話をするものがいなくなって日にちが経っているせいで、すっかりしおれて畳の上に落ちている。
激昂が収まらないのか実弥は写真立てを何度も踏みつける。こんなに感情をあらわにした兄を見るのは再会してから初めてで、しばし呆然とした後玄弥は慌てて実弥を止めた。
「や、やめてよ兄ちゃん! 足怪我しちまう!」
「あの女、まだ屑男を愛してやがったのか! クソッタレ!!」
なおも写真立てを踏み壊し続ける実弥に半ばタックルするように体当たりして尻もちをつかせると、実弥はフウフウと荒い息をつきつつも動きを止めた。
「もう二度と奴のツラ拝む事ァ無えと思ってたのによォ……」
それだけ呟いて実弥は目を閉じ頭を軽く振る。まだ残る怒気を散らそうとするように。
「それって、父ちゃんのこと?」
「あんな屑、父親でもなんでもねえ。血が繋がってるだけのクソ男だ」
「なんでそんなこと言うんだよ? 俺たちの父ちゃんだろ。『優しいひとだった』って、母ちゃん言ってたぜ」
「『優しいひと』がたった四歳の俺を蹴飛ばすかァ!!」
ドン、と畳を殴る音が響く。実弥の拳の形に畳がへこんだ。しかしそのことよりも、なんの疑いもなく信じていた母の言葉を兄が真っ向から否定したことに驚いていた。
「嘘……」
「嘘なわけねえだろ! ……ああ、お前はアイツのこと覚えてねえのか」
「うん、父ちゃんが死んだのって俺が三歳ぐらいのときだろ。俺ん中の父ちゃんはその写真と、母ちゃんが話してたことだけだ」
「そうか……悪ィ、血のつながった親がDV野郎だなんて知りたくなかったろ」
「いや、すげえびっくりしたけど、そのことで兄ちゃんが一人で苦しんでる方がずっと嫌だよ」
実弥の目がすっと伏せられ、眉根が顰められる。それがなんだか、泣くのをこらえているように見えた。
「ねえ、母ちゃんは知ってたの? その、兄ちゃんが暴力振るわれてたこと」
「そりゃあな。あの屑が俺を蹴とばすのはいつも母ちゃんの前だけだった。大方、母ちゃんの目に自分以外が映るのが嫌で、邪魔者を排除したかったんだろ。あいつはそういう奴だった」
痛みをこらえるように淡々と言う実弥に、玄弥はかける言葉を見つけられないでいた。玄弥が困った顔をしているのをどうとらえたのか、実弥は眉尻を下げ、そっと弟の頭を撫でた。
「ごめんな、嫌なこと聞かせちまった。忘れてくれ。――ちりとり持ってくる。ガラス触んなよ」
部屋を出ていく実弥を見送ってから、玄弥は慌てて押入れの奥の行李を取り出した。そこには母が大切にしていた父の遺品が入っている。その蓋を開け、恐る恐る中に入っていた服を広げた。平均身長を大きく超えて背が伸びた玄弥が着たとしても更に丈が余る大きさだった。
つまり、この大きな服が着られる巨漢が、たっだ四歳の兄に暴力をふるっていたということだ。その事実に背筋がぞっと凍る。
母が謝りたいと言ってたことはそのことだったのだろうか。しかし、謝りたいと言う裏で玄弥に嘘を吹き込むようなことをした意味がわからない。それとも、母にとっては嘘ではなかったのか?
真意を今すぐ聞きにいきたいと思えども、それはかなうはずもないし、母が亡くならなければ兄が帰ってくることも過去を話すこともなかっただろう。どうにもやりきれない気持ちで、行李の中身を全部ゴミ袋の中にぶちまけ、実弥の視界に入らないように母の服で覆って隠した。今玄弥にできることは、それくらいしかなかった。





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